第24章 新しい合意

第24章 新しい合意


起き上がる前のひどい様子とは裏腹に、アンダースは驚くほど素早い回復ぶりを見せた。目を覚ました次の日には、彼は既に一人で起き上がってベッドの周囲で動く事が出来る様になり、彼の身体には既に肉付きが戻りつつあった。セバスチャンがその事に触れた時、彼は顔をしかめて見せた。

「僕が治療魔法を使ったとか、何かそんな馬鹿な事をしているとは思わないでくれよ。これはグレイ・ウォーデンで有る事の、ほんの僅かな利点の一つに過ぎないんだ。僕達は速く回復する」と彼は苦い顔で言った。
「そもそも、僕がこうも速くやせ衰えてしまったのもウォーデンであったためなんだから、公平な払い戻しに過ぎないと言って良いだろうね」

彼は未だ支え無しに歩くことは出来なかったが、それでもその日の朝遅くには着替えをすると主張し‐彼はまだ一人では身体のバランスを取れなかったので、ドゥーガルが手伝って‐それから居間に移動した。彼はしばらく窓の側に置かれた肘掛け椅子に座って、息を整えまっすぐ座っている事に慣れることにした。それから、彼はテーブルの方に移動して、ドゥーガルに彼の紙とペン、インクを持ってきて貰い、そこに座ってアッシュが部屋の中を飛び回る様子をスケッチしながら幸せに午前中を過ごした。

セバスチャンが戻ってきて、彼らと共に昼食を取った。ドゥーガルは大公殿下と同じ食卓に着くという考えに喜ぶと同時に、少しばかり心配そうにも見えた。彼はほとんど痛々しいほどマナーに気を配り、背筋を固くピンと伸ばして座っていた。一方アンダースと言えば、椅子にもたれ掛かり、興味津々の様子のアッシュを膝に座らせていた。彼は自分でも相当な量の食事を摂る間に、食べ物をあれこれ一切れずつ指で猫に食べさせた。

セバスチャンも、彼としては随分上機嫌なように見えて、アンダースの回復ぶりに加えて彼の街自体も上手く行っている事に喜んでいた。
「まさに時期を見計らったように」と彼は厳しい声で言った。
「テンプラーの異なる派閥同士の争いから、アンズバークで大火が起きたという知らせが、今日届いた。片方はあそこのサークル・オブ・メジャイの粛清を要求し、そしてもう一方は彼らの監督下にあるメイジの保護を主張している。残念な事に多数の犠牲者が出たようだ、テンプラーとメイジの他、街の人々も同様に。我々としては、避難民の数が直に増加すると考えておかなければならない」

アンダースは眉をひそめた。「それで、もし避難民の中にメイジが居たら?」と、彼は少しばかり不安を感じながら静かに尋ねた。
「スタークヘイブンには、あの数年前の火事*1以来サークルは無いし……ここに避難して来ようとするメイジが居たら、君はどうする?」

セバスチャンは溜め息をつき、考え込むように見えた。「正直言って、どうすべきか悩んでいる」と彼はようやく言った。
「我々二人とも、カークウォールで、ただ一人のメイジでもどれ程ひどい被害を与えうるかを知った‐お前とジャスティスがやった事だけでは無く、他のアポステイトやマレフィカラム、ホークと共に始終戦った連中にしてもそうだ。そのようなメイジを野放しにする危険を冒す事は出来ないが、しかし彼らを狩り立てれば、それこそまさに彼らを……軽率な行動に追いやることになるだろう。チャントリーに、新しいサークルを設立するよう頼むことも出来るが、アンズバーグの出来事がまさに証明したように、現時点ではサークルその物が過激分子の標的となっている」
「同時に、正式なサークルを持った場合の新たなメレディスの登場も、私は心配している。あの女性のメイジに対する恐怖心は有害無益というわけでは無かったにせよ、彼女はその恐怖心を自らの監督下にあったメイジの取り扱いに反映させてしまった。それに、彼女が騎士団長としての権限の延長線上にあると見なして握った世俗の権力の大きさは……」彼は明らかに非難する様子で首を振った。
「あのような出来事を私の領民に対して、私の街、私の領土において起こす訳にはいかない」

