第29章 船室

フェンリスは素早く一行を脇道へと連れ込み、入り組んだ路地を早足で進みながら彼らを襲撃場所から遠ざけた。ようやく充分距離が取れたと判断したところで、彼は再び大通りへと戻り、そこから波止場はもう目と鼻の先で、到着するまでに何の問題も無かった。

今朝停泊中の三隻の内、二隻は彼らの目的地とは異なる方向――リアルト湾を北東へ向かう船、もう一隻はウェイキング海の海岸沿いを辿りながら、ハルシニアを経由してカンバーランド――へ向かう船だった。もう一隻の、少し沖に錨を降ろして停泊中の船から、小さなはしけ舟が波止場へと向かってくるのが見えた。はしけ船を操っていた船員が言うには、彼の上等の船は確かにフェラルデンに向かうが、三人が乗れるかどうかについては船長に尋ねないと判らないようだった。

それで三人は波止場近くの倉庫が作る影に入って樽に腰を降ろすと、船長が来るのを待った。そして待った。ひたすら待ち続けた彼らの元に、上等の服に身を包んだ大柄な男が、更に大柄で充分に武装した船員二人を引き連れ、はしけ船に向かってきたのは既に正午も過ぎようかという頃だった。

三人は立ち上がって彼らの方へと向かった。はしけ船の船員は既に船長らしき男と話をしており、彼らの方に向かって手を振った。船長は振り向くと三人の男達――鋭い目つきの武装したエルフ、商人のような身なりの若い男と、背後にいる背の高い男――を不審な目つきで眺めやると、フェンリエルに話しかけた。
「召使いと一緒にフェラルデンへ向かう船を探しているというのは君か?」

フェンリスは僅かに唇を噛んだが、しかしあえて男の言葉を訂正しようとはしなかった。フェンリエルのボディーガードである以上、現時点の彼はフェンリエルの召使いと呼べただろう。それにフェンリエルはアンダースより上等の服を着ていたし、若いながら自信ありげで朗らかな風貌、そしてヒューマンであることを考えれば、船長が彼を一行の長と見なすのは自然の成り行きだった。

フェンリエルは旅慣れた風に船長と手短に相談し、三人をアマランシンまで乗せて貰う手はずを整えた。船は今夜出港の予定で既に全ての貨物と充分な補給物資を積み込んでおり、三人は船長一行と狭苦しいはしけ船に乗り込むと、そのまま船へ向かった。

彼らには甲板すぐ下の小さな船室が与えられた。その部屋は船倉と扉一枚隔てただけで、明らかに普段は追加の貨物室としても使われているようだった。実際の所この船は乗客を乗せる様には作られていなかったが、それでも船長は彼らのためにハンモックを三つ、木製の壁に上から下までぶら下げ、空間を照らし出すランタンと、きっちり蓋の閉まる――彼らが船に乗っている間便器として使う――ブリキ貼りのバケツと、小さなテーブル、それに椅子を一脚貸してくれた。それだけの物を詰め込むと、もはやこの小さな船室内で立っていられるのは二人だけで、三人目はハンモックに横になるか、椅子に座るか、あるいは部屋を出ているしか無かった。

この船の船長――ラヴェルと言う名だった――は三人に、航海の間は出来るだけ船室に留まるか、あるいは船員の邪魔をしないところに居るようにと言い渡した。もっとも幸いな事に、オストウィックまで三日、それからアマランシン海を渡るために二日と、航海はごく短い予定だった。

彼らは携行食糧や寝袋などの荷物を出来る限りテーブルの下やハンモックの下に詰め込んだが、いずれにせよ大部分を床の上に積み上げることになった。どうにかそれなりに安全に、かつ必要に応じて取り出せるように荷物を片付けた後で、アンダースとフェンリスはハンモックに横になり、フェンリエルはランタンに照らされたテーブルに座って、彼の旅行日誌を書き始めた。だが狭いテーブルの上で、しかも微かに揺れる船の中では容易いことでは無く、若いメイジはすぐに諦めるとただ椅子に座ったまま、腕を組んでハンモックの方を見つめていた。

フェンリスはこの静けさに心落ちつくものを感じていた――僅かな船の揺れ、船体にぶつかる波の音、木とロープが軋む音、どれも彼がイザベラと共に航海していた間に馴染んだ事柄だった。彼は今彼女がどうしているか、ネヴァラの貴族から私掠船の免状を首尾良くもぎ取れただろうか、と考えていた。私掠船の船長という肩書きは実に彼女に相応しい、フェンリスはそう思って微笑んだ。イザベラは何と言っても海賊で、私掠船というのは結局の所、合法性において海賊と紙一枚の差しかないのだから。

