俺は後部座席に落ちていた帽子を拾い上げて、走り寄ったメリルに大きく振った。
「あなたのお車です、マダム」
「まあ、本当にありがとうトリップ。あなたがケーブルカーから飛んだ時は、まるで大きなコウモリみたいだったわ。車にぶつかる前のほんの数秒だけは」
「なるほど」メリルと全く同じ見方をするやつは、この世に二人といないだろう。
「このエルフをどうしよう?」とカーヴァーが聞いた。
「アヴェリンに引き渡すか?」
「彼はフェンリスというそうだ」
「もし追跡者に君の半分も決断力があったら、今頃俺は死んでいた」
カーヴァーの言葉が聞こえなかったかのように、フェンリスはそう言った。
「ふん、お世辞か?」俺はカーヴァーに顔を向けた。
「彼は行かせてやろう。車が盗まれた時に、俺達が教会のすぐ外側に居たことを警察に話すなんてのは願い下げだ。余計なことまでほじくられるぞ」
「確かにな」カーヴァーは運転席の扉を開けた。
「トリップはあんたの面が気に入ったとよ、運が良かったな」
エルフは外に出ようとして動きを止めると、まだ助手席に座ったままの俺の方に振り返った。
「君は、あるいは軍人か?」
俺は頭を振った。
「カーヴァーはオスタガーで従軍した。俺は違う」
「民間人にしては随分と手慣れているな」
「私立探偵だ。俺の名はトリップ・ホーク」
「君の手を借りたい」
どうしてだか、そう聞いても俺は驚かなかった。
「まあ、俺はただ働きはしないぜ。そもそも、君を追いかけているのは誰だ?」
「テヴィンター帝国秘密情報局」
俺は口笛を吹いた。
「どこか静かな場所に行って話をしようか」
「全員でか?」とエルフが聞いた。
「カーヴァーは俺の弟で、力仕事担当だ。頭の中に脳みそが詰まってるかは、メイカーのみがご存じだ。それとこっちはメリル、運転担当」
「こんにちは!」メリルは可愛らしく彼に笑いかけた。
「ちょっとした組織だな」
「あら、違うわ、私達ただのお友達よ」とメリルが説明した。
「面白いから手伝ってるの」
彼は明らかに、その言葉をどう判断していいか判らないようだった。
俺達はホテルの玄関の横に、今度は多少落ち着いて車を止め、バーの隅に静かな一角を見つけて座り込んだ。飲み物にスペシャル・フレーバーを入れる特別料金を払ったのはメリルだけだった。ほんの数年前まで俺はフェラルデンに居たから、本物のビールの味がどうだったか良く覚えている。あの頃のロザリングじゃあ、コーン・リカー 1なんぞは、ペンキ剥がしに使うだけだった。
フェンリスが彼の話をする間、俺達の煙草の煙はゆっくりとらせんを描いて立ち上り、バーの天井の下で漂っていた。
「先に言ったとおり、俺は帝国秘密情報局のエージェントに追われている。連中は帝国の財産を取り戻そうとしている」
「帝国から何か盗んだのか?一体全体連中は何をそんなに必死に追いかけている?」俺はそう尋ねた。
微かな笑みが彼の顔に閃いた。
「俺自身だけだ。連中は俺を表におびき出そうとした。罠かも知れないとは思ったが、直前まで気付かなかった」彼の声は次第に小さくなり、グラスにじっと眼をおろすと顔をしかめた。
「それで、君は逃げるためにメリルの車を盗った。現在の状況から判断すれば、君の逃亡は成功したと言えそうだ。それで俺に何をしろと?」
「俺も予想していなかったが、かつての俺の調教師、ダナリアスという名のマジスターがここへ来ている。俺の再捕獲を個人的に監督するためだ。俺がやつの極めて貴重なペットだったことを考えれば、驚くべきことではないだろうな」
彼はそう吐き捨てるように言った。
「だがやつはカークウォールに長居は出来ない。テヴィンターのマジスターはここでは歓迎されぬ身だ、まして秘密裏の訪問となれば」
「それで君はそのダナリアスとやらの後を追いたいと。いいだろう、だが俺は人は殺さない。つまり……」
今夜の教会での出来事を思い出して、俺は頭を下げるとため息をついた。
「俺は『殺し』はやらない。殺し屋ではないからな」
フェンリスは俺の顔を見つめた。
「俺はそうだ。もっとも、自ら望んだ事では無いが」
カーヴァーがたじろいだ。
「トリップ、こいつと話なんかしていて良いのか?俺達の飲み物に毒を入れたかも知れないぞ」
「じゃあ、沢山人を殺したことがあるの?」とメリルが尋ねた。
俺は何も言わなかった。正直なところ、何と言えば良いのか判らなかった。
「君達が疑問を持つのは判る」フェンリスは妙な顔でメリルを眺めながら言った。
「だがもし俺達がダナリアスを追いかけるのなら、急がなくてはならない。もし今行動を起こさなければ、やつは俺をずっと追い続けるだろう。再び俺をテヴィンターの鎖に繋ぐまで、やつが手を緩めることはあり得ない」
「君の依頼はぎりぎりの線だな、フェンリス」俺は顎を引いた。だが俺は今夜、テンプラーを殺す事になるかも知れないと充分判っていた。この依頼とそれと、実際のところ何が違う?
