第86章 嫌な考え

ゴレンの部下の一行はあたりが暗くなってからもさらに進み、さらにかなり時間が立った後、狭い側道を辿り主街道から幾らか離れた空き地で、彼らはようやくその夜を過ごすために停止した。セバスチャンはその日の一連の出来事から頭が麻痺したような気分を味わっていて、紐を解かれ馬から下ろされた時も抵抗しようとはしなかった。男達は彼に食べ物と水を取らせ、用便をさせてから再び身動きの取れないように縛り上げた。灯火の輪の向こうに見張りが二名、加えてセバスチャンの見張りのために、常に少なくとも三名が交代で立っていた。

彼は長い間、起きたままただそこに横たわっていて、彼の縛られた不快な姿勢と――焼き印を押される前の仔牛のように腕と脚は彼の背後で窮屈に折り曲げられ――アンダースへの心配のあまり眠れなかった。

幾度も幾度も、彼の心はあの瞬間を繰り返し再生した――衛兵隊長が手で合図し、アーチャーが弓を放ち、アンダースとセバスチャンの護衛の一人が地に倒れ臥す瞬間。酷い衝撃を受けたアンダースの顔。彼が最後に見た、酷く傷ついたメイジが、まだ土ぼこりの中仰向けに横たわっている姿。

無論捕らえられてから彼はアンダースの無事を祈り続けていたが、メイジが救われるよう、あの矢が彼の命を奪っていないよう、今ほど強く祈りを捧げたことはこれまでの彼の人生では一度も無かった。
いや。彼は突然の寒気と共に思い出していた、彼は確かに以前にも、このように強く祈ったことがあった。カークウォールで、教会が爆発するオレンジ掛かった赤い閃光が上空を染める中、彼は膝を折り全身全霊を込めてエルシナ大司教の無事を祈り、しかしそうでは無いことを完全に確信していた。その時、彼の祈りが聞きいれられることは無かった。今、彼の祈りが聞き届けられると信じる理由はさらに少なかった。その考えに彼は苦しげな呻き声を上げ、近くの衛兵が「静かにしろ」と呟いた。

彼は二つの望みにすがりついた。最初の一つは、アンダースがそれでも生きていること、そして二つ目は、これが決着を迎える前に、ゴレンを裏切り行為の元に殺す機会が彼に与えられること。彼は決してあの男を生かしておくべきでは無かった、あの男がああも容易く、レディ・ハリマンの手先に成り下がった後では。

彼はしばらくの間、祭りの期間中も少なくとも何名かの衛兵達に警備させて置かなかったことについて、彼自身を厳しく叱りつけていた。彼は昔の平和な祭りの記憶に流され、今のスタークヘイブンがかつての、彼が若かった頃とは明らかに異なった状況下にあるという事実を無視していた。
未だスタークヘイブンが大公一族の暗殺と簒奪から立ち直りつつある途中で、しかも世界を揺るがす騒動のただ中にあるということを。彼とアンダースには共に敵が居るということを。もしこれが、アンダースを捕まえるか殺すためにやって来たテンプラーの一群だったとしたら、彼は一体どうしただろうか?彼は何と言う考え無しの愚か者であったことか!

今の彼にはただ、彼が幸運な愚か者で、この事件を生き延びられ、そしてアンダースも生き延びることが出来ると望むしか無かった。

その夜彼はろくに眠ることが出来ず、始終悪夢を見ては眼を覚ました。夜明けのかなり前に衛兵達は身動きをして起き出すと、再び旅の支度を始めた。彼らは道が見分けられる程明るくなるやいなや再び街道へ戻り、セバスチャンも鞍にしっかりと縛り付けられた。この男達が彼を連れて行こうとしている先がどこで有れ、明らかに途中でぐずぐずするつもりは無いようだった。


身体の奥深くの痛みと、口中に残るリリウムポーションの苦い後味。どこか近くからひそひそと話をする声が聞こえた。どこか腹立たしげな口調だったが、どれも微かなささやき以上のものではなく聞き取るには低すぎて、ただ時折シュッという声や大きく発せられた一言だけが彼の耳に届いた。

彼は身動きしようとして、その行為からくる痛みに呻き、その呻きから来る胸の痛みにさらに呻きそうになった。彼の周りの声は止み、暖かく優しい手が彼の左頬にそっと触れた。

