第47章 朝の遠乗り

第47章 朝の遠乗り


馴染みのある声が彼の名を呼ぶのを聞いて、フェンリスは顔を上げた。アリに馬具をつける手を止めると、彼は男に暖かい笑顔を見せた。
「セバスチャン、おはよう」

「君が朝早くから遠乗りに出ると言っていたのを思い出してね。今朝は予定が無いから、一度だけ私も一緒に行こうと思ったのだ」とセバスチャンは言った。
「構わないか?」

「もちろん」と彼は言ったが、とはいえ少しばかり問題はあった。彼は遠乗りではアリと彼だけの孤独感を楽しんでいたし、セバスチャンが同行するというのは、彼の護衛の一群が共に付いてくるということも意味していた。彼は速やかに予定を修正し、郊外の雪に覆われた丘陵を全速力で駆け抜ける、彼好みの道筋の代わりに、街の中を通り抜ける穏やかな道行きを選ぶことにした。とはいえずっと街の中ばかりではなく、少しは壁の外に出るのも悪くはないと思われた。それほど街から離れたところへは行かないにしても。

セバスチャンと護衛達が馬の準備をするため数分待った後、皆馬に乗って穏やかな足取りで城の敷地を出ると上町を通り抜けて最寄りの門へ向かった。それから彼らは歩調を速め、街の壁に沿う街道を速歩で進み、川の方向へ北上した。フェンリスが川沿いに続く街道の手前で広い小道の方に馬を進めると、一行は更に速度を上げてしばらく駆足で馬を走らせ、目下に広がる美しい景色を楽しめる丘の頂上にたどり着くと、ようやく歩調を緩めた。彼らはしばらくそこで小休止してあたりを散策し、冬の景色を満喫した。

「私はこの地が大好きだ」フェンリスと共にある所で立ち止まり、丘の北斜面に広がる、今は雪に覆われたワイン畑を眺めながら、セバスチャンは静かな声で言った。
「両親が私の、三番目の望まれぬ息子の野心をどれほど恐れていたとしても、少年の頃にここを統治したいと思ったことは一度も無かった。どこかに小さな荘園を持って、その領地に腰を据え、その地を監督し人々を見守ることが出来れば十分だった。しかしその代わりに私はチャントリーに落ち着き、そして今では……結局は、この地は全て私の物になった」

フェンリスは彼の顔を見やった。「心残りは無いのか?」

「多少は、あるかもしれないな。私の家族と私は、一度も親密だったことは無かった。彼らの死を望んでいた訳では決して無かったにせよ、あの事件の知らせを聞いた時に感じた怒りの半ば近くは、本来感じるべき深い悲嘆を私が感じられなかったせいでは無かったかと思うことがある。それに私は……チャントリーでの人生に満足していた。満足するだけでは無く、そこで聖職者として義務を果たすことに喜びを見いだすようになっていた。だから心残りがあるとしたら……その喜びが失われてしまったことだろう。今でも私はチャントリーのブラザーだが、もはや聖職者ではない」
彼はそういうとワイン畑から目線を逸らせ、元来た丘の頂上の方へゆっくりと戻り始めた。

「聖職者として再び身を捧げるか、それともここに戻りこの地を統治する重責を担うか、私が長い間決めかねていたのは、私の野心に対する両親の懸念が結局正しかったと見られることを恐れていたのかも知れないな」と彼は独りごちた。
「あるいは、少なくともそこそこ聖職者としては良い出来だったとしても、統治者としてはふさわしくない人物だと判るのを恐れていたのか。それとも聖職者であることには満足出来ても、ここでは自分は満足出来ないのではないかと」

彼らはしばらくの間黙って歩いていたが、再び北に遠くマイナンター川の本流を見おろす所で立ち止まった。
「それで、今は満足していると?」しばらくしてフェンリスが尋ねた。

