第28章 フェンリスの話

第28章 フェンリスの話


彼は目を開けた時、自分がどこに居るのか判らなかった。広い、白い壁の部屋。薬の臭い。背の下にある硬い台……どれも身の竦むような記憶を呼び起こすものだった。抑えつける暇もなく彼は身震いし、痛めつけられた筋肉の抗議に食いしばった歯の隙間から息を漏らした。彼の足は酷使による損傷から、ズキズキと焼けるように痛んだ。

「彼が目覚めた」聞き慣れない男の声が言うのが、どこか近くから聞こえた。

その声に彼は飛び起き、ほとんど床に崩れ落ちそうになりながら診察台の側から転がり落ちた。信用ならない余所者の前で無力である恐怖から、彼の身体をアドレナリンが走り抜け、足の痛みを追いやり彼に一時の力を与えた。その部屋には彼の他に何人か居た‐男と、チャントリーのローブを来た女、玄関のところに衛兵が一人、広い廊下の向こうから、また別の衛兵が二人、彼の方を興味深げに見ていた。彼は後ずさりすると、逃げ道を求めて辺りを見渡した。

「ここは何処だ?」彼は軋るような声で言った。

男が両手を挙げると、掌を前に出して一歩彼の方に近づいた。

「大丈夫ですよ、危害を加えるようなことはしません……」と彼は宥めるように言った。

フェンリスはしかめ面をすると更に後ろに下がった。

「近寄るな!」彼は鋭く言うと、再び尋ねた。「ここは何処だ?」

廊下の向こうには細い窓があった。しかしそこに行くには、あの二人の衛兵の余りに近くを通らなくてはならなかった。多分玄関を突破するのが一番容易いだろう、そこなら衛兵は一人だけだ……

衛兵の一人が身動きしたのを見て彼の紋様は明るく輝き、万が一襲いかかられた時に備えた……しかし衛兵は立っていた扉の横にもたれ掛かって、彼の方をじっと見つめているだけで向かってこようとはしなかった。他の者も皆、彼の紋様が輝くのを初めて見た時に人々がしばしば見せる、驚愕の眼差しで彼の方を見ていた。それから、衛兵の立っている扉の中から誰かが廊下へ姿を現した。まさかここで出会うとは想像さえしていなかった男の顔を見て、彼は他の人々と同じくらい驚き凍り付いた。

アンダース!」彼は叫んだ。「貴様、ここで何をしている?」

ひねくれた笑みがアポステイトの顔に浮かんだ。

「やあ、フェンリス。たまたま君の命を助けているところさ。ここから飛び出して、僕たちが注ぎ込んだ大変な努力を全部台無しにする前に、そこに腰掛けるというのはどうだろうか」

彼は片手の指を軽く振って部屋に幾つも置かれた長椅子を指し示し、もう片方の手で何かを胸に抱きかかえていた。

フェンリスは背筋を伸ばして立つと、その動作が引き起こした顔のゆがみを覆い隠すため、歯を剥き出して男を睨んだ。「貴様の指図は受けん、メイジ」と彼は吐き捨てた。

アンダースは肩を軽くすくめた。

「指図じゃない、これは提案さ」と彼は言うと、まだ側に立っていた男に向き直った。

「ドゥーガル、行ってセバスチャンを呼んできてくれないか?むっつり屋が目を覚まして、彼に会いたがってると言ってくれ」

ドゥーガルは鼻を鳴らすと、アンダースとフェンリスの顔を交互に見比べた。

「お二人は古いお友達ではないので?」と彼は少し心配そうに言った。

アンダースはニヤっと笑った。「精々良く言って、知り合いだね。フェンリスと僕は友達だったことはない」と彼は言うと、それからフェンリスの方に向き直った。

「だけど僕は、君の敵でもないよ。ほら、僕はこうして、こっちに静かに座っている。君もそっちに腰掛けるというのはどうだい、それで一緒にセバスチャンが来るのを待って、二人で挨拶しようじゃないか?」

