18.スタークヘイブンでサークル大火

俺が下町に戻る頃には、そろそろ日も暮れかけていた。普通ならハングド・マンが賑わい出すにはまだちょっと早い時分のはずだったが、俺が着いた時には既に客で溢れかえっていた。入り口には普段の倍の用心棒が立ち、普段ならおかわりを注文するとき以外はグラスから顔も上げないような常連客の間にさえ、どことなく興奮した雰囲気が漂っていた。

この騒ぎの理由はすぐに判った。従業員が数名、入ってすぐの所にある、その週の出し物を張り出す掲示板でポスターを貼り替えていた。
『エキゾチック、そして情熱的。歌姫ミミ・ラ・ルゥー、今夜登場!アンティーヴァでの大成功ツアーからカークウォールへ!』

俺は流行の歌手に詳しいという訳じゃ無かったが、その名前には何となく聞き覚えがあった。もしヴァリックでも居れば聞いてみたところだが、あいにく彼が来るにはまだ早い時間だった。

俺はイザベラが見つけづらいことは予想していなかった。およそ彼女は、どこか人に見えにくい所にひっそりと引きこもって人を待つようなタイプの女じゃあ無い。だが、あたりをざっと見廻しても彼女の姿は見えなかった。俺はバーに近寄り、バーテンダーに俺宛に何か伝言が無かったかと聞いてみた。バーテンダーが伝言を頼むのにあまり信用出来るとも思えなかったが、他にいい考えもなかった。

驚いたことに、彼は確かに俺宛の伝言を預かっていた。

「ミミがお待ちかねだ」とバーテンダーはぶっきらぼうに言った。
「3番控室」

俺は何も言わずにその場を去った。ハングド・マンでショウをやっている舞台は二つあって、3番控室は大きい舞台の方の楽屋裏にあったが、俺は今まで一度も楽屋裏に入ったことが無かった。あたりは実に静かだった。楽隊もまだ到着していないのだろう。

控室は便所の個室のように俺には見えた。扉には番号が殴り書きされていた。俺は3番の扉をノックした。

「あんん?だあれ?」

「トリップ・ホークです」

「入って、入って。開いてるわよ」
ここの扉には、最初から鍵など付いていなかったに違いない。

Red-cannasそこの控室は物置と大差無い大きさだったが、それでもハングド・マンの従業員は新しい歌姫に歓迎の意を示すため多少の努力はしたようだった。色鮮やかなシルク・スクリーン印刷のポスター 1 が部屋の隅に飾られ、テーブルの上には花瓶に入った大きな花束があった。そして誰かが部屋の掃除もしたようだ――少なくとも、部屋の隅にネズミの糞は見当たらなかった。

そして俺は、部屋の中で頭を傾けて、ハングド・マンで最上のカクテルを一息に飲み干しながら俺の方に気取って微笑みかけるイザベラの姿を見ても、実際それほど驚きはしなかった。彼女はシルクの洒落たガウンを着ていたが、それ以外に身に付けている物はないようだった。俺は扉を後ろ手で占めるとそこにもたれ掛かった。一歩でも前に出れば、この狭い部屋の中では彼女にあまりにも近寄りすぎることになった。

「ああ、ソフト帽を被った騎士様のご到着ね。何か良い知らせ?」

俺は頷いた。
「ヘイダーのホテルと、部屋番号が分かりました。彼を今日の午後一杯付け回しましてね。彼が何をしていたかお判りですか?」

「あらあ、焦らすのはよしてよ」

「やつはあなたを探しています」

彼女の笑みが消えた。
「ったく、連中と来たらあたしが思っていたよりずっと手が早いわ。カスティロンが彼に、イザベラはここにいると知らせたに違いない」

「恐らくは」俺はまだ彼女の話に確信が持てないでいた。
「やつに電話を掛けましたよ」

彼女は俺の顔を鋭く見つめた。
「何て言ったの?」

「大したことは。彼があなたと話したがっていると言っていました。それに、あなたもきっと彼と話したいはずだと」

「ふん、はったりよ。あたしは話することなんか無いの」と言うと彼女は髪を後ろに投げ上げた。

「俺はただのメッセンジャーですよ。それで、彼は大聖堂前広場で夕方6時に会いたいと言っていました」

彼女は一瞬考え込むようだったが、やがて笑顔を見せた。
「あなた頭が良いわね。今何時かしら?」彼女はテーブルの上に出しっ放しの男物の懐中時計を見やった。彼女の物かどうかは怪しい物だ。
「急いだ方が良さそう。彼が6時にどこに居るか分かった訳だから、その間に彼の部屋に忍び込んで書類を探しましょう」

