第14章 傷跡

第14章 傷跡


ジャスティスが去ったという事について、セバスチャンをさらに納得させる材料があるとしたら、診療所へのシスター・マウラの参加を、あのメイジがいかに静かに受け入れたかという事実で充分だった。かつてのアンダースなら、チャントリーの監視の下に置かれると聞いただけで天井を突き破ったに違いない。彼女がポーションの調製と膏薬や塗り薬の調合に熟達していると判明した後は、彼は優れた技術のある助手が来て何よりも喜んでいるように見えた。

診療所は少なくともある程度の成功を収めているようだった。ほぼ毎日数時間診察を行い、そこを訪れるかなりの数の怪我人や病人を受け入れて治療していた。セバスチャンは、アンダースが診療所を訪れてそこを取りしきる間の報告を定期的に受け取っており、見たところ彼は診察と治療に必要な事柄しか話してはいけないとする命に従っているようだった。

セバスチャンはあのメイジがひとまずは管理下にあることに喜んだ。一方彼自身が果たさねばならない義務は、次第に厄介なものとなりつつあった。彼の突然の帰還、従兄弟のゴレンの遁走、そしてカークウォール内外で沸き起こる出来事の知らせは、街の庶民から貴族に至るまで市民全てに、彼がどういった類の君主なのか見定める間の猶予期間を彼に与えていた。そして彼が暴君として横暴な振る舞いを見せない事がはっきりした今、貴族や商人、ギルドの長達は彼を試し始め、ゴレンのように容易く言いなりになるかどうか揺さぶりを掛けてきていた。

彼らの持ち寄る問題の内幾つかはごく真っ当なもので、例えば街の防護壁の内側が最近の避難民の流入による人口増加で混み合いつつあるといったような正当な懸念であったが、中には街の他の集団を犠牲にして、自らの属する特定の集団に利益を誘導しようと、露骨に彼に働きかける者もいた。彼は「ノー」の言い方に熟練しつつあった。面会を申し込む者達の懇願と要求の仕方が、礼儀正しいか押しつけがましいかによって、ある時は単純明快に却下し、ある時はずっと丁寧に断るなど、様々な方法を使うようになっていた。

その日の昼過ぎ、彼は頑固な貴族達とのとりわけ白熱した議論の後、不機嫌な気分を抱えて自室に戻ってきた。彼らは未だ到着しても居ない多数の避難民のために、何故今から準備をしなければいけないのかどうしても理解しようとせず、反対のための様々な理由を申し立てた。曰く、避難民キャンプの設置を予定している場所は「景観を損ねる」、曰く、そのような出費のために彼が税金を上げるのではないか、云々。

石頭の自己中心的な愚か者共が。今準備をしておかなければ、そのような避難民が実際に姿を現してからでは‐何時来るかであってもし来たら、ではない!‐街がどれほどの混乱と出費を被るか、何故理解出来ないのだ?

しかし、彼らが外の世界で巻き起こる出来事を無視し、スタークヘイブンには影響が及ばないと信ずる方を選ぶだろう事は判っていた。あるいは更に悪いことに、もし避難民の流入が更に増加するような場合、何よりもまず彼らが享受する平穏を維持するため、何らかの方法で国境を閉鎖し、安全な避難場所を求める人々を締め出すべきだと主張するのだろう。彼らの本当に意味する所は、彼は貴族達の特権を侵害しかねない様な事は何一つ行うべきでないということだった。

いつものアンダースの書き捨てた紙を拾い集めた束が、彼の机に置かれていた。更に多くの、ほとんどが下手くそな詩編。しかし海からのそよ風がダークタウンの暗がりにもたらす清浄な大気と自由の気配について記した短編は、心を打つものがあった。彼はその頁を机にしまい込むと、他の頁を彼自身の暖炉の火に始末させた。

それ以外の頁はいつものように数多くのスケッチで満たされていた。ホークの絵の頻度が減っていることに彼は気付いたが、今でも猫と植物はあの男が好んで描く対象だった。彼の庭の植物を描いたスケッチのうち、いくつかは薬草のようで、他の植物がざっくりとした形と姿を示しているに過ぎないのに対して、詳細かつ丁寧な線画で描写されていた。

二枚目の頁にはセバスチャンの絵があり、何か考え込む様子で唇の端に微かな笑みを浮かべていた。そして最後の頁にはアヴェリンの毅然とした様子を上手に捉えた似顔絵があった。彼はその二枚を、机の中の厚みを増していく束に加えると、午後の仕事を始める前に少し休憩を取ることに決めた。彼は書斎の本棚から、デネリムの有名な旅行記作家であるブラザー・ジェニティヴィの本を一冊取り出し、召使いに昼食を持ってくるように伝えると彼の寝室へ向かった。

彼は北向きの窓際に置かれた、幅広の椅子に腰を下ろした。そこに座るのが癖のようになってきてから、度々彼が持ち込むクッションで椅子の上は一杯となっていた。彼は窓の外を眺め、今日はアンダースが庭に出ていないと気付いた後は、腰を落ち着けて昼食と本を楽しみ、かの善良なブラザーによるリヴァイニ旅行記にしばらくの間心を奪われた。

彼がぬるくなった紅茶の最後の一杯をカップに注いだ時、窓の外で動くものが彼の目にとまった。アンダースがいつの間にか診療所から戻ってきており、中央の池の周囲に伸びた植物を刈って池としての外観を取り戻そうとしているようだった。彼はしばらくの間その男が働く様子を眺め、スタークヘイブンにやってきてから随分筋肉が付いたように見えることに気がついた。

充分な食事と屋外での労働のお陰で、以前の彼のやせ衰えた青白い姿は影を潜め、日に焼けた健康的な姿となっていた。まだ痩せてはいたが、彼の身体には徐々に筋肉がつき始めていた。彼のシャツとレギンスの縫い目が、肩と太腿の辺りで明らかに張り詰めており、またすぐに新しい服が必要となりそうだった。

セバスチャンが見ている間も、メイジは腰を伸ばすと手の甲で額の汗を拭った。こんな暑い日に外で激しい労働をしたせいで、彼は顔を真っ赤にしていた。池の周りに漂う湿気も救いとはならなかっただろう。

アンダースはしばらく立ったまま、門の方に目をやるとシャツの首回りを緩めた。彼はそこで手を止めて周囲を気にする様子であったが、それからシャツの裾を持つとゆっくりと頭から脱いだ。

セバスチャンは若い時代に覚えた中でも、とりわけ酷い悪態が口をついて出るのをようやく押さえた。慈悲深きアンドラステ様!この夏の暑さの最中にあの男が長袖を着ている理由が、やっと判った。この場所からでさえ、男の背中から腕にかけての皮膚を覆う、盛り上がりねじくれた一連の傷跡を見ることが出来た。

かつて彼が知り合った傭兵で、仕官先を叩き出されるまではどこかの国の戦士であった男‐何故そうなったかは聞かなかったが、男の人となりからは盗みか暴力かのように思えた‐は、機会がある事に鞭で付けられた傷跡を見せびらかしたものだった。「鞭打ち30回、どうだい」と、明らかに処罰として受けたものにも関わらず、男は誇らしげに繰り返していた。

その男の傷跡と、アンダースの背中と比べると……あのメイジは彼の半生において、30回どころではない鞭打ちを耐え抜いたに違いなかった。彼が不具になっていないのは小さな奇跡と言っても良かった。奇跡ではなく魔法か、あのメイジが自分で受けた傷を癒せることに気がついて、セバスチャンはそう考え直した。しかしもし彼が傷を癒していたのなら、何故酷い傷跡が残るような事になったのだろうか?セバスチャンは不思議に思い、しばらく戸惑って考え込んだ。

それからセバスチャンは、あの男がとりわけテンプラーを恐れ憎んでいた事を思い出した。テンプラーは、メイジの魔法の力全てを一時的に失わせる技術に長けていた。もし呼び起こす力が奪われていれば、ヒーラーといえども治療は出来なかった。それにある程度の期間、メイジから魔法を奪い去り無力な状態にしておくため、メイジベインの様な毒物が使われることもあった……その間に、鞭打ちの深い傷口はねじくれた傷跡を残したまま治癒し、いかなるヒーラーの技も及ばない痕跡となったのだろう。

彼は嫌悪感を覚えて窓から顔を背けた。メイカー、もしあれを行ったのがテンプラーだとしたら、アンダースが彼らをあれほど憎むのに何の不思議もなかった。アンダースの憎悪には根拠があったとする考えに動揺して、彼はしばらく目を閉じると祈りを捧げた。あの男がカークウォールで行った行為の正当化は出来ない、決して……。しかし彼が見たところ、単にサークル内での一生涯を嫌う以外に、テンプラーとチャントリーを憎悪する理由があの男にあったという新たな発見は、心乱されるものであった。

彼は渋々振り返ると、男の背中を観察した。曲がりくねった傷跡のもつれ合った筋が、アンダースの肩から腰下のレギンスに隠れるまで連なっているのを冷静に確かめ、そしてあのアポステイトをカークウォールでの行動に追い込んだ事象において、チャントリーが潔白だったとは言えないかも知れないという事実を受け入れようとした。

チャントリーはこの男の憎悪を、あの背に刻まれた傷口一つ一つで造り出していたのかも知れなかった。それでもなお、彼がしでかした行動を正当化はしなかったが、彼があの精霊の言葉に易々と耳を傾け、進んで取り憑かれた理由としては……そう、確かにそれに違いなかった。

ようやく彼は再び顔を背けた。あの男は明らかに他人に傷跡を見られるのを心配していた様だった。これ以上彼のプライバシーに踏み込むべきでは無いだろう。彼は本と昼食の皿をそこに置いたまま書斎へと戻り、彼自身の仕事に集中しようと努力したが、しかし彼の心はアンダースの傷だらけの背中を繰り返し目前に描き出していた。

カークウォールのチャントリーの正面扉に彼が足を踏み入れてから初めて、チャントリーの教えに疑いを抱いている自分に彼は気づいた。彼はチャントリーからの命令を、それが真に正しいから受け入れていたのか、それとも単に正しいと教えられたからなのか、疑問に思い始めていた。

 

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