ドゥーガルは眉をひそめると、それから一つ肩をすくめて出て行った。アンダースは部屋の一番端の長椅子に腰掛けて背中を壁に付け、膝に抱えた何かの上に手を置いていた。子猫だ、フェンリスはそう気付くと少しばかり当惑した。彼は最寄りの長椅子の方に後ずさりし、メイジから目を離すことなくゆっくりと腰を下ろした。チャントリーのローブを着た女が、アンダースの側ににじり寄った。

「あの紋様は何ですの?」と彼女は驚いた様子で尋ねた。

「焼き印か、何かの入れ墨の類かと思いましたけれど……」

フェンリスはうなり声を上げるとメイジを睨み付けた。

「彼はそのことで話すのを嫌がるんだ、あるいは誰か別の者が話す事も」とアンダースは彼女に話すと、フェンリスの方を見た。

「とは言ってもみんな聞くぞ、判ってるだろう。それにシスター・マウラが、君が回復するまでは薬剤師となるのだから、彼女は実際知っておく必要があるだろうね」

フェンリスはメイジに向かって顔をしかめたが、それから鼻を鳴らすと横を向いた。「なら教えてやれ」と彼は感情の無い声で言った。

「あれはリリウムだ」とアンダースは言った。「あるマジスターが、彼に埋め込んだ」

リリウムですって!」と彼女は驚愕し、眼を大きく広げた。「ですがあの量は……」と彼女は話し掛けて突然言葉を切ると、アンダースの近くに座った。

「何てひどい事でしょう」と彼女は静かに言った。「恐ろしい、ひどい仕業です」

フェンリスは微かに驚いた視線を彼女に投げると、急ぎ足で近づく足音に気付いて身を固くした。それから、セバスチャンが部屋に入ってきたのを見て、彼は安堵の念が押し寄せるのを感じた。アンダースは敢えて会いたいと思う誰かでは無いにせよ、少なくとも見知った顔ではあったが、セバスチャンは安心できる相手、歓迎すべき顔であり、その男の顔に広がった暖かな歓迎の笑みを見て、緊張のしこりの大部分が消えて無くなっていった。

「フェンリス!君が起き上がれる様になって本当に嬉しいよ!」とセバスチャンは大声で言うと大股で部屋に入ってきた。彼は一歩半ほど先で止まると、眉をひそめて彼を見下ろした。

「しかしそんな風に座っていても良いのか?」

「いいや、良くないよ」とアンダースは言うと、再び立ち上がった。

「彼の手当を終えるまでは駄目だ。何よりも、彼の足は感染が始まる前に手当てする必要がある。早ければ早いほど良い。僕はもう充分休んだから今からでも出来るよ、もし彼がそうさせてくれるならね」

フェンリスはメイジに向かって顔をしかめたが、しかしその言葉が本当であることは認めざるを得なかった。

「こっちの台でまた横になって、アンダースに手当をさせてくれるかい、フェンリス?」

フェンリスは歯ぎしりをしたが頷くと再び立ち上がって、最初に起き上がった台のところへぎくしゃくと歩いて戻り、その上に腰掛けた。彼は、後ろを付いてきたセバスチャンの顔を見た。

「やつが手当てする間、君はここに居るんだ」と彼はざらついた平坦な声で言った。

セバスチャンは、唐突な命令の内に彼の嘆願を感じ取ると、僅かに微笑んだ。「もちろん、そうするとも」と彼は答えると、少しばかり声を高めて近くの衛兵の方に振り返った。

「誰か椅子を持ってきてくれないか。上の階の台所にあるはずだ」

衛兵の一人が急いで階段を上がっていった。フェンリスはゆっくりと向き直ると、彼の両足を診察台に持ち上げ、その上で伸ばした。アンダースが歩いて来て、他の二人も‐明らかに彼の助手と思われた‐躊躇いがちに後ろに付いてきた。彼は台の端で屈み込み、フェンリスの足を触らずに注意深く観察した後、歯の隙間から息を吐くとフェンリスの顔の方を見て、彼と眼を合わせた。

「まずこれを綺麗にしなくちゃいけない、肉にあちこち小石や木片が噛み込んでいるし、何より泥まみれだ。痛むだろうが、今君の足が実際痛んでいるほどひどくは無いと思う。僕が処置している間は、魔法の拳を使うのは止めておいてくれよ、ふーむ?」と彼は明るく言うと、何かフェンリスが答える前に振り返って、後ろの二人に処置のために必要な事を次々と言いつけ始めた。

フェンリスは鼻を鳴らし、その二人がそれぞれ立ち去るのを用心深く眺めた。アンダースは子猫をセバスチャンに手渡した。

「しばらく彼を持っていてくれるか?」と気もそぞろに、既にフェンリスの足の方に注意を戻しながら彼は尋ねた。セバスチャンは何も言わず子猫を受け取った。アンダースはしばらく足を眺めて居たが、それからフェンリスの足を処置する間座っていられるよう、診察台の側に長椅子を引きずって来た。

ちょうどその時衛兵がセバスチャンのために椅子を持って戻ってきて、彼が置く場所を指示すると、診察台のすぐ側に腰を掛けて膝に子猫を置き、フェンリスの方を興味深そうに見た。

「さて、どうやって君がここに突然現れて、僕の命をすんでの所で救う事になったのか話してくれないか?」と彼は言った。
「そもそもカークウォールで別れてから、君はどこに居たんだ?」

フェンリスは彼の気を逸らせるものが出来たことに喜ぶと、アンダースと彼の助手が、彼の擦り剥けた足の処置を始めようとする様子から眼を背けた。

「アンダースが逃げ、君も立ち去ってから、俺はホークと共に留まった。彼はメイジに味方することに決めた、俺はその時点では拙い選択だと思ったが」

アンダースは長椅子の端に座りながら鼻を鳴らし、フェンリスが睨み付けたが、それ以外にメイジは何も言葉を発しなかった。

「その後の出来事が、どちらの側も同じくらい拙い選択であったことを証明した」とフェンリスは言い、その多事多端な一日の記憶に顔をしかめた。

「多くのメイジが、その日の出来事から極度の恐怖に襲われ、悪魔の助けを借りようとしてアボミネーションと化した。そしてそれから、ギャロウズで、まさに俺たちがテンプラーに勝利しようとしていた時に……」

彼は言葉を切ると、その時の怒りを思い出して歯ぎしりをした。

「ファースト・エンチャンターの、オシノが……彼が狂気に陥った。彼はブラッド・マジックに手を染め、俺達を、彼を助けようとしていた者を襲った。どうやってか、彼は死んだメイジの肉体を寄せ集めると、巨大な化け物を作り出して俺達を攻撃した」

彼はアンダースの方に眼をやると、それからセバスチャンに視線を戻した。

「その時の彼の言葉からすると、どうやら彼はリアンドラ・ホークを殺害したメイジが行った、最悪の実験に関して気付いていたどころか、あの狂人の成果からその化け物を造り出す術を知ったようだった。俺達はどうにか、その化け物を倒した。その時には生き残ったメイジはほとんどいなかった。そしてその後、メレディス騎士団長が、増援部隊と共に登場した……」

彼は再び言葉を切った。アンダースが彼の剥き出しとなった皮膚に突き刺さったゴミを絞り出し始めたのにつれて、彼は身を固くし、食いしばった歯の間から息を漏らした。アンダースは顔を上げ、彼が与えた痛みへの同情を眼に表して言った。

「この作業の間、君の足首を押さえて足を静止させておかないといけない」と彼は静かに言った。

「僕の顔を蹴飛ばさないようにしてくれよ」

フェンリスはしばらく彼の顔をにらんだが、それから小さく頷いた。「やれ」とだけ言うと、手が彼の足首に触れるのを感じてしかめ面をした。足をしっかりと保持するために、アポステイトが力強く握りしめる手が、そこに彫り込まれた何本かのリリウムの線に触れる事になった。彼の手の周りからリリウムが光を放ち、フェンリスは悪態を付くとセバスチャンの方に強いて注意を戻し、足から沸き起こる不快な感覚を無視しようと全力を尽くした。

