第80章 浅い眠り

街を出て荘園に出かけるには実に良い日だった。遙か上空に一刷毛の雲が流れ、澄んだ青空には穏やかな陽射しが輝き、田園は春の新緑に彩られていた。彼らは早朝のまだ肌寒い頃に、騎乗した衛兵の一分隊と、一緒に連れて行く使用人でいっぱいの四輪馬車と、荘園を訪れる間に必要とする品々を積んだ荷馬車を引き連れて城を出発した。

セバスチャンはアンダースの側で馬を進ませながら、今朝メイジが見せてくれた絵のことを考えて一人思い出し笑いをし、隣のアンダースといえば彼の亜麻色の去勢馬、マブの背に乗り、たすき掛けにした詰め物入りのバッグからはアッシュが頭を覗かせていた。フェンリスとゼブランは彼らの後に続き、ゼブランはこの旅のために鹿毛の馬二頭を借り受けていた。
セバスチャンはアサシンの腕がまだ肩から吊られていることから、今朝馬に乗る際に助けが要るかと思ったが、彼はどうやってか鞍にすらりとまたがり、しかも何の苦労も見せず優雅にやってのけた。セバスチャンは振り返ってエルフ二人をちらっと眺め、ゼブランが何かフェンリスに言ってそれから彼らが声を立てて笑った時の、フェンリスの顔に浮かぶいかにも楽しそうな、はにかんだ笑顔を見て、彼も思わず笑みを浮かべた。

彼らは午後の中頃に荘園に到着した。長い時間馬に乗ったせいであちこちに強ばりを感じていないのは四人の中ではフェンリスだけで、もちろん毎日の乗馬のお陰だった。セバスチャンはかろうじて冬の間も折に触れて乗馬の機会があったものの、アンダースとゼブランは、どちらも最近全くといって良いほど馬にはご無沙汰だっただけに一番ひどい事になった。

アンダースは馬から下りてあたりをうろうろ歩き、彼の足の痛みを和らげようとしたが、それからセバスチャンの側で立ち止まると馬車から大勢の使用人が降りて荷を解き始めるのを見ていた。
「本当にここを切り回すのに、こんなに大勢の召使いが要るのかい?」と彼は不思議そうに聞くと、この荘園の『お屋敷』であるところの特大コテージを眺めやった。

セバスチャンは笑った。
「いいや、もちろん要らないさ。彼らを大勢連れて来たのは、実家に戻って家族と会わせるためだ」
彼はそう説明すると、村の方に向けて頷いて見せた。邸宅から坂を下った先に、大勢の村人達の一団が村からこちらへ向かってくる様子が見て取れた。

アンダースは驚いたようだった。
「じゃあ、この召使い達はみんなこの村出身なのか?」

ゼブランは近くに立って二人の会話を聞いていたが、白い歯を見せて笑うと彼らの会話に加わった。
「僕が思うには良い伝統のようだね。単に給料を払ってくれる相手という以上に、もっと個人的な忠誠心をヴェイル一族に持っている人々を雇い入れることになるから」

セバスチャンは同意して頷くと、彼の一行の向こうに近付いてくる村人達を見つめた。彼は微かに顔をしかめると、村人達が門に群がって通り抜けようとしている方へ数歩近付いた。
「長老は?」と彼は心配そうな声で尋ねた。*1

男達の一人が前に出ると、彼に向かってぎこちなく頭を下げた。
「長老は寝付いておりまして、閣下」と彼は気遣わしそうに言った。
「もう二週間になります。具合が悪くお出迎えに出られないのが残念だが、宜しく言ってくれと」

「もし彼の具合が悪いのなら、私が出向こう」とセバスチャンは即座に言い、村人達は嬉しそうにささやきあった。彼はアンダースの方に視線を向け、「私と一緒に来てくれ」と静かに尋ねた。

アンダースは頷き、鞍袋から彼の救急箱を取りに向かった。セバスチャンが驚いたことに、彼はアッシュの入った肩掛け袋を外すと、フェンリスに彼が出かけている間猫を見ていてくれるように頼んだ。それから残りの衛兵と使用人達には荷解きを続けて屋敷に入るように言うと、彼らはアンダースの犬達と彼らの護衛の一群と共に村へと出発した。

長老の家は村の外れの、村では最大のだだっ広い建物だった。一人の老人――確か長老の一番若い息子だったとセバスチャンは思った――が彼を家の中へ案内し、長老が寝ている寝室へと連れて行った。大きく暖かな部屋の中で長老は枕に寄り掛かって半身を起こしたまま眼を閉じていた。部屋の扉のところからもセバスチャンには彼の胸からガラガラという呼吸音が聞こえ、昨年の秋に彼が見た姿からひどく弱った様子が見て取れた。

