16.メレディス、ブラッドマジックについて語る

「何か俺に用があったのか?」とフェンリスが階上に現れると尋ねた。彼はコートと帽子を脱いだ姿で、煙草が指の間で煙を上げていた。

「いいや、今のところは。ただ立ち寄っただけだ」俺は肩を竦めた。
「たまたまこの辺に来たからな」

彼が不思議に思ったとしても、表情には出さなかった。彼は頷いて俺に上がるよう手を振った。

改めて、俺は彼の私物の少なさ、というか無いことに驚いた。今日は少なくとも窓を開けていて、部屋には明るい昼下がりの光が差し込んでいたが、しかし部屋の中には本も絵も何も無く、ただベッドの下に替えの靴一足と、コートと帽子が椅子の背に掛けてあるだけだった。

「誰もまだ君を放り出しには来てないか?」好奇心に駆られて、彼が暖炉の側のテーブルに着くのを見ながら俺は尋ねた。テーブルの上には食べ残しが少し残った皿があり、俺は台所にはまた別の暖炉があって、彼はそっちには火を入れて居ないのだろうと想像した。俺の家よりは立派な設備だな、ともかく。

フェンリスは彼の銃をテーブルの上に出してそれらを分解しては掃除し、組み立てなおしていた。彼がそうしたければ真っ暗闇の中でもやれる、そういう感じの素早く効率的な動作だった。部屋中に微かなオイルの匂いが漂っていた。

「何回か来た」彼は微かな笑みを浮かべながら言った。
「警官やそういった連中が。足音が聞こえたら、俺は裏口から出て連中が居なくなってから戻る」

実際、彼自身を除けば誰もここに人が住んでいるなどと思わないだろう。俺は上着と帽子を脱いで、棚の上に放り上げると、その部屋で一つだけ残った椅子に座った。
「だが、いずれ誰かがここを修繕しに来るんじゃないのか?」と俺は聞いた。

「そうなればその時に考える。俺はここが気に入っている」

「ギャムレンと一緒に住むよりはマシだな」俺は渋々認めた。

俺達はしばらく黙ったまま座っていた。
「今日の新聞は見たか?」と俺は聞いた。

「いや」

「ああ、まあ、アヴェリンは病院に居る」彼は一瞬手を止めると俺の方を見つめた。俺は慌てて彼に言った。
「彼女はすぐに良くなるさ。肋骨を折ったのとちょっとした怪我だけだから」
それから俺は彼に全部の話を語って聞かせた。ともかく、大部分を。ジェサンのことや、俺についても彼の知る必要の無い事柄が幾つかあった。彼は俺の話が済むまで、淡々と作業を続けながら黙って聞いていた。

「エメリックが彼の言葉を守ると思うか?」と彼は尋ねた。

俺は驚いて彼の顔を見た。俺は彼がブラッド・マジックへの批判弾劾を始めると半ば以上予想していた。多分、またそのうち始めるだろう。だが彼が最初に尋ねたのは、俺の自由に関する心配事だった。俺はちょっとばかり感動した。

「彼が退院するまではっきりしたことは判らないが、俺はそう思う。彼は約束を違えない男だ」

フェンリスは顔をしかめ、彼のリボルバーの弾倉を見おろしながら目を細めた。
「君は人を簡単に信用しすぎる。その男はテンプラーで、君はアポステイトだ。彼の一生は君のような人々を狩り立てることに、費やされてきた」彼は顔を上げ、俺の目を見た。
「君の父親は間違い無く、そのことを君に教えたはずだ」

「俺はただ人を信用したりしないぞ、フェンリス。そいつに関する直感というか、勘に従ってる。そうしなかったら俺は誰も信じられず、一人の友人も居ない怯えた偏執症患者になるだろうよ」

「なるほど」

「だから俺は君を信じた」と俺は付け加えた。
「君だって判ってるだろう、およそその件で君が無難な人物だったとは思えないぜ」

彼はすぐには何も言わなかった。
「俺がそこに居られなくて残念だった」しばらくして彼はそう言った。

「俺も君が居なくて残念だ」と俺は言った。
「君を捕まえるのはなかなか大変だからな」

フェンリスは難しい顔をして、また部屋の中に沈黙が訪れた。彼はどうやらブラッドメイジの件を忘れてしまったようだった、ともかく今のところは。フェンリスの手は素早く動き、俺は彼の、リリウムが絡み合う細い指が武器の上で踊るのを眺めていた。彼のやることなすこと、全てが魅力的だった。ところで彼は他に何をしているのだろうか、と俺はふと考えていた。まさかに一日中銃を磨いているわけじゃあるまいし。