「……セバスチャンか?」と彼は弱々しく尋ねると、眼を開いてろうそくに照らされた部屋を見た。見慣れた顔が彼の両側に現われた、フェンリスが右側、そしてゼブランが左側。

「いいや。ただの僕だよ」とゼブランが疲れたように言った。
「アンダース、君自身をもっと治療出来ないか?まだ身体の状態が危険なほど良くない」

彼はどうにか微かに頷くと手を胸に当てようとした。彼はあまりに弱っていて、手はただシーツの上を滑るだけだった。

フェンリスが彼の手を取り有るべき場所に動かすと、そこから動かないようエルフの手が彼をしっかりと包み込んだ。アンダースは不安げに彼を見つめた。
「フェンリス……?」

「やれ」とエルフは静かに言った。

アンダースは頷き、彼の治療魔法を呼び起こすと、フェンリスの紋様がそれに反応して光を放つのに身震いした。エルフはそこにじっとして、メイジが魔法を使う間に彼と接触している不快感が、ごく微かなゆがみとして彼の顔に表れていた。アンダースの側でその不快感を耐えようとする意志に、彼は心の底から勇気づけられた。胸に残った最悪の痛みは緩慢に引いていき、素晴らしいことに彼の呼吸も次第に楽になった。ようやく彼は右腕のズキズキする痛みに気が付いて、彼の胸の上に置かれた右腕を見つめると、血糊に覆われた新しい切り傷の跡を見て眉根を寄せた。
「これは……?」

ゼブランは彼が見つめる視線の先を追った。
「それは僕だ。君に使えば少しの間だけ蘇生させられるような薬を持っていたけど、とても飲み込めるような状態じゃなかったからね。もっと直接的な方法を取るしか無かった」

アンダースは呻くと、再び心を集中させた。傷口の端は次第に近付いて塞がり、微かな髪の毛ほどの傷跡を残すだけになった。その後は治療魔法の力を消え去るに任せて、しばらくそこに横になって息を整えようとし、もう痛み無しに深く呼吸が出来ることを喜んでいた。
「セバスチャンはどこだ?」ようやく喋れる程に回復した後で、彼は厳しい声で尋ねた。

「連れて行かれた。戦いを強いられるよりはと、彼は降伏した」とフェンリスが険悪な声で言った。

アンダースは理解した印に頷いた。
「なら、助けに行かないと」

「そうだ」とゼブランが喜んだ声で言った。
「君も起きて行けそうか?」

「そうしよう。リリウムポーションをもう一本と、何か飲むものが沢山欲しい――水より果物の汁か肉汁があればそのほうがいい。それとしっかりした食べ物を沢山。それと服の着替えも」と彼は付け加えると、片肘を付いて身を起こし、彼の血に染まった上着を眺めた。

ゼブランは彼の手に一本のポーションを押し付けた。
「そう言うと思ったよ。夜が明けたらすぐに出発するつもりだ。出来るだけ治療したら休めるだけ休んでいてくれ。僕は食事と飲み物を探してくる」

「俺はメイジと一緒に居る」とフェンリスが静かに言った。

アンダースは有難そうに微笑むと、それから胸に当てていた手を伸ばした。
「ところで、手を離してくれないかな?」


フェンリスはアリに騎乗しながら厩の中庭を見渡した。ゼブランは彼の馬達の側に立って、鎧をパタパタとあちこち叩いては、騎乗する前に装備の最終確認をしていた。アンダースは、まだ顔色は青白かったが既にマブの背に乗ってまっすぐに座り、あたりを見渡していた。アッシュの入った袋は彼の肩に掛けられ、そして犬達も用心深げにすぐ側に座っていた。セバスチャンの衛兵もほとんどが既に騎乗して、彼らも出発前の装備と補給品の最終確認を行いながら、フェンリス同様皆厳しい顔付きをしていた。

セバスチャンを捕らえ去った衛兵達は少なくとも半日は彼らより先行していた。連中が大公を連れて行こうとしている先がどこで有れ、恐らくはどこかの砦か何かと思われたが、そこに辿り着く途中で連中に追いつく可能性は無いに等しかった。彼を再び生きて取り戻すには……恐らくそこは、ゼブランの経験が役立つ状況となるだろう。

