46.クナリ、カークウォール中央駅を襲撃

それで、ギャムレンと俺はアパートで二人、やもめ暮らしをすることになった。棚の上にはすぐにホコリが分厚く貯まりだし、ベッドの下ではホワホワした綿埃の子ウサギが大きくなっていったが、少なくともギャムレンは長いこと独身生活を続けていてから、生きていくための基本技術は身に付けていたし、彼はもちろん俺にもそれを叩き込んだ。

俺達は誰が次の洗濯当番で、誰が綺麗な靴下を盗ったかと毎日口げんかに明け暮れたが、少なくとも飢え死にはしなかった。友人達も俺達を気の毒に思って手を貸してくれた。メリルでさえ、一度は筋張った木の根っこのサラダと、妙な味の豆のディップを夕食にごちそうしてくれたものだ。だがともかく、彼女の手作りのパンは香ばしく美味しかった。

「なあ、君の屋敷で一緒に住まわせてくれよ」
俺は仕事場で推理小説を読むフェンリスに向かって言った。

「駄目だ」
彼は顔すら上げずに却下した。

「君の家はあんなにでかいじゃないか。俺が居ることに君は気付きさえしないだろうよ」

「俺は気付く」

「ギャムレンの野郎、昨日の晩シチューをストーブに掛けたまま忘れたんだ。鍋に大きな穴が開いちまった。台所に行けばまだ焦げたジャガイモの臭いが嗅げるぜ」

「トリップ!」
フェンリスは読んでいた小説から眼を上げて俺をにらんだ。

「何だ、フェンリス?」

「本当に君は、俺達が一緒に住めると思っているのか?」

「俺達は今だって一緒に住んでいるようなもんじゃないか。何たって君はここに毎日居るんだし」

「俺はここで食事をしたり寝たり……風呂に入ったりはしない」
彼はなぜだか、顔を赤らめた。
「トリップ、俺達には無理だ」

「俺を信じてくれないのか?」

「いいや。その、信じている。もちろん。ただその……」と彼は言葉を詰まらせると、上手く表現出来ないことに苛つくような表情を見せた。

「君はまだ俺達のことを考えているんだろう」と俺は言った。
「あとどのくらい考えているつもりなんだ?」

「もし君が待つのが嫌だというのなら――」

「フェンリス、そいつはフェアじゃないぞ。俺は待っている。だけどどうして君の家で待ったらいけないのか、俺には判らないな」

「俺は考えているんだ!君のことについて、ほとんどずっと!その君が本当にそこに居たら、もっと、その、まずい事になると判らないか?」

「もっとずっと良いことになるかもしれないぜ」と俺は言って、片肘を机に乗せて頬杖を突いた。
「考えるより行うが易しって言うしな」

「それでもし、君の気に入らないようなことを俺がしたら?」と彼は、その驚くほど鮮やかなエメラルド・グリーンの眼で俺を見つめて聞いた。

「それでもどうにかする方法を見つけるさ。何だって君がそう俺のことを信用してくれないのか、判らないな」と言うと、俺は片側の腕だけで肩を竦めた。

「俺が信用していないのは、君ではない」と彼は呟いた。

そして、それこそが問題の要だった。フェンリスと、俺達の関係について話をしようとするたびに、彼はひどい罪悪感に襲われて顔を背けようとするのだった。だが俺は彼から去ることは出来なかった。それに、俺が居て欲しい時はいつも彼はそこに居て、しばらく泣き顔を埋めるための肩を貸してくれた。

俺が母さんのことを思い出す時、周りに誰も居ない時には、彼は俺の顔を見て肩か腕に手を掛けてくれた、もっとも彼は一言も言わなかったが。俺も、何も言わなかった。彼が心を変えて止めて欲しくは無かった。

だけど少しの進歩も見られないまま、足踏みしているのは本当に俺の性に合わなかった。

俺は低く呻くと、ドスンと机に額をぶつけて突っ伏した。

「まあ、なんてドラマチック」とイザベラが言った。

「君は何だって、いつもそうこっそりと入ってくるんだ」と俺は顔を上げると言葉を返した。

彼女は肩を竦めた。
「あらん、愛する恋人達の会話を邪魔するほど野暮じゃないわ」

フェンリスは歯を剥き出して彼女を睨み付けたが、彼女は気が付いたそぶりは少しも見せなかった。

「また手を借りたいのよ、トリップ」と彼女は机の端に腰掛け、25シルバー分の硬貨を手渡した。
「ちょっと後を付けて欲しい男が居るの」

「本気で言ってるのか?たったそんだけ?ホテルの部屋に忍び込むのは無し?誘拐も?尻尾を追いかけるだけ?」

「おおぅ、その言い方気に入ったわ。尻尾を追いかける、ね」

「イザベラ!」

「ちょっと、落ち着きなさい」彼女は肩越しにフェンリスに振り返るとウィンクしてニヤリと笑った。
「実は、この男が有る盗品を持ってるんじゃないかと思ってるの。もう彼のアパートは調べたんだけど、見当たらないわ。だからあなたに、彼の出先を追いかけてどこに行くのか教えて欲しいのよ、そうすればあたしが隠し場所を見つけられるから」

俺は肩を竦めた。
「まあ、やろうじゃないか?どうせ今日は他の客もなさそうだし」


やぶにらみのサム。名前からはどういう人物か大体想像が出来たが、実物もそれを裏切らなかった。まるで誰かが彼の顔を風船に描いて、それを斜めから押しつぶしたようだった。俺とフェンリスは、彼が裏庭から洗濯物を取り込み、煙草を買いに出かけるのを見つめていた。それから彼は昼食のために家に戻り、その後で安酒場――もちろん、違法な――に出かけてしばらくの間カードで遊んだ。俺はほとんどギャムレンが来るんじゃないかと予想していたくらいだ、もっとも彼は母さんが居なくなった後で、ともかく金になる仕事を見つけようとする努力を多少はするようになっていたが。

