第110章 導きを求めて

城内の自分の居室がある階に戻ってようやく、セバスチャンは表情を平静に保つのを止めた。厳しく眉をひそめ、眉間には深いしわがより、彼の口の両端は下がった。彼はそっと寝室に入り、教会へと着ていった服全てを脱ぎ捨てて、彼がアンダースを手伝って庭仕事をする時に着る簡素な服に着替えた。隠し階段を駆け下りてコテージに入り、メイジがそこに居ないことに気付いてがっかりした。もっとも犬達は居た。アンダースはまだ診療所に居るに違いないとセバスチャンは思いついた。オディールとの会談は彼が思っていたよりずっと短かったようだった。

彼は犬達をコテージから出してやり、その後に付いて庭に出るとあたりを見渡し、何をする必要があるかと考えた。彼はコテージの扉の近くにある農具置き場から鍬を取り、すぐ側の野菜畑の土へまるで親の敵のように叩きつけて、雑草を容赦なく根こそぎにしていった。

彼は精力的に力一杯働き、畝の大半の雑草を片付けかなりの汗をかいたところで、アンダースの声が聞こえた。彼は顔を上げ、メイジがちょうど庭に入ってきて、肩越しに衛兵詰め所の男達に何か言っていた。アンダースは扉を後ろで閉めながら振り向き、犬達が庭に出ているのを見て驚いて立ち止まった。あたりを見渡して、彼はセバスチャンの姿を認め手を振った。それから大公に歩み寄り、感謝の視線を向けながら歯を見せて笑った。

「やあ!このすごい働きぶりは一体何事かな?」とアンダースはもはやほとんど雑草の見当たらない野菜畑を見ながら尋ねた。彼は畑の側に近付くと足を急に止め、もう一度セバスチャンの顔を厳しい顔で見つめた。
「新しい大司教との会談は、上手く行かなかったのか?」と彼は心配そうに尋ねた。

「いいや。まったくもって『上手く』は行かなかった」とセバスチャンは硬い声で言うと、バタンと音をさせて鋤の先を地面に落とし、危うくトマトの苗を掠めるところだった。
「ああ、少なくとも友好的ではあったな」と彼は顔をしかめて付け加えた。
「だがおよそ私が関わり合いになりたいと願う会話では無かった」

彼は鍬を肩に担ぎ上げ、足下に注意しながら畑から出た。アンダースは彼が近付いてくるのを、自分の顔に少しばかり不安げな表情を浮かべて眺めた。
「何があったんだ?」とアンダースは尋ねた。

「まだ言えない」とセバスチャンは言い、アンダースに近付くと片手をメイジの顎に軽く当て、角度を僅かに変えると彼の上半身を傾けてキスをした。
「今はまだ……私も言葉の中身を理解しようとしているところだ。そうだ、私と一緒に来てくれるか?」と彼は唐突に尋ねた。
「祈らなくては。お前が一緒に居てくれれば嬉しい」

アンダースは驚いたように彼を見て、それからゆっくりと頷いた。
「そうするよ。でも、先に着替えをさせてくれ」と彼は付け加えて自分の服を手で示し、その時始めてセバスチャンはあちこちにどす黒く乾いた血が飛び散っていることに気づいた。

「これはいったい?」とセバスチャンはその血の量に心配そうな顔をして尋ねた。

「足が壊疽した男が担ぎ込まれてきてね。もうその足はどうしようも無くて、彼の命を救うため膝から切り落とさないといけなかった」とアンダースは不機嫌なしかめ面をして言った。
「彼は生き延びるだろう。もし数日前に来ていれば足も救えたかも知れないが、メイジと判っている男に例え治療のためでも会うのは嫌だったようだ」

セバスチャンは頭を振り、一つ溜め息を付いた。
「馬鹿なやつだ。判った、服を着替えてこい。私もそうすべきだろうな」と彼は付け加えて、自分の汗まみれで埃まみれの服を見下ろした。

