第135章 エピローグ―17年後

十七年か。長い年月だったが、充分というにはほど遠かった。そうセバスチャンは思いながら鏡を覗き込んで、髪を手櫛で整えほつれ毛を耳の後ろへたくし込んだ。アポステイト・メイジが、彼に降伏するために城門へ現れてから十七年。二人が共に過ごした十七年。

それでも、多くの事柄が変わるには充分な年月だった。二人が互いに抱いていた嫌悪と不信が、愛情と信頼に変わったのも、その一つだった。マイナンター川の中流に位置する小さな都市国家、フリー・マーチズのそこそこ重要な一員に過ぎなかったスタークヘイブンは、今やテダスでも指折りの光り輝く都となっていた。規模にして約二倍となった市街は多くの人々で溢れていた、熟練の職人、学者、メイジ……工芸と技術革新、文化、そして何よりも最大の知識の都として、その大学では熱い研究が今も進められていた。テダス全域も、その十七年の間に大きく変化した。一度だけではなく二度に渡って、最初は幸いにも短期間で集結したオーレイとの戦争で、そしてその後にもう一度戦乱があった。

今では世界には三つのチャントリーが存在した。ブラック・ディヴァインを擁するテヴィンター・チャントリー、ホワイト・ディヴァインを掲げるオーレイ国内のチャントリー、そしてフリー・チャントリー。最後のチャントリーはディヴァインを置かず、その代わりに各国がそれぞれの大教母の中から大司教を選出し、大司教会議においてチャントリーの事柄を決定することで知られていた。
彼はグリニス大司教のことを思い出して微笑んだ――彼女は数年前にひどい発作に見舞われ、この世を去っていたが、それでも彼女は亡くなる前にフリー・マーチズ、フェラルデン、アンティーヴァ、リヴァイン、……そしてアンダーフェルスへとフリー・チャントリーが広がるのを目にすることになった。もっともアンダーフェルスは随分と後になってのことであったが。

同様にテンプル騎士団も三つに別れていた。テヴィンター帝国は彼らの組織を保ち 1、オーレイのチャントリーも未だに彼らのテンプラー(数は大幅に減少していた)を抱えていたが、しかし彼らの活動は国境内に留まり、それ以外では歓迎されない存在となっていた。テヴィンターとオーレイ以外の、フリー・チャントリー配下にある国々では、テンプル騎士団はもはやチャントリーに従属することなく、独立した武装集団としてグレイ・ウォーデンとよく似た形で再編された。
彼らは各国に支部を持ち、通常は独立して任務を遂行するが、しかし少なくとも理屈の上ではフェラルデンの騎士長官からの命に応じることになっていた。彼らの主たる任務には今でもメイジの居場所を確認することが含まれていたが、しかし彼らはもはや看守では無かった――彼らはかつての誇り高き護衛に戻り、若いメイジ達が護られた場所で、正しく彼らの才能を使いこなす方法を教えられるようにすると共に、ブラッド・マジックに手を染めたメイジや、アボミネーションと成り果てた異端者を、捕縛するか適切な対応を取った。そしてもちろん彼らは自由メイジの文字通りの護衛として、迷信深く魔法を恐れるあまりメイジを殺そうとする者や、あるいはオーレイに未だに残る少数のサークルへと略取しようとする者の手からメイジ達を守護した。

床を擦る柔らかな靴の音がした。セバスチャンは鏡を見て、そこに映るアンダースが二人の寝室へと入ってくる姿を見て微笑んだ。メイジの姿は、ほとんど昔と変わらないように見えた。あるいは彼の髪の毛は、赤みを帯びた金髪というよりは白く輝く金髪になり、眼の隅に覗く笑い皺は少しばかり深くなったかも知れなかったが、それ以外は今も変わらず細身で美しく、そして庭仕事で鍛えられ、日に焼けた外見だった。
しかしセバスチャンは彼の長袖のシャツと、ぴったりとしたレギンスの下で、何が起きているかを知っていた。彼の皮膚の下には暗黒の斑点が広がりつつあった。まだ彼の顔や手足には現れていないものの、それ以外の至る所で見ることが出来た。ダーク・スポーンの穢れの影だった。いわば極局地的なブライト、長年彼の肉体の内で争われていた闘いは、今や急速に終末を迎えようとしていた。

「出かける用意は出来たかな、それとも君はそこで一日中、鏡に映る自分の姿をほれぼれと見つめているつもりかい?」 アンダースは軽く笑ってそう尋ねた。

セバスチャンは喉が詰まるのを感じて唾を飲み込むと、鏡から振り向いてメイジと向き合った。
「これの用意など、何時になっても出来るものか」 彼は心からそういった。
「だが……ああ、出かけよう」

