第31章 渋々ながら同意

第31章 渋々ながら同意


アンダースは壁に沿って座り込み、彼の膝を両腕で抱いて額を膝の上に休めると、しばらくの間そこで身を震わせていた。クンクンという小さな鳴き声と、冷たい鼻先が彼の耳を突っつき、彼は驚いて小さな笑い声を漏らすと頭を上げ、片手を犬の首筋にやって宥めるように撫でた。
「大丈夫だよ、ガンウィン」と彼はかすれた声で言った。
「僕はただとても、とっても疲れているだけだから」

犬はまたキューンと鳴くと、頭を彼の胸もとと脚の間にねじ込み、尻尾を勢いよく振った。彼は鼻で笑い、脚を降ろしてやった。ガンウィンは即座に身体をよじって、前半身を彼の膝の上に出来る限り押し込み、長い足と尻尾は彼の身体の側に伸ばして、顎を腹の上で休めると、暖かな茶色の眼で情熱的にアンダースの顔を見つめた。アンダースは微かな笑みを顔に浮かべると犬の耳を擦った。
「時々お前はとんでもない甘えん坊になるな」と彼は優しく言い、犬は喜んで尻尾でパタパタと床を叩いた。

彼は頭を疲れたように壁にもたれかけた。今朝早く、彼はノックの音と、衛兵の夜明け前に避難民を満載した船が到着し、大勢の怪我人が居るので、可能な限り速く診療所へ来て欲しいとの言葉で起こされたのだった。彼はチーズを一切れと、リンゴ一個とアッシュを引っ掴むと、大急ぎで診療所へと向かった。

怪我人の多くは、火事から逃げる間に火傷を負ったもので、他は恐慌に陥った人々が、僅かな川船の空き場所を巡って争う中で受けた傷だった。上流へと川船が遡る間、船倉に水揚げされたイワシのように詰め込まれ、もし手当をして貰えたとしても辛うじて元気な他の乗客からという状況で数日を過ごした後では、怪我人のほとんどの傷口が既にひどく化膿していた。あるいはもっと悪い事に‐診療所へ担架を運ぶのを手伝っていた街の人々が、船倉からかなりの数の、旅を生き延びられなかった人々の死体を引きずり出したと衛兵に話しているのを、彼は漏れ聞いた。

それから彼は寝床から寝床へと慌ただしく動き回り、順番に彼が出来る限りの事をした。教会からは更に二人、訓練を積んだヒーラーが手伝いのために寄こされた。化膿した傷口を切開して清浄にし、湿布を当てて包帯を巻く‐彼女たちはプリーストであってメイジでは無いため出来る事は通常の手当てに限られていたが、それでも今現在は出来る限り多くの、熟練した手を必要としていた。
彼は魔法の力を出来るだけ小出しにして、従来の治療では失われるであろう命だけを救うことに専念し、自然に治癒可能な患者については他の者に任せた。シスター・マウラが彼の手助けをして、彼が弱ってきた時にはリリウム・ポーションを手渡した。彼女には、彼に8本以上のポーションを飲ませないようにと伝えてあったが、昼過ぎにはもう彼女は首を振ると、それ以上のポーションを渡す事を拒んだ。彼は衝撃を受け彼女と言い争おうとした‐しかし8本でさえ既に相当無理をした本数な事は判っていたし、そもそも5本が限界だと普段彼女には言っていた。

彼に十分な力が無いために死んで行く人々の側に居ることは望まず、通常の手法で治療する力も残っていなかったため、彼は診療所から立ち去った。疲労と短い間に続けざまにリリウム・ポーションを飲んだ副作用で、彼の頭はふらついていた。コテージへと歩いて戻る途中で、彼の護衛の一人が腕を取って彼に肩を貸した時、彼は黙ってそれを受け入れた。

彼はため息をつくと、瞬きをして眼を突き刺す涙をこらえようとした。ベッドに行って休むべきなのは判っていた。それにしても、先に何か食べなければいけなかったが。限界を押しての魔法とポーションの使用の後で、彼の身体は危険なほど消耗していた。だが彼は本当に疲れていて……彼はガンウィンの耳を擦ってやりながら、彼の尻の側で丸くなっているアッシュの小さな身体をもう一方の手で覆った。

ハエリオニは暖炉の側で寝そべりながら彼を見ていたが、突然四本の脚で立ち上がると寝室の扉を見つめ、耳をピンと立って頭を左右に動かした。ガンウィンも彼の膝からもぞもぞと起き上がり、同じ方向を向いて一声キューンと鳴いた。

「アンダース?」聞き慣れた声が呼ぶのが聞こえた。

「表にいるよ、セバスチャン」と彼は呼んだ。寝室の扉が開いてセバスチャンが居間兼食堂に入ってくると、アンダースが床に座り込んでいるのを見て眉をひそめた。フェンリスがすぐ後に付いてきて、あたりを不安げに見回した。アンダースは一瞬緊張したが、すぐに笑顔を作った。どちらかというと、歯を剥き出しにしたと言った方が良かっただろうが。
「フェンリス」

