19.上町の警官を増員、ドゥマー市長語る

「訳が判らねえ。俺はここに住んでるってのにチケットを手に入れられなかったんだぞ、一体全体何だってお前さんが持ってるんだ?」

俺は、澄ました不可思議な表情に見えることを願って、ニヤリとヴァリックに笑って見せた。ハングド・マンは今夜も人で溢れていた。ダンスフロアには入る限りのテーブルと椅子が並べられ、この夜のために雇われた不慣れなスタッフと相まって、あちこちで目を剥くような珍事を引き起こしていた。

今日の昼過ぎに、手にチケットを何枚か握りしめた子供が俺の仕事場にやって来た。それから俺は午後一杯、チケットを友達に配って歩いた。ヴァリックは俺達の何時ものテーブルを取るために普段よりずっと早くに現れ、俺はそれに感謝していた。

「んもう、ワクワクしてきたわ!」
エイリアネージを訪れて俺がチケットを手渡すと、メリルは文字通り飛び上がって喜んだ。彼女は日暮れ前に到着して、それから山のようにドリンクを買って飲みながら周りの全員に彼女がどれ程興奮しているかを語り続けていた。

アヴェリンは行きたいかどうか、よく判らないといった様子だったが、彼女も肋骨がくっつくのを警官宿舎で待っているのに心底うんざりしている様子だった。アンダースはカーヴァー同様に喜んで招待を受けたが、二人ともチケットの出所を少しばかり怪しむ様子ではあった。

そしてフェンリスは家に居なかった。俺はメモ書きとチケットをテーブルの上に置き、彼が見てくれることを心から願った。

「冗談は抜きにして、トリップ、兄貴がこのチケットを買えるはずが無いくらい判ってるぜ」とカーヴァーが言った。

「何だって誰も俺を信用してくれないんだ?」と俺は聞いた。
「間違い無くこれは正規の、合法的に手に入れたチケットだぞ」

「僕はどうしてミミ・ラ・ルゥーがここでショウをやってるかを知りたいね」とアンダースが言った。
「ハングド・マンはおよそ一流の歌手が喜んで来るようなホテルじゃないし。今まで毎晩同じ歌手だったじゃないか?」

「彼女のこと良く知ってるの?」とメリルが尋ねた。

「何ならレコードを売ってもいいぜ」とヴァリックが口を挟んだ。
「彼女はオーレイで売り出したんだ。もし写真の通りなら、何が何でも見なくちゃな。おおっと、変な意味じゃ無いからな」と彼は慌ててアヴェリンに釈明した。
「彼女はただ美しい女性で、萌えいずる若草の心と春のごとき歌声を持ってるのさ」

「それって一体どういう意味だ?」と俺は尋ねた。

ヴァリックは肩を竦めただけだった。

フェンリスがやや呆然とした表情を浮かべながら、群衆をかき分けてホールに入ってきたのを一目見た瞬間、彼らとの会話は俺の頭から消えた。俺は指を口に突っ込むと鋭く口笛を鳴らして彼の注意を引き、彼にむかって手招きした。

「間に合って良かった」彼がテーブルに割り込んで座ると、俺は彼に言った。

「僕には判らないな。何だってここの用心棒は彼を店に入れるのに、ホースを追い出すのか」

「アンダース、馬鹿なことを言うなよ」

「何かあったのか?」とフェンリスが尋ねた。

「俺のメモを読まなかったのか?ミミ・ラ・ルゥーのショウを見るために集まってるんだぜ。それとアンダースが馬鹿な事を言ってる、もっともそれはメモには書かなかったがね」

「ああ」フェンリスはまだよく判らないといった表情を浮かべていたが、ともかく頷いた。

「しーっ!始まるわ。ああ、もうどきどきしちゃう!」

「デイジー、少し飲むペースを落としたらどうだ?」

フロアの照明が落とされ、人々は静まりかえった。バンドが登場し、礼儀正しい拍手を受け、そしてドラムの音が鳴り響いた。ショウの主役が、ステージに姿を現した。

俺達のテーブルは沸き返った、まあ、半分がたは。煌めく衣装に飾り立てた帽子があったとしても、アンダースとヴァリック、そしてカーヴァーは即座に彼女が誰か判ったようだった。

「おい、トリップ!」カーヴァーはアンダースの身体の向こうから俺をぴしゃりと叩こうとし、俺は身を反らせて避けた。

「すると、彼女がミミ・ラ・ルゥなのか?ほんとうに?」とアンダースが、苛立たしげにカーヴァーを払いのけながら尋ね、ヴァリックはひたすら笑い転げた。

「君たちが一体何を笑っているのか、俺には判らない」とフェンリスがむっつりと言った。

ステージの上では、イザベラが観衆の前で尻を揺らし、声を震わせて歌い始めた。俺は皆が騙されているのかどうか判らなかった。本物のミミの写真を見たことが無い訳では無かったが、しかしステージの上の彼女はまさしく本物、いやそれ以上に観衆を手玉に取っていた。

