第62章 新しい部屋

スタークヘイブンまでは果てしなく遠く感じられた。皆が前日徹夜したための疲れを感じていた。それでも彼らはゼブランの担架を担いで徒歩で進んだため、少なくとも馬たちは多少は休めた。彼らはしばしば担架の担ぎ手を交代するために立ち止まり、一日を通じて徐々に歩みが遅くなっていった。日没が近づいてもまだ街からかなりの距離が有ったが、セバスチャンは更に野営を重ねるよりはと、そのまま一行を進ませた。

彼らがようやく城に到着した時には既に夜も更け、冷たく澄み切った頭上の夜空には、漆黒のベルベットに細かなクリスタルを散りばめたような星が煌めいていた。

セバスチャンは城の玄関からゼブランの担架を、城の中でも上等な客室の一つへ運ばせると、アンダースの方に振り向いた。メイジは彼の側に静かに立っていて、ここ丸一日続いた緊張から来る疲労に、ほとんど立ったまま眠りそうだった。

「アンダース。取りあえずお前には城の中に居て貰いたい、コテージの保安対策について考え直すまでは。ゼブランの隣の続き部屋に入れ。そうすれば彼を手当するにも都合が良いだろう」

「僕の犬達は……」

セバスチャンは疲れ切ったメイジに笑いかけた。
「アッシュも犬達も、お前の部屋に連れて行かせる。それに服や、その他必要な物は一切合切」

アンダースは頷くと、召使いが案内する後を付いていった。彼はゼブランを担架から寝床に移される所を見守ると、その後エルフの腕と肩に変化が無いのを確認してから、廊下に出て隣の扉を開け、彼に割り当てられた新しい続き部屋に入った。

彼はすぐ寝室を探して倒れ込むべきか、それとも彼の犬達や荷物が届けられるのを待つべきか、それさえまともに考えられない位疲れていて、最初に入った部屋の中で呆然と立ちつくしていた。

そこに犬達の声が聞こえた。ガンウィンが彼の匂いをかぎつけて大きく吠えると、廊下を走ってくる犬の爪が床の磨かれた石に擦れる音が響いて、彼は小さく笑うと扉を開けた。とたんにガンウィンが猟犬ならではの熱心さで彼を見つけようと突っ込んで来て、彼はほとんど押し倒されそうになった。ハエリオニも扉を押し開けて部屋に入ってきて、アンダースの足元で飛び跳ねるガンウィンに一声唸って止めさせると、尻尾を元気いっぱいに大きく振りながらメイジの足元から手の先まで熱心に嗅ぎ回った。

ハエリオニの頭を撫でていたアンダースは誰かの足音を聞いて顔を上げ、セバスチャンがアッシュを腕に抱えて近づいて来るのに気がついた。

「召使いの誰もお前の猫を捕まえられなかった」
彼は微かに愉快そうに眼を光らせた。
「だが私のことは覚えていたようだ」

アッシュは頭をくるっと回してアンダースの姿を見つけるや否や、セバスチャンの腕から驚くような跳躍をしてアンダースの腕の中に文字通り飛び込み、ミャーミャーと不満を訴えるように鳴くと幾度も彼に額をこすりつけた。アンダースは微笑むと猫を固く抱きしめ、宥めるように彼の手を滑らかな背中に滑らせた。

「ありがとう」とアンダースは静かな声で言った。

セバスチャンは頷いた。しばらくの間、彼らはただお互いを見つめあっていた。
「無事で良かった、アンダース」とセバスチャンは優しく言った。
「おやすみ」彼は身を翻すと僅かに俯いて、来た廊下を戻っていった。

アンダースは彼が立ち去るのを見ていたが、それから扉を閉めて寝室はどちらかと探しはじめた。


アンダースが翌朝目覚めた時には、まだ身体中に痛みと疲労が残っているのが感じられた。ガンウィンとアッシュは彼のベッドの、いつものお気に入りの場所で丸まっていて、ハエリオニはベッドの足元近くの床に伸びていた。彼は身を起こすとため息をついた。

階下の彼の小さなコテージと違って、城の天守の高みに住まうということには極めて重大な欠点があることに気付き、彼は罵り言葉を飲み込んだ。犬達も猫も朝のトイレのために庭に出してやらなければならず、そのためには彼は扉の外の長い廊下と階段を通ってとにかく階下に降り、どこか適当な戸口を見つけ表に出なければいけなかった。そもそもその前に彼はまず着替える必要があった。彼がコテージの中でしていたように、寝間着と裸足のままうろつき廻るのは、恐らくこの城の中ではふさわしくない振る舞いだろう。

彼はともかくベッドを出て、よろよろと隣の居間に行き、そこに彼の服が届けられているのをみて喜んだ。それからさらに周囲を探して、この続き部屋の浴室を見つけた――彼のコテージの浴室よりさらに良く出来ていた。浴槽は少しばかり小さく、ずっと飾り気の無いものだったが、中央のボイラー室からお湯の配管が通っていて、彼が自分でお湯を入れたり温める必要は無かった。彼の風呂周りの小物も、ちゃんとコテージから移されてきていた。

