第29章 巧妙な拷問

寝室から大部屋へ歩いて戻りながらアンダースは疲れた様子で彼の額を片手で撫で、アッシュがもう片方の手に抱えられて、ゴロゴロ言いながら彼の指先を舐めていた。

「お前も休んだ方がいい」とセバスチャンが静かに言った。

「判ってるよ。ドゥーガルとシスター・マウラに、フェンリスについて話をしておかないと」と彼は言った。
「彼に触るべからずの話や、他諸々を説明しておかないとね」

セバスチャンは低くうなって納得すると、通りすがりに二人に手を振って診察所を出て、城へと戻っていった。
アンダースは辺りを見渡し、それから廊下から出来る限り離れたところの長椅子に歩み寄って大儀そうに腰を掛け、それからドゥーガルとシスター・マウラを手招きした。

「あのエルフについて幾つか警告しておく事がある」と彼は静かな声で言った。
「彼は……驚かされたり、特に触られるとまずい反射を示す。反射は素早く、時に致命的でさえある。彼が誰かの心臓を引き抜く云々と言う時は、冗談を言っている訳じゃ無いんだ。彼がそうするのを実際見たことがある。少なくとも、僕が見た全ての例でちゃんとした理由があったけどね。彼は人を殺すために武器を必要としない‐彼自身がまさに武器だ。僕がそう言ったなんて言うなよ、さもないと彼は僕の心臓を引き抜きたがるだろうからね。そう言われる事を彼は憎んでいる。それと僕の事も、なぜなら彼をそんな風にしてしまったのはメイジで、僕もメイジだから」
「とにかく、彼は背後で彼のことを話されるのを憎むし、じろじろ見られるのも憎む。それと他の人が彼を見て恐がったり、彼を見るのを避けるのも憎む。君たちが何か言ったり何かしたり、しなかったりするのを、当たり前のように彼は憎む。あるいは少なくとも、ひどく嫌がる。例外はワインを飲むことと、何かを殺すことと、セバスチャンと話すことで、これは彼が好きなことだ。とは言っても彼が本当にセバスチャンのことを気に入っているのか、あるいは彼が会った全ての中で一番嫌う度合いが低いというだけなのか、僕にはよく判らなかったけどね」

ドゥーガルは微かに鼻を鳴らした。「軍隊に居た時分に出会った連中とよく似てますな。何人かは本物のクソッタレでしたよ――大体の場合は連中を殺したいと思っている、そして戦闘が始まるやいなや、連中の大の親友になりたいと思うようになるんです」

アンダースは僅かに笑みを向けた。「そんな感じだな。彼は僕が一生の間に出会った中でも、格段に優れた戦士だと言っていい。比べる相手の中には悪名高きグレイ・ウォーデンの戦士も入ってるよ、もしそれに何か意味が有るとすればね。彼が人を殺すために武器を必要としないと言ったけれど……まあ、彼の手に剣を持たせたら、特にお気に入りのでかい両手剣なら、もはや彼を止められるものはほとんど無いだろう。セバスチャンも僕も、カークウォールに居た時分に彼に幾度も命を助けられた。幸いなことに逆もまた真なりで、そうで無かったら僕は彼と出会った5秒後には、床に内臓をぶちまけられていただろうよ。彼は本当に、本当に、メイジを憎んでいるから」

「とにかく、彼を見くびらないこと。彼は弱っていて無力なように見えるかも知れないが、とんでもない。彼の部屋に近付く時は必ず音を立てて、部屋に入る前に起きているかどうか確めて、入っていいかどうか聞くこと。決して、最初に聞かずに彼に触ってはいけない、そしてもし彼にどうしても触れる必要がある場合は‐多分君はそうせざるを得ないだろうね、ドゥーガル、彼は足が十分治って歩けるようになるまで手助けを必要とするだろうから‐あの線には出来るだけ触らないように」

「痛むのですか?」とシスター・マウラが眉をひそめながら言った。

アンダースは頷いた。「大抵の場合は、そうなる。あの紋様は魔法の存在下で……思いがけない反応を示すんだ。ある時、彼に戦い続けさせるために折れた肋骨を僕が治療しなくてはいけなくて、それが彼にくすぐったさを感じさせたせいで、彼がもう本当に僕を殺す寸前までなった事があった。骨は魔法で治療してもゆっくりとしか治らない。だから治療にはしばらく時間が掛かって、その間彼はずっとくすぐったがっていて……終いには彼の自制心が擦り切れてしまった」

