第3章 暗闇の中で

第3章 暗闇の中で


朝の光が射す前に、セバスチャンはダンジョンへと降りていった。彼は一晩中眠れなかった。あのアポステイトの処刑を命じるためにベッドから起き上がり、エルシナの言葉を思い出しては、再び清潔なシーツの中に潜り込んだ。既に彼女がこの世に居ないことを嘆き悲しみ、そしてもし彼女ならば、あのメイジに対してどう判断し、どう行動したかを考え続けていた。

彼の考えは幾度も、カークウォールでホークや他の仲間達と交流して過ごした年月に戻っていた。彼らは良いチームだったし、彼らを一致団結して働かせる真の才能をホークは持っていた。チームの幾人かの関係が、親愛とは程遠い物であったとしても。

セバスチャンはフェンリスやアヴェリン、ヴァリック達と親しく語り合うのを何より楽しみにしていた。イザベラでさえ刺激的で、彼自身の若い頃を思い出させた。彼女はセバスチャンの若い頃に出会えなくて残念だと言ったことがある‐彼自身、ほとんど同意しそうになったものだ。そう、ホークの友人達で彼が本当に心配していたのはあのブラッドメイジとアボミネーションだけで、彼らは…好ましからざる友人だった。

しかし同時に、彼はアンダースがカークウォールで過ごした数年間に、数百人の命を救った事も知っていた。病人を癒し、絶望的な貧しさの中苦しむ人々を助ける、それらの活動だけを行っていたのであったなら、彼は賞賛されるべき男だったろう。しかしメイジの窮状を訴え自由を求める、その取り憑かれた態度と、その結果引き起こした最後の行動は……

いや。彼がどんな善い事をしたとしても、最後の行動が全てを打ち消した。

「同行いたしましょうか、殿下?」

ダンジョンの入り口の衛兵は、扉の鍵を開けながらそう尋ねた。

「いや、彼を恐れはしない」セバスチャンはそう軽く言うと、近くのたいまつを取ってドアをくぐり抜け、曲がりくねった階段を注意深く下りていった。

そのダンジョンは、彼の父親が統治していた時代でもごく希にしか使われていなかった。そして彼自身が、その希な占有者の一人だった。彼が酒に酔った挙げ句引き起こしたとりわけ愚かな行動で、ある男を死なせる寸前に至らしめた時、父親は彼をダンジョンに放り込む決心をした。

父親は不機嫌の極みにあったが、彼は父親やその罰のことなど、とうの昔に気にしないようになっていた。しかし彼の祖父は、ダンジョンの独房から解放された後も丸々一週間、彼と目を合わせるのを拒んだ。彼の心を真に痛めたのはその事だった。

彼は最下層の廊下を辿って、灯火を高く掲げ、太い格子の隙間から一つ一つの独房の中を覗きながらゆっくりと歩いた。そうしていても、彼はほとんどアンダースを見落とす所だった。壁から鎖で吊された椅子兼テーブル兼ベッドである長い板とは反対側の、独房の隅の壁にへばりつくように、メイジは床の上で座り込んでいた。ブロンドの髪が灯火を反射したのが辛うじて目を引いた。

「アンダース」彼はそう言うと、格子に近寄り灯火を掲げた。

小さな椀と水差しが長板の端に置いてあった。水差しは水で満杯で、椀に入った何かのシチューは冷たく固まり、共に手が付けられた様子は無かった。

「アンダース!」彼は再び、少し大きな声で呼んだ。

メイジはようやく頭を上げ灯火を見ると、何度も大きく瞬きをした。悪寒でも感じているかのように身を震わせており、色白の顔には普段より更に血の気がなかった。

「おい、大丈夫か?」セバスチャンは彼の様子に驚いて尋ねた。

アンダースは再び瞬きをして、ゆっくりと手で顔を覆った。「済まない。ダンジョンでは調子が良くなくてね」そう弱々しい声で言うと、唐突に身体を折り曲げてえずき、黒っぽい液体を藁で覆われた床の上に吐き出した。

セバスチャンは顔をしかめると、衛兵を大声で呼んだ。彼らは大慌てで走ってきて、彼が襲われているのではなく、単に彼らに鍵を開けさせるためだと知って安堵したようだった。彼は灯火を衛兵の一人に手渡すと、アンダースの側にしゃがみ込んで額に手を当てた。何かの病気かも知れない。

額は熱っぽくは無く、冷たく湿気った感じだった。セバスチャンは彼の腕を掴んで立ち上がらせた。彼の震え方は更にひどくなり、セバスチャンの昔の乳母なら「まるで骨までガタガタ鳴らしている」と言っただろう。

「止めろ…お願いだ…痛いのは止めてくれ」メイジはそう囁くように言うと、目を見はって中空を見詰め、顔色を更に白くしてセバスチャンの掴む腕にぐったりともたれ掛かった。

セバスチャンは悪態を飲み込んだ。ダンジョンでは調子が良くない?カークウォールで、アンダースがフェンリスと口論していた時に耳にした台詞が、思い起こされた。独房に一年間、閉じ込められたとか言ったか?

