第71章 心地良い接触

遠乗りから戻った時に、厩でアサシンが彼を待っていたのを見てもフェンリスは驚かなかった。ゼブランはもう四日連続で彼の朝の時間に忍び込んでいた。それよりも、この金髪のエルフがアリの馬房の扉にもたれ掛かっているのを目にして、自分が嬉しく思ったことにむしろ彼は驚いた。巨大な灰褐色の雄馬が彼の髪の毛に鼻を突っ込み匂いを嗅いでいる間も、ゼブランは器用に短剣を自由な方の手で器用にひねくり回していた。

「気を付けろ、彼は君の髪を藁と勘違いするかも知れないぞ」とフェンリスは微かな笑みと共に言うと、エアを隣の馬房へと連れて行った。

ゼブランは顔を上げるとフェンリスに白い歯をひらめかせて笑った。彼が姿勢を立て直すやいなや、短剣は鞘の中へと消え失せた。
「彼と僕は髪の毛に関してある合意に達した」とエルフは至極真面目な表情で言った。
「彼は髪の匂いを嗅ぐだけに止めると約束し、僕は彼にリンゴを与えるとね」と言って片手を閃かせると、そこにはまるで空中から沸いて出たように少ししなびたリンゴが現れ、彼はそれを掌に載せて馬に与えた。アリは頭を下げて舌でひとすくいにすると、美味しいおやつをバリバリと噛み砕いた。

「こちらの黒髪の美男子にも」とゼブランは言うと、またリンゴを取り出し、フェンリスがエアの馬房の前に来て立ち止まるのと同時に馬に与えた。黒馬は訝しげに匂いを嗅いだ後、アリと同じように嬉しそうにリンゴを噛み砕き、馬銜*1の端からリンゴの欠片がはみ出していた。

ゼブランはフェンリスに彼一級の人好きのする笑顔を見せた。
「今日の遠乗りはどうだった?道がぬかるんでいた?」と彼は尋ねて、エアの脚と下腹部のあらゆるところに付いた泥跳ねを見て頷いた。

「ああ。この二日間の雨と溶けた雪で、今はそこら中泥だらけになっている」とフェンリスは答えると、エアのくつわを外し端綱を掛けて馬房の外にある輪に固定した。それから泥まみれの馬具一切合切を外して、手入れ道具を持ってくるとエアの毛皮から丁寧に泥を梳き取り始めた。

去勢馬の手入れする彼を見つめるゼブランの眼が、彼は痛いほど気になっていた。このエルフについてアンダースと話をした昼から既に二日経っていたが、彼はまだこの男が自分に払っている注目に自分がどう対応したいと思っているのか、頭を悩ませていた。実際彼はゼブランと一緒に居るのが楽しかった。このエルフは愉快で知的な話し上手で、親しみやすくしかも礼儀正しかった。
 しかし時折会話の中に散りばめられる妙に親しげな様子や視線が彼を不安にさせていた。そういった物に彼はどう対応したら良いかさっぱり見当が付かず、大抵の場合彼は……ただ混乱し、戸惑っていた。ゼブランが彼の外見や技能について誉め言葉を言う時、自分が嬉しいのかそうで無いのか、それすらよく判らなかった。その注目が時には今のようにひどく気になり、そして時には――たまには、どことなく嬉しく思う気持ちもあった。

多分彼はアンダースが言うように、正直にゼブランと話をするべきなのだろう、もう一人のエルフが彼に対して有り有りと示している興味に、彼がどのくらい戸惑っているかを。考え込むうちにもエアの毛皮はすっかり綺麗になり、彼はエアの端綱を輪から外して馬房の中へ導きながらゼブランをちらりと横目で見て、エルフが大っぴらに彼の姿を観賞する様子に微かに頬を赤らめた。彼は急いで視線を逸らせ、エアを馬房に落ち着けると端綱を外してやって、手入れ道具と共に棚にしまい込み、それから泥まみれの馬具を置き場へ持って行くために集めた。ゼブランは彼が歩き出すとすぐ後ろに付いてきた。