アンダースは彼を見て微笑み、「すぐに行くよ」と言った。

彼らは共にコテージへ向かい、アンダースを後に残してセバスチャンは急いで寝室へと戻った。汚れた服を脱ぎ捨て、浴室へ潜り込んで大急ぎで濡れたタオルで身体を拭き髪を撫で付け、それから清潔な服を選んで、今日三回目の着替えをした。今回は伸縮性のある生地で作られた、スタークヘイブン・グリーンのレギンスと、ゆったりしたクリーム色のリネンのチュニック、首元の開きには黄金色の小麦の穂が小さく刺しゅうされていた。淡い緑色に染めた革の室内履きを履いた時ちょうど、アンダースが部屋に隠し階段から姿を現した。メイジもごく簡単な服装で、焦げ茶色のレギンスに室内履き、それと無地の白シャツを着ていた。

セバスチャンは歓迎するように頷いて立ち上がった。彼は先に立って居間へ出ると立ち止まった。
「少し待っていてくれ」と彼は言って書斎に行くと彼の机の引き出しから、スタークヘイブンへの帰還後彼が大切にしている、読み古されて折り目の付いたエルシナからの手紙を取り出した。彼は居間へ戻り先に立って彼の居室を出ると階下へ降り、とりわけ敬虔な先祖の一人が作ったこぢんまりとした祈祷室へ向かった。

stellar-star-vaultそこは、恐らく彼の居間と同じくらいの幅で、奥行きは二倍程度ある細長い部屋だった。温かな金色の砂岩 1で出来た荒削りの壁は二階の高さで美しいドーム型の天井を形作り、継ぎ目にはチャントリーの象徴である太陽を模した浮き彫りがあった。部屋に入る扉と床は長年磨きたてられた濃褐色の木製だった。

白大理石のアンドラステ像が部屋の奥の壁の、同じく濃褐色のクルミ材で作られた小さな台座に鎮座していた。その左右には細かな幾何学模様のステンドグラスを嵌め込んだ大きな窓があり、天井近くのアーチ部はほとんど光を通さないまだらな黒色のガラス、ついで黒に近い紫、藍色、そして紺青色と天井から床に向かって次第に淡い青色になった。

窓の一番底には、まるで遙か地平線に太陽がその顔を覗かせるように、白く輝くガラスの細いアーチが嵌め込まれていた。セバスチャンはこの美しい窓と、果たしてこの窓が夜明けを表すのか、それとも日没かと考えるのが子供の頃から好きだった。壁は北向きで日中はほとんどの間明るい光が差し込むため、どちらを意味しているのかは判らなかった。

像の台座の正面には低い、幅広の机が置かれ、段々になったろうそく棚がその机の上ほとんどを覆い、今そこには赤いろうそくがまばらに灯されていた。机の下の棚には様々な大きさのろうそくが置いてあった。その机から数歩手前には、白い布に覆われた低い枕が、祈りの際にひざまずく者の膝を保護するため一列に並べられていた。その机と枕以外は、部屋は空っぽだった。

セバスチャンは机に歩み寄って一本の太いろうそくに火を灯し、棚の上に置いた。彼はしばらくその場に佇み、アンドラステの穏やかな顔を見つめた。彼はアンダースもためらいがちに前に進み出て小ぶりのろうそくに火を付け、それから彼と同様に静かに像を見上げているのに気付いた。セバスチャンは一度だけちらりとメイジの顔を見て、それから枕は遠慮して裸の木の床にひざまずくと、眼を閉じて祈った。

彼が普段祈りの内に容易に辿り着く平静な心境が、今日に限ってなかなか見いだせなかった。不安と心配が繰り返し訪れ、祈りを捧げるに相応しい心境に辿り着くのを妨げた。とうとう彼は意識的に、幾度かゆっくりと息を吸っては吐く、その繰り返しのみに集中して心を空にした。弓を放つ直前に自らの心を静めるように。
ようやく彼の身体から緊張が失せ、心を落ち着けてアンドラステとメイカーの言葉のみを考えられるようになった。その時になって初めて彼は、今朝の会談に心を戻した。オディールの言葉に対する彼自身の当初の反応は側に押しやり、あくまで平静に彼の頭の中でその内容を繰り返した。

