第87章 執念深い相手

ゴレンの衛兵達がようやく主街道からそれて飾り立てた門をくぐり、木の植えられた丘を廻る道を辿ってそれなりの大きさの邸宅に到着した時、セバスチャンは馬の背の上で半分以上眠っているといっても良かった。彼は一度もここに来たことは無かったが、この二日半彼らが旅をしてきた距離と方角から言って、恐らくここは彼の従兄弟のゴレンが昨年、スタークヘイブンの街から逃げ出した後に引きこもった田舎の荘園に間違い無かった。

衛兵達は邸宅の裏側に回り、壁で囲まれた庭に入ると、そこでセバスチャンは馬の鞍から降ろされたが、再び後ろ手に縛ると――肘と手首で二重にきつく縛り上げて――前と後ろを衛兵に挟まれ、家の中へと連れて行かれた。

彼は狭く足音の良く響く廊下を通り、角を曲がり、階段を上がってまた別の廊下を通って、ちっぽけな部屋に、ごく形式張らない方法で招待――つまり放り込まれ、彼の後ろで扉の錠が閉められた。傷だらけの木の床に剥き出しの石壁、外側を向いた壁の矢狭間が明かり取りと通風口を兼ねていた。その部屋には完璧に何も無く、壁には松明を支える金具も無ければ、床にはわら屑一本さえ無かった。

セバスチャンは座ろうかと考えたが――彼は実際、ゴレンの衛兵に捕らえられた後、ろくに眠っていないことから疲れ果ていた――しかし今彼が座り込めば、助け無しに立ち上がることが出来なくなるのは間違い無く、そして敵の前で無力な姿でいるというのは、全く嬉しくない考えだった。両腕を後ろで縛られているため背中にもたれ掛かることも出来ず、彼は片側の肩を矢狭間の側に当ててそこの壁にもたれると、頬を粗い石壁に当てて冷たい春の空気を吸い込んだ。

あたりは酷く静かで、建物の中で誰か他の人々が動き回る音すら聞こえなかった、とはいえ間違い無く衛兵は居るはずだったが。彼はじっと立って壁にもたれ掛かり、体重を脚から脚へと移動させながら矢狭間の外に見える変わらぬ景色を眺めていた。森に覆われた荘園、丘陵の一部、石壁、玉石の敷き詰められた中庭が、細い隙間に切り取られて眼に入った。しばらくすると彼の肩が痛み始めたので、場所を移動して反対側の肩を持たせかけた。少しばかり異なる田園の景色が、しかしほとんど同じ構成で彼の眼に映った。ゆっくりと変わり行く、外の壁に写る影の角度と長さから考えて数時間が経ったと思われた。

突然何かを引っ掻く音がして扉が再び開いた時、静けさと疲労から彼は立ったまま居眠りをしていた。また衛兵が居た。彼は抗うこと無くその小部屋から連れ出された。さらに多くの廊下と階段、そして狭く石が剥き出しの廊下から、より広く、石膏塗りの廊下へ、そして美しく木の薄板が張られた壁と、象眼模様の床の廊下へ。壁には一定の間隔を置いて飾り物――タペストリー、幾つかの絵画、使い古された盾と一組の剣等が掛けられていた。

彼らは大きなアーチのある戸口に到着した。煌びやかに飾り立てた扉の左右には、飾り房の付いた槍を持った衛兵が控えていた。セバスチャンは背を強ばらせた。槍を持った衛兵――通常、大公家の一員が臨席する式典を警護する場合のみ、彼らは儀礼用の槍を装備した。彼らが二重の扉を押し開き、彼は室内へと追い立てられた。その部屋がかなりの大きさの広間で、床は磨き上げられた大理石のタイルが敷き詰められ、頭上高くから数々の紋章旗が垂れ下がっているのを見ても、特にセバスチャンは驚かなかった。

