第1章 遭遇

彼はヴァリックに会いに来たのだった。

だがあのドワーフは、もはやハングド・マンの住人ではなく、彼のスイート・ルームの扉は固く閉ざされ、新しいバーテンダー――コルフはあの日、アボミネーションに殺されていた――は、彼のバーにエルフは入れないと鋭く言い放ち、ここに立ち入ることを許されるエルフはメイドと男娼のみで、彼はそのどちらでも無かったため、用心棒が彼を表の通りに放りだした。

彼は街路をよろめき進み、重く壁にもたれ掛かって身体を支えた。そして巡邏中の衛兵が彼に目を留めた。正確には、彼が意固地に背負っている巨大な剣が彼らの目を引き、衛兵達は彼が何者で、どこに行くのかと尋ね、エイリアネージは反対方向だと言ったところで、衛兵の一人が彼の正体に気付いた。

次に気付いた時、彼は衛兵達に身体を両側から担がれ、ほとんど引きずるようにハイタウンへと連れて行かれていた。そして彼らはキープにあるアヴェリンの執務室へと彼を担ぎ込んだ。

メイカー、フェンリス!」
彼女は驚いて叫び、大きな机の向こうから立ち上がると彼に近寄り抱きしめようとして、彼の身体的接触への嫌悪感を思い出した。彼が大きな椅子に座り込んで身体を休める前で、彼女は立ち止まった。
「一体どうしたの?どうしてあなたがここに?」

彼は辛そうに肩を竦めた。
「ヴァリックに会いに来た」

「ヴァリックはここには居ないわ」と彼女は言って、机の端に腰を掛けた。
「オーズマーに仕事で行っている。もう一ヶ月も前からよ。春になるまでは戻ってこないでしょうね。どうして彼に会いたいの?」

彼は唇の端を上向きに曲げた。
「俺はもうじき死ぬ。死体の処理を彼に手配して貰おうと思っていた。ドワーフはリリウムを安全に取り扱う術に長けているからな」

死ぬって!だけど何故……」

「リリウムは毒だ。それが、俺の身体中に張り巡らされている。毒性を抑えていた物がなんであったにせよ、消えかけているようだ」

彼はそういうと、疲れた様子で彼女を見上げた。
「もう長くはない。死ぬ前に、俺が狂気に陥らないことを望むだけだ」

アヴェリンは、大きな衝撃を受けた蒼白な顔で彼をじっと見つめた。そして唇を固く結ぶと立ち上がった。
「判ったわ。なら、私とドニックの家に来なさい。あなたが必要な間はいくらでも居ればいい」

「君たちに迷惑を掛けたくは……」

彼女は片手を強く机に叩き付けた。手袋を嵌めていない彼女の手が赤くなるほどに。
「迷惑ですって!私達は友人でしょう、フェンリス。それに他に行くところも無い、そうね?」

「いや」
彼は渋々、そう認めた。
「とにかく、俺が今からたどり着けるところは」

「なら決まりよ、私達と一緒に居なさい」と彼女は声を和らげて言うと、伝令を走らせてドニックを呼び寄せ、フェンリスを彼らの家へと連れて行った。


何故彼がそこに居るのかを考えなければ、彼らと共に過ごす日々は楽しかった。彼は自らの身体が衰えていくのを感じ取れた。急激な体力の低下、増悪する痛み。彼はもはや、一人で立っている事すら出来なかった。
彼の大剣は、この部屋に来た夜に立てかけた部屋の隅から、動くことは無かった。彼はベッドに横たわり、それを眺めるのを楽しむようになっていた、例えもう二度と、その剣を掲げることがないと知っていたとしても。ホークからの贈り物で、今でも残っている数少ない一つだった。

この家に来た当初、彼は食事とその後の団らんのために階下へ降りていったが、階段を一人で上り下りすることが出来なくなるまで、そう長くは掛からなかった。衰える速度が著しく速いことに彼は怯えていたが、しかし……彼の心の一部では、彼は死を待ち望んでいた。少なくとも、精神的、肉体的な苦痛は、それで終わる。そして肉体的な苦痛は、着実に酷くなっていった。

彼は祈った――彼の乏しい知識が及ぶ範囲で――最後まで正気を保てるようにと。無力な存在となることを無論恐れてはいたが、しかし肉体的な不具よりも、再び彼が彼自身でなくなる事のほうが、遙かに恐ろしかった。彼が無から、苦痛と恥辱、憎悪と苦悩から築き上げた彼自身。それを再び喪う事は、何よりの恐怖だった。

