第6章 後悔

第6章 後悔


アンダースは、彼の部屋の中を静かに歩いていた。とても質素な禁欲的とさえ言える部屋は、背の高いベッドの側に敷かれている小さなラグカーペット以外は、むき出しの石壁と木の床で覆われていた。割り当てられた3つの部屋の内、最初の1つは最も大きく、こぢんまりとした暖炉のある居間となっていて、その片隅には小さなテーブルと椅子が一脚、それに傷んではいるが居心地良さそうに詰め物がたっぷり入った肘掛け椅子が置かれていた。

暖炉のある壁の裏側は寝室となっていて、ベッドとラグカーペットを置いただけでほとんどいっぱいだった。壁には衣服を掛けるためのフックが何本か突き出ていた。居間の反対側には小さな手洗い所があり、蓋の付いた便器が片隅に、もう一方の排水溝の近くには小さなブリキ製の浴槽が置いてあった。水はこの城の何処か別の場所から運ばれてくるのだろうと、彼は想像した。

彼が数年間ダークタウンの診療所で住んでいた、クローゼットを改造して入り口をぼろ布で塞いだ部屋に比べれば、ここはまるで宮殿同様だった。しかし、この部屋がまさしく城の中、スタークヘイブンを支配する一族の宮殿にある以上は、仮にこの一角が上位の召使いか、あるいは遠縁の親戚のためであったとしても、カークウォールの地下奥深くの壁の窪みより遙かに快適なのは当然だったろう。

ひょっとすると、彼がホークと共に過ごした部屋ほど快適では無いかも知れないが……いや。ホークの事を考えてはならない。アンダースがした事を知った時に、彼の顔に浮かんだ理解出来ないといった表情、そして嫌悪。その記憶は未だに、あまりに辛かった。

彼はテーブルに歩み寄ると、とにかく椅子に座って卓上の数枚の紙を引き寄せ、インクボトルの栓を開けて、側に置いてあった羽根ペンを取り上げた。ペン先をインクに浸す間も彼の手は震えていたが、それを無視して、診療所が必要とする物品のリストを注意深く書き始めた。

ヒールポーションと湿布薬。リリウムポーション、もし彼の能力を超える治療魔法が必要となった時のために。ベッドを沢山、あるいは少なくとも寝床か担架、そうすれば患者がそこで休める。その上で検査をするためのテーブル。もう一台、手術用に望むべくは石の上張りのテーブルを。包帯。縫い針。傷口を縫い合わせるための糸、出来れば絹糸かガット糸*1が良い。強い酒、見つけられる限りで一番度数の高い酒を、傷口と器具の消毒用に。器具も要る!鋭いナイフに、切断手術をする必要がある場合のために上等ののこぎり。

手伝ってくれるスタッフ……もし材料を見つけられれば、ポーションや湿布を準備出来る。病人の世話をして、彼らの身体を綺麗にし、手当をして食べ物を与える、少なくとも家族が‐家族が居たとして‐彼らの世話が出来ないでいる間は。少なくとも3人、そうだ、そうすれば何時でも少なくとも1人が働いているわけだ。いや、スタッフは6人だ、それなら少なくとも2人が常に当番になる。どうせ夢なら、大きく持たないといけない。

ダークタウンで過ごした年月の間彼が望んでいた物、欲しくてたまらなかった物、無い事に悪態を付いていた物を書き記し、終いには数枚の紙を埋めた。好ましい照明から、病人用の食事を用意するスタッフに至るまで、全て。

全て書き終えた後、彼はやや落ち着きを取り戻すと、暖炉の側の肘掛け椅子に移り、炎をぼんやりと見つめた。

彼は死を予想してここにやって来たのだった。どちらかと言えば、それを望んでいた。メイカーよ、カークウォールでの最後の日々に、彼とジャスティスは一体何をしでかしたのだ!彼は顔を手で覆い、溢れる涙を抑えようとした。ジャスティスが‐ヴェンジェンスが‐過ちを犯しつつある事を彼は知っていた。人としての立場から見て、彼の精霊が彼と共に推し進める事柄は、必ずしも理解出来る物ばかりでは無かった。しかし何処かの時点で、彼は否と言うこと、精霊に抗うことを止め、彼らの意志の赴くままに物事を進めていくようになった。ともかくも、彼にとって重要な事柄を行う時間が持てるだけの間は。

診療所で病人を世話する時間、ホークと共に過ごす貴重な時間、ごく希にはただ単にくつろぐための時間。ハングド・マンで友人達と一緒に、彼が正常な人生を送っているように自ら装う、少しばかりの時間。彼がフェンリスやセバスチャンがとりわけ嫌いだったのは、自分の人生が正常とはほど遠いこと、彼自身が好かれているわけでは無く、ホークのお陰で我慢して貰っているのだということを、彼らが痛いほど思い出させたせいでは無いかと、彼は時々思うことがあった。

そして彼はホークを失った。その後、ジャスティスも去って行った。精霊の最後の言葉は未だに耳の中でこだまし、思い出す度に彼自身を心の底から大きく揺さぶった。我々は過ちを犯した。その言葉は、彼と精霊が共に過ごした長い年月に成し遂げた全ての事柄を否定し、彼の望み、カークウォールでの行動から得られる成果への微かな期待を打ち砕いた。我々は過ちを犯した。

