第13章 神学上の懸念

第13章 神学上の懸念


セバスチャンはしかめ面を包み隠すと玉座から立ち上がり、訪問者を出迎えた。診療所を開いた時から、この日が来ることを彼は予想していた。しかしスタークヘイブンの、チャントリーの大教母自らの訪問は予想外だった。彼女が単に年長の聖職者を誰か使者として寄こすか、あるいは彼女の立場が与える当然の権利として、彼を呼び寄せるかと考えていたのだった。

「大教母グリニス」彼はそう挨拶すると低い台からも降り、チャントリーにおける上位者としての敬意を示すために彼女の前に片膝を付いた。

「よくお越し下さいました、閣下」彼はつつましく言った。

彼女は暖かく彼に笑いかけた。
「ブラザー・セバスチャン‐そしてヴェイル大公、その必要はありませんよ」と彼に言うと、自らの腕を差し伸べて彼を立ち上がらせ、スタークヘイブンの統治者としての彼に向かい、頭を垂れて敬意を示した。

彼も同様に暖かな笑みを返した。
「私のこの……少しばかり特異な立場の組み合わせは、何かと混乱の元ですね」

信仰上のブラザー、そして同時に大公でもある……エルシナ大司教自身が聖職者となるための彼の誓約を受けてチャントリーに迎え入れたため、彼女より下位のいかなる聖職者も、例え大教母グリニスでさえ、その誓約を取り消す事は出来なかった。一族が殺害され彼の将来が不確実なものとなった後、彼女は誓約の大部分を無効とし彼が故郷に戻れるようにしていたが、しかし今でも彼はブラザーとして、チャントリー内部でのしかるべき階級の中にあった。

彼女が死去した後、ヴァル・ロヨーは未だにフリー・マーチズの大司教を任命していないため、彼に残った誓約を取り消す事が出るのは今やディヴァイン自身しか居ない事になった。そして今現在の状況において、フリー・マーチズの片隅の、一都市国家の統治者が置かれた込みいった宗教上の立場よりも遙かに重要な事柄に彼女の心が占有されている事は疑いようが無かった。彼の宗教上の立場と、世俗の権力の奇妙な取り合わせは、少なくともしばらくの間はそのまま続きそうであった。

「どうぞ、お掛け下さい」と彼は付け加えると、召使いの一人に二つ目の椅子を玉座の隣に並べるよう合図をして、彼女が着座したのを見てから自分も席についた。

彼女は随行者に手を振って謁見室の手前へと下がらせ、少なくとも会話が丸聞こえとはならないようにした。
「どうして私が今日、あなたと話をするために来たかはお判りですね」と彼女は静かに言った。

彼は頷き、椅子の中で楽なように座り直した。
「あのアポステイト、アンダースの事でしょう」

「はい」彼女は確かめるように言うと、唇をきつく結んだ。
「避難民達から、カークウォールでの出来事において彼の役割が……大きなものであったと聞かされました。チャントリーを破壊し、多くの者を犠牲にした装置を仕掛けたのが彼自身であったとも」

「残念ながらその通りです、閣下」

「そしてあなたは、そのメイジをここで庇護している」彼女はそう言うと顔をしかめ、声には紛れもない怒りの色が滲んでいた。フリーマーチズの教母皆がエルシナ大司教の事を良く知っていた……彼同様、知るだけでなく愛してもいた。

「庇護しているわけではありません」セバスチャンは静かに訂正した。
「収監しているのです」

彼女の眉は少しばかりつり上がった。
「しかし彼は自由に歩き回り、ここで彼自身の診療所を開いていますね、数多くの信仰深き人々に悪影響を及ぼしかねない場所で…」

セバスチャンは頭を振った。
「いいえ閣下、彼は自由に歩き回ってはおりません。彼は常に監視の下にあります、何時いかなる時もです。私と、彼に割り当てられた衛兵と、診療所の雇い人と患者達以外に会うことは無く、私自身以外とは自由に口を聞くことも許されていません。そして、私があの診療所を監督しています。確かに彼はその中で働いていますが、それは彼が同様の施設において豊富な経験を持つ、才能あるヒーラーであるからに過ぎません」

「そうであったとしても、彼は数多くの死に対して罪を負うはず」

「決して洗い流されることの無い罪、そうです。彼自身の死をもってしても、いささかなりとも罪が軽減される事は無く、彼が滅ぼした命のただ一つでさえ戻すことは出来ません。しかしヒーラーとして働くことで彼は時と共に多くの命を救い、彼自身の行いの結果を僅かであっても打ち消すことが出来るでしょう。生きていれば、彼はなにがしかの償いを成すかも知れません。死んでいては、何一つ役には立ちません」