「とにかく、楽しい気違いエルフの話はこれくらいにしよう、足の手当てをしたせいで僕はまた顔から倒れ込みそうだ。うちに帰って本物の睡眠を取ることにするよ。明日の朝真っ先に彼の様子を見に来よう」

ドゥーガルとシスター・マウラは頷いて彼に別れの挨拶をすると、フェンリスの手当てで散らばったゴミや何かを片付けに掛かった。


セバスチャンは彼の髪を手で梳いた。「すると彼らから聞き出すことが出来たのはそれで全部か?」と彼はセリン衛兵隊長に尋ねた。

セリンは頷いた。「左様です。まだこれと言って話したがる様子は見せていません。あと一日か二日留めておけば、話をしようとするかも知れません。あそこに居た他の男達で、計画に関係していないと思われる者達については、どうすべきでしょうか?」

「彼らも全部話を聞いたのだな?」

「左様です、発言は全て書き留めてあります。彼らの身元についても、他の避難民から聞いてみた所概ね判明致しました」

「判った。彼らは釈放しろ、ただし数日後に事が落ち着いてから私が話を聞くかも知れないと伝えておくように」

セリンは頷くと立ち去った。セバスチャンは椅子に疲れた様子でもたれ掛かると、溜め息をついた。前の晩ベッドに入ったのは随分遅くになってからだったし、今朝も前日の、まさにすんでの所で死を免れた出来事に落ち着いていることが出来ず、早くに目が覚めた。

アンダースとフェンリスに言った彼の言葉、彼らをここに再び呼び寄せたのは何かの宿命だとする彼の信念と、当初の上機嫌とは裏腹に、如何にぎりぎりで死を免れたかという事に彼はまだひどく心が乱れているのを感じていた。

彼の死を望んでいる誰かが居ると言う事実も、慰めにはならなかった。彼は死に値するとあの男達を説得して、この攻撃を実行させた誰かがいる。セリンはまだ彼らから、十分な情報を引き出すには至っていなかったが、セバスチャンにはそれが誰であったか、うすうす嫌な想像が付いていた。その人生において、シーカーとしての高い立場にも関わらず骨惜しみすることが無かったであろう、一人のテンプラー。ディヴァイン自らに信用され、彼女の意志に従いテダス中で働いている、彼女の眼と耳として、また必要に応じては両手として。

そしてもし、この攻撃の背後に居るのがシーカー・レイナードだとしたら、ディヴァインはその事に気づいているのだろうか?彼女からの承認あっての事だろうか?答えを知る術は無く、またいずれの答えも彼は恐れていた‐ディヴァインが、彼女のもっとも信頼する使用人に対する支配力を失っているのか、あるいはその権力が向けられるべき対象を大きく外した行動を、彼女が支持しているのか。宗教上の権威による世俗の支配者への攻撃は、必ずや極めて広範囲に影響を及ぼすだろう。教会と国家は分離していなくてはならず、宗教と世俗の長達は、支配下にある人々を守護するために友好的な協調関係をもって働くべきであって、対立すべきでは無かった。

そう、もちろん過去においては宗教権力が乱用される事もしばしばあった。例えば、オーレイによるフェラルデン侵攻の際には、フェラルデン大司教は彼女の支持を隠そうともせず、侵略者達を両手を広げて歓迎した。そればかりか彼女の故郷の人々に対して、フェラルデンを征服する事がオーレイの運命でありメイカーのご意志が指し示す所であると、言い訳がましい論拠を作り上げて、彼らに服従することが宗教的に正しいと説得するのに彼女は全力を尽くした。
今はオーレイに本拠を置くチャントリーが、彼らの国より遅れた小さな田舎からアンドラステとマフェラスが誕生し、そして彼らの軍勢がテヴィンター帝国を転覆させ、アンドラステ信仰の基礎を作り上げたという事実を決して忘れることが出来ないというのが、この常軌を逸した行動の原因の一つだろうと彼は考えていた。彼らの遺骸さえフェラルデン国境内に眠っていると言われている‐アンダースの語った話によれば、まさにそれは真実だったと示された事を、彼は思い返していた。

