第48章 昼食

第48章 昼食


アンダースはセバスチャンの居間に入って、誰もいないことに驚いた。大抵誰か一人は必ず彼が到着する前に部屋に居て、記憶にある限り彼が最初だったのは、今回が初めてだった。少なくとも召使い達は既に昼食の準備を整えていて、テーブルの中央には覆いを掛けた大皿が並べられ、いくつかの皿の下には容器の中でごく小さな火が灯されて中身を温かく保ち、また別の皿は氷の入った器の上で冷たく冷やされていた。

彼は先に座って食事を取り分けていようか、それとも後の二人が来るのを待とうかとためらったが、ちょうどその時居室の扉が開いてセバスチャンとフェンリスが入ってきた。明らかにたった今乗馬から戻ったという様子で、二人とも寒さに上気し少しばかり馬の匂いがしていた。二人の外套の背中から首に掛けて、鮮やかな色使いが特徴のデーリッシュのスカーフが巻かれていた。どちらもそれまで、身に付けている所を見たことが無い物だった。

今朝の夢はその時までに記憶から消えているだろうと、彼は微かに希望を持っていたが、明るく眼を輝かせたセバスチャンを見た瞬間全ての望みは打ち砕かれた。彼の反抗的な心は実に嬉しそうに、明るい笑みを浮かべ頬を赤く染めた大公の顔を、夢の中の、彼の下で快感に背を反らせる男の裸体に重ね合わせた。彼は急いで顔を背け、決まり悪さから彼の頬が赤くなっていないことを願った。アッシュを椅子に降ろしてから彼は自分の皿に注目して、手前の大皿の覆いを持ち上げると中身を覗いた。
「ずっと遠乗りに出ていたのか?」二人がかさばる外套を脱いで長椅子の背に被せるのを見ながら、彼は気楽な声を装って尋ねた。

「ああ。うってつけの良い天気だった」セバスチャンは気軽に答えると、彼のいつもの席に着いて料理を盛りつけ始めた。
「街の壁の外を少しばかり走った後、船着き場のある下町の方に行って、市場を見物してきたよ」

「どちらかというとロータウンの市場に似ていたな、ただもっと広くて品物も色々あった」とフェンリスが口を挟むと、一つの大皿の覆いを持ち上げてしかめっ面をした。
「魚だ」と彼は嫌そうな声で言った。

「そう、魚もあったな、他の品物に混じって」とセバスチャンが同意した。

「いや、これが何か魚料理の類だと言う意味だ」とフェンリスは言うと、しっかりと蓋を元に戻した。

「ほら、こっちに鶏肉のハーブ焼きがあるよ」とアンダースは助け船を出した。

フェンリスは頷くと鶏の料理を幾らか取り、セバスチャンとアンダースは共に魚料理を取った‐セバスチャンはもちろん自分用に、アンダースはといえば、魚の欠片から丁寧に骨を一本残らず取ってからアッシュに少しずつ分けてやった。猫は彼の膝の上に座って彼に注目し、ご馳走を貰っては大きく喉を鳴らした。

彼は皿に自分用の料理を取りながら頑なに目線をセバスチャンから逸らせ、結果として代わりにフェンリスを見つめる事になった。実際エルフの首もとに掛けられたスカーフは大層美しく、緑と銀の彩りは彼のエメラルド色の眼と銀白色の髪、さらには銀色のリリウムの紋様を際立たせていた。若い頃の彼が似たようなスカーフをどれほど好きだったかを思い出し、彼はその布きれが突然欲しくなった。とは言っても緑と銀色では無いが。彼は自分に緑色も似合うことは知っていたが、寒色ならどちらかというと緑掛かった青色が好みで、それにもちろん銀よりは断然金色だった。

セバスチャンも同様に首元にスカーフを巻いているのに気付いて、彼はそれらのことが気になりだした。店の主人からの贈り物だろうか?あるいはもっと個人的な贈り物だとしたら、どちらが買ったのだろうか。それとも……あるいはひょっとすると、二人がお互いのために買ったものだろうか。彼は突然、胸に嫉妬の痛みが走ったのに気付いた。

今もフェンリスは、セバスチャンの言ったことに声を出して笑っていた。このエルフは実際凛々しい美形だったし、彼とセバスチャンはもう何年も親しい友人だった。エルフがスタークヘイブンにやって来てから、彼らの友情が何か、その……より近しい物に変わったとしても、アンダースがとやかく言うことは出来そうに無かった。何しろフェンリスはセバスチャンの命を救ったのだし、そういった事が相手との結びつきを強めるのは、良くあることだった‐ 彼自身と大公との友情が育ちつつあるのもその証拠だ、特にセバスチャンが彼の……

友情。それで一体何時から、彼は自分自身をセバスチャンの単なる囚人ではなく友人だと考え始めたのか?確かに彼らの関係は、およそ典型的な囚人と看守のそれでは無かった。ここでこうやって共に昼食を取り、昨晩も一緒に酒を飲んだのが良い証拠だった。カークウォールでの事件の後で、彼にセバスチャンのことを友人と考える資格など無かったが、それでもやはり……そう感じていた。今日までの人生で信頼することの出来た本当に少数の人々と同じくらい、彼はこの男を信頼していた。フェンリスのことも彼は信頼していたが、全く同じというわけでは無いように思われた。

「今日は随分と静かだな、アンダース」とセバスチャンが彼の様子に気付いた。「診療所がまた忙しかったのか?」

「えっ?ああ、いや……ちょっと考え事をしていてね」彼は言うと、大慌てでセバスチャンの注目を何か別の事に向けさせようとした。もし大公が彼のことをずっと見ていたら、また顔が赤くなるのは間違い無いと思われた。

