第121章 メイジの密輸

警告:この章には監禁、同意無しの緊縛、猿ぐつわ等の表現が含まれます。


ブライディは静かに上町を通り抜け、混み合った表通りを避けるようにアンダースを中町へと連れて行った。次第に混み合った街中で人々を避けて通るのは困難になり、彼女の神経質そうな様子は、誰かがひどく近くを通り過ぎる度にひどくなった。ようやく、彼らがほとんど下町の運河沿いのスラム街に近付いたところで、彼女は狭い側道――路地よりマシという程度の――へと入った。そしてその中程で、小さな家の奥まった扉を強く叩いた。

しばらくして扉が開き、ブライディは急いで中に入り、アンダースを片手で掴んで引きずり込むと小さな小部屋へと押し込んだ。そこには今にも壊れそうな椅子と色あせた絵、はげちょろけの床板以外何も無かった。扉がバタンと閉じ、ブライディは彼らを振り向かせた。背の高い、肩幅の広い男が扉の内側に立っていて、二人を用心深く見つめており、手には剥き出しの長剣があった。彼は白髪の交じった灰色の髪、顔には鼻梁に掛かる傷跡があり、ほとんど黄色に見える明るい茶色の目をしていた。男の顔にはアンダースがまるっきり気に入らない、残忍な笑みが浮かんでいた。

「良い娘だ、ブライディ」その男は低い、脅迫的な声音で言うと、片方の扉を剣で指し示した。
「そっちへ入れ、二人共だ」

ブライディの手はアンダースの腕をきつく握りしめ、彼女はがくがくと頷くと振り向いて先に進んだ。アンダースは彼女の恐れる様子と、その手が彼の肩で震えるのを感じた。彼女の眼は大きく広がり、ひどくぎこちなく歩いていた。この男が誰であれ、彼女がひどく怯えているのは間違い無かった。

こちらの部屋はずっと大きく、多少なりとも家具が整えられていた――小さなテーブルと、その脇には重々しい木製の椅子が二つ、小さなカウンターと小さな暖炉――壁沿いには小さな窓があって、何かの袋で目隠しがされていた。そのすぐ下に狭いベッドと、物入れの箱があった。

「その椅子に座らせろ」と男が命じて、彼の方に向いた一つを指し示した。アンダースはそちらへ歩いて座った。他にどうしようも無かった。男は物入れの方へ歩いて行き、二人を油断無く見張りながら身を屈めて、蓋をバタンと開けて何かを探し回った。彼はロープを一巻き、片手に持って起き上がると、それをブライディに投げた。
「そいつを縛れ」と彼は鋭く命じた。

ブライディは手早く、震えた手でアンダースを椅子に縛り付けた。アンダースは歯ぎしりしながら、自分が抵抗しないばかりか、自ら縛られる手助けをするのを感じ取った。正しい位置に座り直して彼女が椅子の前肢に彼の足を縛り付け、自ら手を後ろに回して椅子の背中に縛らせ、その間も歯を食いしばって男を睨み付ける以外は何も出来なかった。もし彼が魔法が使えたなら……もしブライディの支配から逃れることが出来たなら。
それでも、彼女は明らかにジョハンナ・ヴェイルほどには、ブラッドマジックの使い方に慣れていない様だった。彼女の支配は不完全で、彼は自らが支配されているということに痛いほど気付いていた。しかも彼女はほんの数人を支配するのが精一杯で、その数人でさえひどい緊張を強いられていた。彼女がブラッドマジックに手を染めたのはごく最近のことに違いない――ともかく、彼がカークウォール時代に知っていた彼女はブラッドメイジでは無かった――そして彼女の技能は、まだ充分使いこなすには至っていなかった。

「終わりました、サー」ブライディは最後の結び目を縛ると立ち上がりながら、不安そうに言った。

「よし」と男は言って、アンダースに剣を突きつけながら前に出た。アンダースはまるきり身動き出来ず、そこに座ってただそれが近付くのを見守ることしか出来なかった。殺されるのだろうか、今ここで、椅子に縛り付けられて。だけど、もし殺されるのならどうして椅子に縛ったり……