彼は長い間そこに座ったまま、中空を見つめて紅茶をすすっていたが、やがてアンダースの方に向き直ると彼の顔を見つめた。
「もしお前にこの件で考えがあるようなら、是非聞かせて欲しい。普通の人々とメイジが、どうすればお互い調和して生きていくことが出来るかというのは、恐らくお前が広い範囲に渡って既に考えた事柄だろう」

アンダースはひどく驚いて、彼の唇を噛んだ。「いいや、その件に関する僕の考えは……十分だったとはいえないだろうね」と彼は不本意ながら認めた。
「僕が思うに……」と言いかけて彼は言葉を切り、頭を下げて皿を見つめると、その先を続けるのが予想外に難しい事に気づきながら、ゆっくりと言葉を継いだ。
「思うに、以前の僕は、全てのメイジは自由であるべきであり、サークルに閉じ込められチャントリーの思うがままであってはならない、という目的に集中しすぎていて、そのような自由に……それに何が伴うべきかという考えが足りなかった。どうすれば普通の人々とメイジが共に生きてゆけるか、これまでのようにチャントリーがメイジを支配するのでは無く、あるいはテヴィンターでの様に、メイジが他の人々を従えるのでも無く……また別のやり方を考えないと。何か平和的な方法を」

セバスチャンはゆっくりと頷いた。「それなら一緒に考えよう」と彼は静かに言った。「お前もだよ、ドゥーガル。どうすればそのような事が達成出来るか、我々皆でよく考えなければいけない、古い方法は上手く行かないと判った今、新しい方法を何としても見つけなければ」

アンダースは頷いた。セバスチャンはそれから話題を変えて、ドゥーガルが昔スタークヘイブンの軍隊に居た時分の仕事について尋ね、男は喜んでそれに答えた。アンダースは上の空でアッシュの背を撫でながら考えに沈んでいたが、食事が済んだ後は、ドゥーガルの助けを借りてベッドに戻った。


セバスチャンは彼が寝室の隅に置かせた衝立の後ろから出て、部屋の向こうのアンダースの居る方を見た。アンダースは既に着替えていて、ベッドの端に静かに座りアッシュを撫でていた。
「本当に大丈夫そうか?」と彼はズボンの紐を締めながら尋ねた。

アンダースは強いて笑みを浮かべた。「君の寝室の隅に何時までも居るわけに行かないからね」と彼は指摘した。「他の人の噂になる」

セバスチャンは鼻を鳴らし、タペストリーを押しやって隠し階段へ通じる羽目板を開きながら、苦笑いを彼の唇に浮かべた。「どうやら既に噂にはなってるようだな」と彼は言った。「例のシーカーな、お前を捕まえに来た…彼はお前が私の恋人だと考えていた」

「何だって!」アンダースは飛び上がって、アッシュを掻き抱くと大声で叫んだ。彼はしばらくの間、嫌悪と爆笑の板挟みとなって口をパクパク開け閉めしていた。

「まあ、私は若い頃は、うむ……幅広い好みの持ち主として悪名高かったし」とセバスチャンは言うと、アンダースの反応を面白がって眼を輝かせた。
「あの男は、そういった恋愛沙汰は大昔の出来事だという事を聞き忘れたのだろう。あるいは単に、カークウォールの事件の後でお前を即座に処刑しなかった理由が、それ以外に思いつかなかっただけかもしれないが」

アンダースは落ち着いた様子で頷いた。「君はそうするものだと思っていたよ」

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「判っている。ほとんどそうするところだった。何がお前の命を救ったか知っているか?」と彼は静かに尋ねながら、暖炉の上からろうそく立てを取り、屈み込んで暖炉で木片に火を付け、ろうそくの芯に一本ずつ灯を点した。