全く謁見の間めいた部屋で、奥にはひな壇めいた台座まであり、彼の従兄弟のゴレンがそこの豪勢な椅子に腰を下ろし、そしてその隣のほんの僅かばかり飾り気の少ない椅子には、厳しい顔付きの女性が座っていた。ゴレンの妻だ。もしその名前を知る機会があったとしても、今のこの瞬間セバスチャンの脳裏には浮かんでこなかった。

衛兵達は台座の前で立ち止まると、セバスチャンを荒っぽくひざまずかせた。一人が屈み込んで彼の足首を縛ると手首をそれに結び付け、再び完璧に彼の行動の自由を奪った。セバスチャンはゴレンに注目し、沸き上がる怒りと嫌悪を押さえつけようと、衛兵達が立ち去る足音を背後で聞きながら歯を食いしばった。

ゴレンはヴェイル一族に共通する色白の肌と赤茶色の髪をしていたが、彼の眼はセバスチャンの鮮やかな青色というよりはむしろ霞んだ緑色に近く、顔には多くのそばかすがあった。セバスチャンが最後に彼を見た時からかなり体重が増えたようで、もはやかつての、筋骨たくましくすらりとした若い男の姿はどこにも無く、僅かに下あごの垂れ下がった、ずんぐりとした中年男がそこに座っていた。
彼の妻はうら若い女性で、完璧なクリーム色の肌に長い黒髪が手の込んだ髪型で頭の上を飾り立て、深緑色の眼をしていた。彼女の気取った姿勢と尖った顎、中空を見つめ不気味なほど動かない視線は、まるで彼女を伝説の中の質の悪い黒猫のように見せていた。

衛兵が立ち去ってから、ようやくゴレンはセバスチャンの存在に気付いて尊大な様子で頷いて見せ、彼の二重顎がより一層露わになった。
「従兄弟よ」と彼は冷たい声で言った。

「ゴレン」セバスチャンは平然と答えると、その何気ない応対に彼を睨み付けたゴレンの、口元と目尻に怒りの皺が寄るのを彼は見逃さなかった。

「ゴレン・ヴェイル大公」と彼の従兄弟の妻が鋭く訂正した。

彼は冷たく彼女を一瞥すると、従兄弟に視線を戻した。
「さて、ゴレンよ、私がカークウォールから帰還し、スタークヘイブンの統治者としての地位を取り戻した際に救われたと感じていた君に、一体何が起きたのかな?確か君がこの荘園に引きこもった後で、私に宛てて送った書簡の大半がそのことに費やされていたと思ったが」と彼は苦々しく言った。

「あれは間違いであった」とゴレンはどこか冷淡に答えた。
「そなたのような穀潰しの役立たずに、スタークヘイブン大公の地位を占めることを許し、我が領土と家族への義務を回避したのは不適切な行いであった、そのことを私はようやく理解したのだ。我が王座を簒奪した後のそなたの行いは、統治者として全く不適格だと明らかに……」

「我が王座、だと?」とセバスチャンは腹立たしげに尋ねた。
「ヴェイル家が最初にスタークヘイブンの統治者となってから、絶えることなくその長子に王座を受け継がせてきた私の一族の、お前はただの遠い親戚では無かったか?」

ゴレンは顔を真っ赤にした。
「私もまた同様にヴェイル一族だ、しかもそなたは我が一族の王座を継承するいかなる権利も疾うの昔に失っておる!それも一度だけでは無い、幾度もだ!まず最初に、そなたは親兄弟から追放されたのでは無かったか、チャントリーに捧げられた時点でそなたの継承権は無効となった。次に、家族全てが殺害された後幾年もの間、そなたは『我が』王座を取り戻そうとする何の努力も見せなかった。最後に、そなたが我が王座を簒奪した後に、自ら統治者として不適任であることを証明……」