剣は彼の喉元の数インチ先で止まり、男は手首を返した。剣の剃刀のように鋭い刃ではなく平たい面が、アンダースの首元に当てられた。彼は男が僅かに集中するような表情を見せるのに気付いた以外は何の警告も無く、一呼吸の間に彼の力は消え、抜き取られていた。

テンプラー」彼は呻いた。

男はその言葉に、微かに頷いて見せた。
「昔は。今はシーカーだ」

男に会ったことは一度も無かったが、彼は即座にこの男の正体に気付いた。
「シーカー・レイナードか?」

歯を剥き出しにした、大きな笑み。
「そうだ。そしてお前はアンダース、かつて『ダークタウンのヒーラー』として知られたアポステイト・メイジ。フェラルデンのキンロック砦から7回脱走した男。グレイ・ウォーデン――アボミネーション――そして殺人者」

「僕はアボミネーションじゃない、それ以外は正解だな」とアンダースは彼の出来うる限り静かな声で答えた。

男は鼻で笑い、突然後ろに下がるとブライディを見た。
「女。箱に入れ」と彼は言って、テーブルの向こうを指し示した。そこにはほとんど棺桶と同じくらいの大きな箱が、上蓋を開けたまま置かれていた。

「どうか、シーカー、それだけは……」ブライディは半泣き声で言った。
「箱は嫌……」

剣がブライディの方を向いた。
「もし俺の命に背いたら何が起きるか、言っておいたはずだな?」
レイナードは低く、脅すように尋ねた。

ブライディは顔を真っ青にするとよろめき、ほとんど崩れ落ちそうになった。
「お願い、止めて、そんなつもりでは…。」と彼女はもごもごと呟いた。
「お願いです、彼を傷つけないで……」

「箱に入れ、今すぐ」
シーカー・レイナードは唸るように言った。ブライディはそれ以上一言も言わず箱の方へ跳び退り、真っ青な顔をしたまま大急ぎで箱に入り、仰向けに横たわった。シーカーはそちらへ歩み寄って膝を付くと、手のすぐ届く場所に剣を置き、なにかの紐を結びつけてどうやってか彼女を縛り付けているようだった。それから彼は蓋を閉じた。
その後でレイナードは立ち上がり、ようやく剣を鞘に納めた。彼はもう一つの椅子へと歩み寄り、アンダースの目の前で椅子の背を前にしてどさりと座り込むと、腕を前で組んで興味深そうに見つめた。

「醜い女も居たものだ」とレイナードは感想を述べた。

アンダースは鼻を鳴らした。
「いつもこんな衣装を着ている訳じゃ無い」と彼は小さな声で言った。
「ちゃんとした服を着れば、大層ハンサムに見えると言われたけどね」

レイナードは唇を歪めて笑った。
「お前が大公のために女役を務めていると聞いた。それとも、あるいは彼が女役か?それともお前ら二人とも互いにやりあってるのか?」

アンダースは彼を睨み付けたが、シーカーの明らかな挑発に乗るつもりは無かった。彼らはしばらくの間そこで座ったまま、シーカーは明らかに軽蔑の眼差しでアンダースをじろじろと見つめ、アンダースは彼をにらみ返した。彼は恐怖に戦いても当然だと知っていたが、しかし今この瞬間、彼の心は大部分が怒りに占められていた。

扉をノックする音が聞こえた。レイナードは即座に立ち上がって前の部屋へと向かい、片手を剣の柄に掛けた。
「はい?」と彼は扉の方へ呼ばわった。

「私です」と声が帰ってきた。レイナードは急いで扉を開け何かを担いできた二人の男を通した。彼らは二人とも筋肉質で、肉体労働者か、さもなくば普段から武器の訓練を積んでいる男のように見えた。テンプラーだ、とアンダースは推定した。

