28.カルタ拠点、一斉検挙

誰かが俺の額を撫でていた。こそばゆかった。それから、煤と熱にやられた俺の気管から肺へと流れ込む魔法を感じた。俺は同じような手当てを前にも受けていて、これは一連の治療の最後に過ぎないと、何かが俺に告げていた。

それからしばらく、手が俺の頬に触れていた。

俺は両目を開けた。チカチカと突き刺すように痛かった。ちょっとの間、俺は頭上の天井を眺めて、それから眼を動かして人影に焦点を合わせた。

アンダース。

彼は実に嬉しそうに、俺に微笑みかけた。
「おかえり」

「うう」
何か聞きたいことがあったはずだ、沢山。だがどれも思い出せなかった。俺は顔をしかめた。

「丸一日と半分、君は眠っていたんだ」とアンダースが言った。
「ヴァリックは良くなるよ。君より長いことベッドに寝ていることになるだろうけどね」

ああそれだ、聞きたかったのは。上出来だ、アンダース。
「もう大丈夫。ありがとう、アンダース」と俺は呟いた。

「トリップなの?」俺は母さんが、奥の部屋から呼ぶ声を聞いた。
「彼は目を覚ましたの?」彼女はずっと低い声で付け加えて、扉から顔を覗かせた。母さんの顔は、俺を見て明るく笑み崩れた。彼女はベッドに走り寄り、アンダースは一歩後ろに下がった。
「ああ、良かった、偉かったわね。もうずっとあんまり深く眠っていたから、本当に心配したのよ」

「大丈夫だよ、母さん」俺は片腕を彼女に廻して抱きしめ、彼女は俺の額を撫でて頬にキスをした、まるで俺が今にでもどこかへ消えないかと心配するように。
「アンダースがちゃんと治してくれたから」

「まだ寝てないと駄目だよ」とアンダースが告げた。

「ええもちろんよ、寝かせておくわ」母さんは彼に保証した。
「さあ、あなたも行って休んでちょうだい、アンダース。ここに居ない時はヴァリックも見ていたのでしょう。あなたが立ったまま居眠りして車とぶつかりでもしたら、どうにもならないわ」

「明日また様子を見に来るから、トリップ」とアンダースは約束すると、母さんと連れられて出ていった。

フェンリスが立ち上がったのを見て、母さんは飛び上がった。
「まあ!ああアンドラステ様、本当にびっくりしたわ。トリップに挨拶くらいは良いけど、アンダースの言ったことを聞いたでしょう。彼はまだ安静にしていないといけないのよ」

フェンリスは頷いた。彼はいつもの席にあまりに静かに座っていて、俺さえ彼がそこに居たことに気が付いていなかった。彼は母さんが出ていくのを待って、話し出した。

「どうやら今週は俺達の練習試合は休みになりそうだな。何と言っても君の身体だ」

俺はクスリと笑うと、それはすぐさま咳に変わった。大分煤を吸い込んだみたいだ。

「他の連中に、君の目が覚めたと知らせてくる」と言うと、フェンリスは帽子を手に取った。

「なあフェンリス」俺は片肘を付いて半身を起こした。
「君はそこに、ずっと居たのか?」

彼はただ微かに笑っただけで出ていった。

母さんの力を持ってしても、友達全員を追い出しておくのは無理だった。生ける者の世界へ俺が帰還したことをフェンリスが触れて廻るや否や、皆が自分でその知らせを確かめにやって来た。ギャムレンは早く良くなるといいなと言い、それからお前はベッドの中で仕事は出来ないんだからと付け足した。カーヴァーは暫くの間俺の顔を心配そうにじっと見つめた後で、ようやく兄貴の目が覚めて嬉しいと言った。

「兄貴が銃を使ったのを見たのは初めてだ」と彼は静かに言った。俺はふと、彼があの秋の日の出来事をどれくらい覚えているのだろうかと思った。彼らはそろそろ8つになる頃だったはずだ。全く覚えていないという程のチビじゃあ無かったろうが。