彼女は眉をつり上げた。
「殺害された者の命を、救った者のそれで精算しようと言うのですか?まるで市場の商人のように、金と小麦の代わりに魂をやりとり出来ると?」

「とんでもありません、閣下。ですが私は彼がここに現れた時、彼の出現には彼自身の意図するもの以外に、何らかの目的があると信じたのです。私は……」彼は顔をゆがめた。
「私がカークウォールで暮らしていた間、エルシナ大司教と近しい関係にあった事はご存じかと思います」

グリニスは頷いた。
「はい。あなたについて二人で話をしたことも有りますよ、ご両親が無くなる前に。あなたの事を随分高く評価しておられました」

セバスチャンは笑った。
「恐らく、その時分の本当の私に値しないほどに。長い間私は彼女の悩みの種であったのでは無いかと恐れます。ともかく、私がスタークヘイブンに帰還した時、彼女からの手紙が私を待っていました。私が自らの悩みに決着を付けるより以前に、いずれ私がここの統治者になるという事を予見しておられたのです。彼女は平和と安定の必要性を説き、私個人には怒りを忘れよ、復讐を求めてはならないと言われました。アンダースがここにやって来た時……もし彼女の言葉が無ければ、私は彼女の死に対する怒りに駆られて、その時に彼を殺していたことでしょう。彼女の言葉が、まさしく彼女を殺害したその男の命を救ったのです。この出来事の裏に何らかの目的があると信じないわけにいきましょうか?それに……お話しておかねばならない事があります」

彼はそう付け加えると、思い悩んで眉をひそめた。
「閣下、このような事を言うのは気が引けますが、これからあなたにお話しようとする事の性質を考えると……あなたには知っておいて頂く必要のある事柄ですが、しかしながら、お話しようとする事は、様々な意味において私の秘密では無いために……」

「あなたが話そうとする事柄の性質を考え、告解*1と同様に扱って欲しいと言うのですか?」と彼女は、少しばかり疑わしげに尋ねた。

「その…いいえ」と彼は答えた。「そう言うわけでは。ただ、今からお話しする事を他のいかなる人物であっても、知らせる前に良くお考えになって頂きたいのです。これは…非常に論議を呼び、神学上の懸念となり得る話題ですので」

グリニスは頷き、彼女の手を膝の上で組んだ。
「よろしいでしょう。何を話そうというのですか、我が息子よ?」

セバスチャンは、彼女が語る中に宗教的な立場を表す言葉を挟んだのを認めて、笑みを浮かべた。彼自身もその言葉で神経が安らいだ。
「フェイドには、悪魔以外にも、人の形而上学的な概念、例えば信仰心や高潔、慈悲、そして正義のような抽象的な価値観を具体化したように思われる精霊が存在する事はご存じと思います」

グリニスは頷いた。
「そのような仮説上の存在、あるいはその不在に関する議論については承知していますよ」

「何年か前、アマランシンという地方でそのような精霊がフェイドから何らかの事情で引き離され、この世界において、直近に亡くなった男性の死体へと寄り付きました。それが真の精霊であったのか、あるいはただのディーモンが偽装していたのかは、私には判りません。アンダースは、その時アマランシンに滞在していました。そして彼とこの……精霊とは、有る意味での友人となりました。それは正義の精霊と名乗っていましたが、その命無き身体が朽ち果てようとする時、アンダースは自らの生ける身体を、精霊の依り代として提供したのです」

グリニスは凍ったように静止した。
「あなたはあのアンダースという男が、ただのアポステイトというだけでは無く、アボミネーションだったと言うのですか!」

「はい、アボミネーションでした、もしその言葉が悪魔に取り憑かれた人だけでなく、精霊と人の組み合わせにおいても、適当な用語であるとするならばですが。この憑依された男の後の行動から判断すると、恐らく両方に適した用語であろうかと思います。カークウォールで彼と行動を共にしていた頃の私は、その言葉で彼を表現することに何の躊躇も覚えなかったものですが」