「ちょっと聞いてもいいか?」と俺は言った。
「君が帝国のために働いていた時だが」彼の眼は手元からちらりと上がったが、手は作業を止めなかった。
「君が人々を殺しているか、あるいはリリウム蓄電池として働いていない時には、一体何をしていたんだ?あーつまり、趣味とか、他の仕事とか?」

彼は手を止めた。

彼は手の中にあるリボルバーを見おろし、それから静かにそれをテーブルの上に戻した。彼は硬く手を握りしめ、張りつめた声で答えた。
「それを聞いてどうする?君には、生活がある、人生がある。俺はただ歩いてきた。今もそうだ。街をうろつく時は、俺の弾避けになる人々を探しながら歩く。建物に入れば逃げ道を確保する。俺の触れる物全てが武器に変わる。もしそうしなければ、ダナリアスが俺を連れ戻り、そしてもう二度と逃がしはしないだろう」

「そんなこと分かるもんか。君の後を友達が追いかけて、連れ戻すさ」俺は断言した。

フェンリスはあんまり驚いて、ほとんど笑い出しそうな表情になった。
「君か?」彼は疑わしげに言った。
「テヴィンター帝国に立ち向かい、秘密情報局を相手にするというのか?俺のために?」

「もし必要ならメイカー自身の顔にストレートをぶち込んでやってもいいぞ」俺は本気だった。フェンリスは、不可思議な表情で俺の顔をじっと見つめていた。こんな表情をする彼を見るのは初めてだと、俺は思った。
「それに俺はメイジだ、君がそう言ったろう?奇跡を起こす男だぞ」

「君は」フェンリスはゆっくりと言った。
「君なら、そうするかもしれない。少なくともやってみようとはするだろうな。そして、周りの全員を一緒に引きずって行く」
フェンリスはそう言うと、俺の顔を考え込むように見た。
「彼らは、君に迷うこと無く付いていくだろう、トリップ。君には他の人々を従わせる何かがある」

「よしてくれ、そう思ってやっている訳じゃ無い」

「分かっている」彼は微かな笑みを浮かべて、俺の少しばかりの抗議を遮った。
「君をダナリアスと一緒にしたりはしない」そう言うと彼は再び銃を取り上げ、弾を詰め始めた。

「もし俺がそのクソ野郎と会ったら、間違い無く痛い目に遭わせてやる」

「やつのことは話したくない」彼は短く言った。
「それで、俺は何をすればいい?」

「うん?たった今の話か?」極めて不適切かつ不穏当な事柄が、幾つか俺の心を過ぎった。

「そう、これの代わりに」と彼はテーブルの上を指し示した。

「何もしないか、銃の手入れかというのも俺はどうかと思うぜ。俺に考えがある。夕食を食べに来ないか」

「君の家にか?」彼は驚いた顔で俺を見つめた。

「他のどの家に招待するっていうんだ?他の皆は少なくとも一度は来てるぜ、メリルはヒューマン風料理を気に入ったようには見えなかったが、君はそんな事もないだろう。彼女はまるで小鳥くらいの量しか食べなかった」と俺は言った。

「君の母親が反対しないか?」

「どうして?」

「彼女に良い第一印象を与えたとは俺には思えないが」

「ならなおさらだ、良い第二印象を与えるためにも。信じてくれ、もし母さんが俺に青あざを作ったやつみんなに悪い印象を持っていたら、カーヴァーは今頃通りに放り出されているだろうよ。母さんは君のことが好きだ」まあ、ちょっとばかり大げさに言っても悪くは無いだろう。
「何時なら都合が良いか知らせてくれたら良い」そうすれば、アンダースと鉢合わせしないように出来るだろう。フェンリスには楽しい夕食の経験になって欲しかった。

「俺は……」彼は少しばかり戸惑ったように笑った。
「ありがとう、トリップ」

「君にも、ありがとう」俺はごく真面目な顔付きで言った。

「なぜ君が俺に感謝する?」

「なぜって、俺の気分を良くしてくれたからさ」俺は彼に笑いかけた。
「少なくとも、俺がまるっきりの役立たずじゃあないって思い出させてくれた。君の言った通りだ。人々は、俺の後に付いてくる。それで昨日は、俺の友達を――まあ、さっき話したようなことになった。もしエメリックがああ言ってくれなかったら――どうなっていたか、俺には分からない。遊んでる場合じゃ無いのは確かだろうな」

フェンリスは手入れに使ったボロ布やマシン油をまとめ始めた。
「もしそうだったら、君はどうしていた?」と彼は尋ねた。

「多分カーヴァーにアヴェリンを抱えるように言って、俺はエメリックを引きずって入口から逃げ出したか。その場で死んでた訳じゃない、何とかなったろう。だがもっと怪我人が出ただろうな」