彼は頭を傾げ、一番下のハンモックに横になったアンダースの方を見た。目を瞑ったメイジの頭は船の揺れに合わせて僅かに左右に揺れ、口は微かに開き、とっくにうたた寝をしている様子なのに気付いて彼は微笑んだ。昼寝も良いだろう、彼はそう決めるとハンモックの中でもっと寝心地の良い姿勢を取った。


数時間後、片手にビールの入った小さなマグカップと、一握りの干し果物、それに堅いチーズを持ったフェンリエルが彼を揺り起こした。それが夕食代わりで、アンダースは既にテーブルに着いて彼の分を食べていた。フェンリエルはテーブルの側の壁にもたれ掛かると、僅かに開いた床に座り込んだ。フェンリスは用心しながら脚を出して、ハンモックの中央に座った。狭い部屋の中で立つ場所を見つけるより、この方がまだマシだった。

「もうすぐ出港するはずだよ」とフェンリエルが言った。
「夕方の引き潮だ」

フェンリスは口いっぱいに干しリンゴを詰め込んだまま、黙って頷いた。
「ここはせせこましいな」と彼はリンゴを飲み込んだ後で言った。
「もっとも、時折甲板に出るのは許して貰えるだろうが。何はなくともバケツを空けるために」と彼は付け加えて、扉の側に鎮座しているバケツを顎で指し示した。

フェンリエルは小さく笑って頷いた。
「もう上がってみたよ、船長にそのことを聞きに行ったんだ。一日に1、2時間は甲板に上がって構わないって言ってた、もっとも三人いっぺんには困るそうだ。それと、料理長に話を付けて一日に二回、お茶を淹れるために熱い湯を貰えることになったよ」と彼は付け加えた。

「それとビールを買う手はずも?」とフェンリスは彼のマグカップを掲げながら片方の眉を上げて尋ねた。

フェンリエルはニヤッと笑った。
「ぬかりなし。そっちは船長からね。彼は真水は信用しない、ビールの方が安全だって」

アンダースは同意するような喉音を立てて頷き、彼自身のマグから一口すすった。フェンリスも全く同意だった。あらかじめ沸かすか、あるいは充分強い酒で割らない限り、決して地元で入手した水をそのまま飲んではならない。それが彼がイザベラと航海していた間に学んだ決まりの一つだった。大抵の場合ビールは安全だったが、それも常にとは限らなかった。そしてこの決まりを無視して旅を続けるならば、大抵の場合は赤痢のような質の悪い病気にやられて、便器に座り込む羽目になった。フェンリエルも明らかに彼自身の旅の間にそれに気付いたようで、この旅のために信用出来る店でビールを一樽買い込んでいた。

夕食の後でフェンリスはフェンリエルに、彼がフェラルデンに旅をした際に少しばかり見聞きしたことを話し、時折アンダースも頷いたり、あるいは異議を唱えるように首を振ったりした。年長のメイジはもちろん、その土地についてもっとも良く知っていたが、とはいえ話をするのは容易いことでは無く、かといってわざわざ紙に書いて会話に加わるほどのことでも無いと思ったようだった。

「ほら、出港だ」とフェンリエルがしばらくして言った。船員達が船の帆を張り錨を上げるために甲板で働く馴染みのある音が聞こえ、フェンリスも同意して頷いた。風を受けて走らせるために船の向きが変わり、やがて彼女は港の中から防波堤を出るまで滑らかに前進し、それから少しばかりよろめいた後で、しっかりと風を受けて西に向けて走り出した。

既に夜も更けていたが、フェンリスは眠れずに船の奏でる音と、やがて二人の男達が立てる微かないびきを聞いていた。彼はハンモックの中でもっと寝心地の良い姿勢になろうと寝返りをうち、それからごく小さな音でハミングをした。そして随分久しぶりというように、嬉しげに彼の周りを飛び回る二匹のウィスプに微笑んだ。
隠者と歌う者だと、フェンリスは彼らの音階から判断し、枕元のキャンバス地にそっと手を被せてみた。隠者は即座に彼の手が形作った小さな洞窟に飛び込み、その小さな輝きはほとんど見えなくなった。その間も歌う者は緩やかに船室の中を飛び回り、様々な音階で彼の歌を奏でた。どこかしら、心落ちつく歌だった。フェンリスがようやく眠りに引き込まれるまで、それから長くは掛からなかった。

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