第32章 受容

第32章 受容


フェンリスは足を見下ろして眉をひそめると、考え込みながら彼の長い足指をもぞもぞと動かし、それからベッドの側から滑り降りて固い石の床に降り立った。足の裏はまだ柔らかかったが、実際もう全く痛みは感じなかった。十分治った、と彼は判断した。もっともあのメイジが同意しないのは疑う余地も無かったが。

彼はベッドの側に投げ捨ててある羊革のスリッパを見て唇の端を歪めると、鎧掛けに歩み寄り、そこに掛けられている鎧を指先で軽くつついた。彼のいつもの鎧では無かった。彼の鎧は、マイナンター川を遡るスタークヘイブンへ続く、長く大胆な旅路の後で何にも増して適切な修理が必要となっていた。セバスチャンはエルフサイズの革装備を取りあえずの代用品として調えると、フェンリスに元の鎧は街の熟練した革職人に送って、修理が出来ないか見て貰おうと言ったのだった。

彼は馴染みのない鎧を着用したいとは思っていなかったが、しかしそれ以外の道‐つまり、鎧無しよりは良い事は判っていた。それでも彼は鎧は後回しにして、先に身体を洗うことにした。彼は浴室へと歩いて行き、ゆったりとした浴槽の端に置いてある甘ったるい香りの石けんを鼻で笑うと、冷たい水に浸した布で全身を拭い去り、迅速かつ効率的に身体を綺麗にした。ダナリアスの浴槽はこれよりまだ贅沢だったと、彼は思い出していた。馬鹿げた空間の無駄遣いだ。

身体が十分清潔になったと満足して彼は寝室へ戻ると、新しい鎧にしかめっ面をして、それから着替え始めた。彼は十分な時間を掛けて、その鎧が身体にぴったり合うよう、注意深く全ての革紐の長さを調節した。彼は幾つか基本的な動作をして、鎧が引っかかったりぶつかったりする所を探しては、滑らかかつ容易に動作が出来るまで、不快に感じる部分を全て調節し直した。彼の気に入るところまでは合わなかったが、取りあえずは適当と思われた。

彼は部屋を出て廊下を進み、階段を上がってセバスチャンの居室のある階に行った*1。扉の前の衛兵達は既に彼の存在に慣れていた‐何しろ城にたどり着いてからずっと、大公が何かの会議と併せて夕食を取る時を除けば毎回、彼はセバスチャンと食事を共にしていた。衛兵達は僅かに頷いただけで扉を開けると、彼をセバスチャンの居間へと通した。

セバスチャンは既にテーブルに着いていて、フェンリスの姿を認めると頷いて笑顔を見せた。フェンリスは自分の皿に食事を取り分けると、席について行儀良くてきぱきと食べ始めた。

「君のための適当な武器を、どうにかしなければな」とセバスチャンは行った。「城の武器庫を調べさせてみたが、残念なことにヴェイル家の衛兵は皆短剣と長剣、それに弓でしか訓練を受けていないので、両手持ちの剣は一振りも無かった。しかしながら、スタークヘイブンには非常に評判の高いドワーフの武器職人が居る。私も今日最初の会合までにしばらく時間があるから、君と一緒に行って彼の在庫に適当な剣が無いか、見てみようと思うのだが」

フェンリスは眉をひそめた。
「君からそんなに沢山の施しを受けるわけには……」

セバスチャンは手を振って彼の言葉を遮った。
「とんでもない!君は私の命を救ってくれた、フェンリス。私はその事は非常に重要だと思っている。それに君は、もうすぐセリンの手助けもしてくれる事になるだろう‐もしそれで君の気が済むのなら、彼との仕事に対する報酬だと考えて欲しい」

フェンリスはしばらく考え込んだが、渋々頷いた。
「判った。ならば、報酬のかわりとして」

セバスチャンは笑みを浮かべた。「結構。食事が終わったら早速行くことにしよう。君が適当な武器を持たずに歩き回るのを見るのは、どうにも君らしいように見えないからな。ところで今使っているその爪楊枝は武器の内に入らないよ」
そう彼は付け加えると、フェンリスが背負っている長剣に向かって頷いて見せた‐彼は、エルフが唐突に彼の前に姿を現した日に使っていた長剣を回収し、その部屋へと持って来させていた。このエルフに彼の居る所でも帯剣する許可を与えるというのは、城の中に移ってきてから一番最初に彼が衛兵に伝えた命令の一つであった。