セバスチャンは微笑んだ。「ああ。少年の頃持ちたいと思っていた小さな荘園より遙かに大きいが、私の愛するこの地を護り、私の領民を導くというのは実にやり甲斐のある仕事だ。以前カークウォールの人々に対して善き聖職者であろうとしたように、ここの領民に対して善き大公であろうと努めるつもりだ。実際、この二つの役割はそれほどかけ離れたものではない。以前の私が聖職者として人々の内面を気に掛けていたのに対して、ここでは外面を気に掛けるという違いがあるだけだ」

フェンリスは頷いた。彼らは再び騎乗すると、丘を下ってマイナンター側の支流沿いの、今度は別の門から街へ戻ることにした。一行は川沿いの景色を楽しんでいたが、フェンリスが護衛達の少しばかり不安げな表情に気付くまで、それほど長くは掛からなかった。倉庫に店舗、工房、貸し家がぎっしりと立ち並び、さらには民宿に宿屋、売春宿、そしてそれらを利用する貧しい労働者達で混み合った街の川沿いの一角は、あるいは大公と連れだって行くにはあまり宜しくない道程だったかも知れない。
もちろん彼自身は幾度となくここを馬で通り抜けていたが、しかし一方では地元の乱暴者達が、この襲ってくれと言わんばかりにお上品な装いをしたエルフは喧嘩相手としては全く相応しくないと、身に染みて理解するまでには幾度かごたごたがあり、しかもかなり血生臭い結末になりがちだった。

彼はセバスチャンの方をちらっと見たが、大公自身は全く心配した様子を見せず辺りを興味深そうに眺めていた。
「確か、ここらにかなり立派な売春宿があった、大昔の話だ」彼はそういうと、通りの片隅を占める荒れ果てた建物の廃墟に向けて頭を振った。屋根は半ば焼け落ち、建物の一階部分を利用して安物を売る屋台が軒を並べていた。
「メイカーズ・ブレス!私はいったいどれだけの時間と金を浪費したのだろうか。昔はここの売春宿と、その下にあった酒場で時間を潰すのがお決まりだった。両親はむしろ、私の実際の行動より、場所の選択に頭を悩ませていたようだったな」
彼はそういうと、微かに歪んだ笑みを唇に浮かべた。
「真ん中の兄が、上町にある上流階級御用達の施設で過ごすことには両親は文句は言わなかったからね。そちらはまだ世間体が良かったんだろう、私と違って」

フェンリスは微笑んだ。「君の派手な過去のことは時々忘れそうになる」と彼は言った。

セバスチャンは鼻を鳴らした。「もっと大勢がそうしてくれればいいのだが。カークウォールで過ごした年月を見ていないせいで、ここの貴族達の多くは私がチャントリーにやっかい払いされる前の、反抗的な馬鹿息子のままだろうと予想していた。そうでない僅かな者は、信心ぶった堅物だろうとね。恐らく両方ともひどく驚いただろうな……彼らは最近になってようやく、本物の私に慣れてきた」

フェンリスは込み上げてきた笑みを覆い隠した。
「ここに戻った当初の数週間は、君はさぞかし色々な……興味深い出迎えを受けたことだろうな」と彼は推測した。

「まさにその通り」とセバスチャンは眼に楽しげな輝きを浮かべて同意した。
「私の好意を勝ち取ろうと志す者も、果たして愛らしい少女と、聖歌の詩集のどちらを寄越したものかと決めかねていたようだ。どちらでも多少は楽しめたがね、少なくとも可愛らしい少女達が彼らの娘で無かったとしたら。あるいは彼ら自身の愛人か」彼はちょっとの間声を硬くしてそう付け加えると、それから諦めたように溜め息を付いた。
「いつの日か、私は純潔の誓いを取り下げて結婚し跡継ぎをもうけるか、あるいは遠い従兄弟達の誰かを選んで養子にとる必要があるというのは判っているが、今のところ急いでどうこうという話でも無い」

話をしている間に彼らは混み合った建物と間の、相当広い空き地へと来ていた。周囲を通りに取り囲まれたその場所は、見渡す限り屋台と売店、建物の店の正面で埋め尽くされた市場となっていた。セバスチャンは興味深げに周囲を見渡した。