「しーっ!静かにして」メリルが俺達を静かにさせようとしたが、あまり効果は無かった。

アヴェリンが咳払いをした。
「トリップ、彼女と……ボディラインの合致する女性が、昨晩のリッツでのギャング殺人事件との関連を疑われているの」
彼女は俺に鋭い視線を向けた。
「赤い頭髪としか情報の無い男性と一緒にね」

「一体何の話をしているのか、俺には判らないなあ」と俺は言った。

「私はそもそも知りたいと思ってるのかしらね?」と彼女が言った。

「正直なところ、アヴェリン、多分違うだろうね。だけど賭けても良いぜ、ミミが昨日一晩中ここに居たって証言する野郎共は、必要とあらば両手の指の数だけすぐに揃うだろうさ」

彼女は顔をしかめた。
「いずれにしても、私の担当事件じゃ無いわ。とにかく、あなたの風体を上に廻すつもりは無いから、忘れてくれて結構よ」

「ほら、ショウを楽しもうぜ」

「ああ、今晩のショウは最高だぜ」とヴァリックが口を挟んだ。

ステージからはイザベラの声が低く高くうねり、強烈に客席を波立たせた。
「あなたが喧嘩で勝てなかったら ほらショットガンを買って やり直すのよもう一度 上手くやるのよなんでも 上手くやるの……」

彼女はクルリと身体を翻し、スカートが浮き上がってあの脚を露わに見せ、観衆は沸き返った。

「俺に言わせりゃあ、本物より上出来だな」とヴァリックが宣言した。メリルは椅子の上で踊っていた、とにかく椅子の上で出来るだけのことは。彼女はほとんどグラスをなぎ倒すところだった。

イザベラの歌は更に激しく熱っぽい調子になった。今夜のチケットを正規の値段で買った連中でさえ、損をしたと文句を言うやつはいなかっただろう。ショウが終わる時には俺達のテーブルはアヴェリン以外全員が立ち上がって拍手を送り、イザベラもステージに走り戻って喝采に答えた。間違い無く彼女はこの芝居が大いに気に入ったようだった。彼女は顔全体に大きな笑顔を浮かべて、群衆に投げキッスを贈った。

ようやくショウも終わって観衆のほとんどが席を立ち、ハングド・マンは何時もの静けさを取り戻しつつあった。

「ハングド・マンにいる全員を騙すのは無理な話よ」とアヴェリンが言った。

「もちろんだとも」とヴァリックが答えた。
「それがどうしたっていうんだ。ここはハングド・マンだぜ。ここじゃあ誰も、何がドリンクに入っているか聞かない、何がシチューに入っているかも聞かない、そして歌手が本当は誰かも聞かない、そして皆、楽しい一時を過ごすのさ」

「誰かさんは他よりもっと楽しんだようだな」とカーヴァーが言った。

「嫉妬してるだけだろ」俺はやつに言った。

「もちろん、俺は嫉妬してるぜ」とヴァリックが言った。

「あらん、そこの男の子達、大丈夫よ。夜はまだまだ長いわ」

アヴェリンは飲みかけていたドリンクでむせかえった。

イザベラが俺達のテーブルの方に歩み寄ってきて、俺達全員ににこやかに笑いかけていた。
「まあぁ、友達が大勢いるのねトリップ。もっとチケットを上げた方が良かった?」

「母さんに聞かせて大丈夫な歌だったらね。みんな、彼女はイザベラだ。彼女は俺のクライアントだったが、えーと……」さて、どう紹介すれば良いか。

「あなたの一味に加えて貰うところよ、もちろん」

「どの一味?」とメリルが、少しばかり酔っ払った様子でイザベラの胸をじっと見つめながら尋ねた。

「もちろん、この一味よ」イザベラはそう言うとテーブルを一回りした。

「一目見ただけで、すぐ判ったわ。私もソロばっかりだと飽きてしまうわ、お楽しみには友達が居なくちゃ、でしょう?」
彼女はメリルと俺の間に身体をねじ込んで、俺の膝に半分腰掛けた。不満げに俺を睨め付けるカーヴァーの視線が突き刺さるのが俺には感じられた。一方で、この出来事全部にフェンリスがごく穏やかな興味しか示していないように見えることに、俺はホッとして良いのかがっかりすれば良いのかよく判らなかった。彼はいつもの不機嫌な表情でグラスの中身を見つめていた。