「いいや」とアンダースは穏やかに答えた。

セバスチャンはまだ暖炉の側に屈み込んだまま彼の方を振り返った。「エルシナ大司教だよ。私が戻ってきた時に、彼女からの手紙がここに置かれていた。あの事件の前……数日前に書かれたものに違いなかった。彼女は幾つかのことを私に書き送っていたが、その中に復讐を求めず、怒りに我を忘れてはならないとあった。更にスタークヘイブンを、戦火に追われる人々のための平穏と避難の場として欲しいとも。私の力の及ぶ限り、そうするつもりだ」彼はそう言うと立ち上がって、半ば燃え尽きた木片を火床に投げ入れた。
「来い、お前のコテージを見にいこう。安全性を高めるよう幾つか工夫して、完璧に掃除させてある。テンプラーと傭兵共は……お前を探す時にかなり手荒だったし、衛兵との戦闘で更に汚れた。ほとんどの者が大人しく降伏しようとせず、かなりの血が流れる事になった」

アンダースは頷くと、セバスチャンが階段を降りていくのに静かに従った。

セバスチャンは階段の下で立ち止まると、ろうそくの明かりをかかげて、片方の壁にある爪車を示して見せた。「あれが見えるか?私の曾祖父は、この出入り口が天守の防衛の弱点となってはいけないと考えたようだ。そら、もしここに逃げ込んだら、この歯止めを持ち上げて……」と彼は言葉に併せてその動作をした。歯車はくるくると回り、二枚の金属の扉が左右両側の壁にある隙間から滑り出して来て、中央で金属音というより驚くほど鈍いドスンという音を立ててぴったりと閉じ、扉を構成している金属がいかに分厚いかを示した。

「ドワーフの仕業だ」とアンダースは、厚い扉を驚いた顔で見つめて言った。彼はアッシュを片手に抱えたまま前に進み出ると、不動の扉の表面を静かに撫でた。
「こういうのを、ヴィジルズ・キープの地下で見たことがあるよ、それにディープ・ロードのあちこちでも。もちろんこれよりはもっと大きかったけど……もし本当にこれを作ったのがドワーフだとしたら、クナリ製のガートロック・パウダーでも持ってこないと表面に窪みさえ付けられないだろうな。ましてや穴を空けようと思ったら、どこか他で石壁を探す方がまだ簡単だろう」

セバスチャンは頷いた。「これを持っていてくれ」とろうそく立てをアンダースに手渡すと、クランクの取っ手を廻し始めた。一連の機構が動いて主歯車を回し、扉が開き始めた。クランクを何度も廻して、ようやく扉が僅かに動くため、再び厚い扉が完全に開いて、歯止めを止められるまでたっぷり数分必要だった。彼は大きく息をつくと、アンダースに笑いかけた。
「この通路を逃げ道として使う次の機会が無いことを願うが、もし万が一そうなったとしてもお前の後ろにどれだけ頑丈な扉が閉まっているかを知れば、多少は安心出来るだろう」

アンダースは頷き、セバスチャンの後に続いて今は空となったクローゼットを抜け、彼の元の寝室に出た。セバスチャンはメイジが足下に降ろすやいなや、子猫が即座にコテージの中を探索し始めるのを目にして、それから辺りを見回して変わった所に眼を止めた‐ベッドの寝具全て、新しいラグカーペットと新しい床張り、ベッドの柱に付いた深い傷跡は、衛兵と侵入者達の戦闘の途中に誰かの剣で付けられたものに違いなかった。アンダースは窓の側に近づいて、ガラスの内側に入れられた金属製の格子に触った。二本の太い梁が格子の両側にはめられ、壁との隙間はしっかりした金網で埋められていた。

