第81章 率直な話

アンダースはひとりでに眼を覚ました。まだ随分朝早くだったが十二分に眠れたようだった。彼はのびのびと伸びをすると、彼の動作に眠りを妨げられたアッシュの穏やかな不平は無視してベッドの上に座り込んだ。ベッドの横の低いテーブルには一つリンゴが残っていて、彼はそれに手を伸ばすと空っぽの胃袋を満たす手始めにかじり付いた。リンゴは長く保存されていたせいでぱさついていたが十分美味しく、彼はあっという間に平らげるとぎりぎりまで囓られた芯を盆に戻して、指を舐めて綺麗にした。

彼は一体誰が食事を運んできてくれたのかと不思議に思った。誰であれひどく静かな足取りの者か、あるいは彼がひどく深い眠りに着いていたかのどちらかだろう。彼は空っぽの胃袋としつこい膀胱からの欲求で夜分遅くに目覚めるまで、そこに食事の盆があることに全く気がつかなかった。彼は後の方を処理すると、胃袋をいっぱいにしてまた即座に眠りに落ちたのだった。多分セバスチャンが食事を持ってきてくれたに違いない、あるいはフェンリスかも、と彼は思った、犬達は彼ら以外の誰であっても吠えついただろうから。

犬達と言えば、二匹がベッドの側で寝ているところから彼を見上げる目線から判断して、そろそろ起きて彼らを散歩に連れ出した方が良さそうだと彼は判断した。彼は窓の下にある洗面台に置かれていた水差しから水を出して手早く身体を拭い髭を剃ると暖かい服を着た。彼が屋敷の外に出るとアッシュは彼の足下を前後にまとわりつき、犬達は彼の後ろを付いていった。

彼の猫と犬の友人が朝の仕事を済ませる間にゆっくりと明るみつつある空を眺めながら、彼は本当の散歩に出かけようと決めた。戻ってくる頃には朝食の時間となっていることを願って、とりあえずそれまで彼と犬で口にするための堅焼きビスケットと乾し肉を、彼の背負い袋から取り出した。

アンダースはまず前日に彼らが辿ってきた街道へ戻り、犬達が跳ね回って街道の脇の低木に頭を突っ込んだり、アッシュが彼に付いてこられる位ゆっくりあたりをぶらぶらと歩いた。アッシュが歩くのに飽きて、抱きかかえて貰う方を選んだ後、彼はせっせと歩き出した。
アンダースは東の空が明るくなり、濃紺から群青、そして鮮やかな青と次第に移りゆく美しい空と、そこに浮かぶ白い雲を眺めた。ようやく彼が戻ろうと決めた時には、屋敷からはとっくに数マイルは歩いていた。

彼が戻りだして程なく、後ろから街道に響く馬蹄の音が聞こえた。ガンウィンが一声嬉しそうに吠えるとそちらへ走り出し、彼が振り向いた時ちょうどアリに乗ったフェンリスが彼に追いつくところだった。彼はエルフに手を上げて挨拶した。

「メイジ」とフェンリスは鞍から滑り降りながら言った。

「ウォーリアー」とアンダースは言い返すと、二人ともお互いの顔を見て愉快そうに笑った。
「乗馬には良い朝だね」と彼は言うと、彼方の屋敷に向かって再び歩き始め、フェンリスも馬を手綱で従えつつ彼の後に続いた。

フェンリスは真面目そうな顔つきで頷いた。
「全く。散歩にも同じくらい良い朝のようだな」

アンダースは頷いた。彼らはしばらくの間黙ったまま歩いていた。

「アンダース……少し話をしても良いか?」とフェンリスが唐突に尋ねた。

「もちろん。何の話?」

フェンリスは歩調を緩め、そして止まった。彼は何か神経質になっているようだとアンダースは気付き、前にフェンリスと話をしたときの内容を思い出した。
「何かゼブランと関係のあることかな?」と彼も足を止めながら聞いてみた。

フェンリスは頷くと、頬を赤く染めた。
「俺には……判らなくなった」と彼は言うと、その先を続ける前にためらい、彼の頬は決まり悪さから更に赤くなった。
「一体何が正常なことなのか……その、男性同士で……俺には判らない。それで君なら何か助言してくれるのではないかと」

アンダースは彼の言葉を理解して頷いた。同時にこれは長くなりそうだとも思った。それで当たりを見渡し、街道沿いの生け垣と道の間の、新緑に覆われた緩やかな斜面に腰を下ろすとフェンリスも隣に座るよう手招きした。エルフはそちらに歩いて行くと、アリの手綱を近くの植え込みに引っ掛けて、それから彼の側の草地に堅苦しく座った。

