第56章 暗転
この二日間は彼の人生の中で最悪と言っても良かった。まあ、少なくとも最近の記憶の中では。もっと前の話なら、客観的に見てこれよりもっと酷い日々を数え上げることが出来た。メイカー、全くこの二日間の話など、彼が過去において堪え忍んだ事柄に比べればほとんど愉快な出来事と言っても良かっただろう。しかし昔の話は昔のこと、陳腐化した古い痛みだったのに対して、この傷口には新鮮な血が滲み、鋭くひりひりと傷んだ。
目覚めてアッシュが側にいるのを見つけた時、彼は本当に安堵したが、それもこの猫が一体どうやって戻ってきたのか疑問に思うまでのことだった。最初彼は、単に猫が一緒に降りてきていたのに彼が気付かなかっただけと思おうとしたが、しかしすぐにそれは実際あり得ないと判った。アッシュは彼が猫に対してそうで有るように、彼に対して強い愛着を持ってたから、もし彼がようやく眠りに着くまでの間猫がずっとコテージに居たのなら、間違い無くどこかの時点で彼の側に現れていたはずだった。
それはつまり、彼が眠った後で誰かがセバスチャンの部屋の隠し通路を通じて、猫をコテージへと連れて来たということを意味した。そして『誰か』というのは、現実的にはただ一人の候補者に絞られた――セバスチャン本人に。そのことについて彼は、セバスチャンが親切心でそうしたのか、あるいはセバスチャンがアンダースに、猫を探すために大公の居室へと戻る理由を無くしたかったのか、どちらだろうかと考えることになった。
最初の朝は彼はあまりに動転していてベッドから出られなかった。その内に護衛の一人が玄関をノックし、どうしてまだ診療所に出発しないのか様子を伺いに来た。彼は病気だと言って彼を追い払い、よろよろとベッドを出て僅かばかりのパンとチーズを口にすると再びベッドへ戻り、結局また眠りに着いた。それほど深い眠りでは無かったにせよ、結局彼は午後遅くまで目覚めることは無かった。とは言っても彼は、例えセバスチャンが彼に来て欲しいと望んでいたとしても共に昼食を摂ろうとは思わなかったし、また大公がそうしようとするかは現時点では怪しいものだった。
彼はようやく起き上がり服を着替えると、書斎に戻って仕事をしようとしたが、その代わりただ机に座ったまま、一枚の紙にペンを走らせているだけなのに気付いた――書き物でも絵でも無く、ただの殴り書きだった。それから本を読もうとしたが最初の行を少なくとも四回は眼で追い掛けた後、読書を諦め階下に戻った。またパンとチーズで遅い昼食を摂ろうとして、結局切り分けた大部分を犬達に与えた。
彼はボイラーに水を運んで、時間を掛けて温めた後で風呂に入った。彼は長い間浴槽に座り込み頭の後ろを浴槽の縁にもたせかけ、彼の眼から次々と流れ落ちる涙の粒を断固として無視すると、ただ湯の温かさに浸っていた。それから再び彼はベッドに戻ったが、眠るためでは無くただそこに横たわり、馬鹿馬鹿しいこと以外は何も頭を使うまいとした――爽やかなシーツの肌触り。向こうの壁の、上の隅にある奇妙な形のシミ。彼が指で梳くアッシュの毛皮の手触り。それから彼は猫の長い毛の一本一本が、一体何回の明暗で塗り分けられているか数えようとした。*1 彼の夕食が運び込まれた音を聞き、ともかく犬達に食事を与えるとしばらく表に出してやって、彼自身はほんの少しばかりぬるくなったシチューを数匙口にすると再びベッドに戻った。
そうこうするうちに周囲がすっかり暗くなった。部屋が冷え込んできて、彼は起き上がると暖炉の埋み火を掻き立てて薪を放り込み、再びベッドに戻った。彼がようやく眠りに引き込まれた頃には、薪はすっかり燃え尽きて炭となっていた。
彼は酷い頭痛と共に二日目の朝を迎えた――眠りすぎたのと、前日にほとんど飲み食いしなかったせいだった。ともかく彼の食欲はいつもの量のポリッジを紅茶で流し込む位までは戻っていて、それから彼は服を着替えると診療所に出かける時間までコテージの周囲を当てもなくうろついた。診療所にも特にこれといって仕事は無く、酷く脚を骨折した例の患者を見てやった後は数人の新しい患者を診察しただけで、どれも些細な症状を訴えていただけだった。