「それでね。僕はたまたま今朝セリン衛兵隊長と話す機会があったんだけど」とゼブランは気軽な様子で言った。
「僕が提案した、アンダースの庭とコテージの改良策のほとんどの作業が終わったと彼は教えてくれたよ。一緒に行って見てみないか?」

フェンリスはちらりと横目で彼を見て、それから頷いて同意した。

「いいね!きっと庭はまだ寒いだろうから、その後で僕の部屋で一緒に温かい物でも飲まない?温ワインかな、多分。それとも紅茶か……昨日の午後、君が授業を受けている間に上町の市場を散歩していてね、とびきり上等の茶葉を扱っている店を見つけた。最後にアンティーヴァで飲んでから見たことの無かったブレンド品も扱っていたよ」

フェンリスは再び同意の印に頷くと、馬具を見習いの少年に手渡し、二人は連れだって城の敷地を横切りアンダースの庭へと向かった。空にはわずかに白い雲が浮かんでいるだけで日が明るく照っていたが、強く冷たい風が吹いていて、分厚いコートの温かさを彼は有難く思った。僅かばかりの舗装された通路と、冬枯れの草が広がる部分を除いて、地面は半分溶けた汚い雪か粘つく泥に覆われていた。フェンリスは冷たい泥が彼の足指の間にべっしゃりと入り込む感覚に顔をしかめた。彼はそれでも裸足の方が好きだったが、こういう日には長靴の魅力が理解出来るように思った。

庭の衛兵詰め所に来た時、彼は日陰に残る綺麗な雪で足を几帳面に拭って、それから扉をノックした。彼とゼブランはそこに詰めていた二人の衛兵と一言二言言葉を交わし、それから最初の変更点を調べた。ここの上階の小さな見張り台はもはや無人だった。
 ゼブランがセバスチャンとフェンリスに説明したところによれば、彼が衛兵達を眠らせた後、その見張り台に立った時も犬達が吠えることは無かった、何故なら彼らはそこに人影があることに慣れていたからだという。彼は単に庭に居る犬達が充分近寄ってくるのを待つだけで良く、吹き矢で犬達に薬を注入した後は、アンダースのコテージは事実上無防備となった。それ以外にも、フェンリスも気付いたように悪天候の中では見張り台からの視界はごく限られる上に、晴れた日は庭のプライバシーを奪うことにもなった。それなら人を置かない方がまだましだった。

それと、詰め所の天井にある跳ね蓋は内側から留め金で堅く閉じられるようになった――彼とナサニエルが使ったように、眠り薬の導入口として利用されるのを防ぐため――更に長い針金が一本、壁に差し込まれた心棒を通して壁上端のちょうど内側に張り渡され、壁の外からは見えないようになっていた。壁をよじ登ろうとする者はほぼ間違い無くこの針金を踏みつけるか、あるいは引っかけるだろう。針金が動くと、詰め所にある釣り鐘が鳴る仕組みだった。

もちろん、針金の他にも変更されたところがあった。ゼブランは壁をよじ登るのをより難しくするため、壁の上部に目立たない、しかし鋭く尖ったガラスの破片や割れた陶器の欠片を石膏で埋め込むことを提案していた。また壁の内側に近すぎる木や枝は切り払われ、侵入の足がかりとならないようになった。

彼らは庭の中を一周して、ゼブランがその他細々した変更を指し示した――コテージの煙突からの侵入を防ぐ金網、玄関扉には覗き穴が付けられて、アンダースが望む時に扉を開けずとも外を確認出来るようになった――それから二人は庭を出て壁をぐるりと回り天守へと戻った。彼らがゼブランの部屋に戻る間、アサシンは色々と取るに足らない、例えば内装の華麗さを褒め称えると言ったようなことを話し続けていた。