「ゼブランは君の嫌がるようなことはしていないだろうね?」とアンダースは少しばかり気がかりになってまず最初に尋ねた。

「いいや」とフェンリスは答えると、また顔を真っ赤にした。
「どちらかと言えば、むしろ正反対だ」

アンダースは一安心した――ゼブランが彼のパートナーに望まないことを押しつけるような性質とは思っていなかったにせよ、フェンリスにしてもとりわけ彼の望むところを正確に言い表せるとは思えなかった。
「良かった。それで何が知りたいのかな?」と彼は不思議そうに尋ねた。

フェンリスはまたもや顔を真っ赤にすると、顔を背けて遠くを見た。
「俺は、まるきりセックスの経験が無いわけではないが、昔のそれは常に強いられることばかりだった。それで……俺は、戸惑っている。俺が経験したことのうち、どれだけが正常なことで、何がそうでないのか」

アンダースはゆっくりと頷いた。
「多分、君の経験の多くが『正常』なことだろうね、ある意味では」と彼は適切な答えを考えながらゆっくり答えた。
「もし良かったら、身体の様々な部分を一つにすることで快感をもたらす方法の、より一般的なやり方について説明してもいい……恐らく君が経験したことの多くがその中に含まれると思う。どれも皆ほぼ間違いなく『正常』な行為だ。君を戸惑わせているのは、あるいはその基本的な身体の動きでは無くて……それが君に何を感じさせたかということじゃないかな」

アンダースはしばらく考えに沈み難しい顔つきをすると、それから言葉を継いだ。
「結局のところ、その感じ方の真の違いというのは、行動それ自身に有るわけでも、それが痛みを感じさせるか快感をもたらすの違いでもなく、その行動の背後の意思にあるのだろうな。真の違いは、それが君の意志に反して強いられたことか、それとも喜びのために――君自身の、あるいは他者の、あるいは双方――合意の元で行われたことかに掛かっている。必ずしも相手と感情的な繋がりが無い場合もあれば、お互いが本当に好きな相手と共に行う場合もある。
最も単純化するなら、それらの事柄は強姦、楽しみのためのセックス、あるいは愛を育む行為として当てはめることが出来る。過去に置いて君が経験したのは強姦だった。今の君がゼブランと行う行為は共に喜びを求めるセックス、あるいは愛を育む行為になっているかも知れないね」

フェンリスはゆっくりと頷き、微かに救われたような表情を見せた。
「すると、もしあることが……」彼は言葉を切ると、ひどく不安げな様子で大きく息を吸い、それからどうにか言葉を継いだ。
「過去に俺がある行為を強いられたとして、もしその相手がゼブランだったとしたら、どんな風なのか知りたいと思うのは……」それ以上続けられず、彼は再び黙り込んだ。

「君が考える行為で、異常なことというのは何も無いと思うな」とアンダースはとても優しい声でそっと言い添えた。
「その行為を強いられた時に酷い思いをしたとしても、君の好きな相手とそうしたいと思って行った時には、大きく違う経験となるだろうね。それどころか、恐らく肉体的にも精神的にも、快感を得られる可能性が高い」

「例えばキスのようにか」フェンリスはとても静かに言った。「ゼブランがキスをするのは好きだ。それ以前には、あれが気持ちの良い経験になるなどと思っても見なかったが」

アンダースは微笑んだ。
「まさにその通り。彼がキスする時は君を喜ばせようとしているか、あるいは共に喜びを分かち合おうとしていて彼だけが楽しむ訳では無いから、キス自体も、それに君がそれでどう感じるかも過去のそれとは全く別物となる。同じことが他の行為にも言えるだろうね。
さて、良かったら男性同士のもっとありふれた行為の幾つかと、それらを示す下品な言い方と上品な用語について解説することにしようか?もしどういうことが出来るのかについて、幾らかでも恐ろしくない印象が持てるようになれば、ゼブランとどういうことをしたいか考えるとき、きっと楽になるんじゃ無いかな」

「そうしてくれ」フェンリスは不安げな様子であったが、同時に多少は好奇心をそそられたようだった。

キスのやり方の基本から始まって、身体の各部分に触れたり撫でたり、あるいはより直接的な行為に及ぶまでの解説にはたっぷり時間が掛かった。彼が話し終えた時には既に日はかなり空高く昇っていた。アッシュはフェンリスの腕の中でゴロゴロと上機嫌だった、というのもフェンリスがその話の途中で顔色を真っ青にしたときに、アンダースが猫をエルフに手渡し、撫でてやってくれと頼んだのだった。解説の中でかつての不快な記憶が呼び覚まされたようで、彼はまだ少しばかり青ざめていたが、それでも会話を始めた時よりはずっと気が楽になったようでもあった。