「フェンリス、昨日の話だけど読み方の練習を午後から始めるというのはどうだろう?それとも、君は忙しいか?」

フェンリスはやや驚いたように見えたが、それから喜んで頷いた。アンダースは、彼が読み方を教えると言ったのを忘れるだろうとエルフが予測していたのでは無いかと、ふと思った。
「今日は予定は無い」とフェンリスはまじめくさった顔で言った。

「そして私は残念ながら、予定がある」セバスチャンはしかめっ面をすると言った。
「またギルドマスターとの会合だ。ともあれ喜ばしい話だ、避難民の中から腕利きの職人を探して、ここスタークヘイブンで再出発させようというお前の考えだが、ようやく詳細な詰めの計画がまとまった。彼らは今日、そういった人々が何人居るのかを私に知らせることになっている」

アンダースは頷くと、嬉しげに微笑んだ。「それは良い話だね」とセバスチャンが席を立つのを見ながら彼も同意した。

「おっと、忘れる所だった。お前に贈り物だ」セバスチャンはそう言って一握りほどの明るい布地をベルトの小物入れから取り出すと、振って伸ばしてから驚いた顔のメイジに差し出した。
「金色が好きだと言っていたのを思い出してね」と彼は白い歯を見せて笑いながら言った。

アンダースはためらいながらスカーフを受け取ると、その布の繊細な柔らかさに驚嘆し、彼にも贈り物があったことに驚いて嬉しく思った。彼は明るく微笑むとスカーフを首の周りに巻いた。
「ありがとう、綺麗だな」と彼は穏やかな声で言った。

セバスチャンは頷き喜んだ様子で、部屋から出て行った。

やれやれ。そうするとセバスチャンとフェンリスの二人だけの記念品というわけでは無かったか。あるいは少なくとも、そうでは無い可能性はある‐あの抜け目ない大公が、もし本当にフェンリスと出来ていて、それを隠したいと望んでいたとしたら、二人両方に贈り物をする位はすぐ考えつくだろう、それなら贈り物の本当の意味は誰にも判りっこない。
それでも……これが深い意味の無い気軽な贈り物であろうと無かろうと、セバスチャンが彼の好みの色を覚えていてくれたことが、彼は心から嬉しかった。

「食事は済んだか?」彼はフェンリスに明るく尋ねた。「僕の書斎に降りて、早速練習を始めようじゃないか」


彼らが共に食卓を囲んでから、アンダースがフェンリスを見つめている様子にセバスチャンが気付くまで、それほど長い時間は掛からなかった。見るからに称賛する様子で、メイジはエルフの方をかなりの間じっと見つめていた。そうしたからといって責めることは彼には出来そうになかった、特に今日のような寒い日にアリに乗って出かけた後の、上気した幸せそうな表情のフェンリスはとりわけ魅力的だった。

若かりし頃の彼自身なら、エルフの頬を同じように赤く染める別の方法について、心の中で様々な発想を巡らせ楽しんだに違いない。そして昨晩の会話の後では、昔のアンダースも恐らく同じようなことを思ったということに、ほとんど疑う余地は無かった。もしメイジがそういう方向の……興味を友人に示したからといって、驚くようなことでは無かった。彼とは違って、そういった思い付きから彼を遠ざけている純潔の誓いは、このメイジには無いのだから。

それでも、アンダースが一瞬彼と眼を合わせて、それから顔を真っ赤にすると‐ 明らかに、別の友人をじろじろと眺めている所を見られたことを恥ずかしく思う様子で ‐再びセバスチャンから眼を逸らしたのを見て、彼はメイジがフェンリスに惹かれているという考えに落ち着かないものを感じた。フェンリスは果たしてアンダースの興味に応えるだろうかと、彼は自分の皿を眺めながら考えに沈み込んだ。二人が親しくなったのはごく最近なのは間違いなかった‐そうするようけしかけたのは、他でもない彼であって‐しかし彼らがお互いに抱いて居た嫌悪感は、既に過去の物となっているのも確かだった。

彼らが、単にお互いを嫌っていない状態を越えて友人となったとして、さらに……恋人となることは有り得るだろうか?

彼はそう思いたくはなかった。特に彼自身が、メイジとの友情が深まりつつあるのを感じている時には、彼らが共にカークウォールで見知っていた‐ そして嫌悪していた ‐かつての狂信的なアポステイトに戻ることが無いように、より中立な第三者がアンダースから眼を離さないで居てくれることが重要だった。
彼は自分の判断は信用出来ると、つまり万が一アンダースが前の状態に立ち返り始めた時、彼はそれに気付いて何か対応を取れるだろうとは思っていたが、それでもフェンリスが共に居て、メイジから眼を離さないで居てくれる方がより心強かった。

食事の間中アンダースがひどく静かにしていることに気付いて、彼はメイジに問いかけた。男の答えはなにやら逃げ腰で、それから即座にフェンリスの方に注意を向けると、昨晩言い出した読み方の練習について話を振った。さて、彼らが二人だけで時を過ごすまた別の理由が出来たと、セバスチャンはむっつりと考え込んだ。フェンリスが読み方を覚えるという考え自体には、彼も心から賛成していたとしても。

もはや食欲が無くなったことに気付いて、セバスチャンは唐突に口実を作って席を立った。しかし最後の瞬間に彼は、アンダースのために買った贈り物をまだ渡していなかったのを思い出した。メイジの眼に浮かんだ心からの驚きと喜びの表情、更にスカーフを首に巻いたアンダースの実に魅力的な笑顔を見て、彼は食事の前の良い気分をいくらかは取り戻した。

彼はフェンリスとメイジの話を頭の片隅に追いやると、会合の支度をするためそそくさと立ち去った。

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