第88章 密かに

「もうすぐです、サー・フェンリス」と古参衛兵のデインが静かに囁いた。
「その荘園の館は、あの向こうの、森になっている丘の上にあります」と彼は付け加えると、片手を手綱から上げて指し示した。
彼らは運が良かった。追跡を始めて二日、天候はずっと晴れて乾燥しており、この辺りの滅多に使われない街道を、セバスチャンを拉致した大部隊が移動した足取りを追跡するのは容易かった。大公を連れ去った一行の行く先が、彼の従兄弟のゴレンが住む地方に違いないと地元出身の衛兵が確認するまでには、それほど時間は掛からなかった。

フェンリスは頷くとあたりを注意深く見渡した。
「ここからは隠れた方が良い」と彼は言うと、近くに居る二人目の衛兵を探した。
「ジャーヴィン、君はこの辺りに詳しいといったな?」

「はい、サー・フェンリス、こっから数マイルほどあっちに行った、小っちゃい村で育ちました」と彼は言うと、彼らの右側に続くなだらかな丘陵を指さした。
「前は時々、ここの道を上ってあの森で散歩したもんです」

「あの森で密猟をしてたってことかな?」とアンダースが何食わぬ顔で尋ねた。 1

ジャーヴィンはニヤッと笑った。
「けったいなウサギやキジが俺の袋ん中に見つかることがあったかも、でも全く偶然ですよ。とにかく、俺が町に出た後で変わってなきゃあ、俺達の左側にすぐ踏み分け道が見つかるはずです。そっから森の中深くまで入れます。どこに行きたいか、言ってください」

ゼブランが口を挟んだ。
「多分二箇所要るだろうな」と彼は言った。
「とりあえずキャンプを張って、馬達に与える良い草と水場が近くにあるところ。それと、どこか館の敷地内が見渡せるような場所。両方の場所は近ければ近いほど、都合が良い」

ジャーヴィンはしばらく考え込んだが、やがて頷いた。
「うん、ありますよ」と彼は自信ありげに言うと、しばらく後にその踏み分け道に彼らが到着した後、フェンリスは彼に先導するよう手で指図した。彼らは当初どうにか一列になって進んだが、彼らがさらに踏み分け道を外れ獣道に折れ入った後は皆、馬から降りて進まざるを得なかった。フェンリスは彼らの隊列が長くなるのが気に入らなかったが、しかし獣道には下草がぼうぼうと茂って馬で進むのは容易ではなく、他に選択肢は無かった。
彼らは森の奥深くへ分け入って何時間も歩いているように感じられたが、しかし実際にはそれほどの時間も経たない間に、ジャーヴィンは一行を木に覆われた丘の麓の、若草の生えそろった草地へと連れて行った。草地は緩やかな斜面になっていて、降りた先は小川を挟む湿地帯となっていた。

「この丘のてっぺんからなら、お屋敷が良く見渡せるはずです」とジャーヴェンは説明しながら、丘の頂上を示した。
「それとこっから、お屋敷を取り囲む開けた場所へ行ける小道があります」

フェンリスは頷くと、キャンプを設営するよう命令した。彼は馬の手綱を衛兵の一人に渡すと、ゼブラン、アンダース、デインとジャーヴィンと共に、屋敷を見渡して計画を立てるために丘を登っていった。

その館は、彼らが滞在していた、大公家となる前からのヴェイル家の所領にある特大サイズのコテージより遙かに大きく、ずっと込み入った構造をしていた。ゼブランは目をすがめてしばらくの間その建物を見つめ、時折何か一言二言、独り言を呟いていた。ジャーヴィンは土の上に絵を描いて、この館について彼が知っている僅かばかりのことと、そこへの近道を教えた。

「僕は今晩の間に中を偵察して来ないといけないな」とゼブランは観察を終えた後に言った。
「適当な計画を立てようにも、この場所について判っていることが少なすぎる。運が良ければ、大公がここに捕らえられているかどうかは確認出来るだろう。大きな運が僕に味方するなら、あるいは彼がこの館のどこに居るか突き止められるかも知れない」

「彼を助け出せる可能性は?」とアンダースが尋ねた。

ゼブランは鼻を鳴らした。
「そいつは奇跡的な運が必要だな、もちろん可能性は常にあるけどね」と彼は言うと、それから館に発見されること無く接近出来そうな、最も簡単な経路についてジャーヴィンにさらに意見を聞いた。その後彼らは丘を降り、簡素な冷たい食事を摂ると、ゼブランは次第に押し寄せる夕闇の中にスルリと姿を消した。


セバスチャンは疲れた身体を引きずり、微かな明かりが照らし出す狭い独房の中を行き来していた。
彼はアンダースやホーク、あるいは他の誰でもブラッド・メイジのことやその能力について語った者の、あらゆる言葉を思い出そうとした。確信は持てないものの、恐らくジョハンナが脅したような方法で彼を支配するには、フェイドの中で彼の眠れる心に接触するために、彼を眠らせる必要があるように思われた。しかし彼には確信は持てなかった、ひょっとすると、彼女は単に血液と適当な魔法を、適当な時期に使うだけでそう出来るのかも知れなかった。