「だが誰かを奴隷にして殺し屋に仕立てるようなやつは、俺は気に入らん――ましてや望んでも居ない者を」
「どうにかして君に恩は返す、本当に」
俺にも正直確信は持てなかったが、ともあれ俺達は彼の手伝いをする事になった。
俺達はまた上町に戻った。ダナリアスというやつは上町に、買ったか、借りたか盗んだか――そこははっきりしなかった――知らないが、邸宅を持っていた。母さんの昔の実家からそう遠く無いところだ。俺達は教会を迂回し、フェンリスは回り道に気付いたとしても何も言わなかった。実際、彼はほとんど口を聞かなかった。カーヴァーは後部座席で出来る限り彼から離れて座り、彼の方に疑わしげな視線を向けていた。
「俺の狙いはダナリアスだけだ」フェンリスがようやく口を聞いた。
「それにやつが持っているかも知れない書類と。それ以外は皆、君に任せていいな?」
「もちろんだ」
俺は車を降りるとその屋敷の門を押し開けた。メリルとカーヴァーが俺のすぐ後に続き、俺達は正面玄関へと向かった。フェンリスは後ろでためらう様子で、今度は彼が俺達に疑わしげな視線を向けていた。私立探偵の流儀を見て貰おうか。
俺はしゃれたドアノッカーを掴んで続けざまに打ち鳴らした。ようやくドアが開いて、顔に見苦しい傷跡のある野郎が、聞き苦しい訛りで話し出した。
「なんが用が?」やつは俺達をじろりと見た。
俺はやつの顎を掌でぶっ叩き、頭が反り返ったところで膝を股間に叩き込んだ。どうだ、上手いもんだろう、ひょっとしたらボクシングで金が稼げるかもな。だけど俺は汚い手だって使う。父さんが教えてくれたのは、勝つことだ。俺達が遠くに行くまで立ち上がれない様に相手を叩きのめす。そもそも、カーキ色の制服連中は正々堂々と戦ったりしやしない。アポステイトは初戦で負けたら、そいつが引退戦だ。
「ああ、中に入れてくれないか」俺は床の上で呻く物体に声を掛けた。
カーヴァーはコルトを構え、メリルも彼女のパラソル剣を抜いた。フェンリスが一瞬後に俺達に合流し、彼もやはり銃を構えていた。
「君は素手で戦うのか?」彼は少しばかり驚いた様子で尋ねた。
「まあ、俺は銃は使わない」俺はさりげなく言った。
「割れた瓶や椅子まで馬鹿にする気はないがね」
「すると君にとっては、戦いは全て酒場の喧嘩か?」
「戦争よりはマシさ」と俺は答えた。
「ふん。その通りだ」
その屋敷の一階は荒れ果てていた。
「連中は、もう逃げ出したのかも知れんぞ」とカーヴァーがまた別の空き部屋に頭を突っ込みながら言った。
「いいや」フェンリスが唸り声を上げた。
「俺がこうも近くにいる間はあり得ない。ダナリアス!」彼はいきなり叫び、俺は飛び上がった。
「俺はここだ。出てこい!」
まるでその声に答えるかのように、床から煙が沸き上がってきた。
「まずいぞ、トリップ」カーヴァーが後ずさりしながら言った。
「魔法だ」フェンリスが嫌悪の念も露わに吐き捨てた。
床が盛り上がった。腐った肉とタールの臭いのする暗い影が俺達を取り囲み、その頭の真ん中に紫色の眼が一つ光っていた。俺はこいつらを悪夢の中で見たことがある。フェイドの生き物だ。カーヴァーの銃声が響き、シェイドは僅かに怯んだ。
「やり方を見せてやるよ、カーヴァー」俺は拳を掌に打ち付け魔法を呼び起こした。俺が両手を勢いよく放り出すと、シェイドは部屋の奥へ跳ね飛んだ。メリルがその隙に一歩前に出て、彼女の剣に雷光を閃かせ大きく弧を描いた。