「それで、どうなった?」とセバスチャンは静かに言うと、診察台の端に片手を置き、掌を下向きにしてごく緩やかな握り拳を作った。フェンリスはその方をちらっと見たが、彼に提供された慰めを拒絶するように視線を逸らした。

「ホークとヴァリックがディープ・ロードで見つけた、あの赤い像を覚えているか?バートランドが恐らくそのせいで狂気に陥った像を?」

「ああ、その話は覚えている」とセバスチャンはきっぱりと頷いた。

「どうやら、あれをバートランドから購入したのはメレディスだったらしい。彼女は像を巨大な剣*1に打ち直させると、何処にでも持って歩いていた。そしてそれが、バートランドと同様に彼女も狂気へと追いやった」

「まるで彼女が最初は正気だったように言うじゃないか……」とアンダースは呟いたが、それからフェンリスの言葉の意味を理解すると顔を上げた。

「待てよ、本当にそういうことか?つまり、まだ更におかしくなったと?」

フェンリスはメイジを不快そうにちらっと見たが、ゆっくりと頷いた。「ああ。その剣を手に入れる前の彼女の精神状態がどうで、どれ程があの赤いリリウムの影響なのかは判らないが、ともかくあの日の彼女は紛れもなく狂人の振る舞いを見せた。ホークはそれでも、一握りの生き残ったメイジを守ることを決断した。そして彼女の部下のテンプラーでさえ彼女に歯向かった‐カレンは、管轄下にあるメイジを守ることがテンプラーの使命であり、彼らとは何の関係もない行いの咎で殺害する事では無いとして、ホークに味方した。あれは……今説明すると到底信じがたいように聞こえるが、あのリリウムがどうやってか、彼女にギャロウズの中庭にあった巨大な像を動かす力を与えて、それらに俺達を攻撃させた、まるでゴーレムか何かのように」

アンダースは再び顔を上げた。

「リリウムは実際、動くゴーレムの製造と深く関わりがあるんだ、それ以外に色々必要だけどね」と言うと、セバスチャンの方をちらりと見た。

「いつか、フェラルデンの英雄が僕達に話してくれた、ゴーレムがどうやって作られるかについて君にも話すよ‐権力と、その濫用に関する大層ためになる話だ」*2と彼は付け加えると、再び足の処置に注意を戻した。

フェンリスは再び足を小さく突き刺す痛みが戻ってきたのに身を引きつらせたが、強いて話を続けた。

「その彫像を倒すために俺達を助ける中で、数多くのテンプラーが倒れた。そして最後には、まるでメレディスがあの剣によって与えられる力の範囲を踏み越えたかのようだった。剣の力が彼女自身に跳ね返り、その場で彼女を打ち倒した。彼女は……その場で黒こげの炭となって、まるで火葬のように熱を放っていた。あれは……身の竦む光景だった。」

「カレンと残ったテンプラーは、僅かに生き残ったメイジを彼らの保護下に置き、安全な場所を見つけて連れて行くと言っていた。それからホークと俺達も去った。ホークはその日の出来事につくづく嫌気を感じていたようだった。裏切りに次ぐ裏切り、無意味な死、狂気……俺達はイザベラの船に乗ってカークウォールを離れたが、アヴェリンとヴァリックは残った。二人ともカークウォールに留まってするべき事があると感じていたようだった。アヴェリンは街の治安を回復させるため、そしてヴァリックは、まだそこに足止めされているギルドメンバーに出来るだけの事をすると」

「今からもう片方の足の処置を始める」とアンダースは静かに言った。フェンリスは頷くと、メイジが握りしめる足首を替える間、うつむいたまま唇を噛み、身を強ばらせて座っていた。男が再び処置を始めた後、彼はようやく話し始めた。