フェンリスは彼に向かって微笑んだ。「俺も、どうにもらしく感じられないな。これほど小さく軽い武器は……不安定だ」

彼らは速やかに朝食を終えると、共に街の方へと向かい、一群の護衛が彼らの後ろに付き従った。その職人の店はさほど遠くなく、貴族達が住む一角のすぐ外、最高の職人が自らの店を構える市場の一角にあった。彼らが店に着いたのを見て、主人自らが出迎えるために大慌てで表へと出てきた。フェンリスが驚き喜んだ事には、この職人は適当な武器を幾つか在庫に用意していた。しかしほとんどがきらびやかな金属製で、彼の好みより随分と華美な装飾が施されていた。

三振りの剣と二本の大槌に彼が首を振った後で、武器職人は考え深げに頷いた。
「見せびらしのためではなく、本物の仕事に使える武器をお探しですな」と彼は決然とした口調で言った。

「ああ。金属でも良いが、出来ればアイアンウッドかドラゴンボーンが望ましい」

鍛冶職人は難しい顔つきをした。
「重さと操作性の違いからですな?そうですな、アイアンウッドはございませんが、適当なドラゴンボーンの剣があったかも知れません」と彼は言うと、見習いの一人に取ってくるように大声で命じた。

剣を見るや否や、鞘から引き抜く前からフェンリスは笑みを浮かべた。ほとんど彼の背の高さと同じ長さで、柄には最低限の装飾が施されていた。剣の刃は幅広く‐彼の広げた手よりまだ広い‐根元では分厚く、剣先に近付くに連れて急速に細く、薄くなっていた。幾度か握り方を変えて、彼は速やかに釣り合いの取れる位置を見つけた。
「試しても良いか?」と彼は職人に尋ねた。

その店の裏には小さな練習場があり、本物の剣技を試せる程大きくは無かったが、鍛冶職人はそこに練習用の人形を置いていた。フェンリスは幾つか簡単な構えと素振りをして、終わった時には満足げな表情で頷いた。
「これで良い」と彼はドワーフに言った。

多額の金貨がセバスチャンから支払われ、彼らが店を去る間、適当な武器を再び持てた事にフェンリスは喜びを感じていた。しかしその重みの違いは、彼の足裏が十分固くなっていない事を思い出させた。彼はまだ、あまり歩き回って足を酷使しないよう注意する必要がありそうだった。

彼らは城に戻ると別れて、セバスチャンは会合へと出かけていった。フェンリスはしばし、自由な時間に何をしたものかと戸惑ったが、やがて診療所へ向かう事に決めた。アンダースはそこに居るだろうし、もし居なくてもあのメイジの助手には少なくとも適当な自己紹介が出来るだろう、何しろ彼らはこの先いくらかの時間共に過ごす事になるのだから。

診療所の入り口に着くと、そこにアンダースの護衛が立っていた。彼らは用心するように剣を見たが、何も言わず彼を通した。中で彼はすぐアンダースを見つけた。男は診察台の側に立って、痛々しく傷ついた若い女性の顔を処置していた。アンズバーグからの避難民の一人だろう、とフェンリスは思った。彼は壁にもたれ掛かったが足のことを思い出して、部屋の隅の長椅子に座る場所を見つけると、その端に座って剣を外し、側の部屋の角に立てかけた。

彼は椅子の背にゆったりともたれ掛かると、両腕を胸の前に組んで脚を広げ、足首を重ねると、静かにアンダースが女性の顔の処置を終えるのを見ていた‐痛々しい傷口は、メイジが処置を終える時にはほとんど見えない位の線となっていた‐それから別の患者の折れた腕を戻し、誰かの背中を覆うやけどを治療した。

「これで今日は全部です」シスター・マウラがやけどの患者を薬剤室に連れて行くのを見送りながら、ドゥーガルがアンダースに言った。

アンダースは頷いて辺りを見渡し、フェンリスに気付いてしばらくの間表情をこわばらせた。彼は眉をひそめると、ゆっくりと歩いて行った。
「フェンリス」と彼は言うと、挨拶の印にごく微かに頷いて見せた。

