45.パッチワークの怪奇死体:8名遺体確認

テンプラーがやって来て、それから警察が到着し、刑事達が俺に魔法瓶からコーヒーを入れてくれて、何が起きたのか判ることを話してくれと尋ねた。アヴェリンとエメリックは時の人となるだろう。俺は、ただの民間人だった。死んだ母親を抱えた、ただの男だった。

俺はまだそのことを考えるのが耐えられなかった。その内、俺は自分がアパートの前に居ることに気が付いたが、一体そこまでどうやって戻ってきたのか全く思い出せなかった。俺はよろよろと階段を上がっていった。

ギャムレンが居間に居て、ラジオの隣に座っていたが、スイッチは入っていなかった。

「叔父さん」と俺は言いかけた。俺はギャムレンを、名前以外で呼ぶことなど滅多に無かった。

「ヴァリックが話してくれたよ」と彼は静かに言った。
「少なくともある程度のことは」

「ああ」

「何故彼女なんだ、トリップ?一体何故、リアンドラが?」

「判らない」俺はとにかく居間に入り椅子にドサリと座った。この会話を続けたくは無かった。俺は心底泣きたかったが、ギャムレンの目の前でそうするわけには行かなかった。
「運が悪かったんだ」と俺は言った。
「彼女が誰かなんて、関係なかった」

「メイジがやったのか、デュプイの野郎のような?やつはどうなった?」

「テンプラーがデュプイを連れて行ったさ。ああ、メイジだった」
俺は頭をもたげて彼を睨み付けた。
「それに何か文句でもあるのか、ギャムレン?」

彼はそれ以上、そのことには触れようとはしなかった。

「何か俺に出来ることは無いか?何かやるべきことは?ああメイカー、カーヴァーは知ってるのか?」

「エメリックもそこに居た。もし警察がカーヴァーに連絡しなかったら、彼がどうにかするだろう」
その時初めて、俺はカーヴァーがテンプラーになるために去ってから、初めて彼と顔を合わせる事になると気が付いた。母親が死んだために。
「寝ろよ。今晩出来ることは何も無い」

「お前は晩飯は食ったのか?」

「いいや」

ギャムレンは立ち上がった。
「座ってろ。何か作ってやる。ひどい顔をしてるぞ」

俺は空腹を感じちゃ居なかったが、ギャムレンがそうも何かしたいのなら、させてやるさ。バターの熱せられる匂いに俺の胃袋は不平を漏らしてひっくり返ったが、それでもギャムレンが炒めた卵とハムの皿を目の前のテーブルに置いた時、俺は皿の中身を全部平らげていることに気が付いた。たとえ味はこれっぽっちも分からなかったにしても。

ギャムレンはそこに座って、俺が無表情で食べる様子をただ眺めていた。

俺は空になった皿を押しやり、それから俺達は黙って座っていた。もし表の道路から急停止する車の音が聞こえなければ、俺達は一晩中そこで座っていたに違いないだろう。階段を二段飛びで駆け上がる足音が聞こえて、カーヴァーがアパートに飛び込んできた。彼の額には汗の粒が浮かび、顔色は髪のように白く、制服はしわくちゃのよれよれだった。

「一体どういうこった」と彼は大声で叫んだ。

「カーヴァー――」とギャムレンが口を挟んだが、カーヴァーは彼の方を見向きもしなかった。

「一体どういうことだ!」
彼は帽子すら取らず、文字通り部屋の端から俺に飛びかかると襟元を掴み上げた。
「兄貴が居て、何故、こうなった!」彼は俺の面前で怒鳴り、一言毎に俺を揺さぶった。