彼は彼の腕が背後で縛り上げられていることにほとんど感謝していた。確かに肩と腕の鈍痛は彼の眼を覚ます助けになっていた。とはいえそれもひょっとすると、彼の記憶が誤っているという印、彼女が彼を支配する時に眠って居る必要は無いということを意味しているのかも知れなかった。さもなければ、恐らく彼女は彼をより快適に休ませるための部屋に連れて行っただろう。

彼を支配する時、もしそれが見えないところで為されたとしたら、彼はそれに気付くことが出来るのだろうか?心の中で幾らかの部分は、自らが支配されていることに気づくのだろうか?それとも全く彼自らの自然な思考と言葉と行動であの魔女に従い、彼女が望むものは何でも与えるのだろうか?
彼自身の中に囚われの身となり、ただ見るだけで身動き一つ出来ないのか、あるいは自由な選択を与えられ、それでもなお本来の自分と違う行動を取り、そのことに気付きさえしないことか――どちらの方がより戦慄するに値するか、彼には判らなかった。

彼女のやり方がどうであれ、彼を支配下に置こうとする試みに可能な限り抵抗出来ると、そして友人達は彼がどこに連れて行かれたか追跡し救出作戦を立てていると、彼は望むほか無かった。そして彼らが、アンダースは無事で居ると、あるいは少なくとも回復しつつあるという知らせを持ってやって来ると。

疲労によろめきながら、しかし彼は歩き続け、断じて歩みを止めようとはしなかった。


ゼブランの五感全てが、この館は気に入らないと告げていた。これほど大きな建物で当然予想される喧噪がそこには全く感じられなかった。ベッドに入る前に最後の一仕事をしている少数の召使い達も――掃除や靴磨き、明日の朝のためのパン生地作りのような――薄気味悪く黙りこくって、普通なら聞こえてくるようなささやかなうわさ話のお喋りさえなかった。そう言った噂話を盗み聞いて、この不規則にだだっ広い建物の中に、本当にセバスチャンが捕らえられているのかどうか、手がかりを掴もうとしている彼にとっては実に苛立たしい話だった。

彼が見る限り、この館は元々はずっと小さく守りに適した建物として建てられたと思われた。最下層は石造りの砦で、元の矢狭間がまだ残っており、上階のガラスが入れられた窓もごく小さく細いものだった。それから少なくとも二度にわたって増築されたようだと彼は判断した。一番最後の増築部分は最も華麗な装飾のある階層になっていて、数多くの大きな窓があり、侵攻部隊からの防御には全く適していないのは明らかだった。
恐らく現在の主人が住む階層は一番新しい部分だろうと考えられた。間違い無く最も固い防衛網が敷かれている区画で、衛兵が廊下に一定間隔で立哨に立っていた。彼はこの区画についてはほんのおおざっぱに端の方を調査出来ただけだった――より徹底的な調査を行うには厄介事が多すぎた。消去法で行く方が良い、この館の他の区画を先に確認しよう。もしそこにセバスチャンが居る印がなければ、彼は防御の固い区画により深く侵入することを考えなくてはならないだろう。

彼はしばらく影に潜み、どこを次に探索すべきかと頭を捻った。一番古い区画だろう、と彼は思った。召使いも衛兵も少ないだろうし、恐らくこの時間には大部分が既に眠って居ると思われた。またそこは、ダンジョンのようなものが一番ありそうな場所でもあったし、そしてこのような館に住まう大概の人間は、おきまりのように囚人をその中に放り込むのだから。

古い砦の名残の低い廊下を衛兵が一人巡回していたが、下へ降りる階段の入り口を男が通り過ぎるまで、その後を静かに付けて行くことなどゼブランには容易いことだった。彼は静かに階段に滑り込むと下へ降りて行った。階段の下の扉は施錠さえされておらず、僅かな油を挿して用心深く引っ張り、そして彼は地下階へとスルリと忍び込んだ。彼は短いろうそくに火を点して、その階にあるかつてのワイン貯蔵庫の名残と物置の間を静かに歩き回るうちに、さらに下の階へと続く階段があって、下の出口が重い扉で遮られているのを見つけた。

この扉は施錠されていたが、細い覗き窓があった。そこから覗くと、短い石の廊下と牢屋らしき部屋が彼の眼に入った。地下階の他の場所と違って、この階の奥の壁には松明がかかげられていた。ほとんど燃え尽きてはいたが、それでもまだ小さな光の輪を辺りに投げかけていた。彼は同時に床を引きずる足音も聞いた、まるで誰かが辺りを歩き回っているような。その足音が間違い無く牢屋から聞こえていて、どこか彼の視界に入らない廊下の向こうからではないことを確信出来るまで、彼はそこにじっと佇んで耳を澄ませた。

「セバスチャンか?」と、彼は可能な限り静かな声で呼んでみた。足音が止まった。
「セバスチャン、そこに居るのは君か?」と彼は再び、ほんの少し大きな声で呼んだ。

「ゼブラン!メイカーよ感謝します!」セバスチャンは静かに喜びの声を上げ、そしてゼブランには廊下の真ん中辺り、格子の向こうに何か動く姿がちらりと見えた。
「アンダースは……?」