「そのテンプラーを口止めすることだって出来たはずだ。前にも殺しているのだろう」

「殺しは無し、が俺の主義だぜ、フェンリス。忘れたのか?」

「すると君は、いかなる状況下でも妥協はしないというのか?俺には、理解出来ない」
フェンリスは理解しようとするように、俺の顔をじっと見つめていた。

「まあ、俺はメイジになろうと願った訳じゃないが、そうで有る以上責任は取らなきゃいけない。自分で決めたルールに妥協するのは弱さの表れだ。その弱さにディーモンは付け込む」

「テヴィンターでは」フェンリスはゆっくりと考え込むように言った。
「ディーモンは帝国に仕えていると言って良かった。マジスター共はやつらをわざと召還していた」

「危なくないのか?つまり、ディーモンがマジスターの身体を乗っ取ってアボミネーションにしないって保証は無いだろう」

「もちろんそうだ。いつもの事だ。もしあるマジスターが失敗すれば、やつは明らかに弱かったのだから、つまりその地位には相応しく無かったということになる。もし彼の周囲の人々がその途中で死んだとしても、問題にはならない、何しろマジスターになりたいやつも、そいつに追従するやつも、テヴィンターには腐るほど居るからな」

「滅茶苦茶だな」

「古の帝国がどうだったのかは知らないが、とにかく、今はそうだ。俺は今まで、ディーモンを召還し使役するのは、メイジの意志と力の強さを示す名誉の証だと連中が言うのを信じていた」
彼は俺の目をじっと見つめた。
「君に会ってから、俺にはそうは思えなくなってきた」

「ありがとう、フェンリス。君に信頼して貰えて、これほど嬉しいことはない」俺は彼に笑いかけた。

彼は視線を逸らせて咳払いをした。
「すると、君はディーモンに誘惑されたことは無いのか?」

「俺が困ったことになったら何時でもやつらは仕掛けてくるさ。だから、しょっちゅうだ」

「俺が聞きたかったのは――」

「分かってる、君の聞きたいことは。やつらが成功したことがあるか知りたい、そうだな。一度だけ。俺が12歳頃の話だ。俺自身でも死ぬほど怖かったさ」

牛の悲痛な鳴き声、焼け焦げた牧草、ショットガンを掴んだ俺の手は焼け付くように痛んだ。

「ふん」俺は眼を閉じると眉間をつまんだ。

「済まない。君の気を悪くさせるつもりは無かった。結局のところ俺は客人をもてなすには向いていないということだろうな」

俺はニヤッと笑って見せたが、彼には陰気な面に見えたかも知れない。
「まあ、君のお陰で嫌な事から気が紛れたよ」

「俺は客をもてなす主人役の経験が豊富とは言えない。あるいは友人でもな」とフェンリスが少しばかり残念そうに言った。

「その内こつが分かるようになるさ、フェンリス」

「そうだ、下に紅茶があった。君も飲むか?」

「ほらな、大して難しいことじゃ無い。母さんが俺を元気付けようって時もそうするんだ。ひょっとすると紅茶にフラップジャック 1、それと肩を抱きしめるのも一緒かも知れないが」

フェンリスは心配そうに眉をひそめた。
「俺はその……フラップジャックは作れない」

彼の思いもよらないほど決まり悪げな表情に、俺はクスリと笑った。
「紅茶で充分だ。ありがとう」

俺は彼の足音が静かに階下に降りていくのを聞きながら、椅子に背を持たせかけた。


俺は目を覚まし、フェンリスの家の向かいの壁に反射して部屋を暖かな黄金色に染める午後の陽射しに気が付いた。フェンリス自身の姿はどこにも見えなかった。俺は首をボキッと鳴らして、テーブルの俺の前に置かれた冷めた紅茶のマグカップを手に取った。フェンリスは俺のコートを俺の上に掛け、肩の周りにたくし込んでくれていた。俺は思わず顔をほころばせた。

「大した主人役ぶりだ」と俺は呟いた。俺はそれからあくびをしながら大きく伸びをして、帽子を手に取った。フェンリスが居ない以上、ここに長居する理由は無かった。

俺が家に戻った時、カーヴァーは俺の椅子に座って俺の漫画本を読んでいた。母さんは俺がカーヴァーを席から追い出す物音を聞きつけたか、不思議そうな表情で部屋に入って来た。

「ここに居たのね、トリップ」

「俺を探してたの、母さん?」と俺は聞いた。

「いいえ、だけどこの間のエルフが午前中に来たわ。フェンリスって人。とても丁寧に、夕食に招待を受けたが、奥様は構いませんでしょうかって尋ねに来たのよ」

ダブルチェックを怠らないとは、いかにもフェンリスらしい。
「母さんが構わないって言ってくれてたら良いんだが」

「まあ、もちろんよ。あなたのお友達なら何時でも歓迎するって知ってるでしょう。それからあなたがどこに居るのか知ってるかって聞いたら、穏やかに寝ているって言ってたわ」