彼は冷静にオディールの提案を、というよりも彼女を媒介として伝えられたディヴァインの提案について熟慮した。聖職者かつ大公、いずれは王となり、チャントリーの祝福と支持を背後に君臨する。ディヴァインは紛れもなく、この提案が彼を強く惹きつけると感じているに違いなかった。
あるいは、そう思った時があったかも知れなかった、彼が若く愚かだった頃には。彼がエルシナの賢明な教育の元に年月を過ごす前には。権力への欲望に突き動かされた者の手で彼の一族が殺される前には。自らを省み、他人のことを考える習慣が彼に深く染みこむ前には。

彼の祖父がこの提案に対して何と答えるか、疑う余地は無かった。祖父はヴェイル一族の名と歴史を誇りとしていた。彼はセバスチャンに一度ならず、初代ヴェイルがアイアンフィスト王を平和裏に打ち負かした後、どうして市民から王の地位を提供されたのに断ったかについて語って聞かせた。初代ヴェイルはは、誰一人王の地位にふさわしい者はおらず、その名を使用することは以前の支配者達が示したのと同じ、堕落と愚昧に陥るのを助長するだけと考え、スタークヘイブンにおいては大公のみが唯一の称号となると宣言したのだった。

いや。ヴェイル一族でありながら、如何にして堂々と王の称号を得ることなど出来ようか。ましてやフリー・マーチズの王になど。独立した都市国家による緩やかな連盟の成員として、断固とした自立心はそこに住む人々の本質を成していた。彼らを一つの国に強いて押し込めようとする者は、彼ら全てからの憎悪の他に、何も得る物はないだろう。フリー・マーチズはいかなる者にも服従はしない、彼らが自らの意志で彼または彼女を指導者として認めない限りは。

このような提案に対してエルシナはどう反応しただろうかと、彼はふと思った。エルシナも、オディールと同じく、彼の運命がメイカーによって形作られていると語ったことがあった。
『後はあなたが自らの力と、メイカーのご意志がこの役割を定められたことを認めるのみです』
彼女は、今も彼の手の中に緩く握られている手紙の中でそう述べていた。それでもエルシナが、今彼へ提案されている事柄、チャントリーの支配下の王権を快く思うとは考えられなかった。
『強く、公正でありなさい、そしてとりわけ寛大で慈悲深くあるように』――彼女は手紙の中でそうも書いていた。そして、『今やあなた自身の足で立ち、あなたの民の守護者として、思いやりと公正さを持って彼らを統治する、その時が来たと信じています』と。

チャントリーが世俗の権力を持ち、俗界の支配者をディヴァインの思うがままに動く人形同然とするという考えを彼女が好んだかも知れないとは、彼には思えなかった。その行く末がカークウォールでどうなったかを見た後では。メレディスと彼女のテンプラーによる独裁、彼をその地位に着けた女性の邪魔をすることに対する、ヴァイカウントの怖れに起因する、街の意志決定の麻痺状態。留まるところを知らないメイジへの抑圧。如何に奴隷商人達が、エルフや望まぬ人々を奴隷にしようとカークウォール内外を闊歩していたか。
いや。メレディスに世俗の権威を踏みつけにする許可を与えることで、カークウォールにおいて成し遂げられようとしていたとディヴァインが信じる姿が何であれ、その真の姿は大いなる悪、正当化しようのない醜い姿であった。

ディヴァインの提案を受け入れれば、大きな過ちを犯すことになるだろう。彼の一族の歴史を無視することになろう。エルシナが、彼の領民が彼に与える信頼を無にすることだろう。自分自身を裏切ることに。

