第45章 静かな夜

第45章 静かな夜


セバスチャンは椅子の背にもたれ掛かり、ブランディのグラスを両手で抱えていた。アンダースは暖炉の側の長椅子に座って脚を長々と投げ出して、やはりブランディをグラスからちびちびと飲んでいて、膝の上でアッシュが丸くなっていた。一方フェンリスは彼らの間で、暖炉の前の床に手足を伸ばして座り込み、半分空になった上等の赤ワインの瓶を側に置いていたが、カークウォール時代に良くやっていたように瓶から直接がぶ飲みではなく、上品にグラスから飲んでいるところが違っていた。

その夜早く、アヴェリンとドニック、それと将来の若きヴァイカウント・ヘンダー*1に祝杯を挙げようと言い出したのが一体誰だったか、彼にはもう思い出せなかったが、今となっては良い考えだったように思えた。それに彼らがホークとアヴェリンと共に体験した冒険の話をお互い語り合って、実に愉快な時間を過ごしていたのも確かだった。

アヴェリンの風変わりな求愛活動の一環として、ホークがウーンデット・コーストの巡回路を掃除し、どうにかして彼女に勇気を奮い起こさせ、ドニックと話をさせる機会を作ろうと奮闘した夕方のことは、アンダースもセバスチャンも知らなかった。その時点ではフェンリスはもはや笑い転げる余り息を切らし、唾を飛ばしながらアヴェリンとイザベラがその後に交わした会話をどうにか再現しようとしていた。アンダースは十分酔っ払っていて、例えフェンリスが何を言おうとして‐ 失敗して -いるのか、これっぽっちも理解出来なかったとしても楽しげな笑い声を立てていた。セバスチャンはただ微笑んで、暖かな満足感を味わっていた。

ようやくフェンリスの笑いの発作も治まり、しばらくの間沈黙が部屋を支配した。風で雪が窓に当たる微かな音と、暖炉でパチパチ爆ぜる音、そしてアッシュが喉をゴロゴロいわせる音だけが響いていた。

「なあ、フェンリス……」アンダースはしばらくしてためらいがちに言い出した。

「うーん…?」

「前から思っていたんだが……読み方を学ぶつもりは無いか?」

「ホークがやろうとしたが、上手く行かなかった」とフェンリスは微かに顔をしかめながらメイジに思い出させた。

「そうだけど、それはホークだったからなあ」とアンダースが酔っ払った様子で顔をしかめて言った。
「彼を好きだったのは山々だけど、真っ先に認めざるを得ないのは彼が……時々凄く短気だったってことでね」

「ぜひ読み方を学ぶべきだよ、フェンリス」とセバスチャンが割って入った。
「君とアンダースが書いているテヴィンターに関する本を読んでみたくは無いか?あるいは私の図書室にある、君が読みたいと思うどんな本でも」

フェンリスは眉を寄せて考え込んだ。「それは……面白そうだ」と彼はしばらくして言うと、アンダースの方を不思議そうに眺めた。
「君が教えてくれるのか?」

「もちろん、そうするよ。診療所の方も最近大分落ち着いてきたし、それと僕達のメイジに関する議論以外、今のところ他にやることも無いしね」

フェンリスは考える様子で頭を捻っていたが、やがて肩をすくめた。
「そうしよう」と彼も同意した。「もし俺が……苛々して見せても気分を悪くしないと約束するなら。最初の授業が余りにも上手く行かなかったせいで、どうもホークは随分後まで俺に怒っていたようだ」

アンダースは鼻を鳴らすとさりげない様子で言った。
「君の『苛々』が僕の胸の中に手を突っ込むという形で現れない限りは、何とでもなるさ」

フェンリスはニヤッと笑うと、床の上に寝転がった。
「ワインを飲み過ぎて頭がどこかに行ったようだ」彼はゆっくりと言った。「何もかも廻ってる。まだ気分は悪くない、が悪くなる前に止めておいた方が良さそうだ」

