第40章 改善

第40章 改善


フェンリスは大公の居室に入っていった。セバスチャンは既に席に着いていて、ちょうど夕食を皿に取り始めたところだった。彼は顔を上げると微笑んだ。
「またアリに乗って出かけていたのか」

「どうして判る?」とフェンリスは驚いて尋ねた。

セバスチャンは歯を見せて笑った。
「笑顔が張り付いているよ。馬に乗った後はいつも笑っている」と彼は説明して、更に大きく笑みを浮かべた。
「種明かしをすれば、少しばかり馬の匂いもした」

「馬の匂……ああ」フェンリスは少しの間当惑したようだった。「ふん。思うに俺は馬に乗った後は身体を洗う癖を付けるべきだな」

セバスチャンは肩をすくめた。
「馬の匂いは私には気にならないよ、もっとも他の皆がどうかは判らないが」

「それでも、これからは身体を洗うようにしよう」とエルフは自分の席に座って夕食を皿に取りながら、真面目な顔で言った。

彼らはしばらくの間黙って食べていたが、セバスチャンがふと手を止めるとフェンリスに向き直った。
「君とアンダースについて話がしたかった」

「彼がどうした?」とフェンリスは顔を上げて怪訝そうに尋ねた。

「私はまだ……彼の精神状態が気がかりでならない。最近は彼はより充足しているように見えるが、それは単に私が側にいるからに過ぎないのか、それとも彼がようやく依存から立ち直り始めたということなのか、私には見分けが付かない」

フェンリスは眉を寄せて考え込むと、椅子の背にもたれ掛かった。
「彼が周囲の状況に満足しているというのは、間違いなさそうだ。更に言うなら、より落ち着いていると言っても良いだろう。随分長いこと、君が居ないことで不安を感じる彼の姿を見ていないし、一方で君はここのところ、ほとんど毎日のように彼と顔を合わせているから、彼としても不安に思う理由は無い」
「真に見分けるためには、君と数日間離ればなれとなる状況に彼を置くことだろうが……故意にそのような状況を作るのは、どうもな。俺が思うに、君が居ないことに不安を感じるまでの期間が長くなればなるほど、実際に不安を感じることも少なくなるのでは無いかと思う」

「どういうことだ?」とセバスチャンは興味深そうに尋ねた。

「充分長い間平穏な状態にあれば、あるいは彼は、その方をより自然だと感じだして、無闇に怖れを抱く必要の無いことに気付くのではないだろうか……もちろん、はっきりしたことは言えないが」

セバスチャンはゆっくりと頷いた。
「それは……筋が通っているように思えるな、私にも。ともかく今まで通り続けてみて、更に改善するかどうか見るとしよう。続けると言えば、君達の議論の方はどんな感じだ?」

「驚くほど上手く行っている。アンダースは俺に彼自身のサークル・オブ・メジャイでの経験をかなり話してくれたし、カークウォールで何年もの間メイジ地下組織で共に働いた他のメイジ達が語った経験談についても話してくれた」
フェンリスはそういうと、顔をしかめた。
「聞いていて……気分の良い話はあまり無かった。そのような活動に身を投じたメイジのほとんどは、身を投じるだけの充分な理由があった……ひどいことを見聞きしたか、あるいは自ら体験した後で、逃亡するか反乱を起こすか、本当にそれらの道しか残されていないと思わせるだけの理由が。俺は……」

彼は言葉を切ると、しばらくの間黙り込んだ。
「チャントリーに支配されたサークル内で生きる多くのメイジが体験した事柄と、テヴィンターの奴隷が経験する事柄との間には、多くの類似点がある。双方の体制においてだ、連中は他の者を従えるのは『大いなる善』のためだと主張し、その名分の元にしばしば虐待を加える。アンダースも俺も、両方とも公平で無く、正義も無いという点で意見が一致した」

セバスチャンは頷いた。
「それで、人とメイジが平和裏に共存する方法について何か考えは無いだろうか?」

「多少は。いや……少なくとも今のところは全面的な解決策とはならないが、多少は役に立てそうな考えはある。テヴィンター国外のメイジ達が直面する最大の問題は、余りに多くの者の恐怖に取り囲まれていることだ。恐怖から、チャントリーはメイジを閉じ込めようとする。恐怖が、彼らに最悪の虐待を行わせる原因となる。更にいうなら、メイジが望みを失い悪魔に身を捧げようとするのは、大抵の場合恐怖からだ‐恐怖、絶望、孤独、怒り、そう言った全ての負の感情は、様々な悪魔を呼び寄せる強い誘引力となる」

