第84章 再びの降伏

アンダースは彼の畝の最後まで辿り着くと振り返り、広大な畑を見渡した。この畑に種を蒔いている人々の列は、最初に皆一斉に始めていても、種蒔きの経験がほとんど無い人々が結構居たため最後に辿り着くまでには不揃いになっていた。この作業が特段難しい訳では無かったが、畝を立てた畑の上を適当な速度で足を進めながら、両手に握った種を重なるところも隙間も出来ないように、手首のひねりを利かせて均一に薄く蒔いて行くというのは、やはりそれなりに練習が必要だった。

遠い年月の彼方、畑で両親を助けて働いたのを彼の身体はすぐに思い出し、アンダースは熟練の村人達より僅かに遅れただけで畑の端に到着した。セバスチャンは良くやっていたが、しかし進みは遅く、端まではまだ少しばかり距離を残していた。エルフ二人はさらに遅れ、フェンリスは最初この技術を身に付けるのに少し手間取った様子だったが、ゼブランがやり方を教え、その後も彼に付き添っていた。
他の人達が追いつくのを待っている間に、少年が一人バケツとひしゃくを持って畑の縁を小走りで向かってきて、アンダースは喜んでひしゃくに一杯の冷たい井戸水を飲み干し、それから生け垣が作る日陰に腰を下ろした。

セバスチャンはようやく彼の畝の最後に辿り着くと白い歯を見せて笑いながらメイジの隣にどさりと座り込んだ。
「村人達と同じくらい上手だな、お前は」と彼は言った。

「僕は農夫の小僧として産まれたからね」とアンダースは朗らかに言った。
「どう種を蒔いていたか思い出すのは難しくなかったよ」

セバスチャンは頷いた。
「私が最後にこの仕事をやったのは、さあ何年前だったか。調子を取り戻すまでが難しい」

「考え過ぎなんですよ」と近くに座っていた年輩の村人が口を挟んだ。
「何をしているかを考え出すと、もっと難しくなる。走る時のようなもんです―ただ身体を動かすだけにしないと」

セバスチャンはニヤリと笑った。
「次の畝ではそうしてみよう。私がこのやせっぽちの弱虫メイジに負けてはおられまい、だろう?」

その言葉に村人達は大笑いした、アンダースはこの春に毎日庭の片付けをしたせいで、ほとんどセバスチャンと同じくらいがっしりした肩幅になっており、一方大公はと言えば、どうにかアーチェリーの練習のお陰で少しばかりの優位を保っている程度だったから。

「じゃああなたは農夫の息子だったの?」と列の端の方に居た女性が興味深そうに尋ねると、彼女とアンダースの間に座るかあるいは横になっている人々の向こうから身を乗り出した。

「ああ。僕の両親は元々アンダーフェルスから来たんだけど、そこのことは何も覚えていないな――僕はフェラルデンで育った。確かある男爵の小作をやっていたね、といっても何度か土地を移動したと思う。最初に居た二つの農場は地主が気に入らなかったか、その土地が痩せていたかで父親が気を悪くしたんだろうな、もう覚えてないけど」

「覚えてない?」と近くに居た若者が尋ねた「どうして?」

「随分若い頃に引き離されたから」とアンダースは古傷の痛みを思い出して肩を竦めると言った。
「その時は確か12歳位だったと思う。それにその後、故郷での生活がどうだったか思い出そうとはしなかった。辛すぎるからね」

「だけどあんたの家族は連絡を取ろうとしただろうに?」と、また列の向こうの誰かが尋ねた。

アンダースは再び肩を竦めた。
「母はそうしようとしたかも知れないな。だけど父親は僕が連れて行かれるのを見て喜んでいた。何にしても、そうしようにもあそこでは許されていなかった」
かつての苦々しい響きを微かに声に漂わせながら彼は言った。

「連中がティミンズのところの坊主を連れて行った時のようなもんだ、20何年か前に」年輩の村人の一人が声を上げた。
「お前達のなかには、幼すぎて覚えていないものもいるだろうがな。あの子は火の魔法が使えた、それも随分ちっさい時分から――5つか、6つにもならない間から、触れるだけで物に火を付けた。それからテンプラーがやって来て彼を連れて行った後は誰も、年取った父親でさえ、あの子がどこに連れて行かれてその後どうなったか知ることは無かった」

話の中の出来事を覚えている年輩の村人達は、それを聞いてお互い頷き合った。

「それを変えられればと思っている」とセバスチャンが口を挟んだ。
「メイジ生まれの子供達が、ただ魔法が使えるからというだけの理由で、彼らが愛する全ての物から引き離されるのが正しいことだとは私は思わない。彼らは確かに、魔法の正しい使い方を身に付けるまではどこか安全な場所に連れて行く必要がある。しかし彼を知るものがそこを訪れたり、手紙を書いたり何か贈り物をするのを禁じる理由は、何も無い。
それにいったん彼らが安全に魔法を使いこなせるようになれば、とりわけその魔法が別の場所で大いに役に立つとすれば、それでも彼らが一生タワーの中に閉じ込められて居なければいけない理由も無いのだ。アンダースの治療魔法にしても、もし彼がどこか遠くで閉じ込められていたとしたら、長老の具合を良くすることなど出来なかった、そうだろう?」