この静かで暗い独房に閉じ込められる事が、この男にとってどのような拷問であったかに気付いた時、彼は思わず呻き声を上げそうになった。似たような環境で彼が過ごした数日間は、心穏やかとは言えないものの、退屈に思っただけだったのだが。

「彼を連れ出すのを手伝ってくれ」彼はそこに両手を開けて突っ立っている衛兵に、ぶっきらぼうに言った。しかしその衛兵が近付いてくるやいなや、アンダースは胸の引き裂かれる様な悲鳴を上げ、彼の尿がローブを染みわたってしたたり落ち、床を汚した。セバスチャンは思わず顔をしかめた。

「お前達、下がれ!」衛兵にそう合図すると、アンダースの片腕を彼の肩に掛け、自らの腕で胴体を掴んだ。彼の足を床に引きずり、階段にけつまずきそうになりながらそのメイジを引きずって登って行くのは、控えめに言ってもかなりの労力を要する作業だった。

ダンジョンの入り口から続く長い廊下を通り、突き当たりにある広々とした衛兵控室から屋外の小さな練習場へと通じる外門をくぐり抜けて、彼はメイジを外へと引きずって行った。その上空では、ようやく暁の光が闇を追い払おうとしていた。

彼はアンダースを地面に横たえると、その側にひざまずいた。男は目を大きく見張ったまま激しく身を震わせていた。セバスチャンは背後の二人に振り返った。

「お前達、気付け薬を持っていないか?無い?ならそこの君、何か強い酒を急いで持ってきてくれ」

その衛兵はうなずき急いで立ち去った。セバスチャンはアンダースの方を軽く叩いて言った。

「おい。アンダース。大丈夫、もう外にいるぞ。空を見ろ」彼は出来るだけ静かで穏やかな声を出そうとした。
「上を見るんだ、アンダース。もう暗い所に閉じ込められちゃいない」

アンダースは彼を見て目を瞬かせた。彼は男の顎に指を掛けると、頭を後ろへ少し傾けた。メイジはゆっくりと明るんでいく空を見つめ、再び瞬きをした。それから、彼は突然まるで爆発したかの様に大きく息を吐き出して、時折乱れた呼吸が聞こえる以外は、ひどく静かに泣き出した。

さっきの衛兵が誰かの携帯瓶を持って戻ってきた。セバスチャンは瓶の蓋を開けると、アンダースの唇に当てて命じた。「飲むんだ」

アンダースは一口飲み込むと、息を詰まらせ、飲み込んだ液のいくらかを吐き出すと言った。「水じゃ無い!」

「水だと言った覚えは無い」セバスチャンは指摘した。「もっと飲め」彼は再び命ずると、飲むのを止めさせる前に、数口分たっぷりと口に含ませた。アンダースの顔色はやや元に戻ってきたが、まだ幽霊のような様子で、尿と吐瀉物の突き刺すような匂いがした。

「一体何があった?」彼は静かに尋ねた。

アンダースは身震いをして目を閉じた。まるで殴られるのに怯えているかのように、彼は全身を堅く縮こまらせていた。
「昔の記憶だ。昔の酷い記憶。それだけさ」彼は無造作に答えた。

セバスチャンは顔をしかめると、溜め息をついて素っ気なく言った。
「私がその話を聞いているはずが無いな……お前と友人だったことは一度も無いからな?」

アンダースは再び目を開いた。彼の唇の片隅が、ほんの僅かにひくついた。
「むしろ反対だろうな」彼は同じくらい素っ気ない声で答えた。

セバスチャンは鼻を鳴らすと、立ち上がって後ろの衛兵達に身振りで前に来るよう伝えた。「彼を屋内に連れて行って洗ってやれ。それから私の所に連れてくるように」
彼はそう命じると、身を翻して歩き去った。

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