グリニスはしばらくの間目を閉じ、鼻梁をつまんで考え込む様子であったが、やがてセバスチャンに深刻な顔で向き直った。

「あなたは彼が憑依されていることを知っていて、何もしなかったと言うのですか……?」

セバスチャンは片手を上げた。
「はい。情状酌量の余地があるように見えました、少なくともその当時は。彼のことは、彼が憑依されていると知る前から知っていましたから。その事を知った後、私はどうすべきかと悩みました。その時点での彼の行動からは、彼はこの世界に……善き事をなしていると思えたのです。『ダークタウンのヒーラー』として呼ばれる男の話を聞いたことはございますか?それが彼です」

「しかし今となっては、私が彼の元に行き何らかの……決着を付けるべきだったと、毎日後悔しています。そうしていれば、多くの苦痛と被害を避けることが出来たでしょう。」と彼は苦々しげに付け加えた。

グリニスは頷いて言った。
「一人か二人の避難民が、そのような男の話をしていたのを聞いたことがありますよ。誰も彼がメイジだとは言っていませんでしたが」
彼女は眉をひそめた。
「あなたは、彼がアボミネーションだったと言いましたね。もはやそうではないと信ずる証拠があるという意味ですか?」

「彼は……その精霊なのか悪魔なのかはともかく、既にその存在に見捨てられたであろうと、私は信じています。彼はカークウォールの当時とは大きく変貌した人物になっています。あの出来事を引き起こした当事者として変わっても当然ですが、それで説明出来る以上に。カークウォールにおいては、彼は何かに突き動かされていました。メイジの自由という考えに取り憑かれ、チャントリー全般と、とりわけテンプラーに対しては辛辣な発言をしていました。」

「私は彼が、エルシナ大司教とメレディス騎士団長に面と向かって、彼の意見を口にするところを見たことがあります。しかしお二人とも、彼の行動に対抗しようとはしませんでした。今となってはその理由は永久に判りませんが。メレディスは確かに、彼をカークウォールのチャンピオン、ホークとの関係のお陰だと脅したことはあります。しかし彼女は、ホークがチャンピオンとなる以前から彼の存在に気付いていました。それも、私が彼に対して独自に行動を起こすことをためらった理由の一つです。彼の存在に気付きながら、お二人ともに無視していたように思えるのです」

「彼の日々は、診療所で患者を治療するか、ホークを助けて彼の冒険に同行するか、あるいは彼が『マニフェスト』と呼んでいた、何故メイジに自由が認められなければいけないか、何故チャントリーのメイジに対する専制が不正義で有るのかについて、彼の主張を書き記した論文の執筆といったような、尽きることのない労働に費やされていました。あの精霊は彼の人生の大部分を支配しているようでした……その影響下で、彼が文字通り、立っているその場で崩れ落ちるまで働き続けるのを目撃したことがあります」

彼は口をつぐみ、眉をひそめて考え込むと再び話し始めた。
「ここに到着し、私に降伏した後の彼は……かつての男とは大きく違っていました。カークウォール時代には考えられなかったような傷つきやすく弱々しい姿で、かつては自らの意見を声高に主張し決して自説を曲げなかった男が、今では躊躇いがちな、物静かな態度です。この男は長年、スラム街の寝床より僅かに大きいだけの窓のない部屋で暮らしていたのに、ここで僅か一昼夜の間ダンジョンの独房に放り込まれただけで、酷く打ちのめされた姿となりました」

「彼が書き捨てた紙を私に持ってこさせていますが、彼はもうマニフェストを書こうとはせず、膏薬やポーションの処方箋に、下手な詩、過去からの人々への手紙などばかりです。彼はそれ以外のほとんどの時間を、牢獄の庭での作業や絵を描くことに費やし、更に今では私が立ち上げた診療所で、良い働きぶりを見せています」

セバスチャンはグリニスを見つめた。
「アボミネーションであっても、後に解放されたメイジがいることは知っています。エルシナ閣下は一度、ブライトの最中にフェラルデンで、欲望の悪魔に取り憑かれたメイジの少年が、その悪魔から解放されたという話が引き起こした大論争について語って下さいました。さらにホークと仲間達は、カークウォールで若いエルフメイジを餌食にせんとする悪魔と戦うために、まさにフェイドのただ中へと旅をしてそのエルフを救いました。」

「アンダースもかつては精霊、あるいは悪魔の宿主であり、他のメイジ同様に今では解放された様に見えます。そしてもし、彼が本当に解放されたのなら……彼の罪のどれだけを彼自身が、どれだけを彼を長い間支配していた精霊が負うべきなのか、疑問に思わざるを得ません」