その言葉に幾人かの村人は心配そうな顔をしたが、ずっと多くの者が考え込む様子で頷いた。その頃には遅れた者達も皆畑の端に到着し、皆立ち上がるに連れてお喋りを止めると、側で待機していた荷車から再び袋に種を一杯に詰めて、また別の畝に取りかかった。それはそれで良いと、セバスチャンは考えていた。彼とアンダースは確かになにがしかの思考の種を蒔いたし、穀物と同じようにそれらも芽を出し育つには時間が必要だった。


ゼブランは彼のほとんど空になった種袋を荷馬車の後ろの山に重ねると、大きく伸びをして嬉しそうに笑った。
「今日も有意義な一日だったか」と彼は他の友人達に白い歯を見せて笑いながら言った。

アンダースは笑みを返すと、ゼブランに近付いて彼の肩を調べた。
「まだ吊っておかないと駄目だ」と彼はエルフに注意した。

ゼブランは頷き、彼の腕を吊り帯の中に戻した。
「使いすぎないよう注意はしていたよ」と彼が言うのを聞いて、メイジは鼻を鳴らすと大目に見るかというように笑った。アンダースがセバスチャンの側に戻ると、ゼブランはフェンリスが生け垣にもたれて、この二日間彼らが種を蒔いていた畑を眺めているところにぶらぶらと寄っていった。
「大変な仕事だったね?」と彼は尋ねた。

フェンリスは頷いた。
「ああ。だが君が言うように、有意義な日だった」と彼は言うと、暖かくゼブランに微笑みかけた。
「今年の後になって、この仕事がどれだけの人々を食べさせることになるのかと考えていた」

「そうだな」とゼブランはその通りというように頷いた。
「それにここだけじゃなくて、スタークヘイブンの街中もそうだし、ひょっとするともっと遠くまで売られて行くかも知れないね。ここが大公家の領地であるからには、間違い無くここの作物の幾らかは城に納められて、それからようやく僕達の皿に登るというわけだ。まあ、もし僕がアサシンになっていなかったら農夫になるのも楽しかったかも知れないな。とはいえ、祭りの間だけちょっと手伝う方が、毎日の畑仕事の責任を負うよりずっと楽しく見えるものだろうけど」

フェンリスは同意して頷くと、二人はセバスチャンの衛兵と召使い達が寄り集まって、それぞれの畑仕事の一日を終えて屋敷へ一緒に戻ろうとしているところに歩いて行った。ゼブランはもう一人のエルフが、また肩をすぼめた前屈みの姿勢になっていることに気づき、近くに寄って彼の背中のくびれた部分にそっと指を触れた。フェンリスは彼に愉快そうな視線を向けると、再び姿勢をまっすぐにした。
ゼブランはその前の日、彼の悪い姿勢について冗談交じりに小言を言ったので、フェンリスはその接触が愛情表現というわけでは無く、彼の姿勢を矯正しようとしているのだと思っていた。そのお陰でゼブランが、もう一人のエルフに一日に数回大っぴらに触れる理由を与えられたというのは、アサシンには説明する必要は無いように思えた。

「さーて、皆揃ったか?」とセバスチャンは遅れてきた数名がその一群に加わったのを見て言った。
「なら戻るとしよう……屋敷までは長い道のりだし、他の者はどうか知らないが私は腹ぺこだ!」

その言葉に皆笑みを浮かべると同意して頷いた。セバスチャンは村を抜けて屋敷に戻る街道に沿って歩き出し、他の皆は彼の周りで続いた。

彼らが数歩も歩かないうちに、フェンリスが突然足を止めた。
「騎乗兵が近付いてくる」と彼は言うと、後ろを振り返った。
「速い」

「何か聞こえたのか?」とゼブランは不思議そうな顔で言うと、同じ方角を彼も振り向いたが何も見えなかった。他の者も同様に振り向いた。

「いや。足音を感じた――地面を通じて」とフェンリスは言い、彼の裸のつま先は道の埃だらけの表面に食い込んでいた。

彼が話すうちにも、道の曲がり角を曲がった彼らが視界に入ってきた、スタークヘイブンの色調の鎧に身を包んだ騎乗兵が大勢、一群となってやって来た。一行のほとんどは見慣れた鎧を見て気を緩めた。セバスチャンは数歩前に出て、アンダースと彼の衛兵のうち数名が彼に付き従った。彼は片手を上げて夕日を遮ると、眼を細めて近付いてくる騎乗兵を見つめた。

「彼らの服にあるのは、私の紋章では無い」と大公は突然驚いて叫び声を上げ、まさにその時接近する男達は剣を抜いた。

ゼブランは密かに悪態を付いた。彼らの一行は徒歩で、畑仕事に適した服を着て、しかも精々ベルトに小刀を持っていれば良い方だった。そして彼らは今騎乗し、鎧をまとい、完全に武装した男達に直面していた。彼は無論何本かダガーを身に隠し持っては居たが、状況は極めて悪かった。