「残った俺達もその後ちりぢりとなった。まずホークをフェラルデンの、アマランシンで降ろした‐彼はヴィジルズ・キープへ行って、ベサニーがグレイ・ウォーデンの中で上手くやっているところを見に行くと言っていた。それから南へ下って、グワレンでメリルが別れた。彼女はデーリッシュの新しいキャンプへ、ブレシリアン・フォレストを探すと語っていた。俺はしばらくの間イザベラと居たが……海の上の暮らしは俺には合わなかった」と彼は言って、セバスチャンに再び視線を向けた。

「それから俺は、以前に君がスタークヘイブンへ来ないかと誘ってくれたのを思い出した、君の部下の訓練を手伝って欲しいと。俺が本当にそんな役に立てるかどうかよく判らなかったが、もし戦士として君に使い道があればと……」

彼は躊躇いがちに言った。

セバスチャンは温かく彼に笑いかけた。「もちろん君のような優れた戦士は何時でも歓迎するよ、フェンリス。しかしもっとあるだろう、君の話は。ここで倒れる前に君はアンズバーグに居たと言ったな。あそこから、私の命を救うためにここにやってくるまで、しかもこんな様子になって……」と彼は付け加えると、眉をひそめ、フェンリスの痛めつけられた足を見て頭を振った。

フェンリスは頷いた。彼は唐突に、気にいらないほど身体が弱っているのを感じ診察台の上に横になった。彼は息を大きく吸い込み、不快感と戦った。

アンダースは作業の手を止めた。「一番ひどいところはほとんどお終いだ」と彼は優しく、元気づけるように言った。

「あと少しで終わるから、それから少しだけ治療魔法で何が出来るか見てみよう」

フェンリスは鼻を鳴らした。「それが一番ひどいところだろうな」とメイジに言うと、顔を再びセバスチャンに向けた。

「イザベラが、俺をワイコムで降ろしてくれた。だがそこも大騒ぎだった。結局俺は、街を脱出するためにマイナンター川を行き来する船に忍び込んだ。ぎりぎりのところだった、と言うのも後で聞いたところでは、その街でもほんの数日後に戦いの最中に大爆発が起きたようだ。船乗り達は、アンズバーグへの道半ばで俺を発見した。連中は……嬉しくは無かったようだな。結局、俺は河のただ中で船から飛び降りる羽目になり、しかも俺の剣を手放さざるを得なかった」

彼は険しい顔をして付け加えると、剣の重みで川底に引きずり込まれ溺れ死ぬ前に留め金を外そうと苦闘し、疲労困憊して川岸へと泳ぎ着いた記憶に顔をしかめた。

「それから俺は残りの道程をアンズバーグまで歩いて、そこからスタークヘイブンへ行く別の川船を見つけられればと思っていた。だがその街に到着した時に、その街がまさに火に包まれ始めたのを知る事になった。船着き場も、川から逃げだそうとする人々で大混乱で……炎は風邪に煽られ、ほとんど不自然な程の速度で燃え広がった。あそこの建物はほとんどが木造で、小枝を混ぜた漆喰の壁、それに藁葺き屋根だった……燃え上がるのは余りに容易かった。大勢死んだのではないだろうか。炎は人が走る速度よりも更に速く燃え広がるようだった」

セバスチャンは頷いた。「我々もスタークヘイブンで、同じような大火に見舞われた、もう一世紀も前の事だが。ようやく燃え尽きるまでに二日と一晩掛かったと言われている。とりわけ貧しい人々の区画で多くの人々が死んだ。その後、街の中は全て石造りと、スレートか陶器の瓦で葺いた屋根で再建築されることになった。あのような大火災を二度と見ることが無いよう、私の先祖達が決めたことだ」