「ありがとう」とフェンリスは真面目な顔付きで言った。「とても役に立った」

アンダースは頷いた。
「良かった。何か他に知りたいことが出来たら、またいつでも聞いてくれ」と彼は言った。
「屋敷に戻らないとな、もう朝食の準備も出来ているだろうし、それに僕達がどこに居るのかと他の人が心配するだろう」
彼は立ち上がると、口笛を吹いて犬達を呼び寄せた。

フェンリスも同じく立ち上がった。アリを繋いでいた茂みに向かって手綱を取ろうとする時まで、彼がまだアッシュを抱きかかえていたことをすっかり忘れていたようで、驚いた様子で猫を見下ろすと、アンダースに手渡した。
「俺も歩いて帰ろう」とフェンリスは申し出た。

帰り道は二人とも静かだった。フェンリスは明らかにアンダースが話した内容を消化する間、明らかに自らの思いに耽っているようだった。アンダースも考えごとをしていた――他の人が心配すると言った時にようやく気が付いたが、彼が部屋を出たとき護衛は誰も立っておらず、彼が屋敷から誰にも見咎められること無く外に出たとき、彼の後を誰も付いてこようとしなかった。
これは単に誰かの手落ちに過ぎないのか、あるいは何か他の意味が有るのだろうかと、彼は不思議に思った。


衛兵の一人が、アンダースがフェンリスと一緒に戻ってきたと知らせに来たときセバスチャンはほっと胸を撫で下ろした。どうやら二人は犬達と一緒に早朝の散歩に出かけて居たらしかった。アンダースの姿が見えないことに、メイジの護衛四人が全員、朝食のため姿を見せた時まで彼は全く気付いておらず、そして護衛達も、誰も当番に付いていないことに気づいてお互いに驚いていた。
昨日屋敷に着いた時に、セバスチャンとアンダースは村へと向かい、そして衛兵達のほとんどが荷下ろしと移動に忙しかったことからくる連絡の行き違いと思われた。おまけにアンダースが早くに寝室に引き上げ、彼の護衛がそれぞれ異なった部屋に宿泊するよう割り当てられたため、誰が夜直で誰が今朝からの当番に当たるのか、今朝になるまで判らないこととなった。

彼は再び食堂に戻った。アンダースとフェンリスが共に座っていて、メイジは既に大量の朝食に猛侵攻を掛け、彼の護衛二人は扉の側にどことなくきまりの悪そうな顔をして立っていた。

アンダースは顔を上げると、セバスチャンが歩いてきて彼らの側に座ったのを見て微笑んだ。
「心配を掛けて悪かったね、とにかくここへ戻る途中になって初めて、護衛が誰も居ないことに気が付いたものだから」
とメイジは機嫌良く言った。

セバスチャンは座りながら二人に頷いて挨拶をすると、マグカップに紅茶を注いだ。
「何事も無くて良かった。お前が逃げるとは思わないにせよ、身の安全が少しばかり心配になったからな」

アンダースは不服そうに頬を膨らませた。
「僕はもし必要なら自分の面倒はちゃんと見られるよ、知ってるだろう」と彼は言うと、指で魔法を詠唱するときのような何か不可思議な仕草をして見せた。
「それに犬達も一緒に居たし。それにフェンリスも、とは言ってもずっとでは無いけどね」

セバスチャンは微笑むと紅茶をすすった。
「ああ、それでも私はソリアにお前の安全を護ると約束したからね。護衛が付いていれば街道沿いで待ち伏せるならず者を追い払うには都合が良いし、私も安心出来る」

「そうすると、この辺にはそういうならず者がいるのかな?」とアンダースは尋ねると、薄切りのトーストにマーマレードをたっぷりと二さじ塗ってから大きな口を開けてかじり付いた。

「いつだってならず者はいるものだよ」とゼブランは部屋に入って来しなに澄ました顔で言った。彼は皆の方に歩いてきてフェンリスの隣に座ると、にこやかに彼ら全員に笑いかけた。
「無計画な旅行者、機会さえあれば盗みを働く不埒な連中、組織だった野盗の群れに絶望した貧者……」

「幸いなことにスタークヘイブンではそういった連中の数はかなり少ない」とセバスチャンは言った。
「無論全く居ないのが理想だが、我らの住む世界は完璧では無いからね」

「ところで、種蒔き祭りにはどういったことが行われるんだ?」とフェンリスは彼の皿から顔を上げると不思議そうに尋ねた。

「ああ、もちろん、皆揃って畑に種を蒔くのが一番の活動ではあるが」とセバスチャンは彼に向き直って言った。
「祭りは明日の朝、女達の日で始まり、それから二日か三日間種を蒔いて、それからパーティが開かれる。実際の種蒔きはこのあと数週間経たないと全部は終わらないだろうな、幾つかの作物はもっと季節が進んでからで無いと種を蒔けないから。だが穀物畑の大部分と、同じくらい大規模に育てる幾つかの作物についてはこの祭りの間に植えられる」