カーヴァーは何かもっと言いたそうな顔をしていたが、結局一つ頷いただけで部屋を出て行くと、その日夜遅くになるまで戻って来なかった。その間に、イザベラが大粒のブドウと見舞いの花束と共に訪れ、俺の枕元に座り込んでブドウを一粒ずつ食べさせてくれた。俺としては、彼女が扉の鍵を掛けたことを願うしか無かった。

「本当に、もうあなたは駄目なんじゃ無いかと思ったのよ」彼女はベッドの端に肘を付いて身を屈めると、俺の額を撫でた。
「アンダースは必死になって、あなたとヴァリックの間を走り回っていたわ。メリルはずっと手当ては要らないって言い続けていたし。だけど血が出ていて泣いてるのよ。可哀想な子」
イザベラは言葉を切ると俺を見つめた。
「一体彼女に何があったの?」

「メリルとは後で話すよ」と俺は言った。
「俺も、一体彼女があそこで何をしていたのか判らないが、ヴァリックの命を救ったのは彼女だ、それだけは間違い無い」

極端な重圧に晒された時、メイジはブラッドマジックに頼る。彼女の場合、少なくとも彼女はある程度コントロールは出来ていたようだった。それでも、俺は間違い無いと自分の目で確かめておきたかった。サークルのメイジと違って、アポステイトはテンプラーが面倒を見てくれる訳じゃ無い、だから俺達は互いに注意し合わないといけない。

「それでね、アンダースがあなたとヴァリックをとりあえず連れて行った後で、アヴェリンが火事現場で人混みの整理をしていた警官達を十数人かき集めると、すぐさま最寄りのカルタの隠れ家に踏み込んだの」

「無事だったのか、彼女は?」俺はどうにか座ろうとしたが、イザベラは俺の両肩をしっかり押さえつけてベッドに押しこんだ。

「大体のところはね。あたしたちの大きな娘は頑丈に出来てるわ。それに、カルタは襲撃なんて予想してなかったみたい」

「君も行ったのか?」

イザベラは笑って肩をすくめた。
「当たり前でしょ?火事は納まりかけてたし、それに怒ってたのはアヴェリンだけじゃないのよ。やつらは最高の友達3人に怪我をさせた。当然の報いが来ただけよ。もちろん、下手な注意は引かなかったわ。ただみんなに影から手を貸しただけ。ああそれとビアンカも見つけたわよ。傷一つ無く無事で」

俺はため息を付いた。カルタに急襲を仕掛けるのは、どうもあまり良い話には聞こえなかったが、ともかく尻尾を巻いて逃げ出したのはカルタの方だったようだ。少なくとも今回は。

「それで、そこに着いてから何があった?」

「アヴェリンが扉を蹴り開けてね、抵抗を示した連中は全部ぶちのめして、その場に居た全員を逮捕したの。有罪の証拠になる違法な武器や、密造酒もたっぷり見つかったわ、そこに居た連中がシラを切ったところで言い訳できないくらいの」

「ほんの一週間前には、ここの警察はカルタに手を出すことさえ考えてなかったのにな」

「まあね、だけどアヴェリンがカルタの贅沢な車を背景に、積み上がった酒樽やショットガンや何やら、全部押収させる時の写真が新聞の一面トップに載って、それで彼らも決心したようね。彼女、また報賞が貰えるみたいよ」

俺は声を立てて笑ったが、またすぐに咳き込む羽目になった。イザベラがコップに水を入れて飲ませてくれた。どうも何もかも、俺が寝込んでいる間に勝手に片付いちまったようだ。

俺の咳き込む音を母さんが聞いて、何か欲しいものは無いかと顔を覗かせた。彼女はイザベラの姿に気付き、驚いて俺と彼女の顔を見比べた。母さんが、どうにもイザベラを理解出来ないでいるのは俺には判っていた。母さんは俺の友達皆に良くしてくれていたが、時折イザベラにドレスの裾を降ろしなさいと言いたそうな雰囲気が感じられた。それと多分、食卓での語彙も全部入れ替えないと駄目だろうな。

「あら、こんにちはイザベラ、気が付かなかったわ。玄関に鍵を掛けておかないといけないわね、トリップはまだ休んでないといけないのよ」

イザベラは声を立てて笑った。
「鍵の掛かった扉でハンサムな坊やからあたしを遠ざけるのは無理よ。心配しないで、ちょっと見舞いに来ただけ、じゃあね、カーヴァーによろしく言っておいて」
彼女はウィンクをして言った。