「さて、ワインにしようか、紅茶にしようか?それとも何か別の物が良いかな?」
二人が部屋に入った後ゼブランはフェンリスにそう尋ねたが、『何か別の物』と言う時の彼はほとんど好色な視線を投げていると言っても良かった。

フェンリスは彼の頬と耳まで赤くなるのを感じて、居心地悪げに別の方を向いた。
「ワインを。ただし温めないでくれ、熱くなるものはあまり好きじゃ無い」

ゼブランは声を出して笑うと短く礼をした。
「お望みのままに。赤が良いかな、それとも白にする?」と彼は尋ねると、ずらりとワインの瓶が並んだ壁沿いの据付け棚に歩み寄った。

「赤を頼む」とフェンリスは言った。彼は外套を脱ぐと椅子の後ろに掛け、手袋も取って近くの小さなテーブルに置いて、それから椅子に座って――彼は最初の、どちらかというと気詰まりだった訪問の後では注意深く長椅子に座るのを避けていた――ゼブランの差し出すワイングラスを受け取り、礼の代わりに小さく頷いた。ゼブランもすぐ側の椅子に寛いで座り、満杯のグラスを片手に持って、物思いに耽る様子で一口啜った後フェンリスを見つめた。

「君が『アツくなる』のが好きじゃないのは、ワインだけでは無いようだね?」と彼は静かに尋ねた。

フェンリスは驚いて彼の顔を一瞬見ると、それから視線をそらせてゆっくりと頷いた。

「そうすると僕は君に不愉快な思いをさせているのかな」とゼブランはグラスをテーブルに置きながら尋ねた。

「時々は」とフェンリスは答えた。彼は手の中のグラスを見下ろして、縁に微かに指先を走らせた。
「君が何か言ったり、したりしたことで不愉快になった訳ではない、ただ、その……」
彼は言葉を切ると、どう説明するべきか判らず難しい顔をした。

「ただ、どうやって応えたら良いか判らないとか?あるいは、そもそも応えるべきなのかどうか?」とゼブランは優しく尋ねた。

フェンリスはまた驚いて彼の顔を見た。「そうだ」と彼は答えた。

ゼブランはゆっくり頷くと、再びグラスを取り上げて一口啜った。
「ヴェイル大公が君の過去について少しばかり教えてくれたよ、僕が聞いた時に」と彼は言うと注意深くフェンリスから目線を逸らせた。
「君が奴隷だったというのは俺は知っていた、幾度も君が話していた通りね―しかしもう何年も君は自由の身でいる、そうだよね?その間に一度も恋人を作ったことはないの?」と彼は不思議そうな声で尋ねた。

フェンリスは下唇を噛むと大きくグラスをあおった。「いや。今まで一度も無い」

ゼブランは彼の方に目をやった。
「だけど君はセックスについては良く知っている、それに伴う他の事柄についても」

「ああ」と彼は低い声で答えた。
「俺はどうすることも出来なかった。ダナリアスが、何時でも望む時に俺を利用した他にも……他の連中にも貸し出した。やつの気が向いた時には、あるいはその連中に多少の恩を売りたいと思った時は」と彼は苦々しげに語った。
「それに、やつの徒弟のヘイドリアナは……あの女は俺を痛めつけるのを楽しんでいた、俺が彼女に支配されて……」彼はそれ以上続けることが出来ず言葉を切ると、無理矢理深呼吸をして心を落ち着かせ、それから先を話す前にまた大きくグラスをあおった。
「俺はセックスで快感を味わったことがない。例え俺の身体が反応させられた時でも、それは俺自身の楽しみのためでは無く、他の誰かのお慰みのためだった」と彼は物憂げに付け加えた。

「すると、僕に止めて欲しい?」とゼブランはひどく静かに尋ねた。

フェンリスは長い間、俯いて彼のワイングラスを見つめながら、その問いの意味について考えていた。
「俺には判らない」そう認めること自体に苦しみを覚えながら、彼はようやく答えた。
「他の連中がそれを……楽しんでいるのは……見たことはある、だが俺に出来るかどうか判らない。そうしたいのかどうかさえも。俺は……人に触れられるのは好きじゃない」