奇妙な夢を見始めた当初、彼が恐れたのは、それが原因だった。


彼の夢が平穏な物であることは希だった。大抵は、ダナリアスの奴隷だった時代の名残で埋められていた。彼は長い逃亡の間に、かつては恐怖の象徴であった事柄を無視する術を徐々に身につけていった。
首輪、太い金属の鎖、鞭、黒々としたロープ、玩具。あるいは肉片、飛び散った血の跡と骨の欠片、誰かがブラッド・マジックの力を使った残骸。他人の、あるいは彼自身の、耳にこだまする悲鳴。時折掠めさる、見覚えのある顔。彼が憎んだ、あるいは愛した者の顔。

しかしこの数ヶ月、カークウォールに戻ってくる前からも、彼の夢には新たな暗闇が加わった。認知できる領域の僅かに外側に潜む、悪夢を具現化したモノ。滅多に見ることは出来ず、ただ存在のみが感じられた。彼はそれに怯えたが、しかしそれらも、彼に怯えているように思われた。彼らは潜み、ただ彼を観察し、待っていた。

それらを引きつけているのはリリウムだろうと、彼は考えていた。時折、彼もリリウムが歌う、微かなざわめきを聞く――感じ取る――事が出来た。その音は夢の中ではずっと大きく聞こえたが、それは筋が通っていた。フェイドは夢の領域であり、リリウムは現実世界とそこを繋ぐ架け橋となる物なのだから。例えば彼が紋様を活性化させて、固体の中を自由にすり抜けるように。

彼は時折、闇の向こうで彼を熱心に見つめるのは、フェイドの生物だろうかと思うことがあった。ディーモンかスピリットか。その二つに違いが有るならばの話だが。
あるいは、マジスターかも知れなかった――ブラッド・マジックを使えば他人の夢に影響を及ぼせることを彼は知っていたし、ダナリアスを殺しても、それは単に彼を一番熱心に追い求めていたマジスターが居なくなったというだけに過ぎないのではないかと、彼は恐れていた。彼の肉体に埋め込まれた膨大なリリウムは、他者の興味を引くには充分過ぎた――何はなくとも、その金銭的価値だけで。

闇に潜む影が更に大きく、暗くなっていくにつれて、彼の怯えは次第に大きくなった。彼を見つめる物達が近寄る様子を見せ、そのうごめく音、擦れる様な息づかいが、時にはフェイドの中で聞こえるリリウムの歌よりも大きく聞こえた。彼の耳に、その囁き声が聞こえ始めていた。聴覚の範囲ぎりぎりの、聞こえはしても聴き取れない言葉の羅列。意味は分からなくとも、彼を不安にさせるには充分だった。

メイジ達にそうするように、恐らく彼を誘惑する言葉だろうと、彼は思った。彼の欲望を、希望を、あるいは自尊心を、怒りを掻き立て、誘惑する偽りの約束。彼はその囁き声を無視しようとしたが、だが時と共に次第に、着実に大きくなるその声は彼を恐れさせた。その言葉の意味を理解出来た時、彼は果たして誘惑に抗えるかどうか、それが恐ろしかった。

時には、彼は力を振り絞りその影と戦った。幻の剣を両手に持ち、明るくリリウムを輝かせ、もはや現実世界では不可能となった速度で軽やかにその影に向けて振り下ろすと、一時とはいえ彼らは引き下がった。
彼らがリリウムの光に怯えたのか、それとも剣を見て恐れをなしたのか、彼には判らなかった。あるいは両方かも知れなかった。

彼が初めて、ディーモンとは異なる、彼を見つめるまた別の存在に気が付いたのも、そのような夜だった。彼は地面に――少なくとも、この果てしなく揺らぐ夢の中で地面の様に感じられる平面に――座り込み、剣を立てて喘いでいた。

フェンリスはその存在の方に顔を向け、汗の滴る額から髪をはね除けて、彼を見た。もはや影に隠れることなく、ただ単にそこに立って、彼を見つめていた。彼の顔には不思議そうな表情があった。背は高く細身で、どこか中性的な美しさがあった。頬骨は高く、大きな瞳は薄い金色で、白みを帯びた長い金髪を単に頭の後ろでくくっていた。
彼は――その中性的な容貌にも関わらず、その人物が男性だと何故かフェンリスには判った――質素な短いチュニックを着て、裾は黒と金色に彩られ、革製のサンダルから、長い紐が彼の細い脛から膝下までを編み上げていた。フェンリスの記憶が、かつて彼が見たことのある、どこかの制服だと彼に告げていた。