熱い風呂は身体に残った痛みと疲れを効果的に追い払った。それから彼は服を着て犬を連れ出し、アッシュも腕の中でゴロゴロ喉を鳴らしていた。既に彼のいつもの護衛が二人、続き部屋の扉の前に配置換えされているのに彼は気が付いた。彼らは犬達と猫をしばらくの間外に放すことが出来るように、アンダースを部屋から一番近い小さな通用門まで案内してくれた。

彼らが皆上の階に戻ってから、彼はゼブランの様子を見に隣の部屋へ行った。アサシンは既に眼を覚ましていて、表向きは機嫌の良い表情をしていたが、アンダースにはまさにそれが言葉通りと判った――表面だけのことだと。一体どのくらいの期間、ここに居て怪我が治るのを待ち、そしてほとんど生活の全てを他人に依存することになるのだろうかと、アサシンが考え沈み込んでいるのは明らかだった。

「何か手伝いがいるかな?」とアンダースは尋ねた。

ゼブランは微かに顔をしかめた。

「うん、こんなことは言いたくないんだけど、ちょっとね……片付けないといけない差し迫ったことがあって、しかも残念なことに現時点では僕一人で対応出来ないようだ……」

アンダースは歯を見せて笑った。
「最寄りの洗面所にたどり着くために手助けがいりそうだね?」

「正解」

アンダースはエルフが立ち上がるのを手助けして、洗面所のあるところまで連れて行った。ゼブランはアンダースの、革鎧の長い裾とレギンスの金具を外す手伝いを淡々と受け入れたが、しかしながら彼はその後で、浴室の中を見渡して少しばかり不機嫌そうな表情をした。

「この先しばらく、これのお陰で身体をスポンジで拭くしか出来ない時に、こうも素晴らしい浴室のある部屋に僕を住まわせるというのは全くの拷問だよ、全く」
彼は怪我をした方の腕を顎で差しながら、哀れな調子で続けた。
「僕が最後に本物の熱い風呂に入ってから一体どのくらい経つか、君に判るか?」

アンダースはニヤリと笑った。
「多分ヴィジルズ・キープを出てからずっと?」と彼は尋ねた。彼自身、長々しい旅路での様々な不具合は大変よく判った。

ゼブランは頷いた。
「そのとおり!汚らしい路傍の宿屋で、小さなブリキ桶の中にしゃがみ込むってのは、もちろん本物の風呂とは言えないよ」

「風呂で思い出したけど、実際のところ君の身体をもう一度洗って、もっと適当な服に着替えさせなきゃいけないな」とアンダースは言って、エルフの中途半端な服装に顔をしかめた。彼はかろうじて下半身は元の鎧の残りを着ていたが、上半身は毛布を引き裂いた包帯でくるまれていないところは裸同然だった。

「それとこの包帯と拘束布も、君の皮膚がすりむける前にもっと適当な包帯でやり直さないといけない。それには僕の助手に手伝って貰う必要があるな、包帯と副え木を取ってやり直す間、君の腕と肩をきちんと支えておかないと」

ゼブランは嫌そうな顔をした。
「これも聞きたくないんだけど、僕の鎧の残りはどうなった?」

「手当ての間に切り取った。君の怪我を一層ひどくしないで取り除くにはそうするしかなかったから」

Brasca! 修理も無理な程なんだろうな?」
ゼブランは明らかに不幸せな表情で尋ねた。

「完全に駄目。のんびり縫い目を探して分解するとか、細かなことをやっている時間はなかったし、君自身を更に傷つけるよりは、君の革に被害を被って貰う方がマシな気がしたからね。だけど残骸は全部君のために取っておくようにしたよ――君がいつも、縫い目や隠しポケットの中に、非常に興味深い物品を隠し持っているのを思い出したから」

ゼブランは短く笑った。
「それなら、まだマシだね。何にせよ、僕がまた鎧を着られるようになるまでにはしばらく時間が掛かりそうだし。回復するまでの間に、新しい鎧を一式仕立ててくれる立派な革職人が見つかればいいけれど」

「セバスチャンが格別に腕のいい職人を知ってる。君が起きて動き回れるようになったら早速聞いてみよう」

「ありがとう」とゼブランは言うと、また溜め息を付いた。
「どうやら、僕達はこの忌々しい怪我と、もう一回向き合わなくちゃいけないようだね」

アンダースは頷いた。
「診療所に連絡して、僕の助手に必要な物を持ってきて貰うよ」と彼は言うと、戸口に行って衛兵の一人に伝言を頼んだ。彼は幾つか椅子を並べて、その内の一つにゼブランを座らせるとドゥーガルとシスター・マウラが到着するのを待ち、その間にも少しばかり治療魔法を使って、ゼブランの傷んだ筋肉と腱を更に修復した。