「これらの目的は、お前を閉じ込めるためと言うよりはむしろ、侵入者を閉め出し、ガラスを破ってお前を狙い撃つのを防ぐためにある」とセバスチャンは静かに言った。

アンダースは頷くと、大部屋の方へ移動した。ここの窓も同じような装備が施され、正面の扉‐テンプラー達が破って侵入した‐はより分厚いものに交換されていた。扉には二本の丈夫な金属製の棒が付けられ、それぞれ扉の上下の敷居に空けられた穴に差し込めるようになっており、およそ金属と木で出来た扉で考え得る最善の安全性が与えられていた。アンダースはそれを眺め回して鼻を鳴らすと、セバスチャンに面白そうな顔を向けて指摘した。
「普通、囚人は自分の扉の鍵を操作することは許されないんだけどね」

セバスチャンは肩をすくめた。「ここは普通の牢獄では無いし、お前も普通の囚人とは違う」と彼は指摘した。
「お前の降伏を受け入れた時に……私は私の力の及ぶ限りお前を保護することにした。そして既に示されたとおり、私の優先権を認めようとしないものが居ると判明した以上、牢獄には十分な防御と、お前が必要と判断した時には私自身の防衛体制の中に逃げ込める手段が要る。今後そのような事が起こらず、今回が最後となる事を望んではいるが……もしお前が、この場所がもはや安全では無いと感じたならお前はどうやってでも逃げ失せるだろう。だから私は、お前にそうする理由を与えないよう全力を尽くすつもりだ。その線に沿って、もう一つ別の防御を付け足すことにする。来い、一緒に選びに行こう」

セバスチャンはその別の防御とは何かそれ以上説明しようとせず、アンダースは不思議そうに彼を見たが不承不承頷いた。彼は屈み込んでアッシュを抱え上げ、居心地良く腕の中で落ち着かせてから、大公殿下の後について部屋を出た。

セバスチャンは庭を横切り‐冷たい秋の空気が冬の寒さに変わっていくに従って、庭の草木はしなびて茶色に枯れ込んでいた‐庭の門へと歩いて行った。一番大きな変更が加えられたのがここで、最初に作られた小屋は取り払われ、庭の門と一体化した衛兵詰め所に置き換えられていた。小さな見張り台がその屋上から立ち上がっていて、中から衛兵が庭の壁と周囲を見張ることが出来、必要な時に応援を呼べるよう鐘が置かれていた。既に詰め所には衛兵が配置され、下の階で四人の衛兵が、各々の分担区画を見張りながら楽な姿勢で座り、五人目が見張り台に立っていた。セバスチャンが門を通過すると衛兵達は立ち上がって敬礼し、一組の衛兵が彼らに付き従った。

大公家の犬舎は城の西側に曲がってすぐの、歩いてもそれほど遠くないところにあった。
「我々はフェラルデン人ほどイヌ気違いでは無いとしても」とセバスチャンはかなりの大きさの建物に一行を連れて行きながら言った。「この動物にそれなりの使い道がある事は知っている」

アンダースは建物の中に囲われていた犬の大きさに驚き、大きく目を見開いた。「メイカー!こいつらと来たら、まるで馬じゃないか」と彼は叫んだ。

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セバスチャンは笑いだし、そこで待っていた犬舎長に頷いてみせるとすぐ側の犬舎に向けて歩き出した。「まさかな。精々子馬だろう。彼らはウルフハウンド、大きさと耐久性、速度を目的に育成された種類だ。他にはディアハウンドもいる。もっとずっと小さく、森の茂みの中を容易に走り抜ける事が出来る。彼らはウルフ・ハウンドのように直接獲物を狩り立て殺すのではなく、獲物を追い立てるための犬だ」
彼は犬舎の中にいる犬の耳を掻いてやりながら、アンダースの方に振り返った。
「どちらもフェラルデンのマバリほどどう猛で狡智に優れるというわけではないが、良い犬種で同じくらい忠実だ」

