第17章 収穫

第17章 収穫


暗がりの中、ノックの音でアンダースは飛び起きた。ここが独房ではなく彼の寝室で、今朝は夜明け前に起こされると覚えていてさえも、少しの間彼の胸は痛いほど動悸がした。
「はい?」と彼は答えた。

扉が開き、召使いの少女が食事を載せた盆と明かりの付いたろうそくを手に入ってきた。彼女はアンダースに向かって行儀良く頭を下げ、盆をテーブルの上に置き、部屋のろうそくに火を点すとまた急いで出て行った。扉が彼女の背後で閉まった後、アンダースは座り直して盆の上の朝食を見た。厚くバターを塗った焼きたてのパン、芯をくりぬいて薄切りにされたリンゴが1個、大きなマグカップには湯気の立つ紅茶がなみなみと入っていた。アンダースは急いで食事を済ませると、着替えて広間へと出て行った。しばらくしてセバスチャンも彼の寝室から階下に降りてきて、アンダースの顔を認めると軽く頷いた。

屋敷に泊まっていた全員が正面の大広間に集合した。召使いの何人かがランタンを点すと皆揃って前庭を通り、黙ったまま静かに村へ続く道を下っていった。村の中央広場には村人達が同じ様に静まりかえって、いくつかの馬車の周りに集まっていた。昨日出会った長老が先頭の御者の隣に座っていて、セバスチャンの一行が到着したのを見ると頷いて合図をした。馬車はゆっくりと動き出し、全員がその後に従って村から出ると農場の方へと歩き出した。

しばらくすると馬車は道を外れ、広大な穀物畑のそばの空き地に止まった。暗すぎてアンダースにはオーツ麦なのか小麦なのか、それとも他の穀物なのか見分けが付かず、ただそよ風に吹かれて微かに動く穂だけが見えた。セバスチャンは彼のそばで立ち止まると、空き地の片方を指し示して言った。
「そこの隅に立って見ているだけでいい、この仕事は何がどうなっているか判らないと危険だからな」
そう静かに言うと、アンダースがその指図に従ったかどうか見もせずに立ち去った。

男達が近寄ってきて、先頭の馬車から何か長い物を次々に取り出した。大鎌だとアンダースは気付いた。遠目にも、湾曲した独特の形をした鋭い刃が見えた。確かに、これは危険な仕事だ。この大鎌が振り回される際、拙い時に拙い場所に居るとどういう羽目になるか彼は良く知っていた。男達は大きな環を作って広がり、何名かはベルトから研ぎ石を取り出して渡された鎌の刃先を研いでいた。数名の村人が長老の輿を担いで来ると、男達の環の中央に置かれた椅子に彼を腰掛けさせた。次に子供達がワインの入った水袋と大きな器を持ってきた。長老はその器を膝の上に置くと、ゆっくりと明るんでいく灰色の空を見上げ、そのまま数分の間静かに待った。

アンダースは周囲を見渡し、セバスチャンの姿が皆が大鎌を取りに行った後どこにも見あたらないことに気がついた。長老が突然、片手を宙に高くかざすと、聞き覚えのある声が彼らの背後の暗がりで歌い出した。振り返るとセバスチャンが人々に向かって歩いてくる姿が見えた。彼は大鎌を担ぎ、生成りの布地で作られた腰布以外、何も身につけていなかった。

アンダースはセバスチャンがハンサムな男だというのは知っていたが、ランタンとたいまつの明かりが、暗闇から姿を現した半裸のアーチャーの鍛え上げられた筋肉を照らし出した時、この男が実に美しいとさえ言って良いことに気がついた。広い肩幅、弓を使いこなす内に腕には筋肉が盛り上がり、引き締まったウエストと尻は筋肉質の太腿とふくらはぎへと続いていた。男の腕と脚のくすんだ赤色の毛が、たいまつとろうそくの明かりに照らされて微かに輝いて見えた。腹部には更に濃い体毛が臍から腰布の下へと消えていた。男達の環が開いて彼を迎え入れ、彼が歌いながら中央の長老の側に立つと再び環が閉じた。

歌が終わりに近づくにつれてセバスチャンの声は小さく、低く消えていった。男達はたいまつを地面にこすりつけ、ろうそくを吹き消した。周囲の全てが夜明け前の陰鬱な灰色にくすみ、世界から全ての色が消えた。穀物畑に降りた霜が、微かな銀色に輝いていた。

女の澄んだ美しい歌声が突然畑の中から沸き起こった。歌声が大きくなるにつれ、東の空には暁の光が、薄桃と紫、微かなオレンジ色で輝きだした。空は灰色から急速に紺青に変わり、世界に色が戻ってきた。明け方の太陽が霜を溶かし、畑のそこここから微かな霧が立ち上った。

アンダースの目に女の歌い手の姿が入り、前日の妊娠していた女性、ムイルンだと判った。彼女は純白のドレスに身を包み、頭には穀物をぎっしり編み込んだ冠を載せ、腕には緑の葉と晩秋の花々、鮮やかな赤色のベリーが付いた小枝からなる花束を抱えていた。彼女は歌い終えると男達の輪の中に入り、冠を頭から取って、彼女の前に深く頭を垂れたセバスチャンの頭に載せ、再び輪の中から出ていった。

