第94章 深い悲しみ

セバスチャンが目覚めて最初に見た物は、彼の顔のほんの数インチ先に有るアンダースの寝顔だった。彼は微笑んだ。夜の間に彼らは手を離していた。アンダースは片手の掌を下にして頬の下に押し込み、もう片方の手は二人の間で緩く握っていた。セバスチャンはじっと横たわり、彼の全てを見つめていた、例えば彼の睫毛が描き出す曲線を――髪の毛より少し暗い色の――あるいは彼の長い指を。
彼はまた少しやつれて見えた。この数日ろくに食べていなかったに違いない。彼らの置かれた状況がどれだけ気違い染みていたか考えれば、驚くには当たらなかった。それに彼自身の重傷を癒やし、昨日も大勢治療したとあれば、間違い無く相当な精力を消耗したことだろう。

キューンという微かな泣き声がセバスチャンの注意を引いた。彼は頭をもたげて、ガンウィンがアンダースが寝ている側の床に座り込み、顎をベッドの端に乗せているのに気付いた。犬はセバスチャンに懇願するような眼差しを向けた。猫もやはり部屋に入ってきていて、アンダースの折り曲げた膝の内側で丸くなっていた。

セバスチャンは再び微笑み、シーツを平手でポンポンと叩いた。ガンウィンは即座にベッドに飛び上がり、二人の男の間に立つと両方の顔を熱狂的に舐め始めた。アンダースはその攻撃に笑い声を上げて目覚め、白い歯を見せて大きく笑いながら、ガンウィンの首元に指を突っ込みたっぷりと引っ掻いてやった。犬はようやく落ち着きを取り戻し、二人の間に座り込んで尻尾をパタパタと振った。そしてアッシュの姿は消えていた、間違い無く突然犬がベッドへ飛び込んできたのが気に入らなかったに違いない。

「おはよう」とセバスチャンはアンダースにニヤッと笑いかけながら言った。

「よく眠れた?」とアンダースは同じようにニヤリと唇を曲げて尋ねた。

「とても良く」とセバスチャンは答えて、そして溜め息を付いた。
「さて、忙しく長い一日の始まりだ」と彼は言って少し身体を傾け、アンダースに軽くキスをした後、身体を転がしてベッドから降りた。

アンダースは微笑み、ガンウィンの首筋を引っ掻きながらもうしばらく横になっていたが、やがて起き上がった。
「さてと。僕も着替えないと」と彼は言って、動き出す前に大きく伸びをした。
「じゃあ、また朝食で?」と彼は肩越しに振り返って尋ねた。

セバスチャンは頷き、メイジが彼の部屋に入って行きガンウィンがその足下に尻尾を大きく振りながら付いていくのを眺めていた。扉が彼の背後で閉められ、セバスチャンも振り返って彼自身の荷物をほじくり返して――彼が荘園の屋敷に残してきた私物は、気の利く衛兵が全部持ってきてくれていた――彼の鎧を見つけそれに着替えた。それが必要でないことを願ってはいたが、しかしこの館が安全だと見なせるようになるまでには、まだ沢山やるべき事があった。

その長い一日は、彼がアンダース、フェンリス、ゼブランそれに古参衛兵のデインと話をしながらせわしなく取った朝食から始まった――エルフ二人もやはり今日は鎧を着ることにしたようだった――それから彼らが監督し決定しなくては行けない、相当の量の作業が待ち構えていた。館の残り半分を調べ、死体を取り除き、狂人を捕まえて世話の出来る場所へ連れて行き、ただ怯えているだけの者は勇気づけ安心させて、彼らを忙しくさせておく適当な仕事を与える。やるべきことは山積みだった。