俺は肩越しに振り返り、フェンリスが俺達の後方のシェイドから手を引き抜くのを見た。彼の顎の奇妙な紋様が明るく輝いていた――俺は同じ模様が彼の両手にもあることに気付いた。
なるほど、そういうことか。
そのことをじっくり考えている暇は無かった。さっきの攻撃で吹っ飛んだシェイドがまた集まってきた。俺は部屋の向こうにある椅子を心の手で掴み、やつらに向けて叩き付けた。カーヴァーはより旧式の方法で、つまり手を使って同じことをした。銃弾を打ち込んでも、やつらはふよふよと蠢くだけだった。俺達は結局やつらをどろどろのパルプになるまで叩きのめし、その悪臭と来たら酷いものだった。
スピリットが皆姿を消し、部屋が静まりかえった時フェンリスは俺達から少し離れた場所に立って、肩を丸め少しばかり前屈みの姿勢になっていた。
「あなたもメイジ?」メリルが明るい声で尋ねた。
彼は彼女の方に向き直り、まるで雷でも落ちそうな顔つきで歩み寄った。
「違う。俺は、メイジでは、ない。判ったか?」彼は彼女の頭の上から噛みつかんばかりの口調で言った。メリルは彼から身を逸らしたが、それほど恐がっている様には見えなかった。
「判ったわ、フェンリス。聞いて悪かったわね」彼女は帽子をはたいて、まだ同じ場所にあることを確かめた。
「当然の質問だと思うんだけど」彼女は小さく付け加えた。
「ダナリアスが送り込んだスピリットだ。来い」フェンリスは唸ると部屋から飛び出して行った。
「どうやら彼は兄貴の実演に感心しなかったようだぜ」カーヴァーが澄ました顔で言った。
「それかお前と同じで、馬鹿みたいに嫉妬したか」と俺は返した。
俺の軽口はさておき、俺はカーヴァーの言ってる事が正しいと思うしかなかった。他の連中が魔法を眼にして取り乱すのはいつものことだし、俺はそれに慣れているはずだ。どうして今度も同じように思えないんだ?
フェンリスは文字通り屋敷中を引き裂いて廻った。俺達はただ、彼がドアを蹴り開けては、また廊下に飛び出してくるのをついて回った。主寝室は二階にあってドアには鍵が掛かっていたが、フェンリスは錠前の周りに銃弾を数発撃ち込むというごく簡単な方法を使った。彼はドアを押し開け、俺達も彼に続いた。
「居ない」ひどく失望した声で彼は言った。一体彼は何をそんなに求めていたのかと俺は不思議に思った。
「ひょっとすると君の書類が残っているかも知れないぞ」と俺は言って、彼の横をすり抜けて棚の引き出しを開け始めた。ダナリアスが慌てて出て行ったのは間違い無い。逃げ出す前に荷物をまとめようとした痕跡すら伺えなかった。何もかも、きちんと棚に収まっていた。
だがそこにはパスポートも、書類も、何も無かった。
フェンリスは部屋の中央に立ち尽くしたまま、両手を幾度も握りしめてはまた開いていた。このダナリアスの話は、彼にとってとんでもなく重大な事に違いない。とはいえ今この場で彼にその話を聞くのが賢明だとは、俺には思えなかった。
「ねえ、煙の臭いがしない?」メリルが言った。
「君にそう言われて気がついたよ、ああ」俺達は顔を見合わせ、一団となって部屋から飛び出した。踊り場ではその臭いはずっと強く、下から足音のような音が響くのを聞いた。
「やつはまだここに居る!」フェンリスが怒鳴って真っ先に飛び出した。