ゼブランはゆっくりと頷いた。
「触られると痛いから?セバスチャンは君のその紋様について何か言っていたようだけど…」彼は曖昧にフェンリスの紋様を身振りで示した。
「時にはひどく痛むとか、とりわけ魔法の近くでは。それとも、過去に君が他人に触れられた時の経験のせいかな?」

フェンリスは大きく息を吸った。
「両方だ」と彼はかろうじて聞き取れる声で言うと、グラスを飲み干した。彼は自分が震えていることに気づいた。彼は眼を伏せ、震えが収まるまでただ空のグラスを眺めながらゆっくりと呼吸をすることに集中した。

「もっとワインを飲みたい?」ゼブランは彼がようやく落ち着いたのを見計らって尋ねた。彼は頷き、別のエルフは彼の半分ほど入ったグラスを横に置くと瓶を取り上げて彼に近付いたが、彼の手が簡単に届くほんの少し手前で立ち止まった。フェンリスは彼のグラスをかかげて、それにワインが注がれるのをじっと見つめ、最後の瞬間に勇気を奮い起こしゼブランの顔を見た。
 彼はゼブランの顔に何の表情を期待していたのか、自分でも判らなかったが、しかし……それが何であれ、そこには見当たらなかった。アサシンの表情はほとんど平静なと言っても良かったが、しかし……虚ろな無表情ではなかった。憐れみも、嫌悪も、怒りも無く……ただ受容だけがある、フェンリスにはそう思えた。

アンダースの言ったことは正しかった。ゼブランはとても、聞き上手だ。彼は詰めていたことさえ気付かなかった息を大きく吐き出した。

ゼブランは後ろを向いて瓶を置くと、再び振り返った。
僕が君に触っても良いかな?」とゼブランは穏やかに尋ねた。

フェンリスは一瞬身を硬くしたが、それから視線を逸らせて頷いた。暫くしてから彼は一向に触られる気配が無いのに気づいて戸惑い、視線を戻した。他ならぬその時、彼の視線がゼブランに戻った後に、エルフの手がゆっくりと上がると彼の方に差し出された。ひどくゆっくりと、フェンリスが避けようと思えば容易に避けられる速さで。彼は興味を引かれて、エルフの手がゆっくり近付いてくるのを眺めていた。わずかに曲げられた指が、二人の間を隔てる椅子の腕に置いた彼の手首にようやく触れ、アサシンの指先が本当に微かに、彼の紋様を描く曲線の間の素肌に触れた。ゼブランの指は温かく乾いていて、その瞬間の彼自身よりずっと落ち着いていた。

「これは痛くない?」とゼブランが興味深げに尋ねた。

「いいや」と彼は低い声で答えた。

ゼブランは彼の手首に触れた指に少しだけ力を込めると、それから注意深くリリウムの線を避けながら手の甲の方へ指を滑らせた。「これは?」と彼は再び尋ねた。

「いや……大丈夫だ」とフェンリスは彼の手を不安げに眺めながら答えた。
「素肌のところは大抵大丈夫だ」

「この線に触れても良いか?」とゼブランが、彼の触れる指先と同じくらい柔らかな、優しい声で尋ねた。

フェンリスは一瞬身震いしたが、ぎくしゃくと頷いた。

ゼブランは彼の手を手首まで戻すと、それから薬指と小指を親指の下に折り曲げて、ただ二本の指だけがフェンリスの肌に触れていた。ゼブランがゆっくりと残りの二本を曲げ、甲に刻まれたリリウムの線に触れるまで手を降ろすのを、フェンリスは彼の下唇を噛み、再び息を詰めて緊張しながら見つめていた。