彼女は部屋の片隅に立てかけたスクリーンの後ろへ回りながらちらりと笑顔を閃かせて言った。
「二分で支度するわ」

俺は彼女がローブを脱いでスクリーンの上に引っかけるのを見て慌てて反対側の壁を向き、腕を組んで衣擦れの音を無視しようと試みた。スクリーンを再び開けた音に俺が振り向くと、彼女はまたもや新しい、かなりきわどいドレスに身を包み、鏡の方を向いて髪を整えると時計を手に取り、煙草に火を付けた。

「車はあるかしら、トリップ?」

「残念ながらその件に関しては、ご期待には添えないようです」

「あら、まあ良いわ、後で埋め合わせはして下さるでしょ。ケーブルカーも楽しいものだしね。カーブを曲がる時には、ありとあらゆる人達とお近づきになれるし」
そう言って彼女はウインクした。

俺はニヤリと笑った。彼女に掛かれば、物事は何でも簡単になるようだ。

ケーブルカーはほとんど空で、上町に戻る道中イザベラは誰ともお近づきになならなかった。彼女は俺に目立つ建物や何やらを説明させ、あたりの景色を見渡して、まるで休日の観光客のようだった。彼女は行く先々で男達の注意を引き、そしてそれを楽しんでいた。多分、これが今時の『現代風な女性』というやつなんだろう。フラッパーとか言ったか。俺は、メリルが彼女のことをどう思うか聞いてみたくなった。

彼女が俺の腕を取ってホテルの玄関に近付いたとき、大聖堂の鐘が遠くから6時15分前の時鐘を打つのが聞こえた。

「それで、どうするんです?鍵をこじ開けるとか?」
ドアマンが俺達に礼をして扉を開け、通り過ぎながら俺は彼女に尋ねた。ドアマンの視線は歩き去る彼女の大きく開いた背中に釘付けだった。

「そんなの面白く無いじゃない?」とイザベラは言った。
「人相手に遊べる時に、どうして機械と格闘しなくちゃいけないの?」

唐突に、俺は自分の着古した安っぽいスーツが気になり始めた。リッツホテルの従業員達でさえ、俺達をどう扱って良いのか計りかねているようだった。イザベラはいかにも慣れた風で振る舞っていて、連中も即座に俺達を追い出そうとはしなかったが、明らかに彼らが普段奉仕している常連客の類とは違って見えただろう。ロビーと接する大宴会場からはワルツが漏れ聞こえ、中年のドワーフ夫妻が中に入った時、中の煌びやかなシャンデリアと純白のテーブルクロスが俺の眼に入った。

「まだちょっと早いわね」とイザベラが言った。
「先にバーに寄りましょう」

「ここはハングド・マンじゃないですよ」と俺は彼女に警告した。
「ソーダ水以上の飲み物は、ここじゃあどうやっても出て来ません」

彼女はバーのスツールに腰を掛けながらため息を付いた。
「ほんとにもう、一体フリー・マーチズの連中ったら何を考えているの。お酒を追放する、ですって?不自然よ。クナリでさえこんな馬鹿な事はやってないわ」
彼女は不機嫌な顔で二人分のソーダ割りジュースを注文し、ヘイダーの部屋に付けを廻した。

俺達がそのジュースを飲むことは結局無かった。彼女はウェイトレスが注文を持って来た時もまだ禁酒法についてぶつくさと不平を言っていて、彼女の振り上げた腕が背の高いグラスに命中し、中身を全部カーペットの上にぶちまけた。

「ああ、なんてことかしら!本当にごめんなさい」彼女は大きく目を見開いてバーテンダーに謝罪し、倒してしまった分の代金を払うと言ってその若い男を困らせた。若いエルフ娘がそそくさとモップを持って現れ、イザベラは彼女にも謝ってチップを手渡した。エルフ娘は大いに感謝し、俺は少しばかり混乱して彼女の行動を見ていた。
それからイザベラは俺の腕を取り、俺達はゆったりとした足取りでバーを出た。廊下に出ると彼女は洗練された仕草で部屋の鍵を取り出すと、良く通る声で言った。
「さっきのドリンクがドレスに掛かってしまったの。ディナーの前に着替えたいわ」

