43.ドラゴン、博物館展示と決定

エメリックは翌朝の9時過ぎに、オシノと11時の面会の約束を取り付けたと電話を掛けてきた。俺は例の本を茶色の紙袋に放り込むと、母さんにエメリックは仕事があるんだから長電話をしないようにと言いながら、受話器を手渡した。
彼女は玄関を出て行く俺に向かって笑いながら黙りなさいと言った。

ギャロウズの受付にいたのは今度は別のテンプラーで、俺の名刺を差し出すと、彼らは何も言わずに門を開けて俺を中に通した。俺は、出来るなら今すぐ背を向けて逃げ出したい気分だった。

ギャロウズはカークウォール湾と街の半分を見晴るかす巨大な岩山の頂上に建てられていたが、あまりに高い壁が全ての眺望を遮り、テンプラーもメイジもその眺めを楽しむことは出来なかった。ギャロウズが作られたのは遠い昔の、テヴィンター帝国がここらを支配していた頃の話だが、それから壁の内側はほとんど変わっていなかった。まるで博物館の中に住んでいるようなものだ。たとえ近代的な電灯が古い鉄製の松明掛けの上に取り付けられていても、周囲の雰囲気はまるで中世だった。

修行僧のような裾長のローブをまとったメイジ達が、小さなささやきを交わしながら石造りの階段を上り下りする姿もやはり中世めいていた。父さんは、ここから逃げ出したのか。俺に方法を教えてくれていればな。

一組のテンプラーが中庭で格闘技の訓練していて、俺は首を捻ってその方を見つめ、カーヴァーが居ないかと探した。だがもし居たとしても、こう遠くては判別が付かないだろう。

道案内のテンプラーは、長々しい階段と結び廊下を全部、ギャロウズの奥深くのどこかにあるオシノの執務室までずっと付き添って来た。俺は入り口に戻る道筋を覚えようとしたが、あまり上手くいったとは言えなかった。

全部が全部、ひどい所でも無さそうだった。詠唱の練習に声を揃える子供達の声が聞こえ、二人の少女が笑いながら俺達を追い越して駆け抜け、彼女らの後を追うようにボールが壁に跳ね返って行った。だが人の居る気配は奥に進むにつれて次第に希に、微かになり、声よりもこだまが、人よりも影の方が多くなった。

オシノの執務室の近くで、また周囲は少しばかり明るくなった。壁には淡い茶色の砂岩が張られ、床にはカーペットが敷き詰められて、細長い窓から差し込む柔らかな日差しが壁を照らし出していた。

聞いて驚け、オシノの執務室はメレディスのそれの目の前にあった。ありがたいことに、どちらも扉は閉まっていた。新聞が書き立てる内容がどれほど正確かは知らないが、彼らの間に一欠片の愛情も無いことは間違いなかった。それでも彼らは、毎勤務日に同じフロアで働いているわけだ。

「なあ、君たちは彼らに同じ部屋で寝るようにとは言わないんだろうな?」と俺は付き添いのテンプラーに聞いた。

「まさか!冗談を言うのは止めろ」彼は笑い出すまいと顔をしかめた。それから、彼は静かにオシノの部屋の扉をノックして、俺が来たことを伝えた。
「君の用件が終わり次第、また誰かに出口まで案内させよう」と彼は言った。

「ありがとう。ここで迷子になるのはごめんだからな」

これは認めなくてはいけないだろうが、オシノの鳥籠は、随分と豪勢で上品な設えだった。大きな机が――デュマー市長のよりまだ大きい――部屋の奥に置かれ、机の周りには分厚いカーペットが敷き詰められていた。大きな暖炉とソファー、ぎっしりと詰まった本棚が並んだ壁。オシノ自ら机の向こうから立ち上がると、俺の手を握ってソファーに座るようにと言った。

もちろん、彼の顔は新聞で幾度も見た事があったが、実物はもっとずっと優しげな顔をしていた。灰色の髪をなでつけた秀でた額と、大きな緑色の眼はフェンリスを思い出させた。彼も疲れているように見えた。一日や二日の睡眠不足ではなく、深い疲労困憊に悩まされている姿だった。