俺はやつの頭の側面を平手でぶん殴った。彼の首はぐきっと横に曲がったが、彼は俺を離そうとはしなかった。

「手を離せ、小僧」俺は唸った。
「もしお前が家を出てなきゃあ、何がどうなったかしっかり見ていられただろうよ」

「お前達、二人とも悪い所はあるんだ、俺達皆――」

俺達は同時に振り向きギャムレンをひっぱたいた。ぶん殴ると言うほどではなかった――少なくとも俺の方は――だが彼は黙り込むと、鼻を押さえて椅子にドスンと座り込んだ。

「母さんの面倒を見るのが兄貴の役目だったろうが!」

「俺は母さんの看守じゃないぞ!どうしろって言うんだ、家に閉じ込めて鍵を掛けときゃあ良かったのか?」

「殺人犯がほったらかしになってるって知ってたはずだ!」

「よくもその口から言えた物だな、一体誰のせいだ、このくそったれのテンプラー野郎!」

「こんな事になった後で、兄貴の自慢の魔法に糞のひとっかけら程の価値もあるもんか」

もう沢山だ。このはな垂れ小僧に向かって何度もやって来たように、彼を押し倒して叩きのめそうと俺は全力で押しのけた。俺が思っていたほど上手くはいかず、カーヴァーは膝を俺の脇腹へぶち当てた。俺はそれでもいつものように、彼が謝るまで両耳を両側から押さえつけようとした。彼は俺が何をしようとしているのか重々判っていて、猛烈に反撃してきた。

何だってこの馬鹿野郎はここに居なかったんだ?何だって俺は母さんの側に居られなかったんだ?カーヴァーが俺の隙を突いて平手打ちを食らわせ、俺の耳がぐわんと鳴った。ギャムレンが賢明にも何も言わずただ黙って見ている中、俺達は互いに揉み合いながら唸り声を上げた。

母さんは行ってしまった。

彼女は死んだ、俺は何も、何も、何も出来なかった。俺はまた拳の骨を折る勢いで、幾度もカーヴァーにパンチを食らわせた。クエンティンは、もしフェンリスが俺のためにやってくれなければ、やつはまだ生きていただろう。俺は役立たずの弱虫で、やつをのうのうと歩き回らせていた。これは俺の事件だった。最初から俺の事件だったのに、単に放り出して、警察がどうにかするだろうと思っていた。どうにかなるはずもないくらい判っていたのに。

俺が馬鹿だったんだ。

怒りに眩んだ俺の頭の片隅で、表の扉が開く音が聞こえた。カーヴァーはその隙を突き、俺の腕を払いのけると足を掬って、俺は頭から壁に叩き付けられた。

もう沢山だ。殺してやる。

カーヴァーの重いブーツの足が俺の肋骨に食い込み、肺から息を全部追い出して、俺はあえぎながら床の上に転がった。彼はしかし追い打ちを掛けようとはせず、連続した重低音が俺の耳に飛び込んできた。ビアンカの弔歌だった。

「止めとけ、お前達」とヴァリックが、悲しげな眼をして言った。
「何の訳にも立たねえって、判ってるだろう」

俺は何か言おうとしたが、ただゼイゼイと呻くのが精一杯だった。

「もう少しゴム弾を食らいたいか、それとももう止めるか?」と彼は聞いた。

俺は頷き、カーヴァーも一歩下がって、多分同じようにしたんだろう。
「邪魔をして悪かった、もし何か助けが必要なら、俺は下にいるぜ」

「ありがとう」と俺はどうにか言葉を吐き出すと、床の上に座り直した。その場所からは、母さんのエプロンがいつもの場所、裏口の扉のフックに掛かっていて、母さんの帽子が帽子かけに、母さんの毛糸が山積みになった編み物籠が、隣の部屋の母さんのお気に入りの椅子の側に置いてあるのが眼に入った。少なくとも、あの花束は片付けられていた。

突然、俺はこの場所に居るのが耐えられなくなった。

俺はよろめいて立ち上がり、ヴァリックが腕を掴んで支えてくれた。
「出かけてくる」と俺は誰の顔も見ずに言った。帽子と外套を掴んで飛び出していく俺を、誰も止めようとはしなかった。

フェンリスは家に居なかった。
俺は大声で呼んで玄関扉を叩いたが、家の中は静まりかえっていた。俺は煙草を切らしていた。実際のところは途中で全部吸い尽くしていて、それに滅茶苦茶に喉が渇いて居た。今が何時なのか見当も付かなかったが、多分かなり遅い時間に違いなかった。一体フェンリスはどこに行ったんだ?