「不適任だと?どのようにだ?」とセバスチャンは低く危険な声音で言った。

「他国の侵入者のために家を建ててやり、食物まで与えてスタークヘイブンの富を浪費する有様一つとってもそうではないか!無料診療所などを建て下民共を甘やかす愚かさ、おまけにメイジ共にスタークヘイブンの国境内で体勢を立て直すことを許す、正気とも思えぬ決定など……」

「ならば私は避難民を国境で追い返し、彼らのうちで犯罪と疾病が自由にはびこるのを放っておくべきだったというのか?私が善き統治者となることを誓った人々の福利を、気に掛けてはならぬと?ただ出生の巡り合わせによって私が持たぬ力を与えられた人々の、絶望的な有様を無視しろと?」

「呪われた連中の……」ゴレンが怒鳴り声を上げた。

彼の妻が片手を上げ、そしてゴレンはまるで扉がバタンと閉まったかのように唐突に黙った。
「もう十分ですわ、あなた」と彼女は言うと、男に歯を見せて微笑んだ。
「そう怒りに我を忘れてはいけませんよ。こちらへ、私の愛しい旦那様。しばらくの間子供達に会ってやって下さいな、あなたが私達の可愛らしい宝物と過ごすのを、どれ程楽しみにしてらっしゃるか判っていましてよ。このあなたの従兄弟にこの先どうなるかを説明した後で、私もすぐに向かいますから」

彼女の言葉は実に甘ったるく響いたが、彼女がセバスチャンに投げかけた視線は甘いとは断じて言えなかった。

彼女の挙動の何かが、セバスチャンに背筋を伸ばさせ――少なくとも、四肢を縛られた今の姿勢が許す範囲で――ゴレンが重そうな身体を持ち上げて妻の手を取り礼をした後、彼女の頬に驚くほど優雅にキスをするのを彼は眼を細めて眺めていた。

「もちろんだとも、私のジョハンナ」とゴレンは答え、一瞬前の彼のセバスチャンに対するいら立ちは既に忘れ去られたようだった。
「お前はいつもその場に相応しい言葉と行いを教えてくれるね」と彼は言うと、セバスチャンに一瞥もくれず、まるでこの世に何も心配すべきことは無いかのように、よたよたと歩いて内扉へ向かい、部屋を出る前に一瞬立ち止まると振り返って蕩けるような笑みを彼の妻に向けた。
セバスチャンはもしこの中年男が女にキスを投げたとしても驚かなかっただろう、それほど他愛の無い表情が彼の顔には浮かんでいた。

一旦男の背後で扉が閉まった後ようやく、ジョハンナは注意をセバスチャンに向けると、立ち上がって彼の面前まで歩いてきた。彼女は不機嫌な表情を浮かべ、ドレスの裾を片手で手繰り上げて、まるで何か汚らしい物を擦らないために持ち上げているように見えた。彼女の表情の何か、物腰の何かが――彼は微かに頭を傾けると、記憶の中を掠め去った微かな光を追って眉根を寄せた。彼女は、誰かを思い出させる……

彼女は手を振り上げるとセバスチャンの頬を高い音を立てて引っ叩き、その突然かつ激しい殴打に彼の身体は片方に揺らぎ、危うく床に無様に倒れ込むところだった。
「これは私の叔母ジョヘインのため、とはいえそれはほんの始まりに過ぎぬ」と彼女は吐き捨てた。

彼は瞬きをすると彼女の顔を見つめ、ようやく必要な記憶を繋げ合わせた。雨の午後、彼自身の母親が親しい友人達を招いて開いたパーティ、他の子供達も大勢招かれていた、皆そこに居た二人の女性と、他の友人達や家族の親戚ばかりが……
「もちろんそうだ――以前どこでお前の顔を見たことがあるのかとっくに思い出しているべきだったな」と彼は冷たい声で言った。
「お前の母はレディ・ジョヘイン・ハリマンの双子の妹だった――そしてお前は彼女から名を貰った」 1