「君のことは知っている」
その姿はゆっくりと、まるで戸惑うように言うと、一歩彼に近寄った。

「お前など俺は知らん」
フェンリスは立ち上がれないほど疲れていたが、そう切り返すと彼の剣を両者の間にかざした。

その姿は、愉快そうな笑みを唇に微かに浮かべた。
「その剣で、君が僕を傷つけられるとは思えないな」
彼はそう言ったが、しかし今居る場所から動こうとはしなかった。その代わりに、彼は地面に足を折って座り込むとフェンリスをじっと下唇を噛みしめて見つめた。

「君を知っている」とその姿は繰り返した。
「だけど君が覚えていないのは、無理はないな。もう何年も前に、一度会ったことがあるだけだから。僕はその時もっとずっと若かったし」

フェンリスはその若者を見返し、訝しげに片方の眉を上げた。見たとおりの姿とすれば、彼は精々20代半ばに見えた。

「するとまだ幼い頃か」と彼は言った。それからその姿が軽く頭を傾けて、彼の耳の形が眼に入り、フェンリスは息を飲んだ。その耳の曲線には見覚えがあった。ヒューマンの丸い形とは、僅かに異なっていた。
「あの少年……」と彼は呟いた。
「フェンリエルか」

「そう」

「お前はメイジ、そしてマジスターだ」と彼は吐き捨てると、怒りに力を得て立ち上がり、剣を若者に突きつけた。

若者は小さく声を出して笑った。それから微笑み、床に座ったまま両手を後ろに回して、剣が眼に入らないかのようにフェンリスを気楽な様子で見上げた。
「メイジなのはその通り――マジスターじゃないよ、絶対に」
そう語る彼の言葉は、フェンリスがほとんど信じそうになるくらい、確信に満ちていた。

「ホークはお前をテヴィンターへ送ったはずだ。あそこから来る物を、俺は一切信用しない」

「賢明だね」とフェンリエルは言った。
「僕もここの物は何も信用しない。ホークもアンダースも、そして当時の僕も、愚かだったね。マジスター達が僕の真の力を知った時にどうするか、本当に考えが足りなかった」

「想像は付くな」とフェンリスは用心しながら言った。

「僕は運が良かった。テヴィンターへの船旅の途中に先のことを考えて、彼らの夢を観察したんだ。彼らの笑顔の裏に潜む悪意を僕は見ることが出来た。それで、僕は自らの姿を隠し、テヴィンターに行けばもっと良い生活が出来ると夢想する、ちっぽけなメイジに成り済ました」

そして、フェンリスは若者の着ている服――制服――に気付いた。彼はその服を、ダナリアスと共に幾度も見たことがあった。
「サークルで働いているのか」

「そう。僕はサークル所属の図書館で働いている。本当に、誰の注意も引かないよう、用心しているんだ。誰の脅威にもならないほど力のない、血の奴隷として操る価値も無いほど愚かな、しかし図書館の本や書物を正しく扱う位の頭は有る、それだけの男、それがここでの僕」

「それでお前はここで、俺の夢の中で何をしている?」

「連中が気になったんだ」とフェンリエルは言うと、今や遙か彼方に逃げ潜んでいる影達に顎をしゃくって見せた。
「君はディーモンを引きつけているって、判ってるのか?」

「連中はやはりそうなのか?俺にはよく分からないが」

「ああ。君のリリウムが彼らに歌いかけ――ディーモンも、スピリットも両方に――彼らを引きつけている。彼らは君を通路、架け橋として見ているんだ、フェイドと現実世界との間の。橋のたもとには番人が立っているけど、あるいは押し通れるのでは無いかと」

「何だと?」

フェンリエルは眉をひそめた。
「君のリリウム――それがフェイドと繋がっているというのは知ってるな?」

「ああ」

「君がそれを使うと――さっきのように明るく輝かせた時に――現実世界に居る君と、ここが繋がるんだ。メイジのように……」

「俺はメイジではない!」とフェンリスが噛みついた。

フェンリエルはただ宥めるような視線を送っただけで続けた。
「メイジのように、フェイドと現実世界を繋げる。僕達の力は、ここからあっちに流れているからね。ただし君の場合は逆で、そちらからこっちに流れている。魔法が君に触れると激しく反応するのはそのためだ。君がリリウムを輝かせると、そちらからフェイドへその魔力が流れ込む。だけど、その流れには番人がいる。君だ。君が固く門を閉ざしている。それか、流れをつまんでせき止めるように」

フェンリエルは顔をしかめて、イライラとした様子で何かをつまむ手真似をした。
「んと、口では上手く説明出来ないな。とにかく、ディーモンは現実世界に繋がる導管をいつも血眼で探している。彼らが通り抜けることの出来る出口を。あるいは、現実世界の方からメイジによって、それか別のディーモンによって呼び寄せられる機会が無いかとね」