セバスチャンも鼻を鳴らして同じように笑った。「限界を知る男こそ賢明だな。もう夜も遅いし、そろそろお開きにするか」

「確かにそのほうが良い」フェンリスは同意した。
「俺は明日の朝に馬で遠駆けに出る予定をしているし、馬の背に揺られるのと二日酔いの組み合わせはさぞかし気分が悪いだろう」と彼は言うと、酔いを少しも感じさせない動きで、背を下に寝た姿勢から一動作でまっすぐ立ち上がった。

「おやすみ、フェンリス」とセバスチャンは笑って言った。

フェンリスは頷くと、彼の部屋へと戻っていった。

アンダースは一つ溜め息をつくと、頭を後ろに反らして眼を閉じた。
「僕もそろそろ引っ込んだ方が良いかな」

セバスチャンは楽しげに微笑んだ。「急ぐことは無い。まだグラスに酒が残っているし」

アンダースは目を閉じたまま、顔に笑みを浮かべた。「今日は楽しい夜だった」と彼は感想を述べた。

セバスチャンは彼に暖かく笑いかけた。「そうだな」

アンダースは酔っ払った様子で何ごとかうめいた後、しばらく黙っていたが、物思いに耽る様子で再び話し出した。
「君は、カークウォールに居た頃を懐かしく思うことはあるか?ホークと一緒に冒険に出かけたり、ハングド・マンでカードゲームをしたり、ヴァリックやイザベラ、それに他の人達のことは……?」

「時々は、ある」とセバスチャンは静かに認めた。「ヴァリックだな、イザベラよりは -彼女はまるで、私に誓いを破らせるのを個人的な目標にしているようだった、もしそれが駄目でも少なくとも赤面させようと」

アンダースは歯を見せて笑った。「僕が記憶する限りじゃあ、彼女は滅多に成功しなかった」

「まあな、私は教会に入れられるまでは、どちらかというとかなり活発な人生を送っていたし」セバスチャンはそう言うと、グラスを見下ろしてニヤッと笑った。
「イザベラほど長くは無いかも知れないが、様々な体験という点では恐らく同じくらいだろう」

アンダースは声を出して笑うと目を開け、頭を回してセバスチャンに視線を向けた。
「君の若い頃に出会えていたらと、彼女が言っていたのを思い出したよ」

セバスチャンは微笑んで彼の方に顔を向けた。
「確か彼女は、お前の放蕩時代にどこやらで出会ったことがあると一度話していなかったか」

アンダースは再び声を立てて笑いだし、実におかしそうに目を輝かせた。
「ああ、そうだよ。デネリムの真珠亭 -サークルから逃げ出した時に一回、あそこに一週間ほど居たことがある」

セバスチャンは眉をひそめた。「彼女との会話から考えるに、そこは売春宿だったという印象を持っていたのだが?誰やらのことを言っていなかったか、あー、レイ・ウォーデン?」

アンダースは歯を見せて笑った。「そうそう、彼女の……彼女は実に見応えのあるグリフォンの入れ墨をしていてね。もし君が十分に丁寧に頼めば、どうやったらその大きな翼を羽ばたかせられるか彼女が教えてくれる……」

「もういい!」セバスチャンは笑いながら大声で言った。「彼女に付いてそれ以上聞く必要は無さそうだ。するとお前は、売春宿に一週間も?かなり、その……高く付かなかったか?」

アンダースの笑みは更に広がった。「そこで仕事をしていれば、そんなことはないよ」

セバスチャンは驚愕して彼を見つめた。「お前……売春宿で仕事していただと!」

「ああ、男娼としてじゃないよ、もっとも誘いは受けたけどね。給仕係さ」とアンダースはニンマリと笑って言った。

「だが君とイザベラは……その…」

「一緒に寝たかって?うん。彼女はそうしたい時は実に説得力があってね。とても楽しかったし、大層勉強になる夜だった」と言うと、アンダースの顔を残念そうな表情が過ぎった。
「真珠亭に居続けられるなら喜んでそうしたんだけど。不幸にもその晩のお楽しみに参加した一人がテンプラーで、しかもそいつは僕のビリビリ指のことを、翌日酔いが覚めた時にちょっとばかり良く覚えすぎていてね。それでまたサークルに連れ戻された」