俺は悪態を付き、階段の手すりを滑り降りて彼の後を追った。下の大部屋はどこもかしこも赤く輝き、その中央に赤く燃える溶岩の化け物が強烈な熱を放射していた。俺は思わず眼を細めると顔を背けた。そいつは玄関と俺達の間に居て、フェンリスの姿はどこにも見えなかった。
「スピリットよ!」メリルが叫んだ。
「氷だ、冷気を使え」俺は低い声で言った。
「どうやって?知らないわ」
「何だって?メイジはみんな元素魔法を知ってるだろう、自然の力なんだから」
「雷だって自然の一つよ、知ってるでしょう」まあ、まるきり効果がない訳では無いようだった。
俺は空気中から熱を吸い出して両手の中で氷の結晶を造り、その悪魔に投げつけた。やつは攻撃を受けてウゴウゴと巨体をよじった。父さんはサークルで覚えた魔法の使い方を一通り俺に伝授してくれたが、元素魔法は俺の得意技とは言えなかった。カーヴァーが椅子を化け物に投げつけたが、やつは燃えさかる触手を伸ばし、椅子は空中で煙を上げて爆散した。くそったれ。
窓のカーテンに火が付き、俺は煙で咳き込みながら眼に涙を浮かべた。
魔法の力も底を突きつつあった。肉体的な疲労とはちょっと違ったが、ひどい頭痛と眩暈、それに眼も霞んできた。悪酔いした時のようなものだ。俺は歯を食いしばり、更なる力と救いを与えるとブヨのようにやかましく騒ぎ立てるやつらの声を無視すると、最後の一滴まで力を振り絞った。
俺はやつに残った力を全て叩き込んだ。自分でも驚いたことに、悪魔の過熱した核が氷の燦めく層で覆われ、やつは動きを止めた。
そしてその真ん中を、輝くエルフの拳が打ち抜いた。悪魔はまるで風船のようにはじけ飛び、溢れだした中身が床の上でシューシューと蒸発していった。
フェンリスは指を曲げ伸ばしした後、一瞬俺と眼を合わせ、それから身を翻した。カーヴァーが俺の腕を取って支えてくれて――俺は頭がふらふらしていた――みんな袖口で口を覆いながら屋敷から逃げ出した。ともかく、俺の屋敷じゃない。焼け落ちようが知ったことか。
咳込みながら俺達は新鮮な空気の表へ転がり出た。俺は頭を振って何とかすっきりさせようとした。背中を壁に付けたフェンリスが、煙草に火を付けた。
「ダナリアスはどうやら逃げちまったようだな?」俺は咳の合間にそう言いながら、彼が約束した金を支払うだろうかと思った。書類も無ければマジスターも居なかった。脳みそをすり潰すまで働いた挙げ句にただ働き、ということになりそうだった。
「きりがないな」
フェンリスが顔をしかめて言った。
「俺は汚らしい魔法がが支配する土地から逃げ出したとたん、始終そいつに追い立てられる事になった。俺の肉体と魂に焼き付けられた疫病神だ」
俺は何も言わなかった。もっともちょっとばかりゼーゼーと音を立ててはいたが。彼は、実に演技掛かってドラマチックだった。カーヴァーですら俺に「やつはマジで言ってるのか?」という眼を向けた。多分これがテヴィンター風なんだろう。俺はてっきり、ドラマチックなのはオリージャンの専売特許だと思っていたんだが。
「その上今度は」彼は俺の顔を見た。「気がつけばメイジが仲間になっていたとはな」
「メイジだ、マジスターじゃないぞ」と俺は指摘した。
「その違いは機会の有無に過ぎない。ならば聞くが、君の魔法は何のためにある?何が目当てだ?」
俺は両腕を組んだ。俺はこいつを助けようとしたのに、この対応はどうだ?