「すると君は、その恐怖を薄れさせる必要があると考えるわけだな?他の負の感情も同様に」

「ああ。人は見慣れないもの、理解出来ない事柄、強力かつ支配出来ないように見える事柄を恐れる‐例えば地震や巨大な捕食者、疫病……そして魔法も。メイジがほとんど塔の中に閉じ込められ外からは見えない状態では、魔法は時々恐れるようなことをしでかすかも知れないが、普通は管理可能で、しかも役に立つものだということは、おそらく普通の人々は知ることが出来ない。しかしメイジと共に暮らす人は、上手くいけば魔法が……マイナンター川を流れる水と同じく、恐れるようなものでは無いと判るようになるかも知れない。自然の現象であって、何物かによって氾濫が引き起こされる時だけ恐れれば良いということを」

「川の流れとその水に色々な利用法があるのと同様に、魔法にも多くの有益な使い道がある。アンダースの治療魔法は明らかにこの例に当てはまるが、それ以外にも。治療や戦闘以外にも、魔法を利用出来る事柄は多い」

「例えば?」

「テダスほぼ全土を縫うように、帝国街道が構成されているのは、当然君も知っているな?」

「もちろん。かつての大帝国が没落する前の名残だ。ここから西に、カンバーランドから北に上がってテヴィンターへと繋がる道があるが、それもネヴァラとテヴィンターに挟まれた部分は、帝国に侵略路として使われるのを防ぐため大部分は崩壊したままだ……だがそういった大がかりな街道は、ここらのような極東には作られなかった。マイナンター川がくまなくここらの土地を通って、十分過ぎるほど役目を果たしているからな」

フェンリスは頷いた。
「なるほど。現代では、街道は全て人の手によって整備が行われている。テヴィンター国内でさえ、昨今は街道の補修や、時折行われる延長工事には奴隷が使われる。しかしいつもそうだった訳では無い‐最初に街道網が作られた時に、大部分の作業を行ったのはメイジだったと記録に残っている。街道が敷かれる土地の整備だけでなく、建造物を構築する石その物を切り出したり設置したりする作業まで、普通の人々とドワーフで真似しようとすれば数ヶ月は掛かる仕事を、彼らはほんの数週間でこなした。そして気候や地崩れなどの影響をほとんど及ぼさないようにする魔法を掛けた‐そのため、大規模な地殻変動の後でさえ、ごく僅かな補修しか必要としなかったという」
「こういった有益な魔法のほとんどは、今の帝国では廃れてしまった。今のマジスター共は、万人の利益よりむしろ己のためだけにその力を結集しようとするからな。この奇跡的な技がいかに成し遂げられたかを記録した書物は、テヴィンター国内に残っていて、俺はダナリアスが別のマジスターと、連中のお気に入りの事業と関係するそう言った記録について討論していたのを覚えている。間違い無くテヴィンター以外にもその記録は残っているはずだ、もし相応しい本を見つけられれば、だが」

セバスチャンは頷いた。
「だが、そう言った魔法がここでどういう使い道があるのか、よく判らない」と彼はゆっくりと言った。
「先にも言ったとおり、我々にはマイナンター川があるし……」

フェンリスはそれを聞いて頷いた。
「ああ。帝国街道自体は何の役にも立たないかも知れないが、しかしスタークヘイブンから直通する、そう、例えばカークウォールやオストウィックの海港に直接繋がる街道があれば、特に最近の、マイナンター川下流の港町での破壊活動や不穏な状況を考えれば、南方との貿易に便利では無いか?あるいは北東のアンティーヴァに対しても、こちらもほぼ同じ理由がある」

「それに道路以外の他の用途でも、魔法を頼りに出来るだろう。例えば、高架路を作り、下を防御壁で埋めるのでは無く、アーチ門にするとしたら?溝や下水を掘り、浅瀬を浚渫し、防衛のために砦を建てる、こういった通常の方法ではもの凄い数の人手と、相当な量の資材と、長い年月を必要とする事業‐これら全て、魔法の助けを借りることでより早く、しかも容易に達成出来るのではないだろうか」

「いつものように、私が考えるべき題材を君は数多く与えてくれる」とセバスチャンはゆっくり言った。
「君の言うことはよく考えてみよう、特に現在の情勢がどれだけ不穏かを考えれば、防御壁を早急に修復したり、補強出来る能力は非常にありがたい」

フェンリスは頷くと言った。
「不穏な時代といえば、カークウォールからの最新の知らせを聞いたか?」

「この数日の間は何も……出かけている間に、何か聞いたのか?」

「ああ、アヴェリンがカークウォールのヴァイカウントになった、という噂が飛び交っている‐もっとも、彼女が自らそう名乗ることにしたのか、あるいは他から就任を迫られたのかについては矛盾した話を聞いたが。しかしこれまでの所、多くの者がどちらにせよ賢明な行動だと同意しているようだ」

セバスチャンは頷いた。
「それを聞けば私も同意して、真実であることを願うだろうな‐彼女はあの街と住民を、長年献身的に守護してきた。シティガードの隊長として常に万全を尽くしてきたように、彼女ならヴァイカウントとして見事な働きをするのは想像に難くない」

フェンリスも、同意して頷いた。

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