イザベラが立ち去った後で、母さんは俺に難しい顔をして言った。
「カーヴァーに?だけど私はあなたが――」

「イザベラがからかってるだけだよ、母さん。いつもあんな感じなんだから」

「まあ。私の若かった頃には、そんなこと考えるだけでも恐ろしかったのに」
母さんはそう言うと、何かほんの少し羨ましげな顔付きをした。
「多分、これも世の中の進歩なんでしょうね」

「頼むからメリルの女権拡張集会に参加するとか言わないでくれよ、母さん」

「あら、どうして?面白そうよ。それに」と言うと彼女は腰に両手を当てた。
「そもそもどうして、それが悪い考えだと思うの?」

「ああ、いや、何でも無いよ母さん」
そう言うと俺はまた咳き込み、水を飲んだ後でまた一寝入りすることにした。

起きた時にはもう夕方の6時近くだった。母さんは夕食にライス・プディングとチキンスープを作ってくれて、アヴェリンが仕事帰りに制服のまま俺の家に立ち寄った時、俺はまだ夕食を食べている最中だった。彼女の頬には大きな青あざがあり、片脚を少し引きずっていたが、カルタの連中の戦いぶりを考えれば、ほんのかすり傷で済んだと言っても良いだろう。

「どうやら噂は本当だったようね」と彼女は微笑みながら言った。
「もうすぐにでも部屋中走り回りそうね、あなたなら」

「それなら良いけどね。アヴェリン、俺無しでカルタに襲撃を掛けるとかどうかしてるぜ」

「あら、もう聞いたの?」

「俺は新聞を毎日読んでるんだ。いい写真だった。俺としてはカーヴァーの面を見るより君の方がずっとマシだな」

彼女は俺が置いた夕食の盆をベッドの横の椅子から取り上げて、そこに座ると彼女の膝の上に盆を乗せた。

「あなたがもう二度と眼を覚まさないんじゃないかって思ったのよ。私はメイジについてはあまり詳しくないけれど、トリップ、あなたのしたことは普通とはちょっと違っていたわ」

「まあ、きわどい端を渡ったってところだろうな。もし他に方法が有ったらやらなかったよ」

「判ってる。もしあなたが自分の魔法を支配出来ると思っていなかったら、とうの昔にテンプラーに報告していたでしょうね、何よりあなた自身のために。だけどあなた一人にリスクを負わせるのは、見ていて怖かった」

「俺自身、随分怖かったさ。だけど結局のところ上手く行った。君のカルタ襲撃みたいなものだ」と俺は指摘した。

「まあ、そうかも知れないけど。本当に腹が立つのは、あのテトラス教授が何もかも持って逃げ延びたように見えることよ。カルタの関与が周知となった以上、火災の原因を教授に求めるのは無理な話だわ。保険会社は損害の補償をせざるを得なくなるでしょう」

「多分ね、だけどやつの名声はもう、彼自身が望むようにシミ一つ無いという訳には行かなくなるだろうさ。カルタは何にも無しに倉庫に火を付けたりはしない」

「その件だけど、一体あの倉庫の中に何があって、彼が火を付けてでも無かったことにしたかったのかしら?警察が灰の中を捜し回った時には、何も見つからなかったけど」

俺は眉をひそめた。
「何もなかった?いいや、何か有ったぞ、そんな大きなものじゃあ無かったが、簡単に燃え尽きるようなものには見えなかった」

「何を見つけたの?」

「正直言って、俺にもよく判らん。ああいうものはそれまで見たことが無かったが、何かリリウムの一種だと思う」

リリウムの密輸ですって!」アヴェリンは片手で彼女の顔を覆った。
「ああヴァリック、一体何を考えていたの?」

「そいつは不公平だな、彼のせいじゃないだろうよ。バートランドが地底回廊の遠征中に鉱脈を見つけて、掘って帰ってきたに違いない。それを全部ヴァリックの膝の上にぶちまけた」