知ったことじゃない、俺には関係ないと自分に言い聞かせて、俺は中へと入った。

フェンリスが居ないフェンリスの家は、何も変わるところはなかった。俺はふらふらと一階の広間を突っ切り、台所まで歩いて行った。辺りを突き回してグラスを探す気分では無く、蛇口の下に手を差し込むと直接水を飲んだ。

それで、どうする?家までまた歩いて帰るしか無さそうだ、俺が思うには。

俺は二階へと上がり、彼の部屋の椅子に腰を下ろした。暖炉は冷え切っていた。フェンリスは明らかに、少し外の空気を吸いに出たというだけでは無さそうだった。ここはひどく静かだった。壁に掛かった時計も沈黙を守ってた。フェンリスが毎日時計のねじを巻くとは思えなかった。この夜更けには、表の大通りにさえ交通が途切れがちだった。俺はしばらくの間、自分の呼吸する音を聞いていた。

それから、俺は両手で顔を覆って泣いた。


「トリップ?」

俺はテーブルから頭を持ち上げ、頬にくっついた塗料がぺりぺりと音を立てて剥がれた。フェンリスが戸口に立っていて、微かな明け方の光と鳥の声が天井の割れ目から漂っていた。

「うう」俺の口の中は、まるで砂をほおばったような感じがした。

「君は、ずっとここに居たのか?」
フェンリスは心配げに額にしわを寄せていった。
「家族が君が出かけたと言ったので、俺は君の家で待っていた。その、気の毒なことだった」

「俺は寝ちまったに違いないな」と俺は言うと、感覚を取り戻そうと片頬をさすった。
「君は一晩中俺を待っていたのか?」

フェンリスはまだ戸口の所に突っ立っていた。
「俺はこういう事柄の対処は上手くない。もし君が望むなら俺は出て行こう」

「フェンリス、ここは君の家じゃないか。なんだって君が行かなきゃならない?」

フェンリスは肩を竦めたが、ともかく中に入って帽子を脱ぎ、テーブルの上に放り投げた。

「何を言えば良いのか、俺には判らない」

俺は溜息を付いて肩を竦めた。
「君が思いつくことなら、何でも」

彼は俺の側に膝を着いた。
「俺は、俺が思うには、こういう時には、意味のない会話をする意味は無い」
彼はそう言うと身を乗り出して、片手を俺の肩に置いた。どうしてか彼がそうしようとするのか、俺には判らなかった。俺に彼の家に押しかけて、慰めてくれと要求する権利があるのかさえ、俺には判らなかった。

だがとにかく、彼はそうしてくれようとしていた。俺を慰めようと捜しに出かけてくれた。それだけでも、随分と気分が楽になったように思えた。

俺は彼の方に向き直り、頭を彼の肩に押し当てて眼をきつく閉じた。
「何か言ってくれよ、何でも良い」

「何でも?」

「何でも」

フェンリスがもう少し楽な姿勢にと床の上で座り直すのが感じられた。それから、彼がテーブルの上から本を取って、頁をめくる音がした。

『拝啓、あなたはふりゅ…フライドマッシュとナグは好きですか?僕はあまり好きではありません』と彼は読み始めた。
『クラーグ様。僕はフライド・マッシュとナグが好きではありません』

母さんも、その話を読んでくれたことがあった。若いドワーフの馬鹿げた冒険を描いた詩で、最後にはクラーグ様が穴に転がり落ちる話だった。俺はフェンリスの上着に顔を押しつけ、目に浮かぶ涙が見えないようにした。俺はただ彼の声を聞き続け、彼も読むのを止めようとはしなかった。時折言葉を詰まらせる以外は。彼の手は、まだ俺の肩に置かれていた。


俺は慣れないベッドで眼をさました。メイカー、俺はこの先もずっと、変な所で寝て変な時に眼を覚ます一生を過ごすんだろうか?

そこはフェンリスの部屋だったが、この角度から見た事は一度も無かった。俺はぐいっと頭を回した。フェンリスは居なかった。俺はため息を付き、またベッドに横になると、何も考えまいとした。自分が誰か思い出したら、酷い事柄が俺を待っているのは判っていた。

俺は手を伸ばしてベッドの反対側をパタパタと叩いた。温かみが残っていたような気がした。冷たかったかも知れない。フェンリスは俺の靴と外套を脱がせてくれていた。彼が一体どうやって、俺の身体をここまで担いできたのかは判らなかったが。あるいは俺も少しは手伝ったのかもな。