「そう、お前に殺された、私の本当に愛しい叔母様」
彼女は軋んだ声で冷たく言った。

「彼女の策謀が私の一族を死に至らしめた後のこと」とセバスチャンは腹立たしげに指摘した。

「そのようなことは問題ではない!お前は私の叔母を殺し、私の子供達から相続権を奪い去り……」

「ジョヘイン・ハリマンは気が触れていた!スタークヘイブンを支配しようとする目的のために、自らの子供を悪魔に捧げたのだぞ!」

「スタークヘイブンを支配しようとする私達の目的、と言うことかしら?」と彼女は吐き捨てると、彼の驚愕した表情を見て声を立てて笑った。
「何?私がゴレンと結婚したのが単なる偶然だとでも思っていたの?いいえ、叔母はあのみすぼらしい哀れな小娘、フローラを彼に嫁がせようとしていたわ、だけど私が他にもっと良い候補者がいるとすぐに説得したの。叔母と私はとても良く似ていたから」と彼女は誇らしげに言うと、片手を差し出した。炎が立ち上がり、彼女の手を包み込んだ。
「誰も、想像も出来ないほどに」

彼女は再びセバスチャンを引っ叩いた、手が触れた時間はごく短く彼を焦がす程では無かったが、それでも彼女の手が帯びた不自然な熱気は明らかに感じられた。
「もし私を怒らせれば、その肉を骨から燃やしてやりましょう」と彼女は険悪な表情で彼を指さすと、唐突に背を向けて王座の方へ戻った――明らかにただの脅しとは思えなかった。
「一日か二日の内には、準備も整うでしょう。それから私達はスタークヘイブンへ戻り、そこでお前はゴレンのために、大公位を自ら退位するのです。その後でこそ、私はお前をこの世から消し去るという、大いなる喜びを味わいましょう」

「私は退位などしない」とセバスチャンは軋む声で言った。「お前のような者のためになど」

彼女は声を出して笑い、その声には暗い喜びの影があった。
「私に逆らえると思うのですか?いいや、セバスチャン――ジョヘイン叔母は自分を過信し、彼女が発見したあの悪魔がもたらした貧弱な力に満足していました。私は違う。叔母を遙かに凌ぎ、今や許されざる魔法さえ私の手の内にあります」

セバスチャンは青ざめた。
「ブラッド・マジックのことか」と彼は言った。

「そう。ブラッド・マジックを用いれば、他者の行為も思考も支配出来ます。スタークヘイブンに到着した時、お前は退位するのです、セバスチャン――疑いの余地無く。そう、それに、お前がこのことを衛兵に話して彼らを裏切らせることが出来るなどとは思わぬように――この屋敷の中にいる者は全て私が支配するところ」 2

彼女は立ち上がり、呼び鈴の紐へ近寄ると荒々しく引っ張った。彼は背後の扉が再び開き、武装した衛兵の足音が石の床に響き渡る音を聞いた。

「彼を連れて行きなさい」と彼女は、氷より冷たい声で言った。
「とりあえずダンジョンへ放り込んでおくように」彼女はそう言うと背を向け、彼女の命が実行されたかどうか確認すらせずに歩き去った。


Notes:

  1. Lady Johanna (Harriman) Vael=ジョハンナ、Lady Johain Harriman=叔母のジョヘインとなる。
  2. さて出ました伝家の宝刀。
    DA2内でもちょっと疑問符が付いたところですね、ブラッド・メイジのみが他者の思考や行動を支配出来る(だからホークも一瞬でも行動を支配される=ブラメジと判定していた)のなら、何だって敵のブラメジはコンパニオンをサクッと支配してホークに立ち向かわせないのか。何だってダナリアスはわざわざホークと「交渉」してフェンリスを返還させようとするのか。いやそもそもフェンリスを(ry
    もちろんそれをやってしまうと明らかに敵が強くなりすぎますから、ゲーム内では封印していたのでしょう。小説内ではもう一つトリックがあります。
カテゴリー: Eye of the Storm パーマリンク