「そして今では行方不明と言う訳ね」とアヴェリンが難しい顔付きで言った。
「量はどのくらいだった?」

「木箱がせいぜい数箱だ。俺の見たところじゃあ、半トンもないだろうな」

「トリップ、半トンのリリウムが闇市場の末端価格でいったい幾らになると思って?カルタが興味を示すのも無理の無い話だわ」

俺は頭を振った。
「あの土塊は純粋なリリウムじゃなかった。精製した後でどれくらい使えるリリウムが残るのか、俺には見当も付かないな。あるいは、どういった設備が必要になるのかも」

「そうね、とにかくこの件はテンプラーにメモを廻して、注意させておく様にするわ、何と言ってもリリウムは彼らの専門分野だから。それと火災現場に居た見物人達が、何か変わったことに気が付かなかったかも調べてみましょう」

「何か俺に手伝えることがあったら言ってくれ」

「あなたの仕事は身体を治すことよ、トリップ。一番重要なのは誰一人死なないこと。カルタの顔面が血で汚れるのは、ちょっとしたボーナスね」

「連中は君に対して良い気分では無いだろうな、アヴェリン。充分気を付けてくれよ」

「大丈夫。私の事は心配しないで」


翌朝には俺は、もう横になっているのは飽き飽きして来て、母さんの反対にも関わらずベッドから出ると言い張った。アンダースも身体的に特別悪いところは無いから、俺の気分が良ければ寝ていなくても良いと言ってくれた。確かに煙を大量に吸い込みはしたが、それ以外の不調は全部、俺の放った銃弾一発一発が、俺の心を大きくもぎ取って行ったことに対する純粋なショックのせいだった。

母さんはリレーンの店に出かけ、俺とアンダースは台所でトーストを紅茶で流し込んだ。
「ヴァリックはハングド・マンの部屋に移したよ」とアンダースが言った。
「もう危ない状態は脱したし、彼が居ると他の患者達が戸惑うからね。それにダークタウンよりまだハングド・マンの方が快適だろうし」

「脚はどんな様子だ?」と俺は聞いた。

「暫くの間は松葉杖が必要だけど、元通り歩けるようになるよ」

「君が居てくれて本当に俺達は幸運だったな、アンダース。この街で身体から銃弾を取り除くのに、他に誰を頼って良いのか俺には見当もつかないからな」

アンダースは顔を耳まで真っ赤にすると、紅茶のカップに向かってにっこりと笑った。
「とにかく、その。トリップ、君に聞いておきたいことがあったんだ。君があの銃を取り上げた時、その、まるでジャスティスが僕の身体を支配するときと同じように見えた。僕には、はっきりと君が変貌したことが判った。君の身体が光っていなかったのが不思議なくらいだ」

俺はため息を付いた。
「いいやアンダース、君の思っているのとは違う。俺の頭の中に精霊が住み着いてるわけじゃないんだ。少なくとも、外界からの客人は。ひょっとすると罪悪感から俺自身が造り出したものかも知れないな、それか、俺自身の力への恐怖からか」

「自分の魔法を恐れているのか?どうして?」

「もしそうじゃなかったら、俺はとんだ大馬鹿だ。最後に俺が銃を持った時、俺はほとんどアボミネーションになるところだった。銃を使うのは、その恐怖と脅威にもう一度向き合うってことだ」

「僕はもうアボミネーションだよ」とアンダースが静かに言った。

「いいや、君は違う。アボミネーションは自ら進んで貧民街に入り、病の者や貧しい人々を助ける人生を送ったりしやしないさ。君はただ君自身の引き金を持っているだけだ、俺と同じように。多分、メイジ皆がそれぞれの引き金を持ってるんだろうな」
それは大層興味深い―そして恐ろしい―考えだった。

「すると君は僕の言ったことを信じていないのか?」とアンダースが傷ついたような顔で言った。
「ジャスティスの存在を?」

「観念としては信じてるさ、アンダース。だがチャントリーがどう言おうと、善き精霊とやらを俺が信じられるかどうか、よく判らないな」

「そうかな」

「君の頭の中に何が入ってるかまでは俺には判らん。俺に出来ることは、君の友人で居続けることくらいだ。それと、もし俺が本当に君がアボミネーションだと信じていたら、俺の手でそいつをどうにかしてただろうな」
俺の父さんは、彼の一番年上の息子を自らの手で撃っていただろう。
「俺達メイジが、お互いにやらないといけないことだ」