午後になって彼は再び幼い従兄弟を訪ねた。アンダースと二人の衛兵と、ゴレンの最後の狂気を生き延びた唯一の乳母もその部屋に居た。前日に、頬にぱっくりと刀傷を受けて馬車から逃げ出してきたあの女性で、その傷も既にアンダースの手で微かな赤い線を残すだけとなっていた。セバスチャンは彼女を乳母として信用して良いかどうか確信は持てなかった、彼女が保護すべき子供を放り出して馬車から逃げ出した後では。しかし少なくとも、少年にとって彼女は馴染みのある顔だった。

セバスチャンは扉のすぐ内側でアンダースと並んで立ち、ベッドの上に座って物憂げにおもちゃと遊んでいるユアンを眺めた。少年はひどくおとなしく、まるで彼がゴレン・ヴェイル一家の唯一の生き残りだと判っているかのようだった。唯一の生き残りであると同時に、今や彼に残された最も近しい血縁者、彼の跡継ぎだった、少なくともヴェイルの姓を持つ者の中では。
他の一族へ嫁入りした女性親族の子供達の中には、少年よりさらに近い血のつながりを持つ従兄弟が他にもいるかも知れなかった。戻ったら城の記録係に調査させてみなくては、と彼は考えた。

少年は母親の黒髪と濃い緑色の眼をしていたが、淡い肌の色と、そばかすに覆われたまさしくヴェイル一族の特徴ある鼻梁は父親譲りだった。彼の顔の造作は確かにヴェイル一族の鋳型から作られていて、その髪と眼の配色を除けば、少年はセバスチャン自身の幼い頃に生き写しと言っても良かった。

「彼はどのくらい覚えているのだろう?」と彼はアンダースに、ほんの微かなささやき声で尋ねた。

アンダースもささやき返した。
「本当言って判らない。昨日、何か悪いことが起きたというのは覚えているようだけど、細かい所まではどうか……」と彼は難しい顔をすると、肩を竦めた。

セバスチャンは頷いた。ユアンは遊んでいた顔を上げると手を止め、セバスチャンを不思議そうに見つめた。セバスチャンは側まで歩いて行き、ベッドの端に腰を降ろした。
「こんにちは、ユアン」と彼は言った。
「君とは会ったことが無かったね。私は君の従兄弟だ――名前はセバスチャン。セバスチャン・ヴェイル」

ユアンはまじめくさった顔で彼をじっと眺め、それから頷いた。一瞬彼のおもちゃに再び眼を降ろすと、それからまたセバスチャンを見上げた。
「僕の乳母はどこ?」と彼は尋ねて、不安げに女性の使用人を見やった。
「あの人はジョアナ 1の乳母だよ、僕んじゃない」

「済まない、ユアン――君の乳母は死んだ」とセバスチャンは静かに言った。

少年は顔をしかめ、再びおもちゃに目を落とすと、一度、二度と彼の手の中でひっくり返した。
「彼女は戻ってこない?」彼はしばらくして、唇を震わせながら尋ねた。
「それに……それに弟と妹は?」

「いいや、ユアン。彼らは戻ってこない」

少年はおもちゃをじっと長い間見つめていたが、それからそれを置いてベッドの上で横向きに丸まり、枕に顔を押し付けてセバスチャンから顔を背けた。彼は泣き顔を誰にも見られたくないのだろうと、セバスチャンは想像した。
「僕、今から昼寝したくなった」とユアンは、枕にくぐもった声で言った。

セバスチャンは頷いた。
「また後で会いに来るよ」と彼は静かに言った。

ユアンは何も言わず、セバスチャンが静かに部屋を去る間も身動き一つせず、ただ横になっていた。


フェンリスはセバスチャンの後ろに付いて、火葬のための積み薪が組まれた裏庭に出た。大きい方の積み薪は長い円弧を描いて組まれ、前日に死んだ全ての使用人と衛兵の、布にくるまれた遺体がその上を覆った。少なくとも、それと判る遺体を残して死んだ者の。ジョハンナが彼女のブラッド・マジックを煽り立てるために殺した人々は、同定できるような遺体さえ残っていなかった。その内側にずっと小さな積み薪の円弧があり、四体の遺体がその上に乗せられていた。二体は成人の、他の二つは悲しいほどに小さな赤子の形をしていた。