フェンリスは頷くと先を続けた。「俺は、旅を続ける前に数時間でも休めるところがあればと避難所を探していて、たまたま男達が話をしているのを耳にした。うち一人が、避難民の中に隠れて、連中をスタークヘイブンへ潜り込むための隠れ蓑にする方法について話していた。その時は深く考えようとは思わなかった、精々悪くても密輸業者かその類の犯罪者だろうとな。だが連中が立ち去る時に口にしていた、『メイジ贔屓のふざけた大公野郎を殺せ』という言葉が気になった。その時までに、君が従兄弟から大公位を取り戻したと言うのは聞いていたから、連中が口にするスタークヘイブン大公というのは君のことしかあり得ないと判っていた、その『メイジ贔屓』というのは、その時は……どうにも君らしくないように思われたが」
彼はそう言うと、アンダースの方をちらりと見た。

セバスチャンは口元を歪めてニヤリと笑った。「長い話があってね。それは後でゆっくり話そう。それで、君はその後ここへ向かって出発したと。船でか?」

Ansburg「いや。徒歩でだ。俺は体力の続く限り走り、走れない時は歩き、何としても歩けない時だけ休んだ。川の流れは曲がりくねり、実際の二つの街の距離よりも遙かに長い距離となるし、川船は全て流れに逆らって進む必要があっただろうが、俺も支流を避けるために、川から遠く離れた所を進まなくてはならなかった……相当な距離だった。ある所で俺は漁師村から小舟を盗んだ……それでようやく、グリーン・デールズを流れる支流を下り、マイナンター川の本流を渡って右岸へ辿り着く事が出来た」

「メイカーよ御加護あれ、あなたの足がこんな風になったのも当然ですな!」とドゥーガルが叫び、感嘆した様子だった。

「その道程は普通なら優に一週間は掛かるでしょうな、立派な行軍速度でですよ‐それをあなたは、何日ですって?4日?」

フェンリスは眉をひそめた。「それよりは長く掛かったと思う」と彼は言った。

「多分……5日か6日か。その辺りは皆ぼやけてしまった。俺は、相当疲れていたようだ」

セバスチャンは頷いた。「それも何の不思議も無いな。君が成し遂げたのは偉業と言って良い、我が友よ。だが何より、君がぎりぎり間に合った事がありがたい‐しかも本当に、間一髪のところで!もし君が道中どこかの時点で、ほんの僅かばかり長く休んでいたら。もし君がどこかで道を誤り、引き戻さないといけなかったら。もし……」

彼は頭を振った。「君は以前、人生の道程は全てメイカーの御手によるお導きに従っていると、なぜ私が信じることが出来るのかと尋ねていた。君はここに居る、私を助けるのにちょうど間に合って‐それ以外に考えようがあるだろうか?君がたまたま、男達の言葉を漏れ聞く事が出来る正しい場所、正しい時に居合わせて、それを理解し、それに基づいて行動して、それがたまたま私を助けるのに間に合った、すべて全くの偶然だったなどと私は信じない。そう、もちろん何でもたまたま起きるという事はある、だがこれは……これがそうだとは私には信じることは出来ない。これは宿命だよ、フェンリス」

フェンリスは鼻を鳴らすと、セバスチャンに向かって微かに笑みを浮かべた。「あるいは。しかしもし宿命だとしたら、俺の自由意志*3はどうなる?」

セバスチャンは微笑んだ。「その二つは相反する訳では無いよ。君は男達の言葉を無視する事も出来た、それが私の死に繋がると知っていたとしてもだ。あるいは、何時でも違う道を選ぶことが出来た。あるいは、もっと長く休むことも。あるいは、小舟を盗まない事も。カークウォールからここに至るまで、君の前には何百、何千という選択肢があった、それでも君の選択と我々の宿命が共に協力して、二人を共に引き寄せたのだ、ここにね」