アンダースは歩み寄って彼に優しく口付けをすると、片手を伸ばし、白くなったセバスチャンのこめかみを指でなぞった。
「出来ることなら……」それだけを彼は言うと、口をつぐんだ。本当に言う必要のあった言葉は、全て昨晩、ベッドの中で言っていた。彼は振り返ると窓へ歩み寄り、アッシュの背中を上の空で撫でながらしばらく窓の外を見つめていた。今では相当に年老いた猫で、もはやかつてのように彼の持ち主に伴って何処へでも行くよりは、今のように日の当たる北側の窓辺に座り、うとうとと居眠りをする方が長くなっていたが、それでも恐らくは後数年の幸せな晩年が残されていた。

セバスチャンは彼を見つめていた。一年。将来を予言する不吉な染み、二人が共に過ごした幸せな日々が終わろうとしている徴として、最初の小さな暗い斑点が彼の皮膚の下に姿を現してから、一年が経っていた。彼はその徴が現れてから一月の間に大公位を譲位した。今や二十四歳となったユアンは、充分スタークヘイブンの統治者の地位を引き継ぐにふさわしかった、とりわけ何時も実際的なナイウェンが、単なる配偶者ではなく共同統治者として彼の側にいるのだから。

彼らはこの夫婦の二番目の子供が――娘で、リロウェン・グリニス・ヴェイルと名付けられた――誕生するのを見届けるまでスタークヘイブン城に留まった後、首都を離れ、犬達――ハエリオニの子供らとガンウィン――と猫と馬と少数の召使いを伴って、二人に残された時間を共に過ごすためにヴェイル一族の荘園の屋敷へと向かった。この一年は今から振り返れば、それがいずれ終焉を迎えるという思いを除けば、本当に幸せな一年だった。アンダースと共に美しい自然の中で過ごした日々の記憶を、彼は宝物として心に留めるだろう。
冬の夜長に暖炉の炎を見つめて夜も更けるまで語りあい、時にはただ黙って座って居た記憶、あるいはベッドの中で共に朝寝坊をしたこと、あるいは早朝に目覚めて朝日を眺めたこと。ベッドの中での朝食、屋敷の大きな台所で共に料理をして食べた昼食、あるいは村に出かけて友人達と共に、笑い声と共に摂った軽食を。遠乗りに出かけて、陽射しの中で愛を交わしたこと、あるいは月影の下で、暖炉の側で、ろうそくの灯りの側で、あるいは暗闇の中で。

アンダースは窓から振り返って彼に笑いかけた。彼はこの瞬間を心に刻み込んだ――アンダースが、頬と髪に暖かな陽射しを受けて、彼に向けて微笑んでいた。彼の手は最後にもう一度灰色の毛皮を撫でて、猫の満足げなゴロゴロという声が部屋に静かに響いた。

メイジは造り付けの衣装棚に置かれた、小さな収納箱の蓋を開けた。彼の宝箱と呼ぶその箱は、二人が共に過ごした人生の思い出で満たされていた。彼は中を掘り返し、折り畳んだ一切れの布を取り出した。かつては鮮やかな金色だったその布も年月と共に色褪せほつれていた。彼はそのスカーフを首の周りに巻いて、セバスチャンの所へ歩み寄ると再び優しくキスをした。

「さあ、行こう」と彼は言った。

二人は部屋から出て、アンダースは召使い達にさよならを言い、お辞儀をする者に頷き、とりわけ親しい友人とは握手を交わした。彼らは知っていた。ここに居る全ての者が知っていた。隠しておくことには何の意味も無かったし、お陰で必要な手配をするのも容易くなった。

彼らの馬は既に玄関の表で鞍を置かれて待っていた。ひどく真面目な顔付きの若者がその手綱を抑え、そしてかなり大きな籠がセバスチャンの鞍の後ろに結び付けられていた。二人は馬に乗ると郊外へと馬を走らせた。耕作地から遠く離れた、草に覆われた丘の頂上で、そこからは田舎の見事な風景が一望出来た。彼らはそこで鞍を馬から下ろすと、あたりで草を食めるよう緩く手綱を掛けた。それから二人は暖かな陽射しの元で毛布を広げて腰を降ろすと、籠からピクニック用の軽食を取り出して膝に広げ、お互いに相手の好物を食べさせあった。

彼らはこの日のためにオーズマーへ行くことを話し合った。しかしディープ・ロードの暗闇はアンダースが行きたい場所では無かった。例えグレイ・ウォーデンの風習が変わり、もはや彼らが最後の日々に暗闇へ一人で降りていくことは無くなったとしても。アーキテクトの様な知性あるダーク・スポーンが、ウォーデンの生体をどのように利用するかが知れ渡った後で、ウォーデンは彼らの儀式を変えていた。そう、今ではウォーデンは付添人と共に暗闇へ向かうことになっていた――死の軍団 2が彼らに付き添い、ダーク・スポーンとの闘いの中で共に倒れるか、あるいは――語られることは無かったが暗黙の了解として――必要とあれば彼らの斧が止めを刺した。しかし例え彼が暗所恐怖症で無かったとしても、アンダースはスタークヘイブンを離れることを望まなかった。ここが彼の故郷だと、そう彼は言っていた。それで二人は、彼ら自身で必要な手筈を整えることになった。