「私はその『一味』じゃないわ」とアヴェリンが頑なに言った。

「まあ、楽しそうじゃない?私はメリル。あなたって本当に歌が上手いのね。今夜のショウはとっても楽しかった!」

「あらあ、ありがとう子猫ちゃん」とイザベラがにこやかに答えた。

それから一通り俺達は、慌ただしく自己紹介をした。何人かは他より熱心だったが。イザベラはドリンクを頼み、俺達全員のことを聞いて廻ったが、一方彼女自身の事はほとんど話していないことに俺は気付いた。ヴァリックとメリルはただ彼女との会話を大いに楽しみ、カーヴァーもイザベラがやつのことを可愛い人と呼んだ後で急に饒舌になった。アンダースは医学校とフェラルデンの話を少しばかり呟き、アヴェリンは彼女の警察バッヂを見せて動揺を誘おうとしたようだったが、イザベラはピクリともしなかった。そしてフェンリスは、彼の過去は彼女とは何の関わりも無いことだと素っ気なく言った。

誰が何を言おうと、イザベラを僅かでもたじろがせるようなことは無いようだった。こうも熱心に、猛然とテーブル全ての人々とふざけ合う女というのは、俺は今まで見たことが無かった。

「それで、俺のねぐらで何時までこの騒ぎが続くんだ?」とヴァリックが剽軽な顔付きで言った。
「俺はふだんの静かなテーブルが恋しいんだがね」

「あと数回ショウをやってお終いよ。もっと見たいと思わせるところで去るのがコツなの。煉瓦じゃ無くて、バラを投げて貰っている間にね」とイザベラは声を立てて笑った。
「煉瓦は何時でも調達出来るけど」とアヴェリンが静かに言った。

「あなた、ほんとにどこかで見たことが有ると思うんだけど」とイザベラはアンダースの方に身を乗り出して言った。

「君もだね」とアンダースが、不思議そうな顔で首を捻った。

「あなた真珠亭に居たことない?」と彼女が尋ねた。

「僕は、…ああ、その」アンダースは鼻の上で眼鏡の位置を直し、ドリンクを半分飲み干した。

「何だよ?」俺は肘で彼を突っついた。

「若い頃の馬鹿げた騒ぎだよ」彼は顔を赤くしながら呟いた。

「彼がね、あのビリビリ指で……」アンダースは慌ててイザベラの口を片手で覆い、テーブルの人々の顔を見回した。
「すまない」と彼は呟いて、口から手を引っ込めた。
「だけどここでその話はまずい。フェラルデンよりずっと状況は悪いんだ」

「ああ」と彼女が言って、落ち着きを取り戻した顔で言った。
「あたしが悪かったわ。この人達は知らないの?」

「知ってるよ」と俺は静かに言った。
「だけど、他の連中の居るところでは話さないから」大抵の場合、俺はそのことについて考えないようにしていた。隠れメイジとして一日中気を張っているより、そもそもメイジで有ることを忘れている方がずっと楽だからな。

それでも、俺は改めてフロアに居る客たちを見廻した。アンダースも同じようにして、しばらくしてから彼は顔をしかめると立ち上がった。
「ちょっと失礼」と言って、彼は他の客の間に消えていった。

「ほら、君のために席が空いたよ」とカーヴァーが指摘した。

「まあ、それであなたがそこでひとりぼっちってわけね?」イザベラは俺の膝から滑り降りて、俺とカーヴァーの間の席に座った。彼女は片腕をやつの肩に廻して、ドリンクを一口すするとやつに微笑みかけた。カーヴァーは、こんなことはいつもの話だとでも言うように落ちついた顔を見せようとして、失敗していた。

会話も下火になりかけたころ、アンダースが不安そうな顔付きで、少しばかり息を切らせて戻ってきた。

「あの、トリップ。君の助けを借りたいんだ」

「ほんの10分も席を外しただけで、彼の助けを借りたいというのか」とフェンリスが噛みついた。
「お前が彼無しで一晩を過ごせるのは驚異的だな」

アンダースは口を開き掛けたが再び閉じると、拳を固く握りしめ、明らかにフェンリスと争うのを避けようと努力をしているようだった。
「君と口喧嘩をするより、こちらの方が遙かに重要だ。トリップ、メイジが居る、彼らは……」

「もちろん居るだろうよ」

「フェンリス、彼に話をさせてやろう」

「スタークヘイブンから来たメイジ達だ。僕達は知らなかった、もし判っていれば――ともかく、まずいことが起きた。彼らは逃げ出して街のどこかに居るが、テンプラーが大勢追跡している。地下組織 1は僕を一晩中探していたという」

重い沈黙がテーブルを支配した。

「この件と関わり合いになる理由など、どこにも無い」とフェンリスは言った。
「テンプラーと関わり合いになればなるだけ、トリップに危険が及ぶ。そのメイジ共が勝手に起こした騒ぎに、何故彼が関わる必要が有る?」