セバスチャンは瞬きをした。「ああ、そのせい……参加した?お前はイザベラと一緒に乱交したのか!」

アンダースは歯を見せて笑った。「そう。驚いたかい?」

セバスチャンは溜め息を付いた。「いや、お前がそう……奔放だったとは想像もしていなかっただけだ」

アンダースは肩をすくめた。「ジャスティスが僕を色々な面で随分変えた」彼は静かに、後悔したような様子で言った。
「彼がセックスの意味を理解していたとは思えないな。もちろん論理的には、生物の生殖に必要な事柄として理解出来ただろうけど、単なる楽しみのためにする意味は判っていなかった。食用に適した食べ物、身体の必要な部分を覆い寒さを防げる衣服、そういった類の事柄だと。僕は実際快楽主義者だった、彼と……一緒になる前はね」

セバスチャンは頭をひねり、長年カークウォールで見知っていた、あのぼろぼろの服を着て、始終疲れ果てた様子でやせこけた、辛辣で何かに突き動かされた男のことを考えたが、その男と『快楽主義者』という単語を、どのような意味においても少しでも合致させるのは不可能なように思えた。
「その頃のお前を知っていたらな」彼は考え込むように言った。

アンダースは大声を出して笑った。「ほら、君までイザベラみたいなことを!」

「そう言う意味で言ったのではない!ただ……快楽主義者だった当時のお前の姿がどうしても思い描けなくてね」

アンダースは再び肩をすくめ、まだ面白がっているようだった。
「その頃は僕は随分と自惚れ屋だった」彼は懐かしそうな様子で言うと椅子に座り直し、長い脚を床の上で振りながら前腕を膝において前屈みになると、楽しげな笑みを顔に浮かべた。
「当時の僕と来たら、積極的に色目を使うという点では全くイザベラと負けず劣らずだった。それにいつもお洒落に気を配ってた -素敵なローブに、洗って良い香りをさせた髪の毛は後ろで小綺麗に結んで、片耳には金色の耳飾り -ほら、僕の目と髪の色を引き立たせるように」
彼はそう説明すると、セバスチャンをちらりと見上げて、またニヤリと笑った。

その瞬間、その愉快そうな笑顔の閃きの中により若い頃のアンダース、サークルタワーの抑圧的な監禁から逃れた時にはいつも最大限に人生を楽しんでいた、より幸せな男の姿がセバスチャンの目に浮かんだ。そして突然彼は、本当にその頃のアンダースと会いたかったと思った。

「さて、僕ももう下に降りないと」とアンダースが言った。
「僕が二日酔いだろうと、ろくに寝ていなかろうと、犬達は朝一番に表に出たがるから。それに君のブランディも無くなったしね」

「そうみたいだな」少しばかり残念に思いながらセバスチャンは同意すると、空のグラスを横に置いた。二人とも椅子から立ち上がると、アンダースはアッシュを抱き上げて、すぐ近くの扉に向かった。

「僕だけかな、ああいう特別な会話のすぐ後に、二人で君の寝室に向かっているというのが多少決まり悪く思えるのは?」アンダースは彼の肩越しに振り返り、歯を見せて笑いながら尋ねた。

セバスチャンは声を出して笑った。「そうかもしれないな」

彼らは寝室の中で一瞬立ち止まった。「じゃあ……おやすみ、セバスチャン」とアンダースは言うと、隠し階段の下へと降りていった。

「おやすみ、アンダース」セバスチャンは彼の背後に向かって言うと、タペストリーが下ろされ背後の扉が閉まるのを見届けてから、寝間着に着替えるために彼のベッドに向けて歩き出した。


*1:ドニックと結婚した後のアヴェリンの姓(Aveline V. Hendyr)

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第45章 静かな夜 への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    (=゚ω゚)ノ せんせー、アンダースくんがフラグ立てました!

    イラスト見て頂いてありがとうございますv
    次は夏=アンダースです。多分。多分!ww

  2. Laffy のコメント:

    フラグは折れませんが私の心が折れそうです……w

    夏は夜だよね、やっぱり。月の夜なんかもっと良いし。闇の中に蛍が沢山飛んでいて綺麗だよ。たまに一匹二匹、弱々しいのが飛んでるのも風情があるよね。雨が降るのも趣があっていい。
    何を書いてるんだ私は。

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