彼は椅子に深く沈み込み、顔を両手に押し当てた。もし彼にもう少し勇気があったなら、ジャスティスが彼を見捨てた後、自らを殺していただろう。実際、カークウォールの北、ヴィンマーク山脈の折れ連なる山道に座り込み、高台から南の地平線に微かに望むウェイクニング海を眺めながら、彼はその事を考えていた。ホークが彼に逃げろと言った時の、セバスチャンの激高ぶりを思い出すまでは。

「まさか!このアボミネーションを野放しにするなど、私が許さない!」あの殿下はそう叫ぶと大股で近寄ってきた。彼の声は憎しみと悲しみで荒々しくひび割れていた。

「彼は死ぬべきだ、さもなくば私はスタークヘイブンに戻る。そしてしかるべき軍隊を率いて戻ってくる。その時にはカークウォールに、このマレフィカラム共が支配する物は何一つ残らぬでしょう!」

「邪魔をするな、セバスチャン」そうホークは言った。彼自身の声も低くざらついた、刺々しいものだった。

「目的に対して取るべき手段では無く、結果こそが重要なのだと教えてくれたのは他ならぬあなただ、ホーク」セバスチャンは苦々しく返した。

「誓って、私は必ず戻ってくる、そしてあなたの愛しいアンダースを見つけ出しましょう。彼に本当の正義とは何か、教えてやる!」

そう言うとセバスチャンは荒々しく立ち去った。アンダースは立ち上がると、うつろな声でホークに命を救ってくれた礼を言った。彼は振り返ってホークの顔を見ようとはしなかった。かつて彼を愛した男、もはやそうではない男の顔を見るのはあまりに辛すぎた。彼は単に立ち去った。

彼は振り返らなかった。サンダーマウントの向こうの高地に通じる山道沿いで商人のキャラバンと避難民の一団が、チャントリーの爆発の後に起きた出来事について語るのを彼とジャスティスが耳にしたのは、事件後ほとんど2週間を過ぎた後の事だった。

カークウォールのメイジ達のほとんどが死んだ。チャンピオンがメイジに味方したものの、最初のテンプラーとの戦いでメイジの大多数は殺された。ホークはその後街から逃げる事を余儀なくされ、愚かにもその時点までに逃げようとせず、また彼らが何者であるか隠そうとしなかったメイジ達は、復讐に燃える町人と更に逆上したテンプラーの手に掛かり虐殺された。

ジャスティスが予想していた大規模な反乱は、まだ始まってさえ居なかった‐そして既に、彼の考えた人々の反応からは大きく横道に逸れ始めていた。チャントリーと、そのメイジへの考え方には何の利点も無いという事を人々が理解さえすれば、革命は初期の破壊を乗り越え、より大いなる平穏へと人を導くと彼は考えていたのだった。彼は、例えば信仰のような事柄は理解しなかった。

悲しみや、愛や恐怖の様な感情の力、そしてヒューマンにエルフにドワーフ、彼らが感じ信頼する、非論理的な存在。それら全ては論理的では無く、彼の理解の範疇を超えていた。

反乱とそれに対する反撃は既に始まっていた。虐殺にサークルのパージ、それに伴う、人が恐怖と嫌悪に支配された時に始まる残虐な行為。チャントリーの破壊は確かに人の世界に火花を散らしたが、彼らが放った火は決して単純な自由の灯火などでは無かった。彼らが付けた火は荒れ狂う森林の火災となり、チャントリーとテンプラー、サークルとメイジ、一般人も貴族も全て飲み込もうとしていた。

我々は過ちを犯した。そう言って精霊は姿を消し、埋み火が消えるように消滅した。遠い昔にサークルの独房で過ごした年月よりもさらに圧倒的な孤独の中に、彼を一人置き去りにして。彼が死のうと考えた時、、セバスチャンの言葉を思い出した。

そして彼はスタークヘイブンへと歩き出した。毎日彼の疲れ果てた身体が耐えられる限界まで歩き続け、ヴィンマーク山脈の山道を越え、ワイルダーヴェイル*2を北東へと向かった。セバスチャンに降伏することで少なくとも、テダス全土に巻き起こる破壊にこの男が付け加える騒ぎを防げるだろう、彼はそう考えたのだった。この男が、彼の哀れな、無益な人生に終止符を打つだろうと。

しかし代わりに……思いがけない、望みもしなかった、望んでさえいなかったある種の慈悲が与えられた。結局、彼は生かされるようだった‐生きて、病人の世話をする、ダークタウンで彼が行っていたように。セバスチャンが見せてくれたあの馬屋は、立派な診療所になるだろう。そしてスタークヘイブンの支配者の後援が有れば、十分な薬や器具を蓄え、患者の世話をする人員も整った…メイカーよ、そんな事が可能になろうとは、彼は夢にも想像しなかった。

そしてそれら全ては、彼が心から嫌っていた男から与えられるものだった。彼を嫌い、彼がしでかした事を軽蔑し、カークウォールでの行いに対し、恐らくは全身全霊から彼の死を願ったであろう男から。

全く理解出来なかった。しかしそれでも、彼は我慢するしかなかった。

彼は生き続けなければならない。痛烈な痛みと共に彼はその事を実感した。あるいは、彼を殺す方が親切だと言うことをセバスチャンは知っていたのだろうか。


*1:動物の腸膜から作られる糸で、傷口の縫合用に使う。最近まで使用されていたがBSE騒動の後は使われなくなった。

*2:Wildervale、フリー・マーチズの地名、ヴィンマーク山脈の北側にある。そこを流れる細い川が一本、マイナンター川へ合流していて、そこから東に行くとスタークヘイブンがある。

 

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