彼らが担いできたのがブライディが入っているのと同じような箱だと見た彼は、そこに入ることになるのに気付いて青ざめ、それから罵り声を上げて大きく身を震わせ、ほとんど椅子を片方に倒すところだった。シーカーはその音に振り向くと顔をしかめ、大股でアンダースの側へ戻って来ると痣が出来る程の力でアンダースの頬を引っ掴んだ。
「止めろ」と男は唸ると、二人の男に向かって振り向いた。
「そこに置け」と彼は言って、アンダースが座っている椅子の側を指さし、それからアンダースに視線を戻した。音も無く圧力波が押し寄せ、アンダースは気を失った。


アンダースが暗闇の中で眼を覚ました時、頭と、顎がひどく痛んだ。頭痛はとりわけきついスマイトに打たれたせいで、顎を動かそうとして、なぜ彼の顎が痛むのかがはっきりした。彼は猿ぐつわを嵌められていた、それも柔らかい布などでは無く、何か堅い物で彼の顎を痛いほどに押し広げていた。彼は身動きしようとして、それも出来ないことに気がついた。彼は箱の中で、手首と足首、ウエストと胸の上で底板に縛り付けられ、頭さえも額に掛かった紐で縛られていた。彼は恐怖のあまり、しばらく全身に力を込めてもがいたが、何も出来無いどころかまた失神しそうになった。ひどく締め付けるガードルと猿ぐつわのせいで、彼はごく浅くしか呼吸出来なかった。彼はとにかく、くらくらする頭と眼の中を飛び交う白い点が消えてなくなるまでじっと横たわったまま、無理矢理落ちついて息をするようにした。

そこに横たわったままで、彼は次第に周囲の物音と振動に気が付いた――馬の蹄のパカパカという音、荷車の車輪が立てるリズミカルな軋み、上下動。彼が入った箱は荷馬車の後ろに積まれ、どこかへと運ばれていく途中と思われた。彼らがまだ街の中に居るのだろうかと彼は思って、耳を澄ませた。どこか近くから話し声が聞こえたが、何を話しているのかまでははっきり聞き取れず、何人が話しているのかさえ定かでは無かった。馬の蹄の音に耳を傾け、しばらくした後にその音が石畳の上を歩く音では無く、土の上だと判断した。すると、街の外だ。

彼は絶望がこみ上げるのを感じた。セバスチャンは、他の人達は、彼が居なくなったことにさえ気付いているだろうか?そしてもし彼らが気付いたとして、彼を追跡し、どこに連れて行かれたのか見つけ出すことが出来るだろうか?セバスチャンは彼の力の及ぶ限り何としても、彼を見つけ救い出そうとするだろう、それは確かだった――しかしこのシーカー・レイナードが、仮に救出の手が届いたとしても、助け出させる位ならその前に彼を殺させようとするのも、胸くそが悪くなるくらい間違い無かった。そして魔法の力が奪い去られていては、自らを護ることも、逃げ出す機会も無かった。

いや。必ずしもそうじゃ無いはずだ、と彼は自らに言い聞かせた。どこかの時点で逃げ出す機会があるかも知れない、その時に彼が魔法に頼らなくとも逃げ出せると望みを繋ぐしか無いだろう。それにシーカーや彼の部下達が、グレイ・ウォーデンの体力と敏捷さを過小評価する可能性もあった、とりわけ彼が見かけ上は筋肉質な男では無いからには。
そう、今は待って、観察し、希望を持ちつづけることだ。そしてもし機会が訪れたなら、どんなに僅かであっても行動を起こす。

今はともかく、彼に出来ることは何も無かった、この忌々しい箱の中に括り付けられ、全ての力を奪い去られていては。現在の状況下で出来るただ一つのこと、つまり出来る限りの休息を取ることにして、その内に彼は落ち着かない浅い眠りに落ちていった。浅い眠りで唯一の利点は、夢を見ないで済むと言うことだった。今見る夢が安らかなものかどうかは、はなはだ怪しかった。