「女達の日って?」とアンダースが興味深そうに聞いた。

「女達はその日の朝、畑で儀式を行う。女だけが参加し、決まった数の女性がその日の午後に自ら種を蒔く。男達はその日は家の中に留まって大量のご馳走を作る」とゼブランが口を挟んだ。
「その儀式は畑の豊穣を願うもので、主役は昨年の春から後に初潮を見た若い娘達だ。故意であれ偶然であれ、その儀式を目撃した男にはひどい悪運がもたらされる」

セバスチャンは頷いた。
「古く野蛮な時代には、単に悪運と言うだけでは済まないこともあった――もしもその儀式を覗き見した男は、誰であれ女達に殺されたという。もちろんその罰がもう適用されることは無いがね、それでも男達はとにかく明日夜明けの一時間前から正午を過ぎるまでは家の中に留まることになる、何か極めて緊急の用件でも無い限りは」

彼はニヤリと笑った。
「とはいえ何も辛いことは無いよ、ご馳走を作るのは大いに楽しめる。一家の父から息子へと受け継がれる秘密のレシピを持つ僅かな家を除いては、男達は皆村の最良の台所に集まって大量の料理を作り、お喋りをしながら飲んで時を待つ。それからその日の終わりに女達が畑から戻ってきて、村の広場で宴会を開くというわけだ」

「すると僕達も……明日は何か料理を作らないといけないのかな?」とアンダースは恐る恐る尋ねた。彼は例えばポリッジのような――とはいえそれもダマになりがちだったが――あるいはベーコンを焼いたり卵をゆでたり、トーストの上に溶かしチーズを載せたりと言った類の、ごく簡単な食べ物は自分のために用意することが出来たが、どう解釈してもそれが本当の料理とは呼べないと判っていた。

「あるいは助手として誰かの手伝いをするかだね」とセバスチャンは答えると、メイジの顔に浮かんだ心配そうな表情に向けて微笑んだ。
「心配するな、明日はここにも夜明け前から大勢の村人達が集まってくることになっている――もちろんこの屋敷にも最良の台所があるからね。今日の午後には大量の荷物がここに運び込まれて、何か作りたいという者は皆、手近に必要な材料が揃うようになる」

ゼブランはニヤッと笑った。
「実際楽しいものだよ。僕も何か作ろうかな……幾つか伝統的なレシピを知っているから」

「俺は皿洗いでもする事になりそうだな」とフェンリスは空になった皿を押しやりながら穏やかに言った。
「料理については何も知らん」

「どうやら僕もそうなりそうだ」とアンダースは同意した。
「ただ今のところは、また村に歩いて行って長老の様子と、それともし誰か他に治療が必要な人が居ないかを見てこようと思うけど」

セバスチャンは頷いた。
「それは良い考えだな。ではまた後で会おう、私は残念ながら今日はほとんどずっと、色々と片付けなければいけないことがありそうだ」


猫セラピー。

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第81章 率直な話 への4件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    アンダースせんせぇ・・・・・・・orz

    すっごいありがたいようなありがたくないような
    ご教授お疲れ様です・・・・・⊂⌒~⊃。Д。)⊃ モーダメダー

    できれば、ごっ、ご自分のことに集中なさってっ・・・くっ

  2. Laffy のコメント:

    コメントありがとうございます(^.^)
    なんちゃらセラピストとしてもやっていけそうなアンダースせんせい。
    いやもう勘弁して……

    さあ難関をお盆に持ってきましたよ!何とか山は越えたいですよ!

  3. EMANON のコメント:

    そっかー、お盆休みを利用して78時間の産みの苦しみ
    に耐えまくった挙句あの章が出来るのかと思うと(違

    とりあえずグレードアップしときますねw

    つ【ガラスクロス粘着テープ(工業用)】【ポリイミドフィルム粘着テープ(耐熱)】

  4. Laffy のコメント:

    コミケから復帰致しました。いや帰ってきたのは昨日なんですが、その後夕方7時から今朝6時まで爆睡してたものでw
    今年は節電協力とやらで15日まで(半)強制休暇なんだわさ。(年休むりくり取らされる)わーい5日間も頑張れるよ!
    ……【ぺたぺた】ポリイミドフィルム【はりはり】

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