一瞬の間何も起こらず、それから奇妙な青い輝きが沸き上がって彼の手と前腕を覆い、肩に掛けて次第に薄れていった。ゼブランは驚き短く悪態を付いたが、指はそのままの位置にあった。

「痛かった?」と彼は、ごく微かな不安を声に滲ませながら尋ねた。

別のエルフがこの……些細な接触に対して彼を気遣う様子に心を慰められて、フェンリスは唐突に不安が消え去るのを感じた。
「いいや」と彼の普段通りの声で答えると、片手に持ったグラスを上げて一口ワインを啜った。
「魔法が関係しているか、俺が……取り乱していない時は、大抵痛みは無い」

ゼブランは椅子の側に屈み込んで、彼の手がまだ触れている輝く線をしげしげと眺めた。
「何かこれは……不思議な感触だね」と考え込む様子で彼は言った。
「僕が想像していたよりずっと冷たい感じがする。それにこの線は盛り上がっているね?入れ墨と言うより焼印の跡に近いような」

フェンリスは頷いた。
「リリウムが流し込まれた後、随分長い間その線は真っ赤に腫れ上がっていた。焼けるように痛み、それから痒くなった……ダナリアスは皮膚が治るまでの間に様々な魔法を施した。それも……愉快な物では無かった」と彼は静かに言った。
「魔法は紋様と奇妙な反応を見せる。大抵は……単に痛みを感じる。時には鈍く、時には鋭く。ある場合は……強烈な痛みを」

ゼブランは指先をフェンリスの皮膚に触れたまま、彼の顔をちらっと見上げた。
「すると他の感覚になる時もあるようだね?」

フェンリスは再び身震いすると頷いた。
「熱さ、あるいは冷たさ。あるいはこそばゆい感触。あるいは……」彼は言葉を切ると顔を赤らめた。
「あるいは興奮を。ヘイドリアナはそれを好んで利用した」と物憂げに彼は付け加えた。

「もう少し触っても構わないかな?君の手をじっくり見てみたい」とゼブランが言った。

「やってくれ」とフェンリスは淡々と答えた。既に別のエルフが触っているからには、今更断る理由は見当たらなかった。

ゼブランは立ち上がり、別の椅子を近くに引き寄せるとその端に軽く腰を下ろした。彼はフェンリスが彼の方を見ていることを確かめた後、注意深く手を伸ばして戦士の手を彼の手の中に取った。フェンリスはその接触に自分が再び緊張するのを感じた。ゼブランがいったん指を離した後消えていた青い輝きが、再び光り出した。

「紋様が勝手に光るのかな、それとも君がそうさせているのかな?」とゼブランは興味深げに尋ねながら、フェンリスの手の甲から指先に掛けて覆っている曲がりくねった紋様を、顔の近くでじっと眺めた。

「両方、だと思う」とフェンリスは言った。
「今のは俺が光らせたわけでは無いが、戦う時にはそうすることもある、しかし……」と彼はためらうと、頬を赤く染めた。
「今のような光は、単に接触その物によると言うより、君が触れていることに俺が気づいているからだと思う」

「ふーむ。すると君が僕の手に気が付いていなければ、この光は起こらないということ?」とゼブランは尋ねると、突然白い歯を閃かせて笑顔を見せた。
「面白いね。もっとも、この深遠なる知識に何か使い道があるとは思えないけど」

彼は更にしばらくの間フェンリスの手をじっくりと調べ、線が描き出す模様を見ながら指先をそれに沿って走らせ、それからフェンリスの掌を彼の指で揉みほぐした。それは驚くほどフェンリスの心を慰める効果があり、彼は次第にまた寛いだ気分になるのを感じた。