「彼は無事だ、この近くに来ている。生憎今ここに居るのは僕一人だけどね。君は元気かな?」と彼は呼び返しながら、既にこの扉の古く巨大な錠前の解錠に取りかかっていた。

短い苦笑いの声。
「まあまあだ。ここから私を連れ出せると思うか?」

「もちろんやってみるつもりだよ」とゼブランは呼び返すと、扉の錠前が彼の道具に屈したのを見てニヤリと笑った。彼はその扉を開けるとずらりと並ぶ独房に急ぎ、片膝を付いてセバスチャンの独房の錠を調べに掛かった。扉のものより新しく精巧な作りだった。抉じ開けるのはずっと難しいだろう。解錠は彼の大得意という訳では無かった。彼は一つ悪態を着き、セバスチャンが格子に重く寄り掛かって彼を見ているのをちらりと眺めると、その錠に取りかかった。男は随分疲れた様子で、髪は脂っぽく髭は伸び放題、両目の下には深い隈があり、畑で働くためにあの日着ていた無骨な服のままで馬と汗の不快な匂いがした。

「聞いてくれ、重要なことだ」とセバスチャンは静かに言った。
「私を君が連れ出せなかった場合に備えて――フェンリスとアンダースに、ゴレンの妻、ジョハンナはレディ・ハリマンの姪でブラッド・メイジだと伝えてくれ。彼女は、少なくとも城まで戻ってゴレンに大公位を譲位するまで私を魔法で支配し、その後で殺すつもりだ」

ゼブランは愕然として手を止めるとセバスチャンを見上げた。
「ブラッド・メイジだと?ブラスカ!
彼は再び身体を屈めると、こういう代物を宥めるにはゆっくり、注意深くやることが大事だと判っていたので、ともすれば急ぎがちになる手を押しとどめながら解錠作業に戻った。

錠前の中の歯車二つを廻し、三つ目に取りかかったところでセバスチャンが突然身を固くすると、階段を見上げた。
「衛兵が来る」彼は囁いた。「隠れろ!

ゼブランにも遠くから金具付きの靴が石の床で立てる足音が聞こえ、彼は悪態を飲みこみ、解錠道具を引っこ抜いてでたらめに小物入れに突っ込みながら、さっき開けた扉に駆け戻った。重い扉を閉め、巨大な錠前を再び閉め、階段を駆け上がって地上階に戻り、何かで一杯の袋を積み上げた後ろに飛び込んでどうにか視線から身を隠した、その僅か数十秒後には、四人の衛兵達がガチャガチャ足音を立てながら彼の前を通り過ぎていった。前の一人が掲げたランタンが彼らの後ろに長い影を踊らせていた。彼が階段を下りて視界から消えるや否や、ゼブランは再び動いて、彼らが戻って来た時に見つけられないよう側の小部屋に身を隠した。

数分後に彼らは再び戻ってきて、セバスチャンが彼らの間でよろめきながら歩いていた。ゼブランは彼らに襲いかかり、排除した後に大公と共に脱出しようかと考えたが、しかしそれはあまりに危険すぎるようだった。衛兵が二人なら対応出来ても、今の限られた装備と手持ちの毒だけで四人と一度に対峙するのは危うかった。その上に、恐らく外では誰かが衛兵と囚人が戻るのを待っていて、もし彼らが妥当な時間内に戻らないとなれば早速警報を鳴らすと思われた。ここは待つべきだ。
セバスチャンの言うところによれば、大公は今すぐ生命の危険がある訳では無かった。彼はしばらくここで待って、それから再び忍び出て他の二人に彼が見聞きしたことを伝えることにした。そうすれば一緒に、今彼を救助するべきか、それともゴレン・ヴェイルの一行が街に向けて出発した後で襲撃する方が良いか決められるだろう。

あるいはひょっとすると、彼がここを離れざるを得ない時間となる前に連中がまたセバスチャンを牢屋に戻して、もう一度彼を逃がす機会が訪れるかも知れない。

Notes:

  1. もちろん『領主様』の私有地なので許可が無ければ密猟になる。ちなみに人工林であるようだ。
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第88章 密かに への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    ゼブランの「本業」の見せ場w
    あ?いや本業ってアッチだっけ?あれ?

    あ、本業はコッチでアッチはただの特技か?アレ?
    うおおおわかんなくなってきた。

    まあ上も下も裏も表も得意ってことですか。

  2. Laffy のコメント:

    本業は恋愛、趣味が暗殺、得意技が毒と料理。多分w
    ほら、薬部屋と台所の仕事は似てるってアンダース先生も仰ってるし?

    ローグ四人を比べてみる。
    イザベラ:何しろDuel Masterだから純粋な戦闘能力では一番、逃げるのも上手。
    ヴァリック:鍵開けに掛けては叶う者ナシでしょう、ドワだし。後は裏世界のコネクションで。
    ゼブラン:潜入と暗殺のエキスパート。あと縛りとか。縛られとか。
    セバスチャン:気がつくと棒立ちで空を眺めている。

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