助手達は早々に到着し、彼は二人をゼブランに紹介した。ドゥーガルは間に合わせの包帯の下に広がるゼブランの入れ墨をじっと見て微かに眉をひそめた。ゼブランはそれに気付いて、白い歯を見せてニヤッと笑った。

「僕が誰だか知っているようだね」と彼は単刀直入に言った。

ドゥーガルは慎重に頷いた。
「このような入れ墨は以前にも見たことがあります――何せ、アンティーヴァは北東の国境を越えればすぐそこにあるわけですから。クロウですな?」

クロウね」とゼブランは更に笑みを大きくしながら訂正した。

ドゥーガルの眉は更に高く跳ね上がった。
「クロウを抜けるのに一つ以上の方法があるとは、知りませんでしたな」

「連中も知らなかったようだよ、僕がクロウの末端構成員を充分過ぎる数片付けて、僕を排除するためにこれ以上苦労する価値は無いと考えるようになるまではね。今では、自分達ならその男を殺して、富と名声を手に入れられるという妄想に駆られた青二才達をたまに相手するだけで済んでいる」

シスター・マウラは二人の男達の間で視線を往復させると鋭い目を向けた。
「すると、暗殺者?」と彼女は考え込むように尋ねた。

ゼブランは彼の自由になる方の手を上げた。
「愛らしい修道女様、誓って、スタークヘイブンに居る誰も僕の目標ではございません。少なくとも殺人の方では。恋愛の方は、もちろん、全く別の話ですが」

シスター・マウラは鼻で笑ったが、それでもごく僅かな笑みを彼女の唇の隅に浮かべていた。
「あなたからその方面の話を聞くつもりはありませんよ、ですがあなたの職業柄からすると、私が調合しようとしている薬について正確な組成を知っておきたいと思われるでしょうね?」

ゼブランは温かく彼女に笑いかけた。
「愛らしく、しかも聡明でいらっしゃる」と彼は満足げに言った。

「お世辞は通じませんよ、サー・クロウ」シスター・マウラは冷たく彼に言ったが、それでもまだ微かな笑みを浮かべていた。

「元クロウね」と彼は繰り返した。
「僕の元同僚にその点を判って貰うため僕が費やした数々の努力からして、その一文字がどれ程大きな意味を持つかはお判り頂けるかと」

「もちろんですとも」と彼女は厳かに言った。

「さて、これで皆仲良くなったことだし、早速始めようじゃないか」とアンダースが乾いた声で言った。
「ドゥーガル、僕がこの応急手当をやり直す間、君にはゼブランの腕を支えて、肩を出来る限り動かさないよう支えていて貰わないといけない。それからシスター・マウラの手も借りて、もう一度きちんと保定する。それからゼブランを風呂に入れて着替えさせる」と彼は説明すると、それから言葉を切って、シスター・マウラの方をためらうように見た。

「お二人がその仕事をやっている間に、私は適切な痛み止めの方を調合することにしましょう」と彼女は穏やかに言った。

全ての作業が終わるまでにはほとんど丸一時間掛かった。ゼブランとシスター・マウラはその間長々と痛み止めの調合について語り合っていて、少なくとも包帯を変える間の痛みからエルフの気を逸らせる役には立っていた。ようやくゼブランは再び身綺麗になり、きちんとした包帯で覆われ、多少なりともまともな服――彼が片手で脱ぎ着出来る簡素なレギンスと、室内着には充分なシャツを着ていて、シャツの裾は充分ゆとりがあり、折り畳んで保定した片腕の上からすっぽりと被れるようになっていた。痛みを伴う作業の後でゼブランは疲れたように見え、シスター・マウラが彼のために調合した薬を持って戻ってくると、エルフは三人に感謝してから薬を一服飲んで、一休みするためベッドに戻った。

アンダースはドゥーガルとシスター・マウラと連れだって診療所に戻った。彼らと一緒に歩きながら、フェンリスが戻ってきたのだから、再びセバスチャンと昼食を共にする方が良いだろうか、それともやはりまだ気まず過ぎるだろうかと考えた。しかしすぐに、それを決めるのは実際のところ彼では無いことに気づいた――今日は診療所が開いたという知らせが伝わると、すぐにかなりの数の患者が訪れて、明らかに彼らはその日の午後いっぱいまで忙しくなりそうだった。

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第62章 新しい部屋 への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    この1章だけみてもゼブランのコミュ力の高さが伺えますねv

    言葉巧みとは違うけど、駆け引きがうまいというか
    何と言うかw人を引き込む力というかw

    まあ今頃フェンリスは夢の中でおんまさんとキャッキャウフフ
    してるわけですけどぉおお!w

  2. Laffy のコメント:

    コメントありがとうございます(^.^) ゼブラン可愛いよゼブラン。”Skirt”って何のことかと画像検索してようやく判った。あの革鎧の裾がスカートなんだ。あれですね、リックドムの「スカート付き」ですね(違

    ……うわああああん長いよ地の文が長いよたすけておかーさん(×_×)

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