セバスチャンは顔から血の気が引くのを感じた。
「彼が居なくなってから、どのくらい経つ?」と彼は恐怖に満ちた声で尋ねた。

「数時間以上は」と衛兵隊長セリンは厳しい表情で答えた。
「もしシスター・マウラが這いずって階段を下りて表に出て、塔の見張りに見咎められることが無ければ、まだ気が付いていなかったかも知れません。屋根裏部屋から階段を滑り落ちたのですから、身体中痣だらけです。首を折らなかったのは運が良かったとしか。勇敢な女性です。彼女は、他の人々が眼を覚まして質問に答えられるまでには、恐らく後数時間は掛かるだろうと言っています――皆、強力な眠り薬を服用させられています」

セバスチャンはいらいらと頷いた。
「ブラッドメイジが……」と彼は言うと、頭を振って悪態を飲み込んだ。
「どこにその女がアンダースを連れて行ったか、何か考えは無いか?」

セリンは頭を振り、唇を引き結んだ。
「まだ何も、街のどこかへ向かったとしか。女性二人を探すように部下達には命じてあります、全ての街の門と、波止場にも知らせを送りました。いかなる船も徹底的な調査を行う前には出港出来ず、門を出て行く全ての物についても同様です、ですが……例え彼らがずっと歩いて行ったとしても、既に数マイル先に到達している可能性が有ります。あるいは、街の中で我らの鼻先に隠されているのかも。我々には……彼を見つけられないかも知れません、閣下。その、手遅れになる前には」と彼は静かに言い終えた。

セバスチャンは頷き、気を取り直そうと横を向いた。
「この件が片付くまで、ユアンの居室の警護を二倍にするように。ゼブランとフェンリスに、すぐ会いに来るよう伝えてくれ。私はここに居る、もしお前が……何か見つけたら」
苦悩を声に表すまいとする彼の努力が、ほとんど功を奏していないのは判っていたが、そのことに注意を払う気にはなれなかった。

「はい、閣下」とセリンはうやうやしく答えて、急ぎ足で立ち去った。

セバスチャンは近くの椅子に歩み寄ると、どさりと座り込んだ。ゼブランとフェンリスが不安げな表情で部屋に入ってくるまで、一体どのくらいそうしていたのか彼には判らなかった。彼らは既にこの知らせを聞いていることが、二人の表情からは伺えた。

「立て、セバスチャン」とゼブランは厳しい表情で、ほとんど命令するように言った。
「取り乱している余裕は無いぞ。可能な限り速やかに行動に移るべきだ。我々に残された時間は少ないし、無力感を覚えながら座っていても時間を無駄にするだけだ」

セバスチャンは顔を上げ、エルフの決然とした表情に希望の影が過ぎるのを感じた。
「どこを探すべきか、何か考えがあるのか?」と彼は鋭く尋ねた。

「いいや。だがガンウィンとハエリオニは何か嗅ぎつけるはずだ、彼の足取りが時間が経ちすぎていたり、あるいは惑わされて居ない限りは。それに、君は彼らに命令出来る口笛を知っている、そうだろう?」

セバスチャンは飛び上がった。
「そうだとも!犬達なら!」彼は叫んだ。彼はほとんどコテージへ一直線に駆け下りるところだったが、フェンリスが扉の外に居る衛兵を先に集めて、セリンに犬を追跡に使うという意図を知らせるため伝令を送り、さらにもう一人に厩に行って彼らと護衛のための馬を用意させ、城門の外で待機させるようにと言い張った。そうすれば彼らはずっと速く移動出来るからと。

彼らは塔をくぐる城門の内側で止まり、セバスチャンが二匹の犬達にアンダースの服の臭いを嗅がせて、それからその臭いを狩り出すよう口笛で命令した。犬達はあたりを嗅ぎ回り、ガンウィンは床の上を、ハエリオニは頭を高く上げて空気の臭いを嗅ぎ取っていたが、やがてガンウィンが一声鳴くと外に向かう扉へと駆け寄り、床に鼻をぴたりと付けたまま尻尾を勢いよく振った。

「彼が臭いを見失わないことを願おう」とセバスチャンは一心に言うと、扉を開けるよう呼ばわった。僅かな間に彼と他の人々は騎乗し、犬達が速歩で街中を突き進む後を付いていった。

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