生き残った衛兵と使用人達は――セバスチャンのそれとゴレンの両方――火葬を見届けるために、両端に大きな二つのグループを作ってかたまっていた、一方はセバスチャンの人々で、もう一方にゴレンの人々が居た。

セバスチャンの一行が最後に裏庭に出ると、幼いユアンの手を引いたセバスチャンが先導してそれぞれの場所に着いた。大公は疲れた悲しそうな顔をして、子供は怯えていた。フェンリスとゼブラン、アンダースが彼の後に続いた。三人は二つの大きなグループの間で歩みを止めた。セバスチャンは歩き続け、最寄りの教会――館から数マイル先にある、小さな田舎町の教会――から大急ぎで呼び寄せられた聖職者が待つところへと進んだ。

彼と少年は彼女のところまで来て立ち止まり、セバスチャンと会釈を交わした後、聖職者は身を翻し、光の聖歌から詠唱を始めた。長い歌だった。彼女は普通の葬儀の際に唱われる試練の頌歌から抜粋した数節ではなく、変容の頌歌から全て朗読を始めた。

おおメイカーよ、我が叫びを聞け
この暗黒の夜に我を導き
邪悪の誘惑に我が心を鋼とさせよ
我を暖かき場所に安らげ給え

おお創造主よ、ひざまずく我を見よ
あなたの命ずるまさにその地へ 私は歩む
あなたの祝うまさにその場 に私は立つ
あなたの置かるるまさにその言を 私は唱う

我がメイカーよ、我が心を知れ
我が悲しみの人生を取り去り
苦しみの世界から我を取り去り
あなたの永久の栄光に我を加え給え

ようやく詠唱が終わり、辺りに深い沈黙が降りた。セバスチャンは衛兵の一人から火の付いた松明を受け取り、ユアンの手を引いて前へと進んだ。彼らは小さい方の積み薪の前で止まった。遺体はくるまれていたが、彼らの顔はまだ見ることが出来た。ユアンはしばらくの間、彼らを黙ってじっと見つめていた。セバスチャンは彼の側にひざまずいた。フェンリスはその唇が動くのを見たが、彼が少年に何を言っているのかは聞こえなかった。

しばらくしてユアンが頷くと、セバスチャンはひざまずいたまま松明を彼らの前に掲げ、少年が小さな手を伸ばし大公の手のすぐ上で松明を掴んだ。二人は共にそれを傾けて積み薪の土台に火を移した。微かなシューッという音と共に、薪に沿って置かれた火口が燃え上がった。セバスチャンとユアンは積み薪から引き下がって聖職者の所で止まると、振り向いて火を見つめた。

幾人かの衛兵と使用人が、幾本かの松明を持って長い方の積み薪に歩み寄り、そしてすぐにそれらも燃え上がった。セバスチャンは屈み込んで頭を少年の近くに寄せ、また何か話をしていた。それから彼はユアンの身体に腕を回し、少年の両腕が彼の首をしっかりと抱いて、頭を大公の肩に押し当てた。セバスチャンは少年を抱いたまま立ち上がり、フェンリスと他の友人が待っている場所へと戻ってきた。彼らが近付くにつれて、フェンリスは炎のパチパチとはじける音をよそに少年のすすり泣く声を聞いた。

すすり泣く少年を腕の中であやすセバスチャンの顔に浮かんだ表情に、フェンリスは思わず息を飲んだ。深い悲しみと、そして激烈なまでの少年を護ろうとする決意がそこにはあった。彼らは沈黙の内に館に戻り、衛兵と使用人達が同様に黙って後に従い、積み薪が燃え尽きるまで見守る役目の者だけが後に残った。


Notes:

  1. 死んだ双子の弟妹の一人と思われる。
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