「それで、俺をその導管として利用出来ると、連中が思っていると言うのか?」とフェンリスは、その考えに愕然として尋ねた。

「ああ。連中は君が弱るのを待ってる。それから君を押しつぶし、圧倒して……押し通ろうとするだろう」

フェンリスは一瞬その言葉の意味を考えて、それから身を震わせた。
「俺はそれでも生きているのか?」

長い沈黙。そしてフェンリエルは頷いた。
「多分。だけど、もうそれは君では無いだろうね、憑依されてアボミネーションとなったメイジと、大きな違いは無いだろう」

フェンリスは、ゆっくりと腰を下ろした。
「そうなる前に、俺は自らを殺す」と彼はきっぱりと言った。彼はアヴェリンとドニックのことを、彼が有る晩、眠ったまま死ぬ代わりに、アボミネーションと化して起き上がる事を考えていた。

「ひょっとすると……」とフェンリエルが言いかけて、言葉を切った。彼は両手を見つめて、それから再びフェンリスの方に顔を向けた。
「ひょっとして、僕が君を助けられるかもしれない」と彼はためらいがちに言った。

フェンリスの強固な懐疑心が再び蘇った。
「それで何故、お前がそんなことをするというのだ?」

フェンリエルは彼の瞳を見つめて、肩を竦めた。
「君は僕を助けてくれたじゃないか」

「お前を救ったのはホークだ」

「君も居たよ。それに、僕はここからもうじき出て行こうと思っていたし――もうここに居るのは危険すぎるからね。それと……」
フェンリエルは再び言葉を切ると、顔を赤らめた。再び彼が話し始めた時、彼の声はひどく静かだった。
「それと、うん、実を言うと別の魂胆もあるんだ。マジスター達は今でも君のことを噂しているよ、ダナリアスの『あのペット』と言って」と彼は言って、そして再びフェンリスと眼を会わせた。

「連中は君を怖がってる。君はダナリアスの手をはね除け、逃げ延びて、君を取り戻そうという試みを全て跳ね返し、ついにはかの強力なマジスターを死なせた。君は簡単には彼らの魔法に屈しないし、例え裸で素手であったとしても、君は彼らを殺せるだろう。君の存在そのものが、連中を恐れさせているんだ」

フェンリスは鼻を鳴らし、唇に微かな笑みを浮かべた。
「連中は、俺が衣装棚の中に隠れる化け物か何かだと思ってるのか?」

同様の愉快そうな笑みがフェンリエルの顔に広がった。
「そんな感じだね」

「だがお前は俺を恐れていない」

「うん。だけどそれは君と会ったことがあって、君に助けて貰ったからさ」

「ホークが俺を助けてくれた」とフェンリスは繰り返した。
「その時も、ダナリアスと手下を殺した時も」

フェンリエルは頷いた。
「それでも、僕の言ったことを考えるだけでもしてくれないか。君が、僕を助けるかどうかは関係ない。もし君を助けられるか、試させてくれるなら、僕はそっちに行く。行ってもいいか?」
フェンリエルは、ほとんど嘆願するようにそう聞いた。
「カークウォールに戻っても良いか?」

フェンリスは数分の間、地面を見つめてじっと考えに沈んだ。彼は、ディーモンの餌食となる前に、正気の内に自らを殺すと決めていた。とりわけ、彼が今住んでいるのが友人の家であるからには。だが……

だが、彼は死にたくは無かった。もし、再び元のように治る可能性があるのなら。苦痛のない、元の彼に戻れるのなら。生きられるのなら。

「来い」と彼は静かに言った。

そして彼は、ベッドの中に一人横たわった姿で目覚めた。彼のリリウムの紋様は、まだ微かに光を放っていた。

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第1章 遭遇 への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    あああ来たあああああ(色んな意味で)www

    いやあ、もしかしてと思ってはいましたがw
    実は、In Dreamの絵を一度描きかけたことがあるんですよねえ。
    しかし、なんつーか内容をイマイチ把握しきれないし
    納得できなくて途中で投げたw

    お話が進んだらもっかい引っ張りだしてみたいと思いますw
    楽しみにしておりますので、今回もよろしくお願いしますw

  2. Laffy のコメント:

    来ましたよおおおおw
    実はJazz Ageを訳し始めたあたりで次何すっかなーと考えていたのですが、これとあれとそれが候補にあって、結局これになりましたw
    アレがなかなか進まないし、ソレはアリスターが書けないし、MsBarrowsさんはロゲイン大好きだけど私あの人書けないしなあw

    絵は楽しみにしております。殉教者アンダースとかどーでしょう(鬼

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