彼は犬舎長の方に振り向いた。「確か一歳仔がいなかったか?」と彼は尋ねた。

「おりますとも、それと、年を取って狩りや繁殖からそろそろ引退する犬達にも、何頭か適当なのが」男は同意して言った。「すぐに中庭に連れて参ります」と付け加えると、アンダースの腕にいる猫を心配そうに見つめた。

「あーと、その猫はどこかその辺に置いて行かれた方がよろしいのでは」と彼はためらいがちに提案した。

「えっ、いやいや、駄目、猫は僕と一緒に行く」とアンダースはきっぱりと言った。
「僕と一緒なら大丈夫だから」

「そうおっしゃるなら」男はセバスチャンが頷いたのを見て疑わしげに言ったが、とにかく彼らを一列の犬舎の前を通って大きな扉の外へ案内した。そこは高い壁に囲まれた中庭だった。

そこには十数匹を超える犬が居て、小枝を編んで作った球に帯状のぼろ布を縛り付けたものの後を大喜びで追いかけ走り回っていた。彼らが見守る間も、一匹の犬がその球を咥えて中庭の奥に向けて走り出し、ぼろ布の帯がそこから垂れ下がってパタパタと翻り、他の犬達がそれを興奮して追いかけていた。何匹かの犬が中庭の端に座るか横たわっていて、他の犬達が遊び回る様子を眺めていた。ここには両方の犬種、巨大なむく毛のウルフ・ハウンドと、もっと小さく優雅なディア・ハウンドも何匹か居た。

犬舎長が高く鋭い口笛を一度吹くと、全ての犬が動きを止めて彼の方を向き、ぼろ切れの球はその場に見捨てられた。休んでいた犬達も全て立ち上がっていた。彼らが静かに犬舎長を注視する様は、逆にこちらをうろたえさせる程だった。

「えーと……それで、どうするの?」とアンダースはしばらくして微かな声で言った。

セバスチャンは鼻を鳴らすと笑みを浮かべた。「一匹か二匹、このでかい獣から選び出してお前のコテージに連れて行くのさ」

ちょうどその時、アッシュが犬達に注意を払うことに決めた。彼は立ち上がると、アンダースの腕の中で大きく一声鳴いた。数匹の犬が即座に彼に気づくと興味深げに見つめて、うち何匹かはクンクンと鳴き、また別の何匹かは低くうなり出した。そのうちの一組が、姿勢を低くして片方から回り込み、明らかに魅力的な新しい獲物を見つけたという様子で忍び寄ろうとした。

その時、後ろで座っていた大きな犬達の一匹が、優雅にその巨大な身体を持ち上げると前へ静かに歩き出し、微かに「ウーフ」という様な喉音を出すと、他の犬達はその場で凍り付いた。ウルフハウンドの、銀斑の毛皮をした巨大な犬が、小さな犬達の間を通り抜けて歩み寄ってきた。この犬は犬舎長が言っていた、そろそろ繁殖を止める年齢の雌犬に違いなかった。彼女はアンダースの数歩手前で立ち止まると、彼の腕の中の子猫を興味深げにじっと眺め、巨大な頭を片方に傾けて耳をそばだてていた。アッシュは彼女を見つめ返すと、また突然腕の中でおとなしく座った。雌犬が頭を前に伸ばして、二匹はお互いの匂いをフンフンと嗅ぎ、アッシュは喉をゴロゴロと鳴らした。

犬舎長は低い声で、安心した笑い声を漏らした。「その犬はハエリオニ*2です。良い雌犬ですよ、あなた様の祖父が可愛がっておられたファスが最後に産ませた子犬の一匹です」と彼はセバスチャンに語った。
「最良のウルフハウンドのほとんどが、この血統から出ています」

セバスチャンは前に進み出ると犬の注意を引いた。彼女は彼の方に近寄って来て、指示に従って座ると静かに彼が調べるのに任せた。彼が巨大な頭を両手に挟んで、首の毛皮を掻いてやると彼女は嬉しげな声を出した。
「彼女は綺麗だな」と彼は認めた。