二人はもう一度最後に、毛布の上で愛を交わした。暖かな陽射しとそよ風が彼らの肌を撫で、高く上空を明るい雲が飛び去っていった。その後で身体を拭いて服を着ると、ただそこでしばらくの間お互いを抱きしめていた。アンダースはセバスチャンの頬を流れ落ちる涙を、彼の唇で拭い去った。それから長い間、二人はそこに座ったまま語り合った。最後の考えと思いを、二人で分かち合うために。

日が次第に傾き夕暮れが近付いた頃、アンダースは籠の底から丁寧にくるまれた小さな瓶を取り出した。ゼブラン男爵とフェンリス卿からの最後の贈り物――フェンリスの荘園で作られ、ゼブランが少しばかり何かを加えた、冬のワインだった。

彼らは長い口付けを交わし、それからアンダースが封蝋を切りコルク栓を抜いた。彼は手を止めて、再びセバスチャンにキスをした。本当に長い間、彼らは唇を合わせ、アンダースの手が温かく慰めるように大公の頬に添えられていた。その後は、言葉は要らなかった――彼らがまだ話していないことなど、一体何があっただろうか?

アンダースはそのワインを飲んで、それからセバスチャンの腕に抱かれ、肩にもたれ掛かった。彼らは共に沈み行く夕日を見つめていた。星々が一つ、また一つと、彼らの頭上を覆う空に現れ始めた時、彼は暗闇へ去って行った。

セバスチャンはその場に残り、両腕で彼を抱きしめ、荷馬車が到着するのを待った。アンダースを家へ、用意された積み薪へ連れて行くために。


数年後、何よりも彼自身が驚いたことに、セバスチャンは再び恋に落ちた。彼女は彼の年の半分にも満たなかった。アンダースが、許される限りの間彼の側に留まると約束したあの夜には、彼女はまだ産まれてさえ居なかったのだ。彼は急に自分が年老いた様に感じ、何とかして彼女を思いとどまらせようと説得したが、しかし彼女は実に意志堅固だった――母親と同様に。

「いずれはあなたのことを、私の義理の息子だと考えるのに慣れるのでしょうけれどね」
結婚式の席でヴァイカウント・アヴェリンはそう語ったものだった。
「とはいえ何時までも奇妙に聞こえるのは間違いなさそうだけど。セバスチャン・ヴェイル公が私の義理の息子、ねえ」と彼女は言って眼をクルリと回してみせると、ぶらぶらと息子のローランドに近寄って襟元を直してやり、それから彼に可愛らしい少女達だけでなく、ユアン・ヴェイル大公の跡継ぎ、若きパトリック・アンダース・ヴェイルとも少しは話をするようにと言った。衛兵隊長ドニックは年を経るに従って更に落ち着きを増していたが、それもこれもただ一人の息子と、彼女らの母親を見習う四人の娘達に囲まれていては、彼は自らの人生が断固とした女性達に左右されることに慣れきっていたと言って良いだろう。

そしてセバスチャンは人生の最後の年月を、彼がそうであろうと考えていた様に孤独と静寂の中に過ごすのでは無く、彼の田舎の荘園で若い愛する妻、小さな居間で縫い物をするよりは雌牛の世話をしている方が好きな女性と、そして子供達の群れ――彼自身の子供達と、しばしば訪れてくる親友達の子供――に囲まれて過ごすことになった。

そう、結局の所、彼はとても良い人生を過ごしたと言えるだろう。彼がまだ子供だった頃、あるいは野放図な青年時代、あるいは教会で過ごした静かな年月、あるいはその後の動乱の時代でさえ、彼が想像していたものとは全く異なっていた。それでもなお良い人生だった。愛と、幸せな瞬間の記憶に満たされていた。

何事も終わりを迎える。遅かれ早かれ。


(原作者後書き)この後に短い続編が(ほぼ間違い無く)続きます、フェンリスとゼブランの冒険行をつづった作品です。その後でこの”Eye of the Storm”の世界からはしばらく離れて、全く別の作品を書こうと思います、それとゲームもやりたいし。この三ヶ月間――この後書きを書く前の三ヶ月――は頭の中がずっとこれで一杯でしたから。

この物語に着いてきてくれた皆さん、本当にありがとう。とりわけレビューを書いて下さった方には大いなる感謝を。大いに励みになりましたし笑顔も頂きました。それとしばしば私の想像力を掻き立てる楽しい会話をして下さった方にも。

(翻訳者後書き)ここまでお読み頂き、心からお礼申し上げます。m(__)m
この次の一章は翻訳者が独自に付け加えました。プロットを原作者に送って許可は頂いております。(アンダース可哀想すぎると言ったら笑っていらっしゃいました)

それと何時もコメントを頂くEmanon様が、アンダースとセバスチャンの素敵にエロイ絵(絶賛褒め言葉)を描いて下さいました!こちらのリンクからご覧頂けます。

Notes:

  1. もちろん、ちゃんとある。ゲイダーさんの小説”Asunder”で登場するLord Seeker Rambertはここの出身。もちろんあそこは魔道士支配国家なので、単にサークル直属の護衛部隊だろう。
  2. The legion of the Dead
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