フェンリスはまっすぐに座り直した。「メイジ」

アンダースはしばらく気もそぞろに辺りを見渡したが、やがて長椅子に座った。
「それで、どうやってこの討論を始めたら良いかな?どこで?ここ?」

フェンリスは肩をすくめた。「俺はどこでも良い。ここでも良いし、貴様のコテージでも良いだろう、セバスチャンは城の図書室を使っても良いと言っていた」

アンダースは顔をしかめると、シャツの袖口を引っ張って下ろした。
「コテージが良いだろうな、僕が思うに」と彼は言った。彼は再び立ち上がって辺りを見渡すと、診察台の側の長椅子に伸び伸びと寝ている子猫を取りに行った。フェンリスも立ち上がって、彼の剣を背に戻した。アンダースは先に立って診療所から出て行く前に、一瞬立ち止まって彼の方を見つめた。
「新しい剣か?」と彼は肩越しに振り返って尋ねた。

「ああ。セバスチャンが今朝俺のために買った」

「気前の良いことだ」とアンダースは一言言うと、中庭を横切って城の敷地へとでるアーチ門をくぐった。彼の護衛が二人の後に続いた。

「報酬の先払いだ」フェンリスは短く答えると、メイジに対して渋い顔をした。コテージへ歩いて行く間彼らは黙ったままで、猫のゴロゴロ言う声だけが聞こえていた。

しかし彼らの、庭への入場は静かなものでは無かった。アンダースの犬達が表に出ていて、小さい方の犬はフェンリスを見るや否や激しく吠えだした。大きい方の犬は彼らを用心深そうに見つめると、小さい犬にパクリと噛みついた。小さい方はたじろいで静かになると、そこに座り込んでフェンリスの方をじっと眺め、神経質に身を動かしていた。大きな犬は彼らの方に忍び寄ると脚を強ばらせ、頭と尾を低くした。

「これにはもううんざりだ、メイジ」とフェンリスは歯ぎしりして言うと、斑の毛皮の巨大な犬が彼らの方に向かってくるのを見つめ、剣を抜くか否かと考えていた。
「ああ、まあ、文句はセバスチャンに言ってくれ、彼がこの子達を僕にくっつけたんだからね」とアンダースは言うと、フェンリスと犬達の間に入った。
「大丈夫だよ、お嬢さん」と彼は言った。「彼は友達だ、約束するよ」

フェンリスは微かに鼻を鳴らした。

「少なくとも、正当な理由が無い限り僕を殺さないと約束してくれたよ。ほら、ハエリオニ……ここに来なさい、いい娘だから」と彼は優しく呼ばわり、屈み込むと片手を伸ばした。

巨大な犬は動きを止め、フェンリスを用心深そうに見つめたが、それからゆっくりとアンダースの側に寄り、手の臭いをフンフンと嗅いで、一度舐めてから再び頭をもたげてフェンリスを見つめた。彼女はしばらくの間じっと彼を見ていたが、それから大きな息を鼻から吐くとその場に座り込み、威嚇する様子がその姿から消えていった。

「よーし、いい娘だね、それで良い、このおっかないエルフを恐がる必要はないからね」とアンダースはささやくように優しく言った。

フェンリスはアンダースを睨み付けた。「俺は『おっかない』事など無い」

アンダースは短く笑い声を漏らすと立ち上がった。
「君自身に取っては多分そうかも知れないけど、それ以外のほとんど皆はひどくおっかない思いをしたよ、僕も含めて。君が戦う所を見たんだからね、何しろ。とにかくここは寒い、中に入ろう」

フェンリスは頷くと、メイジに続いてコテージに入った。二匹の犬も起き上がると、警戒したように、しかし静かに後に続いた。

「好きな所に座ってくれ」とアンダースは室内に入ると言い、無頓着な様子で手を振った。フェンリスは数日前に、セバスチャンと一緒に来た時に座ったのと同じ椅子に座った。アンダースは彼の猫をテーブルの側に下ろし、それから大部屋の隅の台所に行って湯を沸かし、食物を取り出し始めた。
「もう昼食は食べたか?」と彼は聞いた。

「いいや」とフェンリスは渋々認めると、猫がテーブルの真ん中に陣取り、身体を伸ばして毛繕いするのを眺めた。

アンダースは頷き、幾度かに分けて二人分の食事を運んだ‐パンとチーズ、冷たいハム、ピクルス、リンゴを何個かと木の実。その後紅茶を入れて、それと蜂蜜の入った壺を持ってきて、それからようやく席に座った。