「彼女は……その、随分と大きくないか…?」とアンダースは言い、少し不安げなように聞こえた。

セバスチャンは彼の方を見ると微笑んだ。「それがポイントだ、そうじゃないか。もしお前が、どうにかして城壁を乗り越えて庭に侵入した悪者だとして、この巨大な犬がお前の側で走り回って居るのを見たとしたら?驚いてまた壁の方に走って逃げるんじゃないか?」

アンダースはゆっくり頷いた。「まあ、アッシュも彼女が気に入ったようだ、どうしてだか知らないけど」と彼は渋々言った。

「ディアハウンドも一匹、連れて帰った方が良いだろうな」とセバスチャンは考え込む様子で言った。「彼らは侵入者に気づくやいなや嵐のように吠え立てる、この娘と合わせればお前は十分安全になるだろう」
彼は犬舎長の方を問いかけるように見た。

男は頷くと、数回口笛を吹いた。数匹の犬達が集団から離れてこちらにやってくると、じっと男に注意を払ってその側に立ち、時々アンダースとセバスチャン、それに猫の方を興味深げに眺めた。

巨大なむく毛のウルフハウンドとは大きく違って、この犬達はより小さな犬種で、柔らかに垂れた耳と、引き締まった腹、細身の身体と頭に、細く鞭のようにしなる尻尾をしていた。何匹かはつややかな短毛、別の何匹かはやや長めの縮れた被毛で覆われていた。三匹は純白で、一匹がクリーム色で耳の先端に赤い差し色が入り、他の二匹は青みの掛かった黄褐色の毛皮で、他より鼻先と足の色が濃かった。

「アッシュを私に渡して、犬と会って見るんだ、アンダース」とセバスチャンが言った。アンダースは嫌々ながら言われた通りにすると、そこに集まっている犬達より遙かに不安げな様子で犬の方を伺いながら、犬舎長の方へ歩いて行った。男は屈み込むと、犬達を呼び寄せようとした。犬達は彼の方を見て、数匹が興味深げに数歩前に出て匂いを嗅ごうとしたが、他は尻込みした。

「連中はあなたに付いた猫の匂いを嫌がっているのかも知れませんな」と犬舎長が言った。それから、一匹の犬が突然前に飛び出てきた。毛皮はクリーム色で耳の先端だけ赤く、縮れ毛の種類だった。アンダースに近寄る数歩手前で止まるとフンフンと匂いを嗅ぎ、それからじりじりと前に進んで、ようやく鼻を伸ばし、彼の服の裾、それから顔と匂いを嗅いだ。犬のフワフワした尻尾が、ゆっくりと左右に振れ始めた。

「それで、このハンサムな坊主の名前は?」とセバスチャンは喜んだ様子で尋ねた。

「ガンウィン*3です」と犬舎長は即座に答えた。「少しばかり興奮しがちなところはありますが、全般的に見て良い犬ですよ」

彼は二匹の犬に引き綱を付けるとためらう様子を見せ、明らかにそれをアンダースに渡すべきか、それとも大公殿下に渡して良いものかと迷っているようだった。アンダースと言えば既にアッシュを抱えて犬達から遠く、セバスチャンの後ろに下がっていた。

セバスチャンは前に進み出て引き綱を受け取るために手を差し出し、善良な男を板挟みから救ってやった。彼は犬舎長に感謝の意を込めて頷くと、それから犬達とメイジを連れて庭へと戻っていった。アンダースが、歩きながら後ろの犬達の方に振り向き、おずおずと不安げに見ていることに彼は気が付いた。

「まさか犬を怖がっているなんて言うなよ?」道程半ばで、彼は不思議そうな顔をして言った。
「何と言っても、お前はフェラルデン出身だろう……」

「そこから来たのは確かだけどね、そこで産まれたわけじゃない……とにかく、僕は猫派なんだ。その……犬をどうして良いのか、僕には判らない。ましてや二匹の犬は。ましてや、犬に化けた子馬は」