それでも、現時点に置いてはあのシーカーが彼への襲撃の背後に居たと言う証拠は何も無く、ただの想像に過ぎなかった。彼は更に考えに沈むと、それから診療所に行ってフェンリスと話をしようと決心した。あのエルフが、彼に会うことを喜ぶことは知っていたし、彼自身再び彼と話が出来るようになるのを待ち望んでいた。カークウォールで過ごした年月の間で、数少ない懐かしい思い出の一つが、彼とエルフがお互いのみを仲間として、フェンリスの住処でしばしば過ごした夜のことだった。フェンリスが一本‐あるいは二本の‐ワインの瓶を手に持って椅子にゆったりともたれ掛かり、まるで水のようにワインをがぶ飲みする間、セバスチャンは十分に水で割ったワインの杯を時折啜りながら、時には数時間、その時彼らの興味を引いた事柄について話し合った。

最初に彼がたまたま何かの拍子でリヴァイニの哲学者を引き合いに出した時、フェンリスだけがその男の言葉に対し十分な理論付けのある異議をもって答え、それを聞いてどれ程驚いたかを、彼は思い出していた。あのエルフが自らの過去を思い出せず、ごく最近まで読み書きさえ出来なかったとしても、彼は鋭い知性と極めて優れた記憶力を持っていた。彼はかつての主人、ダナリアスの護衛として数年間をテヴィンター帝国の議会やサロンで過ごしてきた。そこで彼は会話を漏れ聞き、記憶し、それらについて深い所まで理知的に考えていた。彼の記憶は‐哲学に魔法の性質、宗教や道徳、倫理、それ以外にも様々な事柄に関する‐セバスチャンがそれまで会って話をした事がある誰よりも、数多くの朗読や討論に及んでいた。

彼ら二人の意見が一致することはそれほど多くは無かったが、それでも彼らの会話はいつも楽しく、興味深いものだった。単に優れた戦闘技能だけに留まらず、鋭い機知と、再び誰にも服従することを拒む固い信念を持つエルフのことを、彼は深く尊敬していた。彼らの友情を理解する者は少なかっただろう…様々な意味において対立する二人の出会い、大公かつプリーストであるかつての遊び人と、痛めつけられた無宗教の逃亡奴隷の、ありそうに無い交流。しかしそれでも彼にとっては大切な出会いであり、再開出来る機会が与えられたことを嬉しく思う友情であった。


ドゥーガルの、彼の姿を見て何やら救われたような表情に、戸口から入りながら彼は気が付いた。フェンリスは既にいつもの魅力的な姿であったに違いなかった。「患者の様子はどうだ?」と彼は男に尋ねた。

ドゥーガルはあきれた表情を見せた。「随分良くなって、アンダースによれば、素晴らしい状態だそうです」

「目が覚めているし、聞こえてもいる」とフェンリスが廊下の向こうから、苛々した響きの声で呼ばわった。

セバスチャンはニヤリと笑うと、ドゥーガルに頷き、廊下を通って前日にフェンリスを残していった部屋の扉にもたれ掛かった。

エルフは寝床の片方を付けた壁にもたれて座っており、いつもの不機嫌な様子で両腕を胸の前で組み、額の前に覆い被さった髪の毛の向こうから彼を睨み付けていた。
「様子を見に来るまでに随分掛かったじゃないか」と彼はうなるように言った。

「そうだな、まあ、残念ながら私には統治すべき国があってね、それに暗殺未遂事件についてもちょっとした調査があった。まだ背後に居るのが誰かははっきりとは判っていないが、私なりの推測はある」とセバスチャンは言うと、歩み寄って寝床の反対側の端に腰を掛けた。

「ほう?」と尋ねて、フェンリスはまっすぐ座り直すと興味を示したように見えた。

セバスチャンは一瞬眉をひそめた。誰かに漏れ聞こえる所で彼の疑いについて話すのは‐とりわけ、チャントリーに属する誰かに‐恐らく良い考えとは言えないだろう。「また別の機会に話そう」と彼は軽く言った。「長い話でね」

フェンリスはうめくような声を漏らすと、壁に向かってもっと居心地の良いように座り直した。この男はまるで猫のようだと、セバスチャンは時々思うことがあった。居心地が悪いに違いないような姿勢で手足を投げ出して座り、しかもどうしたものかゆったり寛いだ様子に見える辺りが。彼の友人が猫との比較を歓迎するかどうか疑わしいため、彼は笑い顔を覆い隠した。