セバスチャンは冠を被った頭を上げ、大きな良く響く声で言った。
「この夏も過ぎ去った。今こそ冬に備えて夏の豊かな実りを取り入れる時」

彼は右手に持った大鎌をじっと見つめ、前に差し出してその鋭く尖った刃と左手を交差させた。彼は顎を引き締めしばらく集中するようだったが、やがて赤い血が細い流れとなって刃の先から滴り落ち、長老の持つ器へと入っていった。
「今年刃が求める血は、これが最後とならんことを」

それに答える呟きが周囲の男達から上がった。セバスチャンは大鎌を持ち直すと彼の側に立てた。年老いた女が女性達の環から進み出ると、彼の肘の傷口を洗い流し、湿布を貼って包帯で巻いた。

長老はその間に、ワインの入った水袋の栓を開けて中身を大きな器へ注いだ。セバスチャンは今は気楽な様子の顔で長老の横に立ち、怪我をした方の手を腰に置き大鎌の柄に持たれて笑みを浮かべていた。男達が順番に環から離れて彼らに近づき、セバスチャンと一言二言交わしながら、血とワインの混じった器に指を浸して刀に塗りつけると、畑のそれぞれの持ち場に並んでいった。

全ての大鎌にワインが塗られた後、セバスチャンは長老から器を受け取って、片手に大鎌、片手に器を楽々と抱えながら畑の端へと歩いて行った。彼は器を掲げて口いっぱいに含み、溢れた分は口の端からこぼれて胸に伝わるに任せて残りを注意深く足の周りの畑に注いだ。
「畑が我らを育むように、また我らも畑を養う」
彼はそう呼ばわり、再び周囲から答える呟きが上がった。

口元から血を垂らし、美しく輝きを放つその姿はまるで異教の神のように見えるとアンダースは思った。セバスチャンの隣の男が身体を寄せて何か言うと、セバスチャンは吹き出してしばらくの間笑い、再びただの男、輝く青い眼と明るい赤髪をしたハンサムな男に戻った。

霜の名残も消え、男達は仕事を始めるため前後左右に充分な安全距離を取って、畑の端にジグザグに並んだ。セバスチャンは一番右端の、アンダースから一番離れた場所に立っていた。男達が最初の畑を刈り進む間、ほとんどの女と子供達は後ろに付いて、刈り取られた穂を集め束にすると、何束かをまとめて立てていた。残った者たちは二台目の馬車へ集まり、大きな板と幾つもの包みを取り出して急ごしらえの大きなテーブルを作り、その上に食べ物の入った皿を並べ始めていた。アンダースもやること無しに立っているのは嫌だったので、彼女らに加わってテーブルを整える手助けをした。全ての皿が並べ終わり準備が整った頃には、最初の男達が本番の仕事に掛かる前にたっぷり朝食を取るため、刈り終えた畑から歩いて戻ってきていた。

大鎌を振り回す重労働の後でセバスチャンの肌には汗が光り、額には髪の毛が張り付いていた。彼は服の束を抱えた召使いの一人と一緒に茂みの奥に消え、少しして最後の服の紐を締めながら戻ってきた。アンダースは彼に近寄っていった。

「手の方はどうだ?」と彼は心配して尋ねた。

「ああ、大丈夫だ。後で館に戻ったら見て貰おう。今年の刃は飢えていたようだ、私が思ったより深く切ってしまった。最後にヴェイル家の者の血を味わってから随分経つからな」とセバスチャンは言うと、ニヤっと笑って付け加えた。
「来い、朝食だ。お前の腹にある底なし穴も埋めるだけの量が有るはずだ」

アンダースは鼻で笑ったが、後に付いてテーブルへ向かった。セバスチャンはまるで水を得た魚のようだと、アンダースは思った。彼は皆に冗談を言っては笑い、食事を出す女性に軽口を叩き、年上の女性や少女には礼儀正しく声をかけていた。あるいは赤子を腕に抱えた若い母親に向かい、最後に彼女を見た時はまだお下げ髪の少女だったのにと驚いて見せる笑顔の優しさからも、いつもの口数少ない真面目な姿とは違って、この男が若い頃は名高い放蕩息子だったという話を信じられる気がしてきた。

また同時に、この村人達が彼らの大公殿下を親しく迎え入れ、若い頃を思い出させることさえ躊躇しない様子も見て取れた。長老でさえ昔の説教文句らしい『今すぐその娘っこから手を離せ、さもなくばこの杖で行儀作法を叩き込むぞ』という台詞を持ち出してセバスチャンの笑いを誘った。彼は長老に自分はまだチャントリー*1のブラザーで、そういった楽しみからは身を引くと誓った事を思い出させた。

長老は頭を振って言った。
「もったいない。実に無駄なことだ、若いの。とにかくお前も自分の子の父親とならねばならん。お前の心に叶い一物がぴくりと動く娘を見つけて、早う結婚せい!」

セバスチャンは明るく笑った。
「覚えておきますよ、長老」と彼は約束した。

彼らは朝食後もしばらく残って刈り取りと収穫の手伝いをした後、ほとんどの同行者を後に残し、セバスチャンとアンダース、彼らの護衛に僅かな召使い達だけが早めに屋敷へと引き上げた。


*1:組織としてのThe Chantry、及びそれに属する人を示す場合は「チャントリー」、個別の建物は「教会」とします。後からThe Black Chantryとか出てきた時にややこしいので。

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