「私の若い頃からここは随分変わったようだ」と彼は認めた。「以前はこの場所の中央に大きな建物があったはずだな?」と彼は護衛達の方を振り返って尋ねた。

「はい、閣下」と一人が声を上げた。「船長ギルドの古い集会所が。有る年の冬に……火事で焼け落ちました、確か9年か10年前かと。新しい集会所はどこか別の場所に建てたので、焼け跡が崩れ落ちた後は、街の人々が市場として利用するようになりました」

セバスチャンは頷いた。「市場には良い場所だものな。さあ、フェンリス、中を見物してみよう」と彼は言うと馬から下りて、手綱を護衛の一人に渡した。フェンリスも頷いて同じことをした。

「お前達は馬と待っていればいい」とセバスチャンは護衛達に指示した。「市場の中のどこに居ようと私達に眼は届くだろう。用があった際に備えて、二人だけ付いてくるように」

護衛の一群を率いる指揮官は頷くと、部下のうち二人に大公と同行するように命じた。うち一人はさっきの古いギルド集会所のことを知っていた男で、恐らくあたりの事情に詳しいものと思われた。

セバスチャンは売店の隙間の細道を歩きながら笑顔を浮かべた。
「ロータウンの市場を思い出すな」と彼はあたりを評していった。

「ああ、こちらの方が嫌な匂いは少ないか」とフェンリスは同意したが、うず高く魚を積み上げた長いカウンターの前に彼らが差し掛かると、嫌そうな顔をして道の反対側へ寄った。
「それか少なくとも、別の匂いだ」

セバスチャンは声を出して笑うと、そのカウンターの片側の端に置かれた大理石の台の上で堂々たる姿を見せている、相当な大きさのチョウザメを興味深そうに見つめて、店の主人とその驚くべき大きさについて言葉を交わし、店主は明らかに大層喜んだようだった。

ヴェイル大公その人が彼らのみすぼらしい市場にお忍びで訪れているとの知らせは、速やかに近辺の庶民の間に広がった。フェンリスは彼のことを指して「エルフ公」と呼ぶ声を耳にして、微かに耳が熱くなるのを感じた。無論彼は公でも王子でも無かったが、しかしそう呼ぶ声を聞くようになってから暫く経っていた。最初に彼が冬の礼装を着て、アリに乗って街中を通り抜けた時に始まったその呼び名は、どれ程文句を言った所でなくなるものではないと判っていても、どうにも好きになれそうになかった。
少なくとも、最初聞いた時のように彼が腹を立てることはなくなっていた。時には彼は……そう、ヒューマンと彼らの身分に対する拘りについて面白く思うこともあったし、もちろん呼ばれた時にきまりの悪い思いをするのは間違い無かったが、しかしそれだけのことであった。

彼はセバスチャンの方をちらっと眺めやって、本物がその言葉を聞き逃してくれているようにと願ったが、しかし男の顔に浮かぶ澄ました笑みからは、セバスチャンは間違い無く気付いていて -しかも面白がっているようだった。
「エルフ公ですかな?」彼らが小道の角を曲がって、安い装飾品に安物の衣服を並べている屋台が建ち並ぶ通りを進みながら、彼は澄ました声で言った。

「判っているくせに」とフェンリスは言うと、険しい顔で彼を睨み付けた。
「もしその言葉をあのメイジに聞こえる所で使おうものなら、間違い無く君の心臓を胸から引きずりだしてやるからな」

セバスチャンは愉快そうに大声で笑うと、それからスカーフと肩掛けがつり下げられた屋台の前で立ち止まった。
「ほう、これは随分見事な品じゃないか」彼は嬉しそうに言った。
「デーリッシュ産だ、そうだな?」

カウンターの後ろに居たそのエルフの女性は頷き、大きな眼には恐れと喜びが半分ずつ浮かんでいた -彼女の商品がそうも褒めて貰えた喜びと、褒めているその人物に対する恐れと。
「は、は、はい、閣下」彼女はどもりながら言った。「私の父の弟がデーリッシュです、ここで売って、代わりに街の物を買うために父に品物を送ってきてくれます」
消えいるような声で説明する間も彼女は、、自分の服の布地をくしゃくしゃに握りしめていた。