「君の意見は聞きたくない、フェンリス」とアンダースは言うと、俺の顔を不安げな表情でじっと見つめた。

俺は煙草を灰皿でもみ消した。実際俺は、下手くそな脱走をやらかして、テンプラーの怒りを買うような馬鹿な逃亡者と関わり合いになどなりたくなかった。

「メイカーズ・ブレス。アンダース、今度から君とその地下組織の友達からも金を取るからな」

「ありがとう」とアンダースは見るからにホッとした表情で言った。

「何故やつを助けようとする?」とフェンリスが苛立たしげに言った。
「君とそのメイジ共とは、何の関係も無いはずだ」

「判ってる。だが誰かが介入しなくては、こういう騒ぎでは必ず無辜の人々が傷つくことになる」

「そしてその誰かは君で無くてはいけないと言う訳だ、そうだろう?」彼も立ち上がると頷いた。
「俺も行く」

「私も手伝う!」とメリルが宣言し、残りのドリンクを一気に飲み干した。

「そいつは良い考えとは言えねえな、デイジー」とヴァリックが穏やかに言った。

「あらぁ、だけど私も行きたいの」

「君の行くところは家だ、デイジー。さあ、俺と一緒に帰ろう」

「大丈夫よ。大丈夫だって」

「この指が何本か判るか?」

「んー……どっちの手?」

「こんなことは認めたくないけれど、トリップの言う通りよ」とアヴェリンが言った。
「全ての人々は保護されなくてはならない。逃亡中のメイジも危険だけれど、こういう状況下ではここのテンプラー達がひどく好戦的なのは周知のこと」

「いや、待った」俺は頭を振った。
「警察医が君を通常勤務に戻すまでは、俺達と一緒に来てもらう訳には行かない。また君を病院に戻す羽目になるのはごめんだ」

アヴェリンが引き下がるまで俺は彼女を睨み付けた。
「判ったわ。だけどあなた自身を病院に送っては駄目、いいわね?」

「アンダースが一緒にいる、大丈夫だ。来るのか、カーヴァー?」

「いや」カーヴァーは顎を引くと俺達を睨み付けた。
「これもまたどうせ、あの教会のようなことになるんだ。俺は行かない」

「俺はそんなことには――」

「兄貴はしないだろうさ、だけどは別だ」カーヴァーはアンダースを顎で示した。
「理由さえ見つかれば彼はやる」

「そいつはフェアじゃ無いぞ、カーヴァー。もし行きたくなかったらいいさ。家に戻ってろ」

イザベラはテーブルの向こうから俺達を見守っていた。
「まあ、どうやら私も人数の足しになりそうね」

「ああ、来てくれ」俺は無論反対するつもりは無かった。

「ありがとう」とアンダースが静かに言った。カーヴァーの言葉が堪えたように、俺には見えた。

皆黙ったまま二手に分かれて、俺とアンダース、フェンリス、それにイザベラはハングド・マンの玄関を出た。アンダースのお仲間らしいやつが、帽子を目深く被り、イライラした様子で表で待っていた。

「えらく時間が掛かったな」と彼は唸った。

「助けを呼ぶと言っただろう、連れて来たんだ」とアンダースが答えた。

「名前は分からない」彼は手短に話し出した。
「連中は列車で連れてこられて、カークウォール駅から逃げ出した。もしダークタウンへ連れてくることが出来れば、いつもの地下ルートを通って外に連れ出せるだろう。だが連中はこの街のことも、俺達の事も知らない。テンプラーがうじゃうじゃと街中を探し回ってる。俺達もだ。どっちが先に連中を見つけるかってことだ、だから出来るだけの手が欲しい」

「俺がその連中を見つけるよ」と俺は言った。
「行こう、時間が無い」

「随分と自信がありそうね」俺達が急ぎ足でハングド・マンから立ち去る間にイザベラが聞いた。

俺はニヤッと笑って見せた。
「まあね、テンプラーもメイジ地下組織も持ってない武器がある。ホースって名前の、マバリ犬だ。逃亡中のメイジが駅に居たことは判ってる、それも数時間前に。そこから始めれば、連中の跡を追うのはそれほど難しくないだろう」

「刺激的な人生ね、悪くないわ」とイザベラは言った。

Notes:

  1. “The Mage Underground”: 19世紀のアメリカで、黒人奴隷を自由州またはカナダへと脱出させるため、秘密のルートと隠れ家を提供した組織”The Underground Railroad”から。鉄道といっても本物ではなく比喩的な表現で、逃亡中の奴隷を「旅客」あるいは「貨物」、連絡を取ることを「切符を買う」、逃亡路に置かれた隠れ家を「駅」、そこの持ち主を「駅長」等と呼んでいたことから来ている。
カテゴリー: Jazz Age パーマリンク