しばらくして、ゼブランは彼の乾いた掌を軽くフェンリスの手に置いたまま椅子に深く腰掛け直した。
「僕に包み隠さず話してくれたからという訳でも無いけど、僕ももう少し率直に言わせて貰うよ。今までの態度から君はもうとっくに気づいて居ると思うけど、僕は君のことをとても魅力的だと思っている。君が大層ハンサムなことや、異国風の髪の色やその紋様だけでは無くて、まあもちろんそれが最初に僕の目を引いたのは間違い無いけど――それと、あの心底恐ろしげな剣が僕の首目掛けてまっすぐに向かって来たのとね――それ以外にも、僕は君のことがとても好きだし、僕は好きな人達とは、是非とも気持ちの良い運動を一緒に楽しみたいと思っている、彼らが同意見である限りはね」

彼はフェンリスに温かく微笑みかけると言葉を続けた。
「君と一緒に話をして過ごす時間は楽しいし、君の友人になりたい。出来ればその内に、単なる友達以上となりたいとも思っている、もし君が許してくれるならね。もし君が僕に、友情といつものようなワインを飲みながらの楽しい会話以上は望まないということなら、それ以上のことは控えるようにするし、良い友達が出来るだけでも嬉しい。だけどもし、君が許してくれるなら、君を誘惑させてくれないか」

フェンリスは少しばかりで無い当惑を感じて眼をぱちくりとさせた。
「俺を誘惑する……?」

ゼブランは微笑んだ。
「そう。つまり君と一緒にもっと長い間話をして、一緒に散歩して、お互いの側で時間を過ごす。それにもっとたくさん君に触る、もちろん君が許してくれる時はだけど。いずれ、君が単に手で触れる以上のことを許す気分になるまではね。それとも、ひょっとすると君は男性と寝ることには興味が無いかな?ひょっとすると女性の方が良い?」

フェンリスはそれを聞いて思わず身を震わせ、危うく彼のグラスからワインが溢れ出すところだった。
「女はいらない」かすれる声で彼は言った。「ヘイドリアナの後では……」彼は言葉を切ると、ただ頭を振った。
「女はいらない」彼は激しい調子で繰り返した。

ゼブランは頷くと、長い間何も言わずにただフェンリスの手の甲を彼の親指で宥めるように撫で、戦士が落ち着きを取り戻すのを待った。

「君を誘惑してもいいかな?」ゼブランはようやく、とても静かな声で尋ねた。
「これは約束でも何でも無いからね、君も判っている通り、単に君の興味を引くような行為を僕に試させて欲しいというだけだよ。もし君の心が変わったら、何時でも止めろと言ってくれれば、僕は止めよう」

フェンリスは考えに沈み込む様子で眉根を寄せた。彼はワイングラスを取り上げて、ゼブランが注いでくれた後ほとんど減っていないことに驚くと、大きく一口飲んだ。彼はそれから別のエルフがまだ触れている手を見つめた。アサシンの親指がゆっくりと手の甲を円を描くように撫でていて、その感触は……とても心地良いことに気付いた。

「ああ」と彼はとうとう囁くように言った。断る理由は彼には見当たらなかった。

ゼブランは彼一級の人好きのする温かな微笑みを見せた。
「ありがとう」と彼は言うと、フェンリスの手を最後に軽く握りしめた後で離し、立ち上がって元の椅子に戻った。ゼブランは自分のグラスにワインを注ぐと、巧みに話題を変えてフェンリスにアンダースとの読み書きの授業がどんな様子かについて尋ねた。

フェンリスはもう一人のエルフが、触るとか誘惑するとかこれ全般の考えについて、更に話を進めようとしなかったことに救われた気分になり、彼が身を引いて話題を変えたことで全体的にとても気が楽になった。彼らが昼食をセバスチャンとアンダースと共に摂るためにアサシンの居室を出る頃には、彼はすっかり元の寛いだ楽しい気分を取り戻していた。


*1:「はみ」馬の口に噛ませて手綱を着けるための馬具。今はステンレス製が主らしいが、この時代は洋銀(銅・亜鉛・ニッケル合金)かも知れない。


『聖者の手は巡礼の手がふれるためのもの、
 指ふれるは巡礼の優美な口づけと申します。』
(訳:小田島雄志)

ロミジュリ。

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