「あるいはテンプラーがそうするだろうから」とアンダースが静かに答えた。

俺達はしばらく黙ったまま座っていた。

「その件でなんだけど」とアンダースが言った。
「君がメリルを倉庫の中で見つけた時、彼女は、その、判るだろう?あの手の傷は普通じゃ無い」

俺は頷いた。
「彼女と話をするさ。彼女は大丈夫だと思う、それにどうしてあんなことをしたのかも、理解出来るような気がする」

「彼女が他のやり方を見つけられていれば、と思ってね」とアンダースが悲しげに言った。
「代価を支払うに値しない事柄というのが、この世にはあるんだ」

「そうだな。だが済んだことは済んだことだ。少なくとも、二度と起こりそうにはない」


俺は次の日メリルの家を訪ねた。前に来た時よりまた本が増えて、床の上にまで積み上がっていた。それと繊細な葉を付けた小さな木の植木鉢が、天窓から射し込む日光の当たる壁沿いの一等席に幾つか置かれていた。

彼女は俺を驚いたように見上げたが、ともかく中に入れてくれた。
「あなたが私の顔を見たいと思うかどうか、判らなかったの」と彼女は両手を神経質そうに揉みながら俯きがちに言った。
「私が、やったことの後では」

「もちろん見たいに決まってるさ、君は俺の友達だ、そうだろう?」俺は両腕を広げて彼女の前に近寄り、彼女は顔を上げて俺に抱かせてくれた。手に伝わる彼女の感触は、まるきり骨と皮しか身体に付いていないようだった。
「大丈夫か?」と俺は尋ねた。

「あの時の事を何度も何度も考えていたの」と彼女は俺のコートのボタンに向かって話しかけた。
「本当に簡単だったわ。あんなに簡単だなんて、考えたことも無かった」

俺は彼女を長椅子に座らせると、隣に腰を降ろした。
「済んだことは仕方が無いさ。君はヴァリックの命を救ったんだ。それに、もし心配事があったら俺に話してくれていいんだぜ」

彼女は頷いた。
「ありがとう、トリップ。それに、あなたも無事で嬉しいわ。まさか本当に――あの、あなたが大丈夫かどうかって疑っていたわけじゃ無いの。疑ったことなんか無いわ。あなたは本当に強いメイジだもの」

「本当にそうだといいんだがな。それはともかく、一体君はあそこで、倉庫の中でヴァリックと何をしていた?どうしてあんなところに?」

「ああ、そうね。その、私達はお茶を飲みに会う約束をしていたの、毎週そうするのよ。ヴァリックは本当に、とってもいい人ね。私達上町に行って、デパートのショーウィンドウの品物をあれこれ眺めるの。私の氏族に送ってあげられたら良いのに。でもきっと受け取っては貰えないわ」
彼女はまた俯くと、話を続けた。
「とにかく、ヴァリックがいつもの時間に来なかったから、何か有ったのかと不思議に思ったの。それで彼を探したけど、見つからなくて。心配になって来たから、私――ごめんなさい!彼の部屋に勝手に忍び込んだの。ごめんなさい、だけどもし彼の血の一滴でも見付けられたら、それを使って追跡出来るから」

俺はメリルがブラッド・マジックを使ったのがあの時が初めての一回こっきりでは無かったと聞いて、嬉しくは無かったが、だが他にも気になる事があった。

「どうして忍び入ったりしたんだ?君はあの汚水パイプを三階までよじ登らなきゃいけなかったはずだ。なぜ表の扉から入らなかった?」

「だって私は泥棒をしようとしたんですもの、お客じゃなくて」
彼女の表情からは、それが完璧に論理的な回答と信じているように見えた。

「ともかく、あの洗い布を見付けたの。きっと髭を剃る間にどこか切っちゃったのね。それであの倉庫まで追いかけて。他にもドワーフがたくさん居て、大げんかをしていたわ、それにヴァリックが椅子に縛り付けられてた」