「エメリックが名刺を持ってきた方だな、ホークさん」
暖炉の前でソファーに腰を下ろした俺に向かって、彼がそう切り出した。
「コーヒーは?」

「お願いします。ブラックに、砂糖を一つ。エメリックからはどの程度話を聞かれましたか?」

「私達の図書室の制限区域から持ち出された本を、あなたがある憂慮すべき状況において入手されたと聞いた」とオシノは銀製のポットからコーヒーを注ぐと、自らカップを二つ持って俺の前に座った。
「あなたがここに来たのは、今回が初めてではないようだ」

「細かなことまで、よくご存じですね」と俺は言った。

「私の立場でそうしない訳には行かないからね」と彼は淡々と言った。

「より正確に言うならば、あるブラッドメイジの研究室からと。いえ、彼が誰で、どこに住んでいるかは言いますまい。この件には人命が掛かってるからには、現時点ではその人物と友好関係を保っておきたい。如何に彼が不愉快な行動を取っていたとしても」

「テンプラーはあなたの意見を変えるかも知れないな、知っているだろう」とオシノはカップを俺に手渡しながら、穏やかな声で言った。

「もちろん、私を殴りつけて吐かせる位はするでしょうな。すると、あなたの配下の図書室から本を不法に持ち出したメイジが、完璧に彼らの手の内に入ることになる」

「エメリックはまさにその点を強調していた。彼自身がテンプラーであることを考えれば、興味深いことに。本を見せて貰っても?」

「もちろん、ファースト・エンチャンター」俺は紙袋から本を取り出して彼に手渡した。本の表紙を見た瞬間、あまり血色の良いとは言えない彼の顔から更に血の気が引き、唇が堅く引き結ばれた。彼は俺の顔をちらりと見て一瞬目線を合わせ、尚更不幸そうな顔つきになった。それでも、彼はともかくその本を開いて、奥付きにあるスタンプを目に留めた。

「これを取り戻してくれたことに感謝しよう。もし誤った者の手に入った時のことを考えると、身震いがする」

「既に誤った者の手に有ったことは間違いないようですな」と俺は言った。
「この本についてはご存じのようだ。図書室のカードに、誰の名前が記されているか興味があります」

彼は俺を睨み付けようとしたが、失敗した。彼は静かに本を閉じた。
「ブラッドメイジとブラッドマジックに対面したにしては、あなたは大して恐れては居ないようだ、ホーク」

「私のような仕事をする男は、臆病では金は貰えませんからね」

「それで一体、誰があなたに金を支払っているのかな?」

俺は頭を振った。
「それを話せるのは法廷でのみですよ。私はあなたや、あなたの同輩のメイジを脅迫しようというつもりはありません。私が知りたいのは、誰がその本を持ち出したかです」

「ああ、そうだ。デュプイ。この話だったか。あの手紙の意味が、ようやく分かった。私から金を強請り取ろうという、馬鹿げた脅しに過ぎないと思っていたが。彼がブラッドメイジだと?」

「私が知りたいのは、彼の話が本当かどうかです。クエンティンという名の人物について。彼のことは知っていますね?この本を彼に貸したのは、あなたですか?他の本は?」

「この本は無事に戻った。これ以上、あなたに話すべきことは何も無い」

「ふざけるな、オシノ!」俺は声を荒げ、彼は俺の態度の急変に怯んで身体を引いた。
「何故彼を庇う?貴様は立派な人物だと思っていた、なのに何故その化け物を庇おうとする?」

「私が化け物を庇っていると非難する者は、今週でさえ君が初めてというわけではないな。あるいは最後でさえ」

「俺はメイジを嫌っちゃあいない」

「では何故彼が化け物だと?クエンティンは化け物で、そのデュプイは違うと、何故判るのかな?」

「デュプイについてはまだ結論は出ていない」と俺は言った。
「一方、クエンティンには、数人の女性の死体を切り刻んだ容疑が掛かっている、あるいはもっとだ。俺は、やつが行動を止めるとは思えない」

「エメリックか。そうだ、あの下町の殺人事件について思い出してしかるべきだったな。あの件についてしつこく大騒ぎしていることで、彼はよく知られている。だがその件に、クエンティンが関与しているという証拠は?」

