第27章 気配

「あの男、僕達を見ている」とフェンリスの隣の席に座りながら、フェンリエルが声を潜めてささやいた。川沿いの宿屋での、二日目の夜のことだった。

「どこだ?」とフェンリスは同様に静かな声で、辺りを見渡すこと無く尋ねた。アンダースも、視線をテーブル上に落としたままだったが、その肩がシャツの布地の下で強ばるのがフェンリスにも感じられた。

「暖炉の左側の席。黒髪で、農夫みたいな服を着てるね、だけどあいつも、ここにいる友達と同じくらい、農夫じゃ無さそうだ」と親指の先でアンダースの方を示しながらフェンリエルが答えた。

アンダースは鼻を鳴らすと、フェンリエルにむっとしたような視線を向けた。フェンリエルは短くニヤリと笑った。
「君は農夫の息子の産まれかも知れないけど、まあ実際そうじゃないよね」と彼は指摘した。
「僕が商用でフェラルデンに向かうアンティーヴァの商人でも、彼が別の氏族を訪ねるデーリッシュ・エルフでもないのと同じで」
アンダースはその点を渋々認めたように肩を竦めた。

フェンリスは数分後に、その男を通りすがりに観察する機会を得た。自分の食事を終えて、酒場のカウンターにエールを一杯注文するために立ちよった彼は、すぐ側からその男を横目で見た。確かにその服装は農夫のものだったが、男は真っ直ぐに――正しすぎる姿勢で――椅子に腰を降ろし、しかも栄養の行き届いた体をしていた。カップを抱える指先の爪には土埃の黒い弧があったが、しかしきちんと切り揃えられ、土埃に覆われた手の甲の肌は白く、日焼けした様子はなかった。すると普段は手袋か、手甲を嵌めているに違いない。広い肩幅、真っ直ぐな姿勢、そしてこの手を組み合わは、この男がどこの出身であれ、武装兵であることを雄弁に語っていた。

「どうしようか?」
フェンリスが二人のメイジの居るテーブルに戻った時、フェンリエルが不安げに尋ねた。

「今のところは無視しろ。俺達三人にあの男一人が手出しするとは思えない。誰か他に来たら知らせてくれ。それと、食事を片付けろ。あるいは朝食は取れないかも知れないぞ」とフェンリスはエールを何気なく飲みながら、小声で二人に指示した。

アンダースは鼻を鳴らして、彼の優に二人分はある、何かの魚のパイと山盛りのマッシュポテト、それに根菜のシチューを片付けに掛かり、最後に残ったグレービーソースを小さくちぎったパンで綺麗に拭って食べた。フェンリエルは眉をひそめたが、ともかく彼も魚のシチューとパンをそそくさと片付けた。メイドが彼らの空いた食器を片付けに来た時、フェンリスは朗らかにデザートを3人前頼んだ。上出来のアップルパイで、スパイスの香りが微かに漂っていた。彼らは皆腹一杯になるまで食べた後、静かに席を立って上階の部屋に戻った。

「荷物を詰めろ、静かに」とフェンリスは扉を閉めるや否や二人に言った。彼自身の荷物は、まだ背負い袋に入ったままだった。彼は手早く大剣を背に止め、片方の肩に袋を背負うと、扉の側に立ち耳を澄ませた。何の音も聞こえなかった――この宿屋の古さからすれば、もし誰かがそこに潜んでいれば何か聞こえるのは間違い無いだろうとフェンリスは推測していたが、階段を、あるいは廊下を軋ませる音も何も聞こえなかった。
「ロウソクを消せ。少しだけ待って、それから表を見てくれ」と彼はフェンリエルにささやいた。

アンダースが若いメイジに、今居る場所に留まるよう手で指図すると、自らロウソクを吹き消し、それから注意深く、ゆっくりと窓辺に近寄った。彼は窓の外から差し込む淡い光からは充分距離を取り、壁沿いに立って外からは姿が見えない場所から、そっと眼下の街道を覗いた。
彼はそれから身を屈め、窓辺の下をくぐって、今度は反対側から同じように下を覗いた。彼はシュッと声を発し、それから2本の指を立てた。