グリニスはゆっくりと頷き、考えに沈むように見えた。
「彼のことを調査したいのですね」

「ええ、他の事も含めて。精霊が彼から去ったとすれば、今私が見ている男は、恐らくはかつてそうであった姿のアンダース、アボミネーションとなる前の姿です。かの精霊が、本当に彼から立ち去ったのか、それとも単に時期を見計らって隠れているだけなのか、それは判りません。ですが私は、精霊が彼を突き動かしていた頃の彼がどうだったか、その姿を良く知っています。本当に、もし彼が再びアボミネーションとなったと察したならば、その場で殺害することに何のためらいがありましょうか」

彼は声を硬くして言った。
「私は彼がその……精霊の影響下で引き起こした惨状を見ました。彼が数多くの男女、私が良く知っていた者達、そして私が母とも思い愛した女性を殺した事を忘れはしません。ですから私は彼を近くに置き、警護し、行動を観察したいのです。そして彼が生きている間、病人を癒やし怪我人を手当てさせる事で、スタークヘイブンには幾分かの利益がもたらされます。彼の為した巨悪を消し去る事は決して無いにせよ、やがていくらかはその罪をあがなう事が出来るでしょう。それに、エルシナ閣下はいつも人や物が無駄になるのを大層嫌っておいででした」

彼はそう言うと、苦いユーモアと共に付け加えた。
「私自身の擦り切れた魂を救うためにあれほど尽力下さったのが、その証拠です」

グリニスは再び話し出すまでに、しばらく考え込む様子だった。
「いいでしょう。もしその‐悪魔であれ、精霊であれ‐そういった物が戻ってきて再び彼に取り憑いたとしたら、あなたには判断出来るという事を信じましょう。ですが私も、自らの手で保障措置を取らねばなりません。私が信頼する者の監視下に彼を置きたいと思います。そうすればあなたのその診療所で彼が何を行っているか、私自身がつぶさに知る事が出来ます」

「それともう一つ、あなた方二人がチャントリーで祈るために定期的に姿を見せる事を望みます。あなたが今でもブラザーとして信仰を自ら守る事が出来るのは知っていますが、公式に信仰心を見せることによって、あなたが世俗の友人からの影響を受けて、チャントリーから遠ざかるのでは無いかと恐れる人々を安心させるでしょう。それにもし、あなたがそのメイジになにがしかの救いを求めるのであれば、彼をアンドラステ様の教えに再び導く事は害にはならないでしょう」

セバスチャンは頷いた。
「両方のご意見に賛成です。実際、ここに戻った当初から私はチャントリーに訪れて礼拝を行い、領民達と共有する信仰を強く守っている事を示すべきでした。この城の中の小さな礼拝堂で定時の礼拝は献げていますが、それをもっと公に示すのは良い考えです。それと、診療所の中に独立した監視の目を置く件ですが……」

彼はしばらく考えると、大教母ににこやかに笑いかけた。
「もしかすると、監視者として適当な候補が、たまたま薬品調合の技に長けているというような事はありませんか、閣下?」と彼は希望を込めて尋ねた。

グリニスは笑みを浮かべ、面白がっているようだった。
「一つの石で二羽の鳥を殺そうというのであれば、両方の役割を果たせそうな者を探しましょう。もしもう一つの目的に合致するような、訓練を受けた薬剤師が見つけられなかったとしても、少なくとも病んだ者を手当てする方法に十分習熟した者を。診療所もいずれは、そういった者の手が更に必要となるのは間違い無いでしょうからね」

セバスチャンは頷いた。
「間違いないでしょう。私達を取り巻く世界から聞こえてくる出来事の知らせは、暗いものばかりです。避難民の数が更に増大するのは疑う余地が無く、彼らと共に争乱と病気が持ち込まれるのも、間違いありません」

グリニスは顔をしかめて頷いた。
「そうならない事を祈りましょう、ですが残念ながら、あなたの言うとおりです」


*1:Confession, 神の前で罪の赦しを得るために必要な儀式とされる。聖職者はこの儀式において知り得た内容を他者に漏らしてはならない、という話は海外ミステリーを読んだ事のある方なら良くご存じだろう。
DA2本編でも、セバスチャンがフェンリスに対して、自分は教会のブラザーとして告解を聞く資格があると言っていた。

挿絵はウィンザー城の(恐らく数多くある内の一つの)謁見室を絵に描いたもの。椅子の周りに低い台座がある。

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