第11章 予防策

第11章 予防策


庭の扉がきしむ音を聞いて、アンダースは素早く顔を上げた。召使いが訪れるような時間では無かった。

「アンダース」

「セバスチャン」彼はそう答えると、その男が白いエナメル製の鎧を着ているのを見て少し驚いた。ここに辿り着いてから、その鎧を着た姿を見たことが無かったのを彼は思い出していた。

「すると、診療所の準備が出来たのか?」

「もうすぐだ。中がどんな風になっているかお前にも見せて、もし何か変えた方が良いものや追加したい物があれば、作業が終わる前に考えておいた方が良いだろうと思ってな」

アンダースは頷くと厚い革の手袋を脱ぎ、刈りばさみと一緒に手押し車の上に載せた。

セバスチャンは興味深げに辺りを見渡していた。
「随分はかどっているようだな」

アンダースは肩を竦めた。

「他にやることもないからね」彼は用心深くそう答えると、彼が片付けた小道を通って、門のすぐ内側で待つセバスチャンの元へと歩いて行った。

彼らは二人とも黙ったまま、元は馬屋だった建物の中へと入っていった。粗い石と木で覆われていた壁が新しく張り直されて真っ白に洗い上げられ、石張りの床は染み一つ無くこすり洗いされ、作業場にはテーブルと長椅子がきちんと整えられた様子を見てセバスチャンは笑みを浮かべた。大部屋の片隅には新しく壁で仕切られた手術用の一角が出来ていて、心乱れるような手術の様子が他の患者の目から見えないように工夫されていた。

彼は腰に手を置いて辺りを見渡すと、興味津々の目でアンダースを見つめた。
「どう思う?」と彼は自慢げに尋ねた。

アンダースはまるで陸に上がった魚のように口を開け閉めしていた。数歩部屋に入った所で立ち止まるとあたりを呆然と見渡し、それから手術室の中を見に入って、ようやく振り向くと答えた。
「これは……凄いよ、セバスチャン」彼は声を詰まらせながら言った。
「使える様になるまで、あとどのくらい掛かる?」

セバスチャンは肩をすくめた。
「多分、後1日か2日だろう。あとは物を運び入れるだけで、それも既にかなりの部分は終わっているが」彼はそう答えた。

「実際の所、何時からでも始められそうなのは間違いないな」と付け加えると、元の馬具置き場へ向かって、扉の上と下を開くと、中の棚一杯にきちんと整理整頓されて収まっているポーションや塗り薬、包帯、添え木やその他の器具類を見せた。内側の壁に沿って中庭から日の光が差し込むよう小さな窓の下に据え付けられた、小さな石炭コンロやカウンターと流し台を見て、彼は頷いた。
「ここならポーションや他の薬を調製するのにうってつけだ」と彼は指摘した。
「もし既に薬草学の知識があるような助手が見つからなければ、誰かを訓練してそう言った仕事をさせるようにしてもいい。診療所の助手として、引退した衛兵で衛生兵としての経験がある男を見つけてある。最初は助手一人で始めて、どのくらい忙しくなりそうかで、もっと雇うかどうか決めることにする」

アンダースは呆然とした様子で頷くと、大公殿下が楽しそうに診療所の残りの部分を案内して廻る後を付いていった。元の馬房は既にきちんと仕切られ、入院患者のための病室として整えられていた。

「1つの部屋には今の所1つだけ寝床を入れるように指示した。残りの寝床は屋根裏部屋にしまってある。緊急事態の場合は1部屋あたり4つか5つの寝床が入れられる。それと、一番端の馬房は浴室に変えさせた。単に床下に排水溝を掘り、バケツと小さな水槽、便器を幾つか置いただけだが。お前が言っていた清潔さが重要というのは、テーブルや器具だけの話では無く患者自身のことでもあろうと思ったのでね」

アンダースは頷いた。
「もちろん。ありがとう、先に気が付くべきだった」

セバスチャンは笑みを浮かべた。
「なら良い。二階に行って、お前の住み込みの助手のための部屋がどうなってるか見てこい」彼はそう言うと、少しばかり面白がって付け加えた。「今の所は一人用だ」
そう言いながら彼は自ら先に立って、手術室と最初の馬房の間に新しく取り付けられた狭い階段を登っていった。かつては屋根裏部屋に上がるためにははしごしか無かった。

屋根裏部屋の大部分は大きな倉庫として仕切りがされ、既に一部はさっきセバスチャンが言った寝床や毛布のようなかさばる物で占められていた。残りは小さな台所と食事部屋、その向こうのかつて馬屋の使用人が寝泊まりしていた宿舎は、診療所の助手のための寝室としてきちんと整備され、必要な物は何でも揃っているようだった。

「素晴らしいよ、セバスチャン」アンダースは言った。
「これ以上何か必要な物というのは正直言って思いつかない」

セバスチャンは喜んだ顔で頷いた。
「結構。最初の間は様子を見ながらゆっくり始めよう、毎日数時間お前がここで過ごす程度から。最初の間は皆、診療所を使うのをためらうのは間違いないからな。一旦口々に噂が広まれば、しばらくの間は随分忙しくなるぞ」

セバスチャンの顔は暗く曇った。
「いずれ、それが更に酷くなることもあり得る。今まではスタークヘイブンは幸運にも、比較的少ない数の避難民しか見る事は無かった。ヴィンマーク山脈が我々とカークウォールの間にあるため、そこからの人々の多くは北では無く他の方角へと逃げ去り、山道を越えてくる者はほんの僅かだった。」