セバスチャンは大判の肩掛けの縁取りをそっと指で撫でた。
「これを見ろフェンリス、この金と緑色の布地は、まるでメリルがいつも身に付けていたスカーフとそっくりだ」

「そうでも無い、模様が随分違っているからな」とフェンリスは近くに寄って眺めてみてから言った。
「彼女のスカーフには薬草学に基づく文様が織り込まれていて、キーパー・マラサリのファーストだということを表していた。こちらは単に花模様で誰でも着られる。だが色使いは確かによく似ている」

セバスチャンはその屋台から立ち去ろうとしていたが、明るい金色のスカーフが目を引いて彼は立ち止まった。彼は微笑みながら、昨晩のアンダースとの、どれ程昔の彼が綺麗できらきらした飾り物を大事にしていたかといった会話を思い出していた。金のイヤリングはさぞ彼の目と髪の色を引き立たせたことだろう。彼は嬉しそうな笑みを浮かべ、その柔らかな長い布地を取り上げると、早くも男の首に掛けた時の様子を想像していた。随分見栄えが良さそうだ。さらにその屋台には、深緑色の生地に、きらきら輝く銀糸で繊細な幾何学模様が編み込まれたスカーフもあった -フェンリスに完璧に似合う。彼自身にも一枚買うことにして、白地にまるで星を散りばめたような金色の模様が刺しゅうされている一枚を選んだ。

「これがいい」彼は暖かく女性に言った。「いくらかな?」

エルフの女性は即座に差し上げますと言ったが、それでも彼が正当な対価を払うと主張すると、馬鹿げて低い値段を言い出した。彼は頭を振ると笑みを浮かべ、彼女に向けて指を振って見せた。
「正当な対価を教えて貰えないのであれば、私が決めることにしよう」
彼はそう言うと、金貨を三枚数えてカウンターの上に置いた -実際の価値の数倍にはなっただろうが、彼は気前の良い所を見せたい気分だった。彼は白いスカーフを自分の首に巻くと、緑のをフェンリスに手渡した。エルフはウィックド・グレイスをプレイする時によくやっていた、微かに顔をしかめたお決まりの表情をしていたが、黙ってスカーフを受け取ると首に巻いた。

「そろそろ城に戻らないといけないな、おおかた昼食の時間だ」とセバスチャンは言うと、護衛と馬達が待つほうに戻り始めた。

彼らが再び騎乗して市場から立ち去ろうとした時、フェンリスが話しかけた。
「君はまさしく今日彼女に一財産をもたらしたというのは、判っているんだろうな?」と彼は静かに尋ねた。

「何だって、たった金貨三枚から?」

「いいや、大公ご贔屓の看板と、デーリッシュ文様のスカーフと肩掛けの新しい流行が今日突然始まったせいだな」フェンリスは淡々と言った。
「この街でそれを供給出来るのは、彼女の他にはごく僅かしか居ないだろう」

セバスチャンはニヤッと笑った。
「それ以外にも、当然みな私が買ったのと同じ店から買いたがるな -もっとも、私が支払った価格を見習おうというものは少ないだろうが」

「ならどうしてそんなことを?」

セバスチャンは肩をすくめた。「構わないだろう。本当に綺麗なスカーフなのだから」

フェンリスは鼻を鳴らすと、その話題を止めにした。

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第47章 朝の遠乗り への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    おしゃれ装備の レベルが 3上がった!

    マネーバランスガン無視のヴェイル公パネェッすw
    あとアレですね、フェンリスには是非メーテルさん
    みたいな毛皮の帽子を被せたいですw

  2. Laffy のコメント:

    コメントありがとうございます(^.^)。48章も半分書けたけど残りは明日(‘_’) アンダースお前何考えとるねん、と突っ込んでたら時間経ちすぎてしまいました。
    ロシアン風味の円筒帽子ですね!それは良い、ついでにボルゾイも付けてアンダースとおそろにしてあげましょう。
    ゼブランが被ると顔がちっこすぎて、眼のところまで被ってしまうとかww

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