俺の頭は僅かにすっきりとして、胸を引き裂く鈍い痛みも少しばかり軽くなっていた。俺は顎を撫でながら、一体今が何時だろうかと思った。風呂に入らなきゃな、トリップ。

フェンリスの浴室には、まだお湯の出る配管が残っていた。俺はタオルを持って通うべきかも知れない。だが髭も、それに顔中の痣も、どうしようも無かった。

俺はここにずっといる訳には行かないと判っていた、どれだけそうしたいと思っていても。

辺りの引き出しを探し回って――ダナリアスが残して行っただろう本やガラクタが、そのまま残っていた――ようやく紙とペンを見つけ出すと、フェンリスにメモを残した。

もてなしに感謝。家に戻って仕事を片付ける。何時でも君の良い時に訪ねてくれ。

サインをしようとして、俺は戸惑い手を止めた。
「敬具」?「愛してる」?「仲直りできたと思って良いか?」?
今の俺にはややこしすぎた。もう少し後で考える事にしよう。

いつも君の側に
トリップ


結局のところ、かつてリアンドラだった顔を持った死体のうちの大部分が、リアンドラでは無かったということが判明した。新聞は競うように新しい犠牲者の身元が判明する毎に書き立てたが、それでもとうとう身元の分からない女性も居た。当局の発表では、少なくとも8名の女性が一時母さんの顔をまとった奇怪な化け物に含まれていたということだった。

俺は二日目には新聞を読むのを止めた。

オシノから送られた痛恨の念と同情溢れる手紙を、俺はエメリックの手からありがたく受け取ったが、果たして返事をして良いものかどうかと戸惑った。年老いたテンプラーは俺と同じくらい心を痛めているようにさえ見えた。ようやく、俺は感謝の言葉を短く書き留めた。

俺達は貯金をはたき、ヴァリックが足りない分を援助してくれて、母さんに相応しい葬式を上げる事が出来た。彼女は両親と共に、カークウォールでも最も古く最も由緒ある墓地の、アメル家の墓に眠ることとなった。ようやく俺達に母さんの遺体が返され、遺灰を墓に納めることが出来たのは、事件から二週間経った後の清々しい冬の朝のことだった。

墓地付属の小さな礼拝堂は、溢れかえる人々でいっぱいになった。俺達の友人だけでは無く、上町に住む上流階級の人々も幾らか出席していた。アメル家の名は、未だに幾らかは尊敬の念を寄せられていた。カーヴァーと彼の仲間の新入団員も参列して、端から見れば随分妙な集団が辛抱強く教母の説教に耳を傾けた。ドワーフ、エルフ、アポステイトにテンプラー、貴族に盗っ人が、たとえ熱心な信者で無くとも、皆頭を垂れて哀悼の意を表していた。母さんは本当に大勢の友人を作っていた。

カーヴァーと俺はいがみ合いを止めた。二人とも酷く落ち込んで信じられないという表情でお互いを見つめていたから。騎士団は彼に弔事休暇を与え、その間ずっと彼と俺で、母さんの持ち物や何かを片付けた。彼女の遺書は、残った財産全てを俺達兄弟二人が公平に分け合う事となっていて、持っているのが耐えられないものはチャントリーの救貧所に寄付した。売り払って家賃や煙草代に使うのは、間違っている事のように思えた。

教母が頭を下げた。
「そしてここに、我らはリアンドラ・アメル・ホーク、愛すべき母、忠実なる妻、親切で寛大なる魂に別れを告げましょう。メイカーのお側で、彼女に永遠の安らぎあれ」

ホースが頭を反り返らせると朗々と遠吠えをして、参列者の半分がびっくりして飛び上がった。

「しーっ!」俺は彼を叱りつけたが、母さんが面白がっているのは間違い無いように思えた。

カーヴァーと俺で、暗い納骨堂の中で鈍く光る、新しい真鍮製の銘板の上の奥まった場所に母さんの骨壺を置いた。

「母さんが父さんやベサニーと同じ場所に居られないのは残念だな」とカーヴァーが言った。

「灰の有る場所は関係無いさ。母さんの行くところには、必ず父さんとベサニーも居る」

「まあ、そう言われては居るよな。父さんとベスを頼むよ、母さん。僕達の事は心配するな」

「俺達は大丈夫だ」と俺も付け加えた。

それから俺達は納骨堂を出て、日の当たる場所へ、友人達のところへと戻った。

カテゴリー: Jazz Age パーマリンク