セバスチャンは笑い出した。「心配するな、こいつらは自分たちで自分の面倒は大体見られるから。ハエリオニの大きさに怖がるんじゃない、ウルフハウンドは大体のところ身体の大きな弱虫だよ、お前が侵入者か狼でない限りはね。その時彼らは四つ足の死の使者となる」

「それで、もしこの娘が僕を侵入者と間違えたら?」とアンダースは心配そうに尋ねた。

セバスチャンは歯を見せて笑った。「あり得ないよ」と彼は静かに、自信に満ちた声で答えた。

庭に戻ると、彼は犬達を引き綱から放してやった。二匹は即座に別々の方向に向かうと探索を始めた。ハエリオニはゆっくりと慎重に歩きながら、彼女の興味を引く全ての物の匂いを嗅ぎ、一方ガンウィンは辺りを無闇に走り回っているように見え、時々何かに気を取られて立ち止まるが、すぐにまた興奮して跳ね回った。ハエリオニの側で少しばかり熱狂しすぎたと見えて、彼女が振り向き彼の方を見ると、微かに喉音を立てた。彼は即座に停止し、頭と尻尾を下げて一声鳴いた。彼女が鼻を鳴らしまた元見ていた方向に向き直ると、彼は少しばかり忍び足で移動してまた熱狂的に跳ね回りだしたが、大きな年上の犬からは注意深く距離を取るようにしていた。

セバスチャンは思わず笑うと、アンダースの方に振り返った。「さて、私はそろそろ仕事に戻らなくては」と彼は残念そうに言った。
「召使いが、お前の夕食のように犬のための食事も持ってくる。ドゥーガルとシスター・マウラには、後一日か二日したらお前が診療所に戻れるだろうと言ってある。お前の回復ぶりからすれば、その頃には十分良くなっているだろう。次の日は教会の礼拝日だから、それまでに機会が無ければまたその時に会おう」

彼はそう言って背を向けると、コテージに置いて行ったろうそく立てを回収し、階段の登り口に入って後ろで扉を閉めた。彼は階段を登りながら、アンダースに背を向ける直前に、男の顔に浮かんだ表情が印象に残っている事に気づいた。男は幾分……不安げな様子だった。あそこに一人で残される事に気づいて怖がっているのだろう、おそらく。

しかし彼は一人ぼっちでは無い、本当のところは‐庭のすぐ外には衛兵が居るし、猫も犬二匹も一緒に居る。彼は上手くやれるだろう、とセバスチャンは自分に言い聞かせた。彼の居室に着くとろうそくを吹き消し、それから呼び鈴を鳴らして召使いを呼ぶと、アンダースの短い滞在期間中に持ち込んだ物やベッドを片付けさせるように言った。

彼は書斎に戻りながら、自分も犬を飼った方が良いかもしれないと思い、彼の祖父の愛犬ファスの事を思い出していた。何か彼と一緒に居てくれるものが……二週間近くアンダースが間借りする前には考えもしなかったほど、彼の居室は随分と空っぽに感じられた。


*1:セバスチャンの一族殺害事件の直前、時期的にはブライトの最中(Act1初期)と思われるが、スタークヘイブンにあったサークルは原因不明の火事によって焼け落ち、テンプラー・メイジ共に相当数が死亡した。生き残ったメイジはAct1の”Act of Mercy”で登場するデシムス・グレイス達(カークウォールに護送される途中で逃亡)の様に各国のサークルへ別々に護送されたと思われる。

*2:Haelioni, ウェールズ語で「寛大な」とか言う意味の単語。現著者MsBarrowさんのコメントには「どちらかというとボルゾイに近いタイプ」とある。つまりロシアン・ウルフハウンド。

*3:Ganwyn, 同じくウェールズ語で「潮流」という意味。発音は英語でもウェールズ語でもそれほど変わらない模様。

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