第16章 昔ながらの風習

第16章 昔ながらの風習


いつものように驚くべき速さで、夏の暑さは秋のひんやりとした空気にその場所を譲った。世界各地からは不穏な知らせが未だに聞こえてきたが、スタークヘイブンに逃げてくる避難民は、セバスチャンが恐れていた洪水のような流れではなく緩やかな流入に留まっていた。それでも彼は必要な時に備えて、避難民キャンプ設置の計画を前倒しで進めることにした。同時に彼は今後二世代に渡る街の拡張計画を公式に発表した。街は既に自ら膨れ上がりつつあり、スタークヘイブンは切実に拡張を必要としていた。

新しく拡張する区画について、彼はアンダースの適当な衛生設備に関する意見に耳を傾け、その結果元の計画を少し修正した。汚水が地下の下水へ適切に排出されるように、敷地になだらかな傾斜を付けた溝を敷設するようにした。地下の下水溝は今のところ街のごく限られた区画にしか備えられておらず、彼の祖父の時代にドワーフの技術者を雇って、地下にトンネルを掘り進めるための高額の費用を賄うことが出来た、最も裕福な市民が住む街区に限られていた。

彼も当初その敷設費用に怯んだが、アンダースの指摘するように、新たな区画に道が敷かれ建物が建てられる前に地下の下水溝を掘っておけば、後からそうするよりずっと安価に済むだろうし、工事計画と監督を担当するドワーフ技術者を雇い入れる必要はあったにせよ、街中に職のない避難民が溢れている今なら、この計画に必要な労働者は相当安く手当て出来る事は間違いなかった。

「それもまた別の問題になりそうだ」とセバスチャンは顔をしかめて言った。
「我々は職にありつけない、多くの避難民を抱えている。必要に応じて食料の配給を行わせているから、彼らは少なくとも飢えてはいないし診療所のお陰で病気に苦しむ者もいない。しかし何時までも何もする事が無ければ、いずれ彼らの、さらにはスタークヘイブン市民の中にも不穏な動きが出てくるだろう。既に貴族や商人達は、避難民を手当てする費用を賄うための税金について不満を漏らしている。彼らは街に何の利益ももたらさず、ただ資源を浪費しているというわけだ」

アンダースは不思議そうにセバスチャンを見つめた。
「どうして彼らが働けないのか調査はさせてみたか?」

セバスチャンはいぶかしげに彼を見返した。
「この街の大きさから考えて、それほど多くの職が転がっているというわけには行かないだろうな」

アンダースは頭を振ると言った。
「恐らくそれもあるだろうが……昨日僕が治療した男性の話だけどね。彼はカークウォール出身だった。彼は才能有る宝石職人で大きな店を構え、多くの徒弟と職人を抱えていた。街から逃げ出さざるを得なくなったとき、彼はそのほとんど全てを置いてこなければならなかった、少なくとも彼が持ち運び出来る物以外は」

「そしてその後、避難民を狙う盗賊に襲われた。彼は宝石と金を奪われた上に怪我をして、着の身着のままでスタークヘイブンに到着した。だけど彼の頭の中の知識と手に付いた技能は、何があっても失われる事のない宝物だ。その才能があれば、宝石職人としてこの街でまたやり直す事が出来るだろう。だけど今の彼には立ち上がるための資金も、何も無いんだ」

セバスチャンは難しい顔をした。
「ここの宝石職人ギルドに入ることが出来れば……」

アンダースは肩をすくめた。
「多分ね。だけどギルドの連中が、自分たちの金庫に一度だって金を納めたことのない、カークウォールの避難民の窮状に目を向けるだろうか?ましてや、狭い市場の競争者となるかも知れない相手に?もし親方の誰かが彼を職人として雇おうとしたとしても、自分と同じくらい、あるいは更に腕が良いかもしれない、かつては自ら親方として職人を雇っていた男を使いこなせるだろうか?言い換えれば、どうしてそんな優れた腕を持った職人が、誰かの店のただの下働きに成り下がる必要があるのだろう?全くの才能の無駄じゃないのか?」

アンダースはそういうと首を振った。
「ダークタウンの避難民にもこんな話はいくらでもあった。フェラルデンにいた当時は腕の良い裕福な職人だった人々が、彼らの才能を発揮して状況を変える機会さえ与えられず貧困にあえいでいた」

セバスチャンは反論しようと口を開けると思い直して、じっとアンダースを見つめた。
「何か提案したいことがあるようだな?」

「ああ。君のギルドを説得して、避難民の中で技能を持つ人々を探し出し、ここスタークヘイブンで再びやり直す手助けをさせるんだ。そうすれば彼らはタダの金食い虫から、職人や徒弟を雇う他にも、原材料や食料品を地元の店で購入し、街の中に店や家を借りて街の人々に仕事を分け与える存在になる。
もちろんギルドマスター達は限られた小さな市場に競争者が現れる事は歓迎しないだろう、だけど彼らに地元の生産者が増えれば彼らの品物を買う事が出来る人の数も増えると示してやればいい。市場自体が大きくなるのだと」