長老は部屋に彼らが入ったのを感じ取って眼を開けると、大公の姿を認めて温かく微笑んだ。
「若いの」と彼は力の無い声で言った。「お越し下さったは我が家の誇り」

セバスチャンはこの尊ぶべき老人が、昨秋のように彼のことを指して『若いの』と呼んだのを聞いて微笑んだ。
「いいえ長老、あなたこそ我らの誇り」と彼は厳かな声で言った。
「お身体を楽にするよう何か出来ないか、私のヒーラーを連れて来ました。アンダースにあなたを診させて頂けますか?」と彼は尋ねながら、メイジに前に来るよう手招いた。

長老はアンダースを近々と凝視すると、それから笑みを浮かべた。
「収穫祭に来ていたメイジだな」と彼は頷くとかすれ声で言った。
「覚えとるよ。ローリンの足の怪我を治して、お陰であの子は足を無くさずに済んだ。これまでメイジに治療を受けたことは一度も無いがの」と彼は重々しく付け加えると、同意するように頷いた。

アンダースは長老のベッドの端に腰を下ろすと、彼の脈を数カ所で見た後で、前屈みになって彼の呼吸音と心臓の鼓動を直接聴いた。

「何か出来そうか?」とセバスチャンは彼がようやく診察を終えたところで静かに尋ねた。

「今のところは、どうにかなりそうだ」とアンダースは答えた。「少しばかり時間が掛かるけど」彼はそう言いながら、長老に礼儀正しく話しかけた。
「お許しを頂ければ、呼吸を楽になるよう出来ることをやってみます」

長老は頷いた。彼のひ孫娘――村の産婆で、村中で最もヒーラーに近い女性――が手助けのために残った他は、全員部屋から追い払われた。セバスチャンも外に出ると、玄関先に立ったままガンウィンとハエリオニに挟まれ、村人達と話をして昨秋から後の村の出来事を全部聞いた。ようやく玄関の扉が開き、アンダースが外に出てきた。皆静まりかえり彼の方を不安げに見つめた。

「彼の様子は?」とセバスチャンが尋ねた。

アンダースは疲れた様子で笑った。
「随分良くなった。一晩ぐっすり眠れば、きっとまたベッドから出られるようになるはずだ」

興奮したざわめきが外で待っていた村人達の間に広がるにつれて、多くの顔に浮かんでいた憂鬱な表情が大きな笑みへと代わり、雰囲気はずっと祭りにふさわしいものに変わった。セバスチャンも大きな笑みを浮かべていた。
「休む必要がありそうだな?」と彼は、アンダースがひどく疲れた様子なのを見て心配になって尋ねた。アンダースは頷き、セバスチャンは急いで別れを告げると、屋敷への道を戻って行った。

「本当のところ彼の様子はどうなのだ?」と彼は歩きながら静かに聞いた。

「とりあえずは元気になるだろうね、またすぐひどい風邪を引かない限りは。彼の肺に溜まっていた液体を取り除いて、治療出来るところは治しておいた。運が良ければ、次の収穫祭を見ることが出来るだろう。その次の春の祭りはどうかな?判らないな……だけど、また彼には驚かされるかも知れないね」

セバスチャンは納得して頷いた。
「我々がいつ死ぬのか、本当には誰にも判らないからな。彼は他の多くの者よりも遙かに長く生き続けてきた。それでも……彼が亡くなる時には、一時代の終わりとなることだろう」

アンダースは頷いた。そして彼らは屋敷に到着した。ゼブランとフェンリスは玄関先のベンチに並んで腰を下ろし、二人の間に箱座りしたアッシュは、ゼブランに上手に耳と顎の下を掻いて貰ってゴロゴロ喉を鳴らしていた。荷物は長椅子の真下に並べられ、彼らは静かに話をしていた。彼らは二人の男が戻ってきたのを見て立ち上がった。

「召使い達は、俺達の部屋を君がどこに割り当てるつもりだったのか判らないそうだ」フェンリスは重々しくセバスチャンにそう告げた。

ゼブランは愉快そうに微笑んだ。
「だから彼らにね、君が戻ってくるまでここで待っているのは全く構わないと言ってあげたよ」

「ああ、そうだ――村に行く前にその件で命じておくのを忘れていた。済まないことをした」とセバスチャンは言った。
「二人とも、一緒の部屋になっても構わないだろうか?つまり、生憎この屋敷にはあまり部屋数が無くてね……」

フェンリスの眼がちらりとゼブランをかすめ、一方ゼブランといえばまるでこの会話には一切関わりが無いかのように遙か遠くを眺めていた。
「一緒の部屋で良い」と彼はゆっくり頷いた。

「結構!鞄を持ってきてくれれば、私が部屋まで案内しよう」とセバスチャンは言うと、二階へと二人を案内した。実際そこには本物の寝室は数えるほどしか無かった。
「ここだ、こっちの一つを使ってくれ」と彼は指し示して、扉を開け彼らに一人用ベッドが二つ、両側の壁に沿って並べられた小さな部屋を見せた。

ゼブランは彼に向かって大きな笑顔を見せた。
「大いに感謝しますよ、ヴェイル大公」と彼は大きく笑いながら言うと、彼とフェンリスはそれぞれの手荷物を中に運び込んだ。セバスチャンはアンダースをずっと向こうの広間へと連れて行った。
「この前と同じ部屋に入るといい」と彼に言うと、その部屋の扉を示した。

アンダースは部屋に入って、彼の荷物が既に運び込まれているのを見て安堵すると、セバスチャンに向かって疲れたように微笑んだ。
「しばらくの間仮眠を取ることにするよ」と彼は言った。

「もし夕食の時間までに起きてこなければ、誰かを寄越して起こさせることも出来るが」とセバスチャンは言った。「それとも食事を運ばせるようにしようか?」

アンダースは疲れた様子で頷いた。「運んできてくれると有難い――旅行と治療魔法を使った後だから、元気を取り戻すには多分明日の朝くらいまで掛かるだろうし」

セバスチャンはうなずいた。「判った」と彼は同意して言うと、扉の外枠にもたれていたところから身を起こした。「また後で、アンダース」


ゼブランはヴェイル大公を大いに好きになることに決めた。この男は彼を――そしてフェンリスを――完全にヒューマンの客人と同じように扱うだけでなく、そこには何のわざとらしさも見られなかった――彼はまるで息をするように自然に、ただそうしていた。彼はどうやら、全ての種族の人々を何よりもまず人として扱い、実際の種族の違いはそれが何か問題となった時に初めて重要なこととして考える、そういった希なヒューマンの一人であるようだった。

それに彼は二人が使用する部屋を見せたとき、セバスチャンの目に浮かんだきらめきを見逃さなかった。もちろん、それらは一人用ベッドだったが、しかしどこかの時点である晩二つのベッドが偶々隣り合わせに押し付けられていたとしても、大公がとやかく言うとは彼には思えなかった。それで彼の友人であるフェンリスが幸せになる限りは、恐らく黙って歓迎しさえしただろう。さらにゼブランには、もしフェンリスが一緒の部屋に泊まることに反対したなら、また別の部屋がどこからか現われて彼らに提供されただろうことは間違い無いように思われた。あの大公は明らかに、思いやりが有りかつ抜け目無い男のようだと、ゼブランは大いに称賛した。

彼とフェンリスが荷物を解いてしまい込んだあと、彼らは再び階下に降り外に出て、最初にフェンリスが厩へ向かって彼の馬達の様子を確かめた後、二人はゆっくりと屋敷の周りを歩きながらあらゆる方角を見渡した。北東に彼らがここまで来る途中に通り過ぎた、小川が縞模様を作る森林に覆われた丘が見えるのと、青白く霞んだ遙か彼方にヴィンマーク山脈のごつごつした岩山が南に見える他は、ほとんどどの方角もずっと野原が広がっていた。ここからは見えないが、北にはマイナンター河が有ることも彼は知っていた。

他にやることも特に無かったので、彼らは屋内に戻り、ちょうどセバスチャンが二階から降りてくるところと出くわした。大公は二人を誘って、結局彼ら三人は玄関先の長椅子に腰を掛け、エールを飲みながら馬のことや武器について話をしながら楽しく時を過ごし、それから召使いの一人が夕食の用意が出来たことを知らせに来た。

夕食はとても打ち解けた様式で、家中の人々全て――大公、客人、衛兵に召し使い――が同じ食事を広々とした食堂で摂り、友人達と側で話が出来るようにセバスチャンが三つ並んだ席を確保した以外には、優先順や決まった席次に注意が払われた様子は無かった。

食事が終わった後セバスチャンは席を立つと、台所にその夜の食事を大盛りにした盆を取りに行くと、アンダースのところへ持って上がっていった。ゼブランもようやくその日の疲れが出てきて、フェンリスが早めに寝室へ戻ろうと言ったときにはすぐ賛成した。

部屋に二人だけとなったとき、彼はフェンリスが少しばかり落ち着かない様子なのに気付いた。
「ベッドに入る前に座って少し話でもしようか」と彼は提案し、他に座るところも無かったのでベッドの上に座ると、背を壁に付けて両脚を彼の前に伸ばした。フェンリスも彼のベッドに上がると同じような姿勢を取った。

彼らはしばらくの間話をしようとしたが、フェンリスは会話を続けるにはひどく気が立っているようで、しばしば沈黙が部屋に訪れた。

「何か気になることがあるようだね」とゼブランは、とうとう問題の核心を突くことに決めてそう指摘した。
「もしそのほうが良かったら、ヴェイル大公に僕が寝る部屋を別に見つけて貰うようにしても良いけど?」

「いや。君が……ここに居るのは嬉しい。俺が単に、寝室を誰かと共有するのに慣れていないだけだ。ホークと一緒に冒険していたときに外でキャンプしたのを除けば、もう長年他人と一緒に寝たことが無い。そう考えるだけで、俺は思ったよりずっと怖じ気づいているようだ」

ゼブランはゆっくりと頷いた。フェンリスが最後に寝室を――あるいはベッドを――共有したとき、彼に相手を選ぶ権利など無かったことは言われるまでもなかった。
「少しでも怖がるのを楽にするために、僕に出来る事は無いかな?」と彼は、ごく微かに何かほのめかす様子を声に滲ませながら尋ねた。

フェンリスは顔を赤くしたが、それから微かに笑った。
「多分無さそうだ」と彼は重々しく言った。
「俺は単に慣れる必要があるだけだろう。そろそろ着替えた方がいい」と彼は付け加えると、立ち上がってさっき枕の下にしまい込んだ寝間着を取り出した。

ゼブランも同様にして、二人が着替える間は行儀良く彼の背を向けていたが、それでもフェンリスの裸がどんな風か見たくて堪らなかった。彼の心は今までに僅かに見たもう一人のエルフの姿に基づく、様々ないかがわしい姿態を脳裏に送り込んだ。そのせいで彼は寝間着に着替えるやいなやシーツの下に潜り込み、彼の興奮があからさまにならないよう、身体を横に丸くなる羽目になった。

フェンリスも自分のベッドによじ登ると背中を下に上掛けを行儀良く胸まで引き上げると、両腕を固く胸の上に伸ばし、微動だにせず天井を見つめていた。ゼブランは彼はいつも、こんな木の板のように堅苦しく寝ているのか、それとも単に今の不安な状態を示す印なのかと訝った。彼はもう一人のエルフのハンサムな横顔を見つめながら微笑んだ。

「ろうそくを消した方が良いかな?」と彼はしばらくして尋ねた。

フェンリスはようやく彼の頭を回してゼブランの方を見た。
「いや」と彼はとても小さく答えた。
「そのままにして置いてくれ」

彼はそのままゼブランの方を向いて、静かに彼の顔を見つめていた。ゼブランは彼に微笑み返した。
「じゃ、僕も寝ようか」と彼は言った。「おやすみなさい、フェンリス」

フェンリスは瞬きをすると頷いた。「おやすみ、ゼブラン」と彼は言って、再び頭を戻すと天井を見つめた。

ゼブランはその夜ほとんど眠れなかった。彼自身のせいではなかったが、彼は生来ごく眠りの浅い性質だった。フェンリスが寝返りを打つたびに――そしてその夜彼は転々と寝返りを繰り返した――ゼブランは眼を覚ました、少なくとも部屋の中で何が音を立てているのか確かめる間は。


*1:第16章で登場した90歳を越えるおじいさん。原文では”old father”とあり、村の半分以上が何らかの形で彼の子孫に当たる。

「80歳まで生きぬいた人は、少なくとも100歳に見させる伝説の雰囲気に包まれており、自然の感情から王者たち(champions)に与えられる迷信的な畏敬の念をもって眺められた。かれの息子や娘、甥や姪はとっくの昔に死んでいた。孫たちのゆうに半分は亡くなったあとも生き続け、この故老は村全体の賢者となった。」

静岡大学のこの論文が大変参考になった。「近世ヨーロッパの人口動態(1500~1800年)」


寝間着の下は下着無しですかね……。

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第80章 浅い眠り への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    ゼブランでも我慢する時あるんだねぇ~

    ときにゼブランのパンツってやっぱシマシマ
    なのかなぁ~。フェンリスは黒なのかな~。
    セバスチャンはやっぱシルクのつやつy(自重中

  2. Laffy のコメント:

    EMANONさま、コメントありがとうございます(^.^)

    フェンリスがだんだんヨゴれていくようで悲しい今日この頃です……。アンダースせんせい、余計なこと教えないで!
    ところでパンツ、履いてないっぽいですよ(ぼそ 起きたときに新しい下着を履く描写はあっても、脱ぐ描写がありませんw お寝間着の生地については記載無し。自由に妄想想像を働かせて下さいということかも。

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