衛兵の一団は少しばかり距離を取って馬を止め、背後に居た一組の衛兵が道の両側に馬を寄せると共に短弓に矢をつがえた。彼らはその弓を引き絞り、武装していない一行に狙いを定めた。どうやら指揮官であるらしい一人の男が数歩馬を進ませると、あたりの全員にはっきり聞こえる声で高らかに呼ばわった。
「セバスチャン・ヴェイル、スタークヘイブンの簒奪者よ、真のスタークヘイブン大公騎兵隊に降伏せよ!」

セバスチャンは眉をひそめると、彼らに向かって胸を張った。
「真の大公?私を除いてスタークヘイブン大公など居ない、私以外にそう主張する者は皆、腹黒い嘘吐きだろうな!」と彼は怒りと共にそう宣言した。

「ゴレン・ヴェイル大公は嘘吐きなどでは無い――穏やかに降伏しろ、さもなければお前にそうさせるまでのこと」とその衛兵は命じた。
「お前を捕らえるために必要とあらば、誰であれ殺す」と彼は冷酷に付け加えた。

セバスチャンは彼の側に居る衛兵と召使い、友人達に一握りの村人達を眺めやった。皆武装も無く徒歩だった。間違い無くアンダースとゼブラン、フェンリスは、例え武器無しでさえそれなりのことが出来ると彼は確信していたが、しかしこうも多くの武装した兵士を相手にしては、恐らくは酷く一方的な戦いとなるだろう……

「時間を稼ぎすぎだ、セバスチャン」と指揮官が言うと、手で指図した。二人のアーチャーがその武器を放ち、セバスチャンの両側に立っていた人々が叫び声を上げた。アンダースと、衛兵の一人が胸を矢に貫かれ、地面に倒れ込んだ。

セバスチャンも驚きと恐怖に叫び声を上げた。衛兵は、既に死につつあった。心臓を射抜かれ、彼の命の源が路上に血だまりを作って溢れだしていた。アンダースはまだ生きていた、眼は衝撃に大きく見開かれ、彼は片手を上げて矢が胸から突き出ているところに指を触れていた。

フェンリスが即座に彼の側に片膝を付くと、騎乗した衛兵を睨み付ける彼の顔は激怒に歪み、まさにセバスチャンが胸中に抱く怒りを映し出していた。セバスチャンはゼブランと視線を交わした。このアサシンが武装しているのは確実で、もし戦いとなるなら彼はまず第一にフェンリスを、そして次にアンダースを護るために戦うだろうと思われた。彼は再び振り返ると侵入者達を見つめ、両手を固く握りしめた。

直ちに降伏しろ、さもなければ他全員を斬り倒す命令を下す」と衛兵隊長は冷淡に言った。アーチャーは既に別の矢を構え、次の的を狙っていた。残りの男達は騎乗したまま剣を抜き、いつでも攻撃に移れる体勢を取っていた。

セバスチャンは歯を食いしばり、一瞬身を震わせた。そして強いて数歩前に進み出ると両手を差し出した。もし彼の一行がまずまず勝てる可能性が有ったなら、彼は抵抗を試みただろう――しかし今彼がそうするならば、概ね非武装の男女の虐殺を引き起こすだけだった。そしてもし彼が降伏すれば……降伏するなら、少なくとも彼の人々の命を救うことは出来た。そしてその人々の助けがあれば、例え僅かでも、アンダースが自らを治療出来る可能性があった。
たった今、怒りに我を忘れこの愚か者共を自らの素手で殺そうとする衝動を押しとどめるには、彼はその可能性を信ずるしか無かった。その可能性を信じ、そして彼の全身を満たす激怒に身を任せないよう自制する努力に、彼の両手は小刻みに震えていた。

「もしお前が他の人々を傷つけないと保証するなら、私は降伏しよう」と彼は軋んだ声で言った。

「お前を捕縛するのに抵抗しない限りは、そう約束する、彼らなどどうでも良い」

セバスチャンは頷くと、肩越しに古参の衛兵に振り返った。
「今は退け。私が不在の間はサー・フェンリスに従え」と彼は命じると、ゴレンの部下達の方に振り向いた。
「その条件において、私は降伏する」と彼は苦々しく言うと、さらに前へと進んだ。

もう一頭の馬を連れたゴレンの部下の二人が前に出ると彼を遮ぎった。男達は彼を馬に乗せると、彼の手を鞍の突起に縛り、足を鐙革に縛り付けた。彼らが他の男達の中に再び加わる時に、彼は一度後ろを振り返り、アンダースがまだ地面に横たわっているのを、彼の両側のフェンリスとゼブランを、そして彼の衛兵と
召使い達が彼を見つめているのを見た。それから騎乗兵が彼の後ろに入って彼らは視界から消えさり、男達は皆馬でその場を走り去った。

アンダース……

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