フェンリスと俺は、サムの入った酒場のはす向かいでのんびりと立ち話をするフリをして、煙草を吸いながら周囲を監視した。

「イザベラが退屈な仕事を寄越してくるとは思っても居なかったな」と俺は言った。

「どうやら違うようだ」とフェンリスがあくまで車を眺めている風の視線を動かさずに言った。
「クナリが来る」

「何だって?」

俺はこれが偶然とは思えなかった。背広に身をつつんだクナリが一人、決然とした足取りで道路をやって来て、酒場の正面玄関を開けた時、サムが慌ててコソコソと横の通用口から出て行った。俺の推測は間違ってはいなかったようだ。フェンリスと俺もクナリと顔を合わせるのは避けたかったので、早足でサムの後を追った。

「クナリは追ってきてはいない」とフェンリスが急ぎながら、ちらりと後ろを振り返って言った。

「やぶにらみは運が良かったな」と俺は言った。
「あそこに居る」
サムは大通りでタクシーに飛び乗ったので、俺達はケーブルカーに乗り込んで同じ方向へ向かう車であることを願うしかなかった。交差点を通るたびに俺達はいつでも飛び降りられるようにと乗客を押しのけ、彼らの怒りを買った。だが驚くことに、タクシーとケーブルカーは同じ場所へと到着した。

カークウォール中央駅に。

「もし彼が街を出るとしたら、どうする?」とフェンリスが聞いた。

「ああ、しょうがない、君と俺で追跡旅行と洒落込もうじゃないか。イザベラが後で俺達の切符代を払ってくれるさ」

クナリの姿はまだ見えず、俺達はサムに追いつこうと、ちょうど停車した列車から旅行鞄を担いで降りてきて、タクシーを探そうと腕を振る人々でごった返す構内をかき分けるように急いだ。少なくともここでは、急ぎ足でいても目立つことはなかった。
それから俺達の眼に、サムがアーチ天井の廊下をくぐってロッカーのある区域へ行こうとしている姿が留まった。フェンリスと俺はちらりと視線を交わした。

もし何か盗品を隠したいなら、俺なら隠し場所に駅のロッカーは選ばないがな。

急ぐ俺達の足音が、駅のタイル張りの床に甲高く響いた。しかし突然人々の波が別の方向から押し寄せてきて、俺達は一瞬立ち往生する羽目になった。角を曲がった時に、その理由が俺達にも分かった。

やぶにらみのサムはロッカーの前にうずくまり、反対側を恐怖に怯える眼で見つめていた。洞窟めいた駅構内の広場から、数名のクナリが歩いてくると、足取りを緩めることなく外套から銃身を切り詰めたショットガンを取りだした。

「連中は戦争でも始めるつもりか」とフェンリスが歯の隙間から押し出すように言った。
「こんな所に武装集団を送り込んで」

「もしそうなっても、連中は気にも留めないだろうな」と俺は言った。
「彼らはようやく、探している物を見つけようとしているんだ」
全てのピースが、突然ぴたりとはまった。『盗まれた処方箋』。イザベラのクナリと、サラバスに関する知識。カークウォールに非常識なほど長居するクナリ。イザベラをこの街に数ヶ月以上足止めしている、やりかけの仕事。

やぶにらみのサムは逃げるが勝ちと決めたらしく、その場から全速力で駆け出した。

そしてクナリが、彼を背後から撃った。

フェンリスと俺は物陰に飛び込み、銃声の鳴り響く音に加えてたまたまその場に居合わせた不幸な人々が上げる恐慌の叫び声が、火薬の煙と共に廊下を漂っていった。その轟音の中で、俺にはサムが上げたかも知れない苦痛の悲鳴は聞こえなかった。

やぶにらみのサムは、多分もう二度と叫び声を上げることはないだろう。彼の身体は、床に転がる血まみれのぼろ布と化していた。

「くそったれ」と俺は影から用心深く頭を覗かせて言った。
「やつらがロッカーの方に行くぞ」

「俺達はどうすればいい?」とフェンリスが聞いた。

「やつらは白昼堂々と男を撃ち殺した。もし警察がやって来たら、ここから脱出するためにもっと殺すかも知れん」

「だが、もし連中が欲しい物を手に入れれば、街から出て行くかも知れない」

「ならくれてやるさ、ただし丁寧に頼めばの話だ。後ろを護ってくれ、それとなるべくやつらを殺さないように」

フェンリスは頷いた。

「おい!」と俺は大声で叫び、大きく両腕を身体の脇に広げて物陰から出た。
「おい、お前があの男を殺したのか!」

「あっちに行け、バスラ」 1
「おまえには関係のないことだ」
彼らはやぶにらみのサムが開けようとしていたロッカーの周りに集まって、その内の一人がバールのような物でこじ開けに掛かっていた。彼らはどうにかして、既にサムがここに処方箋を隠していることを知っていたに違いなかった。後は単に、どのロッカーかを知るだけで良かった。

俺は彼らの銃を見つめたまま歩き続けた。連中は俺の顔を知っているようでは無かった。結構だ。俺はただ、範囲内に近づく必要があった。後少し、二歩、一歩。
俺は膝を曲げると一番背後のクナリに飛びかかり、やつはショットガンを持った腕を振り上げたが、フェンリスの素早さに比べると随分のろまだった。俺はホンのちょっとだけ魔法を呼び起こして、彼の手に持った銃を顎に叩き付けた。それから、フェンリスのオートマチックが俺の背後からパンと鳴る音が聞こえた。

そして誰かがマシンガンