第124章 嗜虐

警告:この章には監禁、同意無しの緊縛、暴行の暗示に関する表現が含まれます。


その日はまだ夜も早いうちに、シーカーの率いる一行は再び細い小道に沿って、小さな森の奥深くへと曲がりくねった道を進んで行った。目的地は十字路から奥まったところにある、元宿屋と思われる家の残骸だった。中庭を区切っていた壁は既に崩れ落ち、かつて生け垣であったと思われる部分に残るものは、腐った木の杭を覆い隠すように生い茂るイバラとツタだけだった。アンダースの手首ほどもある若木が生け垣の内側にも生え、森がゆっくりとこの荒れ果てた廃墟を飲み込みつつあった。

彼らは家の後側の、厩の廃墟に進んだ。そこには新鮮なワラが一山と、上質の穀物を詰めた袋が幾つか、箱の中に隠されていた。明らかにこの道筋の使用は最初から計画されていて、全て後の使用に備えて用意されていたものだった。

再びメイジ二人は魔法の力を奪い去られた後で、鞍から紐を解いて降ろされた。一日中鞍の上に乗っていたためにさすがにアンダースの太腿も引きつり鞍擦れが出来ていた。ブライディとフィリップは立っているのもやっとで、互いに重くもたれ掛かって相手の支えとなり、彼らの鞍には柔らかな皮膚が赤くなり、水ぶくれとなり、更にその上を擦られた跡を見ることが出来た。アンダースは固く顎を引き、何も言わずただ鋭くレイナードを睨み付けた。この男にも二人がこんな有様で、明日も旅を続けることは出来ない位判っても良いはずだ、とにかく何の手当ても無しでは。

その時、この男は恐らく旅の間中ずっと彼らを生かしておくつもりは無く、故にその健康状態を気に掛ける必要も無いことに思い至り、アンダースの背筋を冷たいものが走り抜けた。
ブラッド・メイジである以上ブライディの命運は既に決している、そして彼女を助けたフィリップにしても彼らにとっては同じことだろう。シーカーが彼の目標を達するためにブラッド・メイジを利用した証拠や目撃者を残さぬためには、二人をどこかの時点で殺してしまうに越したことはない。利用目的が達せられた後に、彼らを生かしておく理由は彼には無かった。

テンプラー達が箱と荷物を馬から下ろし、一行はその元宿屋の中へ入った。中は埃だらけでカビ臭く、屋根にも床にも雨漏りの跡が至る所にあった。二階へ上がる階段は壁から外れ落ち、踏み板は湿気と木材を食い荒らす虫のせいで膨れボロボロになっていた。アンダースは、恐らくこの家の中の木材は皆似たような状態だろうと思った。この建物は明らかに長い間放置されていて、一階部分の壁を形作るしっかりした積み石と床の敷石が辛うじて元の状態を保っているだけのようだった。アンダースは壁と壁の間から垂れ下がり今にも崩れ落ちそうな屋根板が気に入らなかったが、彼らがここに一晩以上泊まることは有りそうになく、それだけは有り難かった。

彼ら三人は部屋の隅に追いやられ、近くに一人のテンプラーが見張りに立った。ブライディとフィリップは疲れ果て痛みに苦しむ様子で床に倒れ込んだ。アンダースは彼らから数フィート離れ、本当よりもさらに疲れているフリをして壁に背を当てて座り込んだ。結んでいない髪が顔の前に垂れるまでアンダースは頭を下げて、髪の毛の後ろからレイナードと彼の部下を用心深く眺め続けた。

テンプラー達は壁の奥に窪んだ暖炉に小さな火を熾して、家具を幾らか蹴り飛ばして薪に変え、一人が表の古い井戸から水を汲んできた。彼らはすぐに夕食を温め始めた――今日はちゃんとした食事で、干し肉と小さなタマネギを煮込み、穀物の粉でとろみを付けたシチューだった。肉とタマネギが煮える匂いにアンダースの口には唾が沸き上がり、空腹のあまり頭がクラクラしてくるのを感じた。彼は膝に頭を置いて眼を閉じ目眩が収まるのを待った。

再び顔を上げた時、レイナードが実に気味の悪い表情で彼らを見つめていることにアンダースは気付いた。シーカーはしばらくして顔を横に向けると、何やらテンプラーの一人に呟いた。その男は三人の囚人を眺めやって小さく頷くと、歯を剥き出しにしてニヤリと笑った。シーカーが歩き去った後、そのテンプラーは近くに居た二人組の方を振り向いて何かをささやいた。その二人も、同じようにニヤリと笑って彼らの居る隅の方に視線を向けた。アンダースは微かに身を固くした。あの笑みと視線は、何であれ良いことの前兆とは到底思えなかった。

テンプラー達は食事の準備と寝支度を同時に進めていた。寝床を広げ、重い鎧を脱いで壁沿いに並べた。彼らの内の二人がメイジ達とフィリップを代わる代わる家の裏側の茂みへと連れだし、その中には小さな穴が掘られていた。アンダースがこれまで使う羽目になった数々のトイレと比べてそれほど悪い訳では無かったにせよ、用を済ませた後で見張りの一人が水袋から渋々出した僅かな水と茂みの葉っぱで手を洗いながら、彼は心の底からコテージの快適な浴室が懐かしくなった。

その内シチューが煮えて夕食の準備が整った。シーカーとテンプラー達は暖炉の側に集まり、スズメッキの皿からガツガツと立ったままで食べた。シーカーが彼らの一人――一番若いテンプラー――に一言命じ、男はほとんど空になった鍋を運んでアンダースと他の二人の間に置いた。
「食え」と彼は素っ気なく言い、他の男達の方へと戻った。

何の道具も無く、彼らは指で食べるしか無かった。三人は鍋の側に寄り集まり、代わる代わる指で鍋底の粥に似た残り物をすくった。ほとんどは煮えた挽き割り麦と汁気で、時折肉の欠片か潰れた根菜が混じっていた。三人分としても、少ないながらも満足の行く食事となる量はあった。アンダースにとっては一食分には到底足りなかったにせよ、ともかく彼の絶え間ない空腹感を一時でも和らげるには充分だった。

食事の後でシーカーは幾人かのテンプラーを厩に行かせて、二つの大きな箱を持って来させた。その箱が運び込まれるのを見たブライディの顔は恐怖が浮かび、アンダースも再び箱の中へ閉じ込められることを考えるだけで呼吸が荒くなるのを感じて、手の震えを押し隠すため彼の膝を固く握りしめた。

シーカーが歩み寄り、革靴のつま先で箱の上蓋を蹴り上げた。
「箱に入れ、ブライディ」と彼は命じた、その声は低く危険な響きに満ちていた。

彼女は真っ青になり、部屋の隅へ縮こまった。
「いや!お願いだから……」と彼女は懇願した。

彼女の答えを聞いたシーカーの顔が暗く満足げな表情に変わるのを見て、アンダースは身を震わせた。レイナードはその答えを期待していた。彼女が彼の命に逆らうことを。

「俺の命令に逆らえばどうなるか言ったはずだな」と彼は低く脅迫する声音で言った。彼女は慌てふためき、違いますと叫びながら箱の方に這い寄ったが、レイナードは足で彼女の頭を蹴り飛ばして捕まえた。
「もう遅い、ブライディ」と彼は言うと、彼女の両腕を背中にぎりぎりとねじ上げた。彼は尖った目線をアンダースに向け、まだ蓋が閉じられたままのもう一つの箱に向けて顎をしゃくった。
「お前、アンダース。箱に入れ」と彼は命じた。

拒否しようという考えさえアンダースの頭には浮かばなかった。あたりに漂う緊張した雰囲気、ブライディがもがきながら泣き叫ぶ声、フィリップの脅えた、惨めな表情、その場に立って事の成り行きを全て見守るテンプラー達のぎらぎらとした目つき。彼も怯えきっていたが平静なフリを装って箱に歩み寄った。自分から箱の中に横たわることなど到底出来そうに無かったが、その必要も無かった。シーカーがスマイトを放ち、二人のメイジを一瞬気絶させた。ブライディは彼に掴まれたままぐったりとなり、アンダースは視界が真っ暗になり、後ろ向きに崩れ落ちた。

アンダースが眼を覚まして周囲の状況に気が付いた時、二人のテンプラーが彼の上に屈み込んで、彼を箱の中で縛り付け、猿ぐつわと額の紐を除く全ての革紐の留め金を留めていた。もはや彼は全身が恐怖に震えるのを留めることが出来ず――無力で、テンプラーの手の中にある――無理に眼を閉じて、彼の頭上にのし掛かる男達の姿を視界から消した。心臓の鼓動が胸の中で暴走し、冷たい汗が皮膚からにじみ出るのを感じながら、アンダースは恐怖に打ち負かされまいと息を吸って吐く繰り返しに心を集中させた。

少なくともテンプラー達は蓋を閉じて、彼を暗黒の中に閉じ込めようとはしなかったが、それも僅かな救いでしか無いとすぐに判った。彼は部屋の中で行われていること全てを、あまりにはっきりと聞き取ることになった。ブライディの泣き叫び許しを請う声、レイナードの唸り声と平手打ちの音、フィリップの悲鳴。テンプラー達の静かなせせら笑い、服が引き裂かれ、拳が身体を幾度も打ち付け、時折何か堅い物とぶつかる鈍い音。
彼の耳に入る音は次第に殴打から性質の異なった暴行の音へと変化して行った。フィリップの息絶え絶えな呻き声、ブライディがすすり泣き嘆願を繰り返す中、肌と肌がぶつかる音を聞きながら、彼は抗議もましてや止めに入ることも出来ず、その箱の中で拘束され横たわっていた。テンプラー達はオーレイ語で話していたが、その口調と荒んだ笑い声からは、彼らが下卑た感想を言い合い他の男を互いにけしかけているのはあまりに明らかだった。

アンダースは耳を塞ぐことは出来ず、頭上の今にも落ちそうな天板を見つめながら、それらの音が呼び起こす恐怖に満ちた記憶を打ち消そうと必死になった。彼は今や自らの記憶が呼び起こす恐怖に震え、苦い物がこみ上げるのを感じて幾度も唾を飲み込んだ。恐怖と戦慄、そして何よりも、今その怖ろしい目に会っているのが彼では無いという、一筋の安堵に対する罪悪感が彼を押しつぶした。
とうとうフィリップの声は途切れ、恐らくは意識を失い、ブライディはすすり泣いていた。アンダースは、レイナードが彼らのお楽しみが如何に危険な火遊びか判っているのだろうかと思った。彼らが弄んでいるのは暖炉の穏やかな火では無かった。もしブライディが絶望し、あるいは怒りのあまり、あるいは自棄となって彼女の悪魔に身を任せた時には、彼ら全てを焼き尽くしかねない荒々しい大火であることをシーカーは理解しているのだろうか。

「命令に逆らえばどうなるか、次の時は良く覚えておけ、ブライディ」
アンダースはシーカーが脅すようにそう言うのを聞いた。
「さあ、一緒に来い――箱に入る前に、お前にも当然罰を与えなくてはな。返事は?」

「はい、サー」と彼女は弱々しく答えた。

「良い娘だ」と言ったレイナードの声は今度は擦れていた。

アンダースは彼らの足音が次第に遠ざかるのを聞いた。レイナードが、この荒れ果てた宿屋のどこかに彼だけの隠れ場所を確保しているのは間違い無かった。彼は二人のテンプラーが引きずって行って部屋の隅の床に落とすフィリップの姿を垣間見た。意識は無く服は剥ぎ取られ、正面を向いた顔と胸、腕の至る所が紫の痣で覆われ、片方の眼は腫れ上がっていた。

アンダースがそこで震えている間に、部屋には静寂が戻り、時折テンプラー達の寝支度と呟き声に破られるだけだった。それから一人、また一人と眠りに付きいびきが聞こえてきた。間違い無く起きている見張りがどこかに居るはずだったが、彼が横たわっている場所からは、微かに暖炉の明かりで照らされている頭上の天板以外何も見ることは出来なかった。

彼自身は恐怖のあまり眠ろうとすることさえ出来ずそこに横になったまま、時折発作的に大きく身を震わせながら、今でもスタークヘイブンに、セバスチャンと共に、護られ安全であったなら良かったのにと、彼を形作る全ての粒子でそう願っていた。

無限にも思える時間が過ぎた後、彼は裸足が床石を擦る微かな音を聞いた。一人のテンプラーが頭上の視界に入った――最初の夜に彼と話をした大柄な男だった。彼は箱の側で立ち止まり、床を見下ろして顔をしかめた。フィリップを見ているのだ、とアンダースはしばらくして気が付いた。

「この残酷な世界に」 男はしばらくして何か呟いた。彼は身を翻して視界から立ち去り、今度は一枚の毛布を持って戻ってきた。彼はそれをフィリップの上に掛けるとまた振り返って、アンダースが彼を見つめているのに気づいた。彼は長い間、理解しがたい表情をその顔に浮かべてメイジを見つめていたが、それから一歩箱に近付いて屈み込むと、肉付きの良い手をアンダースの顔に伸ばした。

アンダースはビクリと頭を動かしたが、例え額を革紐で止められていなくとも避けることは出来なかった。その手は驚くほどの優しさで彼の横顔に触れた。枝の切り口のような太い親指が彼の頬を撫でた時、彼は初めて自分が泣いていたことに気がついた。しばらく前から、ずっと。

「眠りなさい」 その男は静かな、ほとんど優しいと言って良い声でささやいた。

アンダースは彼の瞼が閉じていくのに驚いた。現実の悪夢が暗闇の中まで彼を追ってくるだろうと予想していたが、しかし彼は夢を見ること無く、深い眠りに付いた。


彼らは日が暮れてからも追跡を押し進めた。背丈の高い草をなぎ倒した踏み後は、例え月明かりの下でも見逃す怖れが無い程はっきりしていた。一旦彼らが小道に到達したところで、ゼブランは顔をしかめると、ここで休んで朝を待とうとフェンリスに伝えた。彼は誘拐犯の一行が、この小道からそれたり、あるいは行く先を分けたりした印を見逃したくは無かった。

彼らは道路の埃っぽい表面にくっきりと残る痕跡が、明日の朝までかき消されずに残っていることを願い、道を踏み荒らすのを避けてすこし下がった場所でキャンプを張った。彼らは火は焚かず、夕食に干し肉と旅行用の乾パン、チーズを水で流し込んだ。僅かに話し声が聞こえ、それもすぐに静かになった。

ゼブランとフェンリスはキャンプを離れてあたりを偵察することにして、その小道に辿り着く少し前に誘拐犯の足跡が迂回していた、小さな丘の頂上へと向かった。彼らはそこで暗闇の中に立ちつくし、ゆっくりと全方角を見渡した。良く晴れ、澄み切った初夏の空に星が輝き、一旦暗がりに慣れた彼らの目には月明かりだけでも背後の草が投げかける微かな影まで見て取れた。

「ほら」と唐突にゼブランが言って、西の方角を指さした。
「どうして僕が火を焚きたがらないか判るだろう?」

フェンリスは頷いた。遙か彼方の丘陵で、まるで地に落ちた星のようにちらちらと微かに瞬く光が見えた。
「あれが連中だと思うか?」と彼はそのほうをじっと眺めて尋ねた。

ゼブランは一瞬考えるように眉をひそめたが、やがて首を振った。
「いや。彼らが大馬鹿者で無い限りは違うだろうね、これまでのところそうは見えなかったし。多分羊の群れの番をする羊飼いだろう、それかたき火の炎を誰かに見られても恐れる理由の無い、別の旅人か」

フェンリスは頷いた。彼らはその後もしばらくそこで、夜景と頭上の星空を眺めていた。フェンリスは手を伸ばしてゼブランの頬に触れ、その顔が月光の下ではとても違ったように見えると思っていた。太陽の下で見る明るい金色と茶色の代わりに、全てが灰色の濃淡と銀色のハイライトで彩られていた。彼はセバスチャンのことを思い、彼自身がもしゼブランがアンダースのように行方不明になったとしたら、殺されるか誘拐されたるか、あるいは単に……消え失せたとしたら、彼はどう感じるだろうかと思った。
「彼は見つけられるだろうか?」と彼は唐突に尋ねた。彼自身の感情を、あまり深くつつきたくは無かった。

ゼブランは手を上げて自らの手でフェンリスの手を包み込み、首をかしげてフェンリスの掌に軽くキスをすると、再び彼の方に向き直った。
「出来ると思っているよ」と彼は静かに答えた。
「追跡している連中より僕達の方が速く動けるのは間違い無い。連中は大部隊で、恐らく重装備で、しかもこれまでの追跡で、どこかで馬を乗り換えた形跡も無いしね。僕達ほど速い速度で進み続けるのは不可能だ。それに僕達の方が良い馬に乗っているのも、間違い無い」と彼は付け加えて微笑み、彼の白い歯がほとんど満月の月明かりを受けて輝いた。
「セバスチャンは衛兵達も良い馬に載せているし、彼の友人の馬はさらに上等だ」

フェンリスは頷くと、衛兵と馬達がキャンプしているところを丘の上から見下ろした。
「もう戻った方が良いな」と彼は言ったが、その前に身を屈めてゼブランにキスをすると身体に両腕を回し、しばらくの間じっと抱きしめた。それからようやく彼らは身を離し、黙ったまま丘を降りてキャンプに歩き戻った。

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