フェンリスは悪態を飲み込んだ。
「下に居たお友達はその中に居るか?」と彼は尋ねた。アンダースは首を振った。
「すると、少なくとも三人」と彼は計算して、僅かに扉を開けた。廊下は、彼の見える範囲では、無人だった。
「付いてこい、出来る限り静かに」と彼は言うと、先に立って廊下に出て、裏口の方へと向かったが、入り口は見張られている恐れが充分にあった。彼は一か八かで彼らの部屋とは反対側にある部屋の扉を、そっと開けてみた。その部屋は空いていて、窓からは宿屋に付属する厩の斜めになった屋根が見えた。彼は窓から左右を見回し、こちら側には見張りがいないことを確かめた後で二人のメイジを先に行かせ、斜めになった低い屋根を降りて、宿屋の小さな裏庭へと出た。

その裏庭の大部分を占める便所と、すぐ隣の厩の堆肥からはひどい臭気が漂ってきた。フェンリスが手を貸してメイジ二人がどうにか便所の屋根を乗り越え、そして彼自身も屋根によじ登った時に、宿屋の彼らのいる側から叫び声が聞こえた――誰かが、彼らの姿を見つけたに違いなかった。

三人は素早く宿屋の外壁を乗り越え、隣の家の裏庭に飛び降りると、家の横を駆け抜けて表通りに出た。
「こっちだ」と三人の中で唯一この街に来た事のあるフェンリスが指図し、彼らは表通りを駆け抜け路地に潜り込むと、宿屋の周辺から遠ざかった。

彼らの追跡者はそれほど数多くは無かったか、あるいは組織だってもいなかったに違いなかった。さっきの叫び声と、それから遠くから聞こえる複数の足音を除けば、彼らが大通りから路地へ潜り込み、入り組んだ旧市街の狭い路地から路地へと移動する間は、追跡の気配は何も感じられなかった。そのことがフェンリスの神経をさらに逆撫でした――これほど容易く逃げられるというのは、あるいは何か罠に飛び込もうとしているのではないか。あるいは、あの男達が彼らでは無く、別の誰かの追跡者で、彼らを見張っているように見えたのは全くの偶然だったのか。

いずれにせよ、彼には元の宿屋に戻るつもりはさらさら無かった。彼は一行を小さな倉庫や店が建ち並ぶ一画へ導き、そこはまた波止場からもそう遠くは無かった。彼らは立て並ぶ建物の間の、L字型に曲がり建物のどちらの側からも目に止まらない路地裏で、その夜を過ごした。路地を吹き抜ける夜風は冷たく、誰もほとんど眠れなかった。

夜明け前の灰色の空が早朝の霧と入り交じる頃、フェンリスは再び周囲を見渡してから、一行を波止場の荷船へと連れて行った。幸い船員達は出港の準備を整えるため既に働き出していて、フェンリスが船に乗せてくれるように頼むと快く乗船させてくれた。三人は皆、彼らの居場所を探る捜索や、あるいは突然の襲撃さえ予想して気を張りつめていたが、しかし夜が明け潮が満ちてくると同時に、荷船は何事も無く出港した。雄牛が川岸から船をのろのろと、しかし確実な調子で上流へと引っ張って行き、街は彼らの背後でやがて見えなくなった。

それから、メイジ二人は昨日眠れなかった分を取り戻すため、小さな船室で共に昼寝を取った。フェンリスは起きたまま、果たしてあの男達が追いかけていたのが、本当に彼らかどうか知りたいものだと思いつつ、その日が暮れるまで雄牛の歩く道筋の後方に目を光らせていた。


上流への旅の三日目に入って、ようやくフェンリスは緊張を解き、再び旅を楽しむようになった。追跡の気配はどこにも見当たらなかった。誰かが彼らを追ってくる様子も、あるいは何か危険な気配も無かった。実際、雄牛がのろのろと河の流れを遡って上流へと引っ張って行く荷船での旅は、退屈以外には何の危険もないものだった。