「穏やかにねえ?あの椅子で彼が寝ているところを見てみたい物だ」俺はそう言うと漫画本をまとめて積み上げた。その内に、キャビネットに仕舞っておこう。今のペースじゃあ、俺の仕事の書類がいっぱいになるには当分掛かりそうだ。
「それで、彼は今晩来るって言ってた?」

「ええ、そうするって」

俺は拳を握りしめた。
「やった!ようやく一歩前進だ。彼はテヴィンターから来たんだ」と俺は母さんに説明した。
「友達を作るのに慣れてないようでね」

「それなら」母さんは俺に笑いかけた。「あなたより良い友達を見つけるのは難しいわね」
そう言うと彼女は振り向いて部屋を出て行きながら、思いだしたように言った。
「ああ、それとアンダースが子猫を取りに来たわ。全部診療所で飼うより、ちゃんと別の飼い主を見つけるようにするって言ってたけど」
母さんと俺は視線を交わした。多分そう言いながら全部飼うんだろう、そういう気がする。少なくとも今夜は新しいペットのお陰で、彼も忙しいだろう。

俺はだらだらと仕事場で時間を潰し、一分ごとに玄関ドアを見て、それから時計を見て過ごした。それでフェンリスが現れるのが速くなる訳では無いことくらい分かっていたが。

だが彼はとうとうやって来た。しかも、紙袋にくるんだワインを一本持って。

「一体どこでこれを手に入れた?」俺はそのワインを手にとって、ラベルを確かめながら言った。

「あの屋敷の地下にワインセラーがあった。結構なコレクショ――」とフェンリスは言いかけた。

「しーっ!そいつは黙ってろ。単に警官に見つかるとやばいだけじゃないぞ。もしその知らせが広まったら最後、君は知り合い全部をもてなすことになる」

フェンリスは面白がっているようだった。俺は台所に行って母さんにボトルを見せながら客が来たことを伝えた。俺が仕事場に戻った時、フェンリスは後ろめたそうな表情で、慌てて机の上に積んであった漫画本の一冊をパタンと閉じた。

「好きなのを持って行ってくれて構わないぜ」俺は彼にそう言った。
「そこにあるのは、もう全部読んじまったから」

彼は難しい顔をしてうつむき、俺は首をひねった。俺は何か変なことを言ったか?

「持って行って、どうすれば良い?」と彼はしばらくして尋ねた。

「うん?読むとか?気に入らなかったら無理に持って帰ることはないぜ、別に俺のお気に入りの作家というわけでもないしな。ただ君が興味ありそうだったから」と俺は言った。

「俺は、読んでみたい」とフェンリスは頭を低く垂れ、低い声で言った。
「だがどうすれば良いのか分からない」

「は?」

「何冊か貰っていこう」彼は決心したように言った。俺には、何故それがそんな大ごとになるのかよく判らなかった。多分、彼は何かを人から貰うというのに慣れていないのだろう。彼には何かプレゼントを贈ろうと、俺は思った。買えるようになったら。

俺は母さんがテーブルの支度を調える音と、カーヴァーがワインについて尋ねる声を聞いた。誰かがもうすぐ俺達を呼びに来るだろう。

それはよりによってギャムレンだった。彼は仕事場に頭を突っ込むと、どうにか笑顔らしいものを作った。
「ほら、来いよ、メシが冷めちまうぞ。それにワインも無くなっちまう。お前もようやく役に立つ友達を作ったようだな、トリップ。他の連中と来たらワインどころか子猫を持って来やがる」

「ああ、分かってるよ。フェンリス、叔父のギャムレンだ。叔父貴、彼はフェンリス」

俺達はアパートの奥に入り、俺は背後でフェンリスが静かに「ありがとう」と言うのを聞いた。

Notes:

  1. オーツ麦にバター沢山と砂糖、糖蜜などを加えて焼いたクッキー。切り分ければ今風のシリアル・バーになる。イギリスの伝統的な菓子。
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16.メレディス、ブラッドマジックについて語る への3件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    フェンリス 可 愛 い ぞ

    ああフェンリスにドラゴンボールとか
    ナルトとかブリーチとか銀魂とかHUNTERXHUNTER
    とかワンピースとかハガレンとか与えて
    漫画漬けにしてやりたいwwwww

  2. Laffy のコメント:

    フェンリスがねえ、可愛いのよಠ_ಠ
    手取り足取り、じゃなかった口元をじっと見つめながらホークが読み方を教えますよっと。

  3. EMANON のコメント:

    だからwやめてwその顔w

    いっそそこは手取り腰取り…

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