俺達はエレベーターの中では沈黙を保った。きっとエレベーターボーイは俺達が喧嘩したと思ったのだろう、彼はヘイダーの泊まっている階で降りた俺に向かって同情に満ちた視線を向けた。

「ここのホテルは、フロントデスクの後ろに全部の鍵をダイアモンドのように大事にしまい込んでるけどね、掃除人達は複製の鍵を持って歩いてるのよ」彼女はそういうと鍵束を振って見せた。
「これでちょっとした騒ぎを起こせると思わない?」

「あなたを騒ぎから守るために、ここに来たと思いましたがね?」

「ま、つまんない人ね。いいわ、今ちょうど6時よ。ヘイダーの部屋に何があるか、見てみましょう」

そして、ヘイダーの部屋にはヘイダーが居た。

彼の側にはボディーガードが立っていて、俺達が部屋に入るや否や更に数名の男達が隣の部屋から現れた。実に良く出来た仕掛け罠だ。

「ああ、イザベラ、時間通りだな」とヘイダーは俺をちらりと見て言った。
「そして君は、電話を掛けてきた名無しの男に違いないな?」

俺は軽く頷いて見せた。

「いいわ、あなたにしては上出来ね。さっさと言うことを言ったらどう?」
片手を軽く腰に当ててイザベラが言った。

「君の動きは予想していたよ、お嬢さん。私が何を言いたいのか判るはずだ。処方箋はどこだ?」

「持ってないわ。失くしたの」彼女はヘイダーを睨み付け、歯の間から押し出すようにそう言った。

「処方箋?」俺は聞いた。

ヘイダーは俺に向けてニヤリと笑った。
「おや、可愛いイザベラは君には何も言ってなかったのかな?何故隠す、イザベラ?」

彼女はため息をついた。
「まあね、昔カスティロンのために仕事をしていた時の話よ。それだけ」
そう言うと、彼女はヘイダーに向けて目を細めた。

「それだけじゃないだろう。お前は彼の貨物を無くした」
ヘイダーは彼女に向けて指を折って見せた。
「それから、あの処方箋を盗み、そして消えた。カスティロンは、彼の所有物の正当な権利を主張しているだけだ」

「盗品の合法的な所有権ね」俺は面白くなって言った。
「それで、カスティロンは本当に君の夫か?」

ヘイダーはそれを聞いて大声で笑い出した。
「はっは、これは愉快なお話だ。イザベラの夫はとうに死んでいるさ、彼女の言葉に踊らされた多くの男達と同様にな」
俺はその言葉に潜む警告の響きを、確かに聞き取った。

「あたしはやつを殺してなんかいない!」とイザベラは抗議した。

「お前の薄汚い過去はどうでも良い。処方箋はどこへやった?」

「言ったでしょ。無くしたの。カスティロンはあれ無しでやって貰うしかないわね」

「無くした?お前が護衛するはずだった男の様にか?」

「護衛?笑わせないでよ、あれは誘拐でしょ!」

「あれには一財産の価値があったんだぞ!それをお前はどこかへやっちまった。お前はカスティロンの顔に泥を塗ったんだ」

「やつの顔がどう見えようと、あたしの知ったことか」

「そして今度は処方箋も無くした。それを聞けば、カスティロンは大いに機嫌を損ねるだろうな」

「さてね、少なくとも俺の口からは聞かないだろうぜ」と俺は口を挟んだ。

「もちろんだとも」彼は行儀良く頭を傾けた。
「君は、もう帰ってくれて構わないぞ」

俺はイザベラに肩を竦めてみせると扉の方へ向かった。護衛達は俺のために道を開けた。
ふん、ど素人め。俺は扉の両側に立っている男の右顎を殴りつけ、銃を取り出そうとした二人目の土手っ腹に膝を叩き込み、手首をねじり上げて銃を手から放させた。銃声が背後の室内から一発聞こえたが、すぐ静かになった。

俺が振り向いた時、ヘイダーはやつの椅子に倒れ込み、彼のボディーガードは床に横たわっていた。銃を撃ったのはやつのようで、まだ硝煙の匂いが漂っていた。二人とも、首に投げナイフが突き刺さっていた。