彼に提供されようとしている、世間が『名誉』と呼ぶであろうものを拒否するに足る充分な理由があることに、彼は心のどこかで嬉しく思った。アンダースに対する彼の欲望と、誓約からの解除を願う気持ちが彼の決定に多少は影響したかも知れなかったが、しかし同時に、もし彼が心底からディヴァインの提案が正道だと感じたなら、間違い無く彼は自らの望みと欲望を脇に追いやって、それを実行に移しただろう。彼に提供された王の座を受け入れ、征服の途に就くことを。

しかし彼はそれが正しいとは思えなかった。いささかなりとも。彼はこの提案を断る方法を見つけなくてはいけなかった。なるべくなら彼自身の死に繋がらず、そして何としても、彼が責任を負うべき人々を喪わずに済む方法を。彼の領民。彼の友人。ここで保護したメイジと他の避難民。
アンダース。

決断は為された。彼は本当の祈りに、深い瞑想状態へと沈んで行き、長くひざまずいていることからくる彼自身の不快も、彼のゆっくりとした呼吸さえも、意識から消えていった。彼の心は夢の領域の周辺を漂い、真の夢のようにフェイドの領域へと入り込むことは無く、ただ……そこに居た。自由だった。

光の聖歌の一節が、やがて彼の心に浮かんだ。最初は試練の頌歌だった――『メイカーよ、例え暗黒が我が元に来たるとも、我が心は光を抱く。我は嵐を耐え抜くべし。我は持ちこたえるべし。メイカーの御手に創られた者、何者も引き裂くこと敵わぬ』

そして祝福の頌歌が浮かんだ。
『祝福あれ、堕落し邪悪なる者の前に立ち怯まぬ者よ。祝福あれ、平和を護る者、正義の英雄よ。祝福あれ、高潔な者、暗黒の中の光たる者よ。彼らの血で主の御心は記されん』

最後に変容の頌歌が蘇った。
『おおメイカーよ、我が叫びを聞け。この暗黒の夜に我を導き、邪悪の誘惑に我が心を鋼とさせよ。我を暖かき場所に安らげ給え』

彼は眼を開き、大いなる平穏を感じながら立ち上がった。彼の心は高揚していた。そう。彼の信ずるところは正しい。ならば恐怖や炎、苦痛、たとえ彼自身の死が来ようとも、そこへ邁進するのみ。彼は真理を得るだろう。

彼はアンドラステ像に向かい深く頭を下げた。一回、二回、三回。それから声を出して、試練の頌歌の一節を唱えた。
『たとえ我が前に影のみ見える時も、メイカーは我が道標。我ら決して彼の国へと通ずる道を失うこと無し。メイカーの光に暗黒は消え去り、御手のお造りになった者は誰一人道に迷うこと無し』

それから彼は振り向き、床の枕の一つに長い脚を折って座り、彼の祈りが終わるのを待っていた様子のアンダースを見て微笑んだ。アンダースは訝しげに彼を見た。セバスチャンは再び笑みを浮かべて、立ち上がろうとする男に手を貸し、彼の祈りが与えた内心の平穏を心に留め黙ったまま彼の居室へと戻って行った。


Notes:

  1. red-sandstone:イギリス北部に広がる堆積岩の一種で赤金色をしている。
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第110章 導きを求めて への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    よっしゃ今のうち大公様に轡をかませるんだ!
    あと犁を繋いだらお前後ろから種播けよ!
    そんでお前は水を撒け!わかったな!
    よーし今日の作業ははかどったなあwはっはっはw

  2. Laffy のコメント:

    はははははwなんとタイムリーな。午後一杯働くんですってよ大公様ww
    きっとその内お庭中が野菜畑になるに違いないw

    ああところで野菜とか花とか育てる畑のことも”garden”って呼ぶんだね、あっちじゃ。
    じゃ穀物畑は?と思ったらそれは”field”だと。種を蒔きゃ勝手に育つんだね。牧草と同レベルかいっ!

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