フェンリスは笑みを浮かべると、カークウォールで夜が更けるまでワインを片手に、彼の住処でセバスチャンと交わした似たような会話を思い出していた。

「現時点では、君と哲学について語り合うには酒が足りないようだ」と彼はうなった。

セバスチャンはニヤリと笑って「私もあの会話が懐かしい」と言った。

「よーし、魔法の指をちっとばかり使う時間だ」とアンダースが声を上げた。

「僕の指だけにしておいてくれよ、君のは無しだ、フェンリス」

フェンリスは頷くと、大きく息をついて身を硬くした。「準備はいい。やれ」と彼はうなるように言った。

アンダースは立ち上がると、フェンリスの足首をしっかりと握りしめ、もう一方の手をフェンリスの踵のすぐ前に置いた。魔法の力が光となって手の中に現れ、それから彼はフェンリスの足の引き裂かれた皮膚に触れた。

フェンリスは身を震わせるとテヴィンター語で罵りはじめた。彼はメイジが彼の一方の足、そして次の足と処置を施すにつれて、まだ診察台の上に置かれていたセバスチャンの手を掴むと、ほとんど押し潰さんばかりの力で握りしめた。その処置は速やかに終わったが、しかし敏速かつ熟練した治療でさえ不快で、リリウムと治療魔法と、彼の傷ついた足の神経が組み合わさって強烈な感覚を引き起こした。今回の場合は痛覚で、実際それは他の可能性よりはましと言っても良かった。痛みなら、少なくとも彼は無視する術を心得ていた。

「さて、これで魔法でやれるところまではやった」とアンダースは言うと、一歩下がって額の汗で張り付いた髪を払いのけた。「この後の治療は自然に任せる必要があるだろうが、少なくとも君の足にはまた皮膚が出来た。ごく薄くて柔らかな皮膚だから、少なくとも数日の間はその足で歩いたりしないでくれ。何があってもだ。君が嫌がるだろうって事は判ってるがね、つまり、僕達が君を寝床まで運んで寝かせないといけないし、君はそこでおまるを使う事になる」

「貴様の心臓を俺はなぜ引き抜いておかなかったのか、不思議に思う時がある、メイジ」とフェンリスは歯の隙間から押し出すように言った。

「今がその時だ」

アンダースは彼に向かってニヤリと笑った。「その台詞が懐かしいよ」と彼は言うと、セバスチャンの方に振り向いて手を差し出した。セバスチャンは黙って子猫を手渡すと、彼も立ち上がった。

「私に君の手助けをさせてくれるか、フェンリス?」と彼は尋ねた。

「それとも、衛兵にやらせても良いが」

フェンリスは渋い顔をした。「馴染みのある手の方がまだ良い」と彼は嫌々納得した。

セバスチャンは頷くと、衛兵達とアンダースの助手が驚くのをよそに屈み込み、フェンリスの肩と膝の下に腕を滑り込ませて彼を持ち上げた。

「二つ目の扉か?」と彼はアンダースに尋ねると、近くの廊下の方に頷いて見せた。

アンダースは頷くと、セバスチャンが彼を抱えて廊下を通り、寝床に降ろす後ろを付いていった。

「彼はもう休んだ方が良い」とアンダースは言った。

「例え数日間の旅で疲れ果てて居なかったとしてもだ、毒にやられ、それが抜けていく間にひどく体力を消耗するだろうから」

セバスチャンは頷いた。「明日また様子を見に来よう」と彼はフェンリスに言った。

「アンダースと助手が君の世話をする。彼らは信頼していい、約束しよう」

フェンリスは頷いた。「感謝する」と彼は堅苦しく言った。

セバスチャンは微笑むと、彼の肩に軽く指先で触れた。「いいや。君に感謝しよう、私の命を救ってくれたことに」

フェンリスは肩をすくめると、頭をベッドに降ろして眼を閉じ、二人が立ち去るのを耳にしながら既に彼が眠りへと滑り込むのを感じていた。

彼はどうしてあのメイジが、スタークヘイブンで生きている事になったのかと不思議に思った。セバスチャンが後でゆっくり話そうと言っていた中には、さっきの「宿命」の様な馬鹿げた意見がもっと入るのだろうか。そして彼自身が、その事について彼と討論するのを待ち望んでいる事に気づいた。


*1:この剣は一体何時メレディスの手に渡ったのか。バートランドがカークウォールに戻ってきたのはAct2の中盤だから、それ以降でなければならない。では何時?