「だがここより下流のアンズバーグで、深刻な争乱が起きたという話を既に聞いている、ワイコム、バスティオン、それに海岸沿いのヘルシニアでも……もしそこからの避難民達がマイナンター川に沿って上がってくるとしたら、ここに辿り着くのは時間の問題だ。さらには、川の源流はオーレイにあり、そこでも明らかに戦乱が広まりつつある。東と西両方から避難民が溢れ始め、その合流地点がここということになるかも知れん」

アンダースは顔をしかめた。
「こう言うと悪いけど、オーレイで何が起きようと心から気に掛けるというのは難しいな」と少しばかり冷たい声で彼は言った。

セバスチャンは不機嫌そうな顔をした。
「何故だ?チャントリーがあそこを拠点としているからか?」彼は鋭く尋ねた。

アンダースは唇を引き結んだ。
「多少はね」彼は怒ったようにそう言うと、頭を振りまっすぐ顔を上げた。「僕はフェラルデンで育った。僕の両親はまだ僕が小さい頃にあそこへ移ってきたんだ。君も承知の通り、オリージャンはフェラルデンで尊敬されているとは言えなかった。連中に関しては地元民の感情を共有しているのさ」

セバスチャンは彼の言い分に一理ある事を認めて頷いた。スタークヘイブンも他のフリーマーチズ同様、先のオーレイのフェラルデン侵攻の間、大勢の避難民を受け入れていた。彼が生まれる前の話だったが、疎開してきた子供達や追放された貴族の、彼らの国を侵略し一時とは言え支配した連中に対する深刻な憎悪について祖父が語っていたのを彼は思い出した。この時代の記憶は数世代を経てもまだ消えてはいないだろうと、祖父は予言していた。

「ともあれ、お前がオリージャン全般に感じている敵意は別にして、彼らがここへ一気に流入してくる可能性については心配して貰いたいものだな」と彼は言うと、テーブルに軽く腰を掛けてアンダースの顔を見つめた。

「我々が受け入れた避難民の数は、既に街の限界を越えつつある。もしこれが続くようだと、いつの間にか我々は、あらゆる意味の暴力や病気の巣窟となりうる、人が溢れごみごみした避難民収容所を相手にしているということになりかねない」

アンダースは顔をしかめると、カウンターに背を預けて腕を組んだ。
「そうだな」彼は同意した。「避難民が実際にまとまった数となってやってくる前に準備を始めておけば、幾らかは防げる事もある」

セバスチャンは同意して頷いた。
「大勢の人々がやってきた時にどう対応するか、既に計画案を作っている。どこに収容所を作らせるとか、そういった事柄だ。暴力沙汰については収容所全体に定期的な巡回を実施し、またその犯人については厳しく罰することで、スタークヘイブンは治安を乱す者に容赦はしないと明確に示し、事が大きくなる前に抑制出来る事を望んでいる。私が最も恐れているのは、暴力事件から広範囲な騒乱に陥ったり、あるいは病気が広く蔓延するような事態だ。」

アンダースは頷いた。
「収容所の清潔維持が重要だな」と彼は言った。「君も何らかの形で軍隊を持っているんだろう?」

セバスチャンは頭を不思議そうに傾けた。
「ああ、小さい物だが。それと収容所の清潔維持にどういう関係が?」

アンダースは微かに、にやりと笑った。
「その話と軍隊の関係を知らないと言うことは、君は余り軍隊での経験が無いようだな。集団生活を送る場所での決まり事、例えば汚水の排水先はどんな清水の供給源からも遠くの、出来れば下流側に確実に持っていくようにさせるとか、そういった話だ。」

「軍隊だろうと避難民収容所だろうと、大勢の人が集まって生活するところでも、そういう決まりをきちんと守れば皆が清潔で居られる。清潔で居ることで健康を保つ者が多くなるし、反対に穢れや汚物は病気の元となる。どういう訳でそうなるのかは判らないが、とにかくそうなんだ。」

「例えばコレラの様な病気が、いったん人の集まる所に入り込むと恐るべき勢いで蔓延するのは、それが原因だ」彼はそう付け加えると、暫く遠くを見るような目をした。
「まるで病人からの穢れに触れるだけでも病気に罹るようだった。5年前のカークウォール、あの酷かった夏と来たら……」彼は頭を振った。

セバスチャンは頷いた。その夏のことは彼も記憶にあった。あの暑熱、そしてダークタウンの暗がりから立ち上る息も詰まりそうな悪臭と、死臭。本当に酷い夏だった。そのダークタウンのただ中で死体と死にゆく者に囲まれ、彼らを救おうとしていたアンダースにとっては、更に酷い有様だったという事を彼は悟った。
「あのような事がここで起きて欲しくはない」彼は穏やかに言った。「あれを防ぐために役立つなら、どんな助言でも喜んで聞こう」

「その件で覚え書きを書くよ」アンダースは提案した。「それと君の軍隊の下士官や軍医に聞けば、大勢の人々に素早く住居を提供する方法を説明してくれるだろう。偉い士官に聞いたって無駄だよ」彼は唇の端に少しばかり歪んだ笑みを浮かべた。
「士官連中は物事を動かす上で本当に重要なことは何一つ知りやしない。それと、検疫区域も計画に入れるべきだな。隔離された区域で、到着した時点で既に病気の者と、彼らと同行してきた者を病気が治るまで留めておけるような。そうすれば他の者に病気を移さなくて済むから」

セバスチャンは頷いて同意した。「良い考えだ」彼はそういうと勢いよく立ち上がった。
「城に戻ろう。考えるべき事が沢山ある。後でこの件についてお前ともっと良く話をする必要があるかも知れない」

「好きな時に呼んでくれ。僕は当然ながら、いつでも居るからね」アンダースは皮肉混じりにそう答えた。

セバスチャンは鼻を鳴らしたが、彼自身も笑っている事に気づいていた。

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