イザベラは連中の方へ歩み寄ると、俺が見つめる中ナイフをやつらの身体から回収して、スカートの裾をめくり上げると太腿のガーターに付けた鞘へと戻した。俺は彼女の褐色の太腿に目を奪われたが、しかしそこに鞘が3つ有るのはちゃんと見て取った。恐らく、右腿にも同じセットがあるんだろう。

彼女はにっこり笑うと、扉の前の俺のところへやってきた。
「あなた頭良いわね、てっきりあたしを売って出てくのかと思った」彼女は俺の手を掴むと廊下へと引きずり出した。
「さっさと逃げましょう。警備係がいつやってきてもおかしくないわ」

俺にも異論はなかった。俺が叩きのめした連中は生きているが、ヘイダーもそうだとは思えなかった。

俺達はエレベーターを無視して、非常口から階段を駆け下りた。イザベラのハイヒールが剥き出しの鉄階段に高い音を立てた。ほとんど地階に辿り着いたところで、下の宴会場ではちょうどダンスが始まったところだった。イザベラが俺を引き寄せて止めた。

「ここらで充分ね」と彼女は白い歯を見せて笑い、少しばかり息を切らしていた。
「お楽しみはこれからよ。あなたはどう思って?」

彼女は両腕を俺の首に回して、唇にキスをした。俺は心底驚いた、という訳でも無かった。彼女の煙草と香水の匂いと、滑らかな唇が語る暗黙の約束が、まるで外国のワインの様に俺の頭にガツンと来た。

彼女は今まで可愛がったことのある女とは別格だった。俺は両手を彼女の背中に回し、秋の夕暮れの冷気を肌に感じて――あるいは、俺の手のせいか――彼女の背中に鳥肌を立てさせた。イザベラは更に俺に身体を押しつけ、温かな重みが俺にのし掛かって、背中の冷たい鉄柵に俺はもたれ掛かった。

猫のようにしな垂れかかり俺の脇腹を撫でる彼女に、俺は膝がふらつくのを感じていた。俺達は互いの口の中に攻め入る権利を争い、彼女が立てる小さな喉声が俺の頭を素通りして背骨を駆け下った。もしもうちょっとだけ長く彼女と寄り添って居たら、俺の身体は公の場ではちょっとばかり拙い状態になっていただろうな。

数人の男達が駆け下りてきた時、俺はそもそも何だってここでこうしているのか、ほとんど忘れかけていた。

イザベラは慌てて身を離すと男達から顔を背け、いかにも上品な悲鳴を上げた。俺は一気に気分が醒めるのを感じた。

「ここには誰も来ないって、あなた言ったじゃない!」と彼女は俺を責めるように言ったとき、彼らがちょうど俺達の側を急ぎ足で通り過ぎていった。
「これで2回目よ。一体ここの非常階段はどうなってるの?」

俺は肩を竦めてニヤッと笑った。
「多分、火事でもあったんじゃないかな?」

彼女は声を立てて笑い、俺の腕を取った。
「面白い人ね。中に入りましょ、寒くなってきたわ」彼女はそう言うと腕を抱き寄せた。
「それに、キスも悪くないわね」と彼女は低い声で付け加えた。

「他にも上手に出来ることはあるぜ、試してみないか」と俺は囁いた。

「おおう、そうしましょ」

俺達は無駄話をしながらダンスをする客達の間を通り抜け、ロビーへと向かった。

「あらあ、なんて可愛らしいコート。玄関で待っててちょうだい」とイザベラは言うと、ふらりと群衆の間をすり抜けていった。

彼女と再び合流した時、彼女がその『可愛らしい』白貂の毛皮のコートを着ていたのを見ても俺は特別驚かなかった。
「サイズもぴったりよ」と彼女は嬉しげに言った。正面玄関に警察の車が止まり、フロア・マネージャーが降り立った警官の方へと飛んで行くのが見えた。彼の顔は如何にも不幸そうだった。気の毒に。殺人があったなんてバレたら、商売に差し支えるだろう。