「今日は足の様子はどうだ?」と彼は尋ねた。

フェンリスは鼻に皺を寄せた。「痒い。あのアポステイトはそれが足が上手く治りつつある印だと言った、そこの神経に永久的な損傷が無い証拠だとな。しかも俺に掻いたり擦ったりするなと言った。俺は今日ずっと、これがあいつの巧妙な拷問では無いかと思っていたところだ」

「そうだったらいいなと思ってるだけだろう」と声が聞こえ、彼らが見上げるとアンダースが子猫を片手に抱えて戸口にもたれているのが目に入った。
「やあ、セバスチャン。僕のお気に入りの患者の様子と、僕の助手を彼が殺していないことを確認しに来ただけだよ。彼らは掛け替えのない人達なんだからね」と彼は、最後の台詞をフェンリスに向けて言った。

フェンリスは彼を睨み付けた。
「俺の様子はもう見ただろう、さっさとあっちに行け」と彼は吐き捨てた。

「おや、おや!まだだよ。君に渡す物がある」と彼は言うと、小さな陶器製の容器を取り出した。
「これはシスター・マウラに礼を言ってくれよ。彼女が作った軟膏で、痒みを抑えるのに効果があるはずだ」と彼は説明すると、容器をフェンリスに向けて投げた。フェンリスは彼の睨み付ける視線をいささかも減じること無く、容器を楽々と空中で受け取った。

アンダースはセバスチャンの方に顔を向けた。「もし彼が足を使わないで居られるなら、何時でも診療所から出て行って大丈夫だ‐今の時点で彼にこれ以上出来る事は何も無いし、食事と休養は他所の方が簡単に手に入るだろうからね」

セバスチャンは頷いて言った。「判ったよ。ありがとう、アンダース」

アンダースはニヤッと顔を歪めた。「僕の出来る事と言ったらこれくらいだからね。そのエルフにまた手当てが必要になったら、僕がどこに居るかはご存じだ」と彼は付け加えると立ち去った。

フェンリスは眉をひそめて足を組むと、容器の蓋を開けて内容物の匂いをフンフンと嗅ぎ、それから少しばかり指ですくって、彼の足の裏を覆っている柔らかなピンク色の皮膚にすり込み始めた。
「君はまだ、あのメイジがなぜ生きて、しかもここに居るのか説明していなかったな」と彼は指摘した。
「君がカークウォールを発った時には、君は完全に彼の死刑を決意していたように見えたが」

セバスチャンは渋い顔をした。「それもまた長い話になる。君のための担架を用意できるか見てみよう、それから君が城の中の適当な部屋に落ち着いたら、二人座ってゆっくり話が出来る」

フェンリスは頷いた。「それでいい」と彼は用心深く同意すると、溜め息を一つついた。
「出る時にあの女性に礼を言うのを思い出させてくれ。彼女の軟膏は良く効く」

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第29章 巧妙な拷問 への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    フェンリスw
    ホレ( ・ω・)ノ【ムヒα】

    そういえば、昔読んでたEllis PetersのCadfaelシリーズで
    修道士(修道院)の細かい描写がありました。
    一日四回の祈りの合間に、蜂蜜酒を仕込んだり薬を作ったり、
    農作業中に怪我人が出たら往診したり。
    (主人公は薬草園を管理してる退役した兵士で)
    時代は随分さかのぼって12~3世紀頃の話だったと思いますが

    きっとシスター・マウラも(彼女の場合は尼僧院かな?)
    せっせとお薬作ってるんでしょうねw

    • Laffy のコメント:

      おお。私はNHKだったかな、夜中にやっていたドラマの方で見ました>修道士カドフェル
      あのおじさんが格好いいんだ(笑)確か十字軍にも参加した元騎士ですよね。

      シスター・マウラは多分教会の裏とかで怪しげな薬草を沢山育てていて、必要に応じて取ってきては煮出したりすり潰したりして薬を作ってるんですよ、きっとw

      蜂蜜酒いいですねー。ワインの作れるようなブドウが育たない地方(多分ウェールズ地方も寒すぎて駄目でしょう)でも飲める。Skyrimの中でも出てきましたね。多分養蜂もしていたのでしょう。

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