「メイジ」

ハエリオニは喉音を漏らすと前に進み出て、アンダースと二人の間に割り込み、じっとエルフの方を見つめた。ガンウィンはセバスチャンとフェンリスを交互に見つめてどうしようかと迷っているようだったが、ハエリオニの後ろに従った。フェンリスは巨大な犬を見て表情を強ばらせた。彼女は一歩彼の方に進むと毛を逆立てて、低い敵対的なうなり声を漏らし始めた。

「下がれ」とアンダースは鋭く言った。ハエリオニはその場で凍り付いた。
「すまない。犬たちは君が僕に悪意を持っているんじゃないかと思ったようだ」と彼は言うと、再びフェンリスに向かって笑みを浮かべた。
「伏せ。良い子だから。ただのフェンリスだよ。怒りんぼの怪しげなやつだけどすぐ慣れるよ、大丈夫」

ハエリオニはアンダースの方をちらっと見ると、彼の方へ移動して床に伏せたが、まだ彼とフェンリスの間に身体を置いていた。ガンウィンもすぐ側で伏せたが、頭を上げて二人の男を興味深そうに見ていた。

セバスチャンは口の隅を曲げてニヤりと笑った。
「犬達がフェンリスを唐突に見たら、歓迎しないかも知れないと言うことは覚えておくべきだったな。今日は診療所の方が大騒ぎだったと聞いた。朝から忙しかったのか?」

アンダースは大儀そうに頷いた。「ああ。座ってくれ、フェンリス」と彼は付け加えると、二人の男の側にある椅子に向けて手を振った。
「君がそこで恐ろしげに立ってない方が、犬達が安心する」と彼は指摘した。「それに、大体君はまだ自分の足で立つべきじゃない……」

フェンリスは鼻を鳴らすと、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
「足はちゃんと保護している」と彼は言うと、セバスチャンの方に眼をやった。
「誰かさんが、俺の足が全部治る前に適当な保護具無しでベッドを離れるようなら、俺をベッドに縛り付けると脅かした。本当に俺を縛り付けようとする程誰かの部下が馬鹿だったとしても、怪我をさせる羽目になるのは本意ではないからな」

アンダースはエルフの足元を覗き込むと、歯を剥き出して笑った。
「羊革のスリッパだって?僕はリリウム・ポーションを飲み過ぎて幻覚を見ているに違いないな」

フェンリスは彼を睨み付けた。セバスチャンは少しの間楽しげに微笑んだが、やがてアンダースに向かって顔をしかめた。
「その冗談はかなりのところで真実に近いようだな。一体今日ポーションを何本飲んだんだ?」セバスチャンは怪訝そうに尋ねた。

「沢山」アンダースはあやふやに答えた。

「つまり、多すぎる数」フェンリスが素っ気なく言った。

セバスチャンは頷いた。「だろうな。お前は何か食べて休んだほうが良い。それと冷たい床の上に座るのも止めろ。さあ、ほら、せめて椅子に座れ」

「判ったよ」とアンダースは言うと、どうにか立ち上がろうとしたが、現状では彼の脚はその仕事に向かないようだった。

セバスチャンは慌てて駆け寄り、犬達を側に押しやると‐彼らはセバスチャンに従ったがまだフェンリスに不安げな眼を向けていた‐アンダースを助けて立ち上がらせ、椅子へと連れて行った。アンダースはおよそ自分自身で食物を取ってこれる様子では無く、しかしメイジに食物を出してくれとフェンリスに頼むのは正しく論外であったから、セバスチャンは自分で台所に行くと辺りを引っ掻き回して、パンとチーズ、それに果物を見つけ、それら全部をテーブルの上に出した。彼はパンとチーズを切ってアンダースの手に乗せてやり、それからリンゴを切って芯を取り始めた。アンダースはしかめっ面をすると、食べなければいけないと判っているからそうするのであって、その行動に現時点では何の喜びも感じていない、といった雰囲気を漂わせながら食べ始めた。

しばらくして彼は顔を上げると、二人の方を見て眉をひそめた。彼はクシ切りにしたリンゴをセバスチャンから受け取ると、彼の椅子に深くもたれかけた。
「それで……何でまた今日は、二人で僕の所に来る事になったんだ?」

セバスチャンは手短に、メイジ達をどのように扱うかという問題に関するアンダースの検討に、フェンリスも加わらせるという彼の考えを説明した。
「それに、この件についてはドゥーガルやシスター・マウラとも話しても良い。衛兵達には、フェンリスが居る限り、お前は彼らともっと幅広い事柄について話しあう許しを得たと伝えておく。チャントリーの体制において最悪の経験をしたメイジと、同じようにマジスターに支配された社会で最悪の人生を体験した男が、どうすれば人とメイジが平和裏に共存出来るかについて話し合い、それでも二人の間でなにがしか合意出来る所を見つけられないとしたら、その時こそ私はそのような道は恐らくあり得ないと信じる事にしよう」

アンダースは大儀そうに頷いた。
「少なくとも、やってみる価値はありそうだ。最初に口論となった時に、フェンリスが僕の心臓を胸から引き抜かないと約束してくれる限りはね」