徒歩で歩いても雄牛より速く進めただろうが、しかし牛の歩みは着実で、結局のところ一日当たりに進む距離はこの船の方が長く、しかも食事のために立ち止まる必要も無かった。船は一日に数回川岸で短い停泊を繰り返し、新しい雄牛の組に入れ替え、そしてまた上流へと進み出した。一度だけ、二日目の午後遅くに、彼らは少しばかり長く一箇所で留まり、少し荷物を降ろしては、また新しい荷物を積み込んだ。

風景もゆっくりと移り変わり、マイナンター河の河口の三角州からなだらかにうねる丘陵へ、そしてやがてヴィンマーク山脈の裾が遙か南西に見え始めた。彼らの進む先はゆっくりと、マークハムの街を海岸沿いの国々と隔てている丘陵に向けて登っていた。マークハムの市街は、その名を冠した河自体からは少しく離れた、彼方の山々のふもとに広がっていた。ハルシニアの街は反対側の丘陵地帯を越えた向こうの、海岸沿いにあった。

四日目の朝、彼らはマークハム河が支流と分岐する地点の側に広がる小さな町を通過した。その川は街を通り抜け、更にそこから向こうの丘陵地帯のどこかで先細りとなっていた。荷船はその街で半日近く留まり、ほとんどの貨物を降ろしてまた少しばかり新しい荷を積んだ後、また出発した。三人は上陸しても良かったが、短い停泊で万が一にも乗り遅れることを考えて、そのまま船に留まっていた。

荷船はそこからマークハム河が東から西へ、そして丘陵のふもとを流れて再び南西へと向きを変えるまで、更に四日間上流へと遡った。彼らは四日目の午後、荷船で進める最後の街で船から降りた。河はまださらに上流へと遡ることが出来たが、しかし荷船はここまでだった――この後は手こぎ船かカヌー、あるいはそういった類の小舟で進むしか方法は無かった。

河口の街で起きた出来事の後で、フェンリスにはたとえ一晩であってもそこに留まるつもりはなかった。それで彼らは食料や必需品を買い入れるに必要な間だけ街に留まり、それからすぐに南西の山々を越えて、ハルシニアへと向かう街道へ旅立った。この辺りの街道は充分踏み固められ、道標も整備されていた。
二日間ゆっくりと着実に歩き続けた後で、彼らは海岸を望む小高い丘陵の上に出た。そこはもうマークハムではなく、ハルシニアの海岸沿いの土地だった。その街の姿も、遙か彼方にかろうじて見えていた。徒歩での三日目――明け方から歩き続けた長い一日――の夕暮れに、彼らはその丘のふもとに辿り着き、そして街の門に到着した時には、既に日はとっぷりと暮れていた。

「どこか今夜泊まる場所を探さないとね」とフェンリエルが街に入りながら指摘した。
「今から波止場に行って、出る船を探すにはもう遅すぎるし」

フェンリスも同意して頷いた。

アンダースが呻き声を発して、街道沿いの街並みの一角を指さした。そこには一軒の建物から看板が外に付きだし、海風に時折揺れていた。建物はランプで明るく照らし出され、近寄った彼らの耳に中からの歌声が聞こえてきた。その看板にはビールかエールの入った巨大なマグカップから飛び出そうとする、やはり巨大な魚が描かれていた。

「サースティ・スタージョン―お宿とお食事」 1とフェンリエルが声を上げて読み上げると、他の二人の顔を見た。

どこといって他に当ても無かったので、アンダースとフェンリスは共に肩を竦めた。フェンリエルが大きな両開きの扉を押し開け、三人は中へ入って行った。

Notes:

  1. この店はミシガン州を流れるインディアン・リバー沿いに実在する。
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第27章 気配 への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    まあほかの二人はさておいて、フェンリス目立つでしょうなあw

    そしてfendersばかり描いているのは押してるわけでは
    なくて他にネタがないからなんですッ!ああホークさんの
    描き方忘れそうwww

  2. Laffy のコメント:

    まー遠目に見ればちょっと色黒のデーリッシュ・エルフに見えないことも、ない、か?w
    ツンブラーがYahoo!に買収されたとか何とか騒ぎになってましたね。
    あそこは良いんだけどコメント付けにくいのがなあ。
    というか、付けられなくなってないですか?

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