今朝初めて、フェンリスはセバスチャンの衛兵と同じ色使いの鎧を着用した。セバスチャンが衛兵達に彼の命に従うよう指示を出した後では、それが……一番似合いのように思えた。彼は衛兵達が不快に感じるのでは無いかと恐れていたが、しかし最古参の衛兵はその鎧を着たフェンリスを見て、ただ微かに笑みを見せると満足げに頷いた。
自分達と似た服を着た者から命令を受けるほうが嬉しいに違いないと、彼は想像した。恐らくはセバスチャンの彼に従うようにという命令を後押しするように彼らには感じられただろう。例え彼の鎧が彼らの装備と全く同じ様式では無かったにせよ、適切な色合いと紋章をまとった鎧が事前に彼に与えられていたというのは、明らかに大公が彼に信を置いているということを示していた。

ゼブランは一方、彼らがスタークヘイブン市街を離れる前に購入した革鎧に身を包み、まだ明らかに痩せ細った左腕は場違いに見える吊り帯に支えられていた。アンダースは少なくとも彼の一番丈夫そうな服を着ていたが、とはいえ毛織物のレギンスを柔らかな革製に変えた位ではどれ程の違いも無かった。彼が鎧を着ていないのがフェンリスは心配になった。
カークウォールでホークと共に冒険に出かけた頃は、そのような考えはいささかも彼の脳裏に登らなかったのだが。杖も持たず、商人や豊かな村人なら誰でも着ていそうな普通の服に身を包んだ今のメイジより、あの古いぼろぼろのローブを来て杖を持った当時の彼は、遙かに頑丈そうに見えた。

しかし前日にああも簡単に傷つき、危うく死にかけた彼の姿を見た後では、フェンリスはどれ程このメイジが傷つきやすいものか否応なしに実感した。十分な警告が与えられれば、アンダースが自らを攻撃から護るために出来ることもあったが、しかしそれでも剥き出しの暴力のぶつかり合いとなれば、彼はゼブランのような比較的軽装備に比べてさえ遙かに危険に晒されていた。

ゼブランもようやく騎乗し、馬を膝で押して歩かせるとフェンリスの側にやって来た。アンダースも同じようにして反対側に従った。フェンリスはあたりを見渡し、皆騎乗して出発の準備が出来ていることを確かめた。彼はその一群の指揮を取ることに少しばかり神経質になっていたが、しかし彼の友人達の助言と提案を当てに出来ることは判っていた。

「出発しよう」と彼は呼ばわると、セバスチャンがいつも旅に出発しする時そうしていたように古参の衛兵に頷いて見せ、次の機会に必ずこの男の名前を聞いておこうと心に留めた。彼らの最初の目的地は襲撃を受けた場所だった。そこから彼らは、セバスチャンがどこに連れて行かれたか追跡するため最善を尽くすことになる。一旦それがどこか判れば、次にどうすべきかも思いつくだろう。

ゴレン・ヴェイルが彼を捕縛したのが、即座に処刑するためで無いことを彼はただ望むだけだった。ともかく彼を生きたまま連行したという事実がそうでは無いと示していたが、しかしそれが、単にあの男達が実際に処刑するところを見られたくないだけだったとしても理屈は立った。

彼らは屋敷の前庭から馬に乗って走り出ると、明け方の薄闇の中で安全に走れる可能な限りの速度で、街道を東に進路を取った。

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第86章 嫌な考え への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    サー・フェンリス、お気をつけあそばしてっ!(←バカ
    ゼブラン、君もせいぜい頑張り給え。

    ピーチ姫自らマリオの救出ですか。ワリオ手強いから
    気をつけてくださいねー(他人事)

  2. Laffy のコメント:

    サー・フェンリスがね、良いんですよ!(力説 
    お素敵です。

    月光も完結おめでとうございますっ!あこれはあっちで書くか。ルナエとルクスで月の光なのね。
    ところで庭師KINGのフレーズが歌詞付きでぐるんぐるん廻ってます責任とって下さい。

    一つの稲穂の 誇りで飾り立て
    二文字の言葉で 功徳を果たす
    三歩めの歩行で 己の名を見つけ
    四歩めの玉座に キミを憩わす

    いいですねー(o゜▽゜)

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