Act2最後、ホークがアリショクを一騎打ちで(ちなみに訳者は、集団戦で勝てたことが一度も無い)倒した後駆けつけてきたメレディスが持っているのは、その前にサラバスの首をはね飛ばした剣と同じ、普通の両手剣(彼女は片手で振り回すが)である。

Act2_last

しかしAct3冒頭のオシノの大演説の時には、既にラストバトルの時と同じ剣を持っている。

Act3_opening

ラストバトル。

Act3_last

従ってAct2の後でAct3の前、つまりホークがチャンピオンとなった後の3年間のどこかで、剣として打ち直させた事になるだろう。

ところで体積的にどう考えても、アイドルを全部溶かしてもこの剣の刃の大きさにすらならない。

Idol

アイドルと剣の画像を見比べると、剣の柄の部分にある丸い形の飾りと、その下の赤い部分が、アイドルを打ち直したもののように見える。ほんの欠片でもヴァリックの精神状態を一時期おかしくする程強烈な効果があるので、剣の飾りとして付けるだけでも効果が有ったのだろう。それより、打ち直した鍛冶屋は大丈夫だったんだろうか。こうなるともはやサウロンの指輪みたいな話になってくるね。

*2:もちろんDA:Originsの中で語られる、鍛冶屋キャリディンと金床に関する逸話だろう。あれ?アンダース何処でその話聞いた?

*3:Free will. 人は神の意志や運命に束縛されること無く、自らの意志で考え行動することが出来るとする哲学上の一説。セバスチャンの意見は両立主義となる。この辺突っ込むととてもややこしい哲学論になるので止める。というか酒でも飲まないと話してらんねー、というフェンリスの気分がよく判る。

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第28章 フェンリスの話 への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    更新お疲れ様でございますv
    ってか、な、長いっ!w

    さすがにこれは長いwしかし大事な伏線部分ですね。

    フェンリスが入ってきて物語が動き出すのは楽しみですが、
    彼の言葉遣いってものすごく書きにくかったりしましたw
    人を呼ぶときもホーク相手には「あんたは面白い男だな」
    アンダースにはお前か貴様、ベサニーには君、だったかなあ。
    うちの相方が頭抱えてましたwやりにくいらしいです。この手の男はw

  2. Laffy のコメント:

    EMANONさま、コメントありがとうございます(^.^)
    11465文字もあったよ!orz 道理で、書いても書いても終わらないわけですね(笑)。

    フェンリスの台詞は、割と私は書きやすかったりします。フインキ的にもうちょっと生硬な日本語にしたかったのですが、まあ英語の方は普通ですからね。
    二人称の使い分け、あるあるある。プレイスルーの時からずっと彼と同格の相手には君、敵対相手はお前or貴様ですが、「俺とお前の仲」というように距離の近さも表しますから、例え信頼関係が出来たとしても、フェンリスはアンダースをお前とは呼ばない、はず(w
    するとフェンリスがお前と呼ぶ相手が……あ、居た。しばらくすると登場するエルフ少女の兄弟は、多分お前と呼ぶでしょう。そんな感じですね。

    一方セバスチャンは、一番最初の対面シーンを除けばアンダースのことは始めからお前呼ばわりです。これは変えないつもり。(ゲームのプレイスルーの方はずっと「君」にしていました。二人のバンター。

    今すっごく悩んでいるのが、彼の一人称ですね。まだしばらくはずっと「私」ですが、ある時点で「俺」に落とすか、それとも「私」で押し通すか。んーー。生まれ育ちからすると彼は祖父・父にしか「僕」と言ったことはないはずです。

    って、英語なんだから全部”I”だっつーの!

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