「カルタだ」

「そうなの?すごく不機嫌そうな人達。ヴァリックが彼らを騙したと思ってたみたいね。ヴァリックは、あのリリウムを売りたかったようだけど、彼らにはあれがどういうものか判らなかったみたい。それで私、説明しようと中に入ったのだけど、全然聞いてくれなくて、私まで縛り付けたのよ。本当に殺してやろうかって思ったけど、ヴァリックが任せてくれって言うから。
それからずーっと話をしていたのだけど、突然煙が出て来て、誰かが倉庫が火事だって言ったの。彼らはヴァリックを撃って、逃げ出したわ」

「その後は知ってるよ」と俺は言った。
「するとあの黄色い土塊はやっぱりリリウムだったのか。じゃあ一体何で揉めてたんだ?」

「あれはイエローケーキよ」とメリルが静かに説明した。
「とっても珍しいタイプのリリウム。ヴァリックが付けた値段の、二倍の価値はあるわ。だけどカルタにさえ判らなかったみたい。それで、ただの色つきの土を使った騙しだって思ったのね」

「なるほどね、それにもうどこかに消えちまった」と俺は言った。
「火事が消えた後で警察が捜したが、見つからなかったそうだ」

「ええ、そうよ。エイリアネージの人達と一緒に後で戻って、私達で片付けたから」とメリルがあっさりと言った。
「そうしないと、また騒ぎの元になるだけだもの」

「はあ、なるほど――うん、そんなことだろうと思ったよ」
実際、どこかに片付いてくれているのが一番良いんだろう。

俺は椅子から立ち上がった。
「さあ、メリル、もうふさぎ込んでるのは沢山だろう。人生は続く、そして人生は良いものさ。一緒にヴァリックを見舞いに行こう、もうハングド・マンに戻ったから」

彼女は俺に笑いかけた。
「それもいいわね」

ヴァリックはハングド・マンにおける、第一の常連客としての立場を速やかに回復していた。俺達が部屋に入った時、彼のお気に入りのバーのウェイトレスが煙草を持って来ていたところだった。部屋中に花束と果物籠と、見舞いのメッセージカードが溢れ、ドワーフ本人も、包帯で膨れあがった右脚が彼の洒落た室内着の裾から突き出している以外は、実に元気そうだった。

彼は俺達を見てニヤリと笑うと、入ってこいと手を振った。

「調子は良さそうだな、ヴァリック?」と俺は尋ねた。

「見ての通りだ、王様のような暮らしぶりだろう?。ところで、そこの15シルバーはお前さんのだ。それから俺がまたちゃんと歩けるようになり次第、バートランドは君にボーナスを払う予定だ。さもないと、やつは地底回廊から地上に戻ってきたことを後悔するような目に会うだろうぜ」

「ありがとう、ヴァリック」
俺としてもテトラス教授から取れるだけ絞り取るのには、これっぽっちも罪悪感は感じなかった。

ヴァリックはメリルを抱きしめ、俺と握手を交わした。
「良くやってくれたな、ヒーロー。恩に着るぜ」 1

そうして、ヴァリックはようやく俺のあだ名を決めた。


Notes:

  1. ヒーローは英雄でも勇者でも良いのだけど、そうするとブロンディは金髪さんにしなくちゃおかしいだろうからね。フェンリスはブルーディ(むっつり屋)あるいはエルフ、メリルがデイジー、アヴェリンは……あれ、何だっけ。レッド(赤毛さん)と言いかけて、アヴェリンが「ありふれすぎ」と却下したのは覚えてるんだけど。イザベラがリヴァイニで、セバスチャンが聖歌隊(Choir boy)。
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28.カルタ拠点、一斉検挙 への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    アンダース(:_;)
    まだ儚い希望を抱いているのね可哀想に><

    まあしょうがないよね。ホークさんが
    あっちにもこっちにも愛想がよすぎるのが
    悪いんだしwwww

  2. Laffy のコメント:

    うんこれはアンダース誤解しても仕方ないよなあwホークも大概罪作り。

    だけど今回はとりあえず猫一杯いるから良いじゃん、という気がしてくるから不思議。
    可哀想なアンダースくんwww

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