「あなたの人生はいつもこんなにエキサイティングなの?」と彼女は再び俺の腕を取って尋ねた。

「まあ、そんなところだね、実際のところ。君の方は?」

「いつもじゃあ無いわね、だけど努力はしてるわ」

「本当に君はその処方箋とやらを無くしたのか?それとも、あれもお芝居の一つ?」

「もしあたしが本当に持っていたら、さっさとくれてやった、やつを追い払うためにね。私には何の訳にも立たないものだもの。これは本当の話よ、誓うわ」

「君を信じるよ、例え世界中がそうしなくてもね」

彼女はクスリと笑った。
「気に入ったわ。あなた本当に私を助けてくれたのよ、知ってる?私の見る目は正しかったわね」
俺達はホテルを出ると、警察の車にちらりと目をやってそのまま通り過ぎた。イザベラは彼女の新しいコートの中でにっこりと微笑んだ。

「それで、本当の君は何者なんだ?」と俺は尋ねた。

イザベラは声を立てて笑うと首を振った。
「あなた、ガールフレンドは居るの?」

「いや」俺達は車の切れ目を待って、急ぎ足で大通りを渡った。

「じゃあ、ボーイフレンドは?」

「……いや」彼女が俺をからかっているのは判っていたが、上手いこと怒ってみせるとか、傷ついたフリをする余裕は無かった。

彼女は唇を引き結ぶと、考え深げに俺をじっと見つめた。俺は彼女の顔に浮かんだ悪戯っぽい表情にどういう意味が有るのか、あまり知りたいとは思わなかった。

「おや、ミミ、今晩はショウが有るんじゃ無いのか?」と通行人の誰かが声を掛けた。

「ああっ!完璧に忘れてたわ」
彼女はそう言うと懐中時計を取り出した。
「しまった、急がなきゃ」彼女はそう言うと、そこに駐車していた車の側で立ち止まった。
「ドアを開けて下さる?」と彼女は無邪気な表情を浮かべて言った。

俺はポケットに手を突っ込んだ。
「あいにくと、俺の車じゃ無くてね」

「まだ違うわね」彼女は幾つかヘアピンを抜き取ると、口でくわえて曲げ、それから車の鍵に何気なく突っ込んだ。
「じゃあ、あなたをホテルまで送っても良いかしら?」

俺はため息をついた。「よろしく」

イザベラは気違いじみた速度で車を飛ばし、俺達がハングド・マンの外に猛烈なエンジンの煙と共に到着した時は、車のホーンと苛立たしげな叫び声と悲鳴が俺の頭の中で鳴り響いていた。

「今夜はあなたを入れてあげられないの」とイザベラは車から降りながら言った。
「だけど次のショウは、あなたのためにチケットを何枚か取ってあげる。約束よ。それとこの車も好きにして良いわよ、もし良かったら」

「次のショウがあるのか?そもそも、君はカークウォールに居ても大丈夫なのか?」

「他の土地と比べて大丈夫って訳じゃ無いけど」と彼女は肩を竦めた。
「ここは気に入ったわ。面白そうな街じゃない?あなたのお楽しみの仲間にあたしも入れてくれるって、約束してくれなきゃ駄目よ、判ってるわね?後悔はさせないわ」
彼女は約束の印に俺の指と指をしっかり絡ませると、白い毛皮のコートを翻して急ぎ足で立ち去った。

とびきり魅力的な嵐の真ん中で一日を過ごしたような気分で、俺は頭を掻いた。もし俺が銀髪にエメラルド色の眼をした、不機嫌な顔の爆弾を胸に抱えていなかったら、間違い無く彼女にぞっこん惚れ込んでいただろう。

俺は頭を振って車に戻ると、静かに上町まで運転して戻り、イザベラが盗んだ場所と出来るだけ近いところに止めて、そこから立ち去った。

彼女なら騎士道とか言うかも知れないが、ちょっと大げさだな。

Notes:

  1. この絵は同時代に活躍した女流画家 Georgia O’Keeffeの”Red Canna”
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18.スタークヘイブンでサークル大火 への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    ここからずっとイザベラのターン!

    ホーク「ちょ、フェ、フェンリスちょっとあっち
        向いててくれる?」
    フェン「だが断る」

    修羅場の春は近い(違

  2. Laffy のコメント:

    さて文字通りの修羅場が近付いて参りましたw
    ああ可哀想なホークw
    何しろハイタウンからハングド・マンまで透視出来るそうですから(イミフ

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