セバスチャンは眉をひそめて言った。
「そんな簡単な話ではないぞ」

「多分そうかもね。だけど考えてみてくれ。世界中で不穏な動きが広がっている今、宝石のような贅沢品に限った話ではなく服でも家具でも何でも、物の生産量は急激に落ち込んで行くだろう。腕の良い職人を呼び寄せてここに腰を落ち着けさせる事が出来れば、いずれはスタークヘイブンは、人々が欲する物を国境を越えて供給する事が出来るようになる。そうすればずっと、ずっと大きな市場が生まれる」

しばらく考えた後、セバスチャンはゆっくり頷いて同意した。
「お前の言うことはよく判った。少なくとも考える価値はありそうだ。いずれにしても、収穫休暇が終わるまでは待たないといけないだろうな。私が相談したり、あるいはそのような計画を頭に入れて貰わないといけない相手も、翌週あたりは皆地元の農場に帰ってしまうから」

「収穫休暇って?」とアンダースはいぶかしげに尋ねた。

セバスチャンは笑った。
「ここの風習でね。春は種まきを助けるため、秋は収穫を手伝うために、年に二回休暇を与える事になっている。貴族達は自分の荘園に戻って仕事を監督し祭りに参加するし、庶民も農場で働くために街を離れる。仕事でもあるが祭りでもあるな、大体のところは」

セバスチャンは首をかしげるとアンダースの顔を見た。
「収穫休暇の間、お前のことをどうするか考えていなかった。何しろ街の半分方は空になるから診療所でそれほど仕事があるとも思えないな。私も自分の荘園に戻らないといけないし……ここに監督者無しで置いておくより、お前も私と一緒に行く方が良いだろう」

アンダースは少しばかり驚いた様に見えた。
「それで、その収穫休暇はいつ頃から始まるんだ?」

「もうすぐだ。私も多分後3日か4日の間に出発する。もし今の暖かく乾燥した天候が続けば、その頃には麦も収穫できるようになっているはずだ」


アンダースはまた旅に出ることを奇妙に思った。まして今回は生まれて初めて徒歩以外での旅行だった。彼はセバスチャンの一行が引き連れる馬車の一つに、彼の護衛と一緒に乗ることになった。他の馬車は沢山の荷物に召使い達で一杯だった。

旅に出発する時はセバスチャンも馬に乗っていたが、その日の昼過ぎにはアンダースの馬車のクッションの効いた座席にへたり込んでいた。
「長い間馬に乗っていないと、どれほどひどい事になるか忘れていた」
セバスチャンはそういうと痛みに顔をしかめた。
「水ぶくれが出来る前にやめておいた方が良いだろうと思ってな」

アンダースは鼻先で笑って言った。
「良い考えだね。そんな馬鹿なことで水ぶくれを作った後に、僕に治療しろと言うのは止めてくれよ」

その言葉にセバスチャンは思わず笑い出した。筋肉の痛みに怯みながらも座席に腰を落ち着けると、窓の外を過ぎ去る景色に笑みを浮かべた。
「この季節は本当にいい。子供の頃から何より好きだった。荘園の農場に旅行して、収穫の手伝いをして……きつい仕事が終われば、ご馳走とダンスが待っている。それと歌も。いつだって歌を歌うのは好きだった」

護衛の一人がはにかみながら口を挟んだ。
「今年は筆頭収穫人の役をなさいますか、殿下?」

セバスチャンは彼に笑いかけて言った。
「そうしようか。一度しか私はやったことがないが…大抵は兄達がやっていたからね」

「筆頭収穫人?」とアンダースは首をかしげて尋ねた。

セバスチャンは彼の方に振り返った。
「スタークヘイブンに人が住むようになったのは、もう大昔の、メイカー信仰が広まる更に以前の話だ。最初に住んでいた人々はシリアンと呼ばれていたが、その後にテヴィンター帝国が入植した。当時の古い風習のいくつかは今でも残っている。春と秋の収穫休暇では、そのなかでも古い未開の時代の祭りが再現される。
当時の儀式の多くは血生臭いもので、古の神々を喜ばせ、豊かな収穫を保証して貰うため生け贄を捧げていた。そういう風習の名残が、象徴的な血の生け贄として今でも残っている。春に最初に種を撒くのは前年に初潮を迎えた少女で、秋に最初に収穫を行うのは結婚していない男になる。それが筆頭収穫人だ。最初の収穫は夜が明ける前から行われる。天気が持てば、明日の朝だな。全ての村々、あるいは荘園で同じ儀式が行われる」