「まだ、何もない。ファースト・エンチャンター、もしクエンティンが我々が探している殺人者ではなかったら、俺は彼を傷つけるようなことはしない。テンプラーのために汚れ仕事をするつもりは無い。あなたの言葉は、クエンティンという人物が実在することを裏付けた。彼は何者だ?」

オシノはしばらく俺の顔を見つめ、考え込むようだった。
「私に約束してくれるか?」

「間違いなく」

「クエンティンは私の同僚だった。もう随分と前の話だ、最後に彼と話をしてから長い年月が経つ。彼を今でも友人と呼ぶのは気が引けるな。彼は非常に優秀な男で、彼が偉大な仕事を成し遂げることを疑う者は居なかった」

「ブラッド・マジックを使ってか?」

「そう。それは認めなくてはならないな。だが彼はその力を、他の者と同じようには見ていなかった。ただの魔法の原動力ではなく、彼はそこに生命の源としての力を見いだしていた。彼の才能は素晴らしく、ほとんど死せる者を蘇らそうとしたほどだ。しかし同時に、彼はトラブルメーカーとして疎まれており、彼を平穏化しようとする計画も間違いなくあった。あのような優秀な才能を、そして良き友を、そのような運命に遭わせることは出来なかった。それで私は彼の逃亡を手助けし、出来るときには本を送った。だが、彼からはもう何年もの間便りを聞いていない」

「殺人についてはどうだ?」と俺は聞いた。

「いいや」彼はきっぱりと頭を振った。
「彼がそのようなことをする人物とは、全く思えない。彼は自らの力で人々を救うことを望んでいた、傷つけるのではなく。君にも、そのデュプイ氏が話をねじ曲げたといずれ判るに違いない」

「確かに、誰かがどこかで間違っているようだな」と俺は言った。
「最後の質問は、彼が今どこに隠れているか知っているかということだが」

「いいや」オシノは頭を振った。
「だが私達は、互いに接触を付ける時に利用する方法がある。それを使ってみよう、ホーク」

「俺が彼の跡を追いかけていると、彼に知らせることは無いだろうな?」

「それは無い。私は、彼が無実であることが証明されるのを望んでいる。だがこのデュプイ氏の関与が気がかりだ。君の判断に任せよう、ホーク。私を後悔させないように頼みたい。もし本当に、クエンティンがその恐るべき行動の背後に居るのなら、しかるべき正義の裁きが与えられるべきだ。それで満足してくれるだろうか?」

「そうしよう、ファースト・エンチャンター。連絡が付くまでに、どのくらい時間が掛かる?」

「判らない。連絡手段がまだ利用できるかさえ判らないが、一週間のうちにどうにかなることを願おう。いずれにせよ、君に連絡する」

俺達は握手を交わした。俺が本に手を伸ばしたとき、彼はそれを遮ると言った。
「君がこれを証拠と見なしているのは判る、だが同時に危険な知識の源でもある。君に再び渡すわけにはいかないのだ。私は君を信用する。君も、そうしてくれ」

そのことについて俺に出来ることはあまりなかった。もし法廷に出たなら、証言してくれる目撃者は大勢いるさ。
この面会が有意義な物だったかどうかさえ、よく分からなかったが、しかしとにかくデュプイの話の一部は裏付けが取れた。もう一度やつを締め上げて、もっとクエンティンのことについて詳しい話を聞き出さなきゃならないようだ。


俺が下町に戻ったとき、まさにその男が、どことなく疲れ果てた様子で俺の玄関先に佇んでいて、ホースが彼をがっちりと見張っていた。俺の姿を認めて、忠実なマバリ犬は大喜びで吠えた。

「どうしたんだ?」と俺はデュプイに聞いた。

「このケダモノが、私がタクシーに乗ろうとした時に襲いかかって、私の服に噛みついてここへ引っ張ってきたのだ。ここが君の家か?」と彼は顔をしかめて古ぼけたアパートを見上げた。