「自由で有ることだ」俺は唸り声で言った。
「その立場を変えるつもりはない。言っておくがカーキ色の連中にペラペラ喋るつもりなら、俺にも考えがあるぞ」
「君を通報しようという意図は無い。君はメイジとしては上出来だ、俺にもそれくらいは判る」
「もし兄貴にケチを付けるんなら、俺が相手になってやるぜ」カーヴァーがそう言って、彼の顎をぐいと突き出し、怖じ気づいてなんかいないと見せようとした。
フェンリスは肩を落とした。
「俺は多分、恩知らずのように見えているだろうな」
「何も言うつもりはなかったがね、君がそう言うなら答えようか。その通りだ」
「そう見えるとしたら、すまなかった。そんなつもりは全く無い。俺はダナリアスを見つけられなかったが、君には借りが出来た」
驚いたことに、彼はポケットに手を突っ込むと硬貨を一握り、俺に渡した。数えはしなかったが確かに数枚の金色が見えた。
「あー、ありがとう」
俺はそう言って金を安全なポケットにしまい込んだ。後で幾らかメリルに渡そう。彼女はいつも断るんだが。フェンリスは煙草を落として足で踏みつけると、上着のポケットに手を差し込んだ。まるで彼が何か迷っているように見えて、俺は眉毛を上げて彼の顔を見た。
「君に助けの必要なこともあるだろう、その時は喜んで手助けさせて貰う」そう彼は切り出した。
「ほんの5分前、君は俺のことを非難してなかったか……つまり、魔法について。それで今度は俺を手伝うって?」
「君はダナリアスではない」
「随分回りくどい人ね」メリルはスカートの煤を払いながら穏やかに言った。
フェンリスは彼女に顔をしかめて続けた。
「君達にやつと似たところがあるかどうかは、これから判ることだ」
「それでそのダナリアスとやらは何者だ?君に一体何をした?」
「君がずっと見つめているこの紋様だ」と彼は言った。
俺は慌てて眼を逸らした。見つめていたとは気がつかなかった。俺の注意を引いたのはその紋様では無いことは言うまいと、俺は決心した。
「こいつはリリウムだ。ダナリアスが帝国に対する任務を果たすのに必要な力を与えるため、俺の肉体に焼き付けた。逃げ出したことでやつの面子が台無しになったのは間違い無い。やつらは今、いかなる手段を使ってもその貴重な投資を取り戻したがっている、例え俺の死体から剥ぎ取ってもな」
またもや俺は言葉を失った。今までそんな話は聞いたことさえ無い。考えれば考えるほど、恐ろしい発想だとしか思えなかった。生身の身体にリリウムを焼き付ける?ブラッド・マジックに匹敵するが、それよりも凄い。長期的に見れば、リリウムを直接摂取するよりは安上がりだろう。
とにかく、俺は何か言わなきゃいけなかった。幸運にも、俺の豊かな才能の一つが勝手に俺を喋らせた。
「完璧な肉体の何という無駄遣いだ」カーヴァーが妙な顔つきで俺を見て、俺は咳き込みそうになった。考え無しに喋るとこういう羽目になる。
フェンリスは思わず笑い出し、それから咳払いをした。
「まあ、そうだ。とにかく俺は、やつがこれをどうやって付けたのかは知らん。俺に判っているのは、それが想像も出来ないほどの痛みを引き起こしたことと、俺が最初の生存者だと言うことだけだ。やつの操り人形になる前の人生については俺は何も覚えていない。
それからやつらは、俺を連中の役に立つ道具に仕立て上げた。武器として、力の源として。俺自身の意志とは何の関係も無く、やつらは俺に誰かを殺させることが出来た。そして俺はそうした、何の疑問も持たずに」
「じゃあ、俺が君に誰かを暗殺してくれと頼んだ時は、なるたけ俺に疑問を投げるようにしてくれ。そんときは俺は正気を失ってるかも知れないからな」
まだ失っていないとしたら。あるいはそうかも知れなかった。俺は彼に名刺を手渡した。
「俺の仕事場はここだ。君の滞在場所が決まったらここを訪ねるか、俺に知らせてくれ」
「ほら、窓から炎が見えるわ」メリルが言った。
「すごく綺麗ね」
「ずらかった方が良さそうだ」とカーヴァーが付け加えた。俺もそう思った。俺達がメリルの車に身体を詰め込む間に、フェンリスは彼の頭を下げて影の中へと姿を消した。
「完璧な肉体の無駄遣い?」カーヴァーが何食わぬ顔で言った。
「黙ってろ、カーヴァー」俺はとてつもない頭痛が押し寄せるのを感じた。
Notes:
- トウモロコシを主原料とする蒸留酒。当時は熟成すること無く、そのまま樽詰めにして出荷されたという。確かに不味そうだ。 ↩