アンダースは眉をつり上げて見せた。
「そういう怪しげな異教の儀式に、君が参加しようとするのは驚きだな」

セバスチャンは大声で笑った。
「オーレイのチャントリーは間違いなく我々の祭に眉をひそめるだろうさ。あそこではそういった古い儀式は大昔に根絶やしにされたからね。だがスタークヘイブンでは、あくまで幸運を願うための象徴として、昔ながらのやり方で儀式を続けているのだ。古の神々はとうに消え去った過去の存在だ。彼らへの信仰が蘇るようなことはあり得ない」

彼らは夕方前にセバスチャンの荘園に到着した。彼らが滞在することになる屋敷が、予想したように洗練されても大きくも無い事にアンダースは驚いた。彼の住んでいるコテージよりは広くかなり大きな建物とは言え、独立した寝室は片手で数えられる程しか無く、ほとんどの召使いや使用人、それに衛兵達は屋敷の屋根裏にある大部屋と、馬屋の二階に別れて雑魚寝することになった。セバスチャン自身は主寝室へ、そしてアンダースは側の小さな部屋を与えられた。

セバスチャンは衛兵や召使い達と笑ったり話したりして、カークウォールでアンダースが見た姿よりずっとくつろいだ、ざっくばらんな様子だった。ここで滞在する間の食料やなにやらの荷下ろしを手伝いさえしていて、まるでこの祭りの間は階級の隔てが無くなるかのようにさえ見えた。

最寄りの村の住民達が彼らの大公を歓迎するために集まって来た時には、すでにほとんどの荷下ろしは終わっていた。その村人の中に輿に担がれた大層年老いた男がいた。セバスチャンは即座に椅子を持ってこさせると、その男の前にひざまずいて手を取り、にこやかに笑いかけた。
「長老、まだ生きてらっしゃるのを見ることが出来て嬉しい限りです」
とセバスチャンは大きな声で言った。

年老いた男は頷くと、顔を近づけてセバスチャンの顔を覗き込んだ。
「お前が帰ってきた事は聞いとったよ、若いの。すると、明日はわしらの筆頭収穫人をやってくれるかな?」

「喜んで」とセバスチャンは頷いて言った。

「結構、結構。わしのムイルン*1が女役を務めよう」彼はそういうと、近くの若い女性を手招きした。彼女の腹は大きくふくらみ、妊娠している事を示していた。

「また結婚したとか言わないで下さいよ!」セバスチャンは驚いた声で言った。
「あなたは、なんだ、その、既に5人も妻がいませんでしたか?この方よりも長生きするつもりですか?」

長老は笑った。
「わしの妻ではないわ、若いの。曾孫娘だ」彼は誇らしげに言うと、はにかむようににんまりと笑った。
「まだ新しい妻を娶ろうと思わんでも無いがな、なんだ、わしもちょっと年を取ったからな」

セバスチャンはそれを聞いて笑うと、エールの樽から全員に杯を配らせた。長老も他の者に負けないくらいの勢いで飲み干すと、また輿に担がれて村へと戻っていった。セバスチャンは顔に開けっぴろげな笑いを浮かべて、外に出て彼を見送ると頭を振って言った。
「彼はもう90歳を越えている、大した人だ」
屋内に戻りながら彼はアンダースにそういった。
「ここの村人の半分以上が彼の子孫だ。片親かあるいは両方で」

それは実に驚くべき年齢だった。子が成人するまでの年月の3倍を超えて生きる者はそれほど多くはおらず、ましてや5倍は偉業と言って良かった。*2

夕食はごく簡単なシチューと堅焼きパン、追加のエール*3が配られた後、皆早々に寝室へと下がった。翌朝は収穫の初日を迎えるため、全員夜明け前に起きて農場へ出ることになっていた。


*1:ムイルン(Muirne、Muirennとも)。ガリア‐アイリッシュ文化圏の女性名。スコットランドとかアイルランドとか、あの辺。

*2:この世界では50台後半で死ぬ者が珍しく無いとすると、グレイ・ウォーデンも特別短命というわけではない事になる。実際日本の明治時代においてさえ「20歳男性の平均余命」は39.8年であり、60歳前後で死ぬのはごく普通だった。

*3:堅焼きパンとエール(stew, biscuits and ale):ビスケットは日本のビスケットとは違い、ふくらまないよう生地に穴を開けて硬く焼いた保存性の良いパン。
エールはビール同様大麦の醸造酒で、日本でよく飲まれるピルスナービールとは異なる酵母を用い上面発酵で醸造される(発酵末期に培養槽の上に酵母がフカフカ浮いてくる)。香りを楽しむため常温で提供される事が多い。
温度調節が出来ない時代でも作りやすく、また二酸化炭素発生量も多いため隙間の多い木の樽でもちゃんと炭酸の効いた飲み物になっただろう。もちろんホップは入っている。

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