「そうだ。良い子だ、ホース。上出来だ」

「上出来だと?君が仕掛けたのか?」

「正確には違うがね。それで、何をしようというのかな?」

「なぜ君に話す必要がある?」

ホースが歯を剥き出すと低く唸り声を立て、それから一声大きく吠えた。デュプイは身を怯ませた。

「楽にしろ、ホース。彼に話をさせてやろう」
俺の言葉を聞き分けて、ホースは口を閉じると尻尾をパタパタと振った。

デュプイはため息を付いた。
「この動物が、血をかぎ取れるのは間違いないだろうな。クエンティンを見つけた」

その言葉に俺は飛び上がった。
「本当か?」

「私を教えた彼の魔法と、彼の血の臭いはどこにいても感じられる。これほど確かな物はない。私は彼を追おうとしていたが、この犬が私を邪魔した」

「それがかえって良かったかも知れないぞ。突然、彼を感じ取ったというのは、どういう意味だ?たまたま運が良かったのか、それとも……」

「彼が別の犠牲者を見つけたと言うことかも知れない」

「それなら早速行動に移らないとな。お前がどう思うと、協力して貰うぞ」

「それで、もし断ったら?」

「断ってどうする?お前一人でクエンティンに立ち向かうつもりか?誰の助けも借りずに?それはともかく、もしお前が断るなら、俺の犬がお前の面倒を見るだけだ」

「うう、判った」

俺は彼に上階へ行くように命じると、ヴァリックの店の扉を叩いた。俺はガラス戸越しに大げさな身振りをして彼の注意を引き、彼が頷いたのを見てデュプイの後を付いて上に登り、仕事場に入った。

「そこに居るのはリアンドラか?」

「すまんなギャムレン、俺だよ」

「ああ、ふん」ギャムレンは奥から出てきてがっかりした様子だった。
「なら、彼女がどこにいるのか知ってるか?」

「いいや。俺は今朝から出かけてたんだぞ?」

「その、彼女は昼食にミートローフを作ると言っていたんだが。ひき肉もまだ冷蔵庫にある。朝から出かけたまま、もう二時半になるぞ」

母さんのミートローフはこの叔父貴の大好物だった。
「夕食にしたって良いじゃないか。ミートローフくらい自分で作れないのか?」と俺は言うと、彼を押しのけて電話の方へ向かった。
「大して難しくは無いだろう」

「俺は忙しい」

「母さんも忙しいんだぜ、考えたことはあるのか?」

「ふん、あのテンプラーとデートに出かけるのにだろう」とギャムレンが顔をしかめた。

俺は彼に黙れと言うと、電話をかけ始めた。
「デュプイさんにお茶でも入れてやれ。少しは役に立つところを見せるんだな」
受話器を持ったまま、俺は母さんが居間のテーブルに置いていったらしい、白ユリの花束をぼんやりとつっついた。水に入れないと萎れてしまうな。

俺がハングド・マンのイザベラに電話を掛けたとき、ちょうどフェンリスとヴァリックが仕事場に入ってきた。良かった。未だにフェンリスと素早く連絡を取る方法が見つからなかったが、今回に限って彼は手近なところに居てくれた。電話をかけ終えると俺は、二人に何が起きたかを話した。彼らはデュプイのブラッド・マジックに頼ることに難色を示したが、新たな犠牲者の発生の可能性は、何よりの気がかりだった。

他の友人達もぼちぼちと集まり始めて、俺はひき肉と玉ねぎをいくらか炒めて塩コショウをすると、トーストの上に乗せて食べた。母さんのミートローフの足下にも及ばなかったが、少なくとも手っ取り早く満腹にはなった。

エメリックが最後に現れて、遅れたのは夜直の代わりの者を見つけなければいけなかったためだと言った。

「リアンドラをどうした?」とギャムレンが、彼が扉を閉めるやいなや噛みつくように言った。

「どういう意味かな?」とエメリックが面食らった顔で言った。

「あの花束は君が持って来たんだろう?」と俺は居間の白ユリの花束に顎をしゃくって聞いた。

エメリックは、ただ不思議そうな表情をしただけだった。
「いいや。私は今日はずっと仕事をしていた」

デュプイが咳払いをした。
「君たちに警告したい訳では無いのだが」と彼は言った。
「私の姉が居なくなる直前にも、彼女の部屋に白ユリの花束が飾られていた」

突然これっぽっちも空腹では無くなり、俺はトーストを皿の上に置いた。部屋中を完璧な沈黙が覆い、全員の注目の的となったことに気付いてデュプイが怯む表情をした。

「お前さんの魔法の儀式な、始めた方がいいだろう」とヴァリックが低い声で唸った。
「今すぐに」

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