フェンリスはこの男がどれだけ食べる物かすっかり忘れていた。自分の皿からずっと少ない食べ物をちびちびと食べながら、彼はアンダースが少なくとも二人前に足る量をあっという間に片付けるのを、あきれて見ていた。大きな犬‐ハエリオニだったか‐は側の床の上で伸び伸びと座り、頭を上げて二人の方を注意深げに見ていた。小さな犬はいつの間にかアンダースの左肘の側に座って、彼の皿を期待を込めて眺めていた。

最後にはその忍耐は報われた。アンダースは食べ終えると、食べ残しをいくらかその犬に与えた。雌犬も起き上がってテーブルの方に歩み寄り、フェンリスの方をちらっと一度見てからアンダースに注意を戻した。メイジは彼女にも少しばかり分け与えると、巨大な犬は驚くばかりの繊細さで、彼の指からパンとチーズ、それにハムを一かけらずつかじり取った。彼は残りを分け終えてから雌犬の首筋と耳を撫でてやり、小さな犬の背中を軽く叩いてから立ち上がった。
「上で話をしよう」とアンダースは、テーブルの真ん中から猫を回収しながら言った。

「そちらの方が居心地も良い。メモを取るための筆記用具もあるし、加えて大教母が僕に貸してくれた、テヴィンターについて書かれた本もある」

フェンリスは同意して頷くと、彼に続いて屋根裏部屋に続く階段を上がり、犬達が後に続いた。アンダースは机の前に座り、少しばかりためらった後フェンリスは居心地良さそうに詰め物のたっぷり入った椅子を選んで腰を下ろすと、剣を椅子の肘掛けに持たせかけた。
ハエリオニは二人の間に敷いてあるカーペットに長く伸びて座り込み、頭を彼女の前足に乗せると眼を閉じた。ガンウィンは椅子の一つに飛び上がり‐その椅子は、詰め物のされた座面、背中、それに肘掛けにたっぷりと付いた毛の色からして、彼が普段から使っているようだった‐その上で丸くなると、座面の前から顎をぶら下げた。アッシュは机から飛び降りて、部屋を横切るとガンウィンの横に飛び上がり、犬の顔をしばらく毛繕いしてから脚の間に居心地良く座り込んだ。

アンダースはその間に、紙とペンにインクを机の上に用意し、いつでも使えるように広げて準備した。それが終わると、彼は机を見下ろして困ったような顔をした。
「どこから始めたら良いか、僕には判らない」と彼は打ち明けた。

フェンリスは微かに鼻を鳴らした。
「テヴィンターに関する本を読んでいるとか言ったな?その本に書いてある事から学んだことを俺に話すというのはどうだ。俺の記憶によれば、メイジが支配する社会の姿について、貴様は相当馬鹿げた意見を持っていたように思うが」

アンダースはほんの少し顔を赤らめたが、フェンリスの発言に盾突こうとはしなかった。面白い。もしかすると、マジスター共の醜い真実の姿を彼は本当に聞こうとするかも知れない。アンダースがためらいがちに話を始めるのにあわせ、フェンリスは椅子に座り直し、より居心地良い姿勢を取った。


*1:最初フェンリスが担架に乗せて運ばれてきたことと、後で登場する子供達の移動経路から考えると、フェンリスが使っている客室は恐らく1階(Ground Floor)にある。訂正。フェンリスの居室は、一階の大広間から階段を登った所にあった。そしてそこからセバスチャンの居室へは、廊下をかなりの距離移動して、更に階段を上がる。ただし、セバスチャンの居室から一階の玄関まで降りる際に踊り場や別の階を通って居る様子は無いので、建物が別棟で、階の高さが違うと考えるのが適当なような気がしてきた。
隠し階段にしても、平屋のコテージから3階以上へ移動するのはなかなか大変と思われるので、セバスチャンの居室は2階で間違いないだろう。
……ゼブランでなくとも2階から見られれば視線に気がつきそうなものだが、アンダースはのんびり屋さんだね。

カテゴリー: Eye of the Storm パーマリンク

第32章 受容 への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    >アンダースはのんびり屋さん

    というか彼は猫とか犬とか下ばっかりしか見てない気がw

    まあゼブランが上から下から表から裏まで
    スキル高すぎwって言えなくも無くも無いですがw

  2. Laffy のコメント:

    ゼブラン……えーと、あと何章だ……(笑) 頑張りまっす。しかしその前に難関が。
    ゼブはいわば超人、いや超エルフですから。まあそれを言うとOriginsの連中は皆超人ですけど。

コメントは停止中です。