彼はシスター・マウラとドゥーガルが、一度と無く彼に気遣わしげな目線を向けているのに気付いて、恐らく彼が前日病気だと言ったため心配しているのだろうと想像した。彼はようやく診療時間が終わって、彼らの目線から逃れて家に戻れることに心から安堵した。
その時にはまた昼食の時間が巡ってきていて、前々日の夜の惨事を思い出しただけで再び吐き気が戻ってきた。彼の胃がようやく落ち着いて、少しばかりの紅茶とバターを塗ったパンを一切れ飲み込めるようになったのは、その日の昼も遅くだった。
彼はフェンリスがサークルからもう戻ってきたか、どうかと考えた。そしてもしエルフが戻っていたら、セバスチャンは前々日に起きたことについて何か告げただろうか?彼はそうでは無いことを願った。
召使いが彼の夕食を持ってきた。彼は自分の身体が食べ物を必要としていることは判っていたので、特別空腹では無かったが、とにかく食べ物を口に押し込んだ。犬達がそれぞれの餌をがっつくのを眺め、それから彼らを庭に放してやった。彼はしばらくの間上の書斎に戻り何か仕事をしようとしたが、やはりみじめに失敗した。彼は机に座って、ろうそくがゆっくりと燃え尽きて部屋中が暗くなるまで、ただ空中をぼんやりと眺めていた。
唐突に犬達をずっと外に出しっ放しだったことを思い出して、彼はようやく机から立ち上がって下に降りた。暖炉の石炭の上に少しばかり薪を継ぎ足し、ろうそくに灯を点すと玄関へ行って扉を開けた。ガンウィンとハエリオニの姿は見えなかった。彼は鋭く口笛を吹いて、いつものように犬達が即座に姿を現さないことを訝しく思って眉をひそめると、コテージの玄関から数歩外に出た。その時遅ればせながら、何故犬達が彼の口笛に答えられないのかという考えが、彼の頭を過ぎった。
暗い影が二つ左右から彼に襲いかかり、腕が身体を包み込むと、片手が彼の口をすっぽりと覆い、メイジの怯えた叫び声を包み隠した。彼はしばらく腕から逃れようと空しくもがいた。誰かが彼のシャツをぐいと引っ張って首元を広げ、彼の首筋の根元に何か鋭く尖ったものを突き刺したのを感じて、彼は痛みと恐怖に叫んだ。魔法の力を呼び起こして身を守ろうとしたが、あまりにお馴染みの麻痺が彼に襲いかかり、奇妙な虚脱感が後に続いた。メイジベーン、それに何か彼を眠くするものが混ぜられていた。
「よし、これでいい」静かな満足感を含んだ声。「さあ、急いで。時間が無い」
彼は確かにこの声を聞いたことがあるはずだ、それが彼の最後の思考だった、それから誰かの肩の上に逆さまに担ぎ上げられる頭のくらくらする感覚を感じて、そして世界が暗転した。
*1:猫の品種によっては、一本の毛の中に根元が白く、中間に暗い帯、先端がまた白(銀色)と明確に異なる色の帯が存在するものがある。ティックド・タビーと呼ばれ、特にアビシニアンなどで有名だが雑種でも時折見られる。
毛皮の色(ブルー)にシルバー・ティックド、エメラルド色の眼からしてアッシュは長毛種のアビシニアンのような猫だろうか。
あああアンダース姫様の本領発揮!w
アンダースさーん、もうちょっとの辛抱ですからねー。
ゼブランさんが来るまでもうちょっとですからねー。
後はもう好きにシンデレラになるなり白雪姫
になるなり。いやここは眠り姫かw
フェンリス、いいから殺っちまいなさいwww ばしこーんと。
この後は早速大活躍するわけですが、戦闘シーンで活躍するのがエルフ二人だけなのがちょっとふまーん。
アンダースなんか一回も(あ、一回だけあるか)治療以外で魔法使わんし。
大公殿下に至っては戦闘シーンすら無しw まあ大教母救出劇とか室内で格好いい所は一応あるんですが、その前に落ち込んでてゼブランに叱られてるし。くそぉゼブラン全部いいとこ取りしやがって。やっぱフェンリスry
ま、まあほら、大公殿下が戦闘準備なさるには
まずやおら風呂に入るところから始めないとw
他の皆と違って死ぬほど痛い目にあってないって
とこでチャラかもwww
あ、あとせんせー、なんでか56章「続きを読む」になってませーんw
直した!iPhoneで見るからわからない指摘thx です。おやすみなさいzzzz….