「少なくとも二回目までは待ってやろう、メイジ」とフェンリスは素っ気なく答えた。
「貴様が俺の居る所で不必要な魔法を控えると約束する限りは」

アンダースはひねくれた笑みを浮かべた。
「そいつはちょっとばかり大変だな、もし君が診療所に来てドゥーガルやシスター・マウラと話をするのなら。僕はあそこで治療とかやってるからね、覚えてるかも知れないけど」

フェンリスは鼻を鳴らした。「俺の言った意味は判っているはずだ、メイジ」

「多分ね。判った、そうしよう。だけど今日からは無理だな、間違い無く‐僕はひどく疲れ切ってるから。明日も多分同じようなものだろう、もしも傷ついた避難民達が更に到着するようだと」

セバスチャンは頷いた。
「もちろん、状況が落ち着いてからで良い。大教母と私は、アンズバーグから来るメイジ達に対して少なくとも急場をしのぐ対策は取ったし、長期的な解決策についてはしばらく待たざるを得ないだろう」

「彼らをどうするつもりだ?」アンダースは、少しばかり心配そうに尋ねた。

「ヴェイル一族の持ち物となっている建物がある、ここから南東に数マイル行った所の、丘の上に立っている古い砦だ。マイナンター川の支流の側で……ごく小さな舟しかたどれない川だ。あの暗殺未遂事件のあった日に、私が見にいった場所の一つでもある。そこは要塞となっていて、現時点では年老いた管理人と一握りの衛兵以外が居る以外は空っぽだ。この街はもちろんどんな小さな村や町からも十分離れていて、少なくとも反メイジ派の活動が心配される間は、誰の目にも止まらず気にも掛けないような場所が良い」
「そしてもし、もめ事が起こったとしても、十分他所からは離れているから、アンズバーグで起きたように衝突が街中を巻き込む争乱へと広がる事無く、テンプラーだけで十分彼らの保護下にあるメイジを守れるだろう。中は十分な清掃が必要だが、メイジとテンプラー達で実施できるし、彼らにも何か手を忙しくしておくものが出来る事になる。既に必要な品々は送らせている、例えば寝床、毛布、食料品と言ったような物だ。それにチャントリーも、既にそこの施設を援助する事を約束している、彼らのテンプラーがそこに住む事になるのだから」

アンダースはゆっくりと頷いた。
「それは、良い選択のようだね」と彼は遠慮がちに同意すると、それから溜め息をついて疲れた様子で彼の顔をこすった。「すまない。もう休んだ方が良いようだ」

セバスチャンは頷いた。「ベッドに行くのに手助けがいるか?」と彼は尋ねた。

アンダースは鼻を鳴らして、彼に向かってひねくれた笑みを浮かべた。
「多分ね」と彼は言うと、ふと眉をひそめた。「アッシュは何処だ?」

「その子猫なら貴様の椅子の下に居る」とフェンリスが指摘した。

アンダースは身を乗り出して覗き込んだ。「ああ、居た」と彼は言うと、屈み込んで子猫を拾い上げ、胸に抱くとよろめきながら立ち上がった。二匹の犬も素早く立ち上がって、彼の方を待ちかねたように見たが、フェンリスも立ち上がったのを見てガンウィンは不安そうにエルフの方を眺めた。

「君が先に出た方が良いだろう」とセバスチャンはフェンリスに言うと、アンダースの隣に寄って彼を片腕で抱えた。
「犬達もそのうち慣れるだろうが、そうすぐに君を友達だと信じる準備が出来るとは思えないな」

アンダースとフェンリスは、それを聞くとほぼ同時に鼻で笑った。フェンリスはともかく先に寝室を通り抜けてクローゼットの側に立つと、セバスチャンがアンダースを助けて寝室へと連れてきて、男がベッドに落ち着くのを見てから彼の側へ戻ってくるのを待っていた。

「夕食を持ってきた時に食べられるよう、召使いにお前を起こさせよう」と彼はアンダースに言った。

アンダースは既に眼をつぶりながら頷いた。ガンウィンはベッドに飛び上がって彼の側に寝そべり、頭を腹の上に置いて、二人が背を向けて隠し階段の方に向かい、クローゼットと隠し扉を閉めるまでずっとフェンリスの方を見ていた。ハエリオニは彼女のいつもの場所、寝室の扉とクローゼットの間の壁に長く寝そべっていたが、今回は頭をクローゼットのある壁の方に向けて、警戒の眼を向けておけるようにしていた。

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第31章 渋々ながら同意 への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    わんこ可愛いよわんこw
    我が家には3歳になるアメショがおりますが
    フェンリス並みに愛想なしでつまんないです。

    それにしても

    セバスチャン・・・マメだなあ・・・・

  2. Laffy のコメント:

    EMANONさま、コメントありがとうございます(^.^)

    マメです(笑)しかも優しいし気配りが出来るし。悩むとお祈りし出すのを除けば最高でしょう。
    アメショいいなー。男の子ですか?うちは兄妹(姉弟かも?)猫ですが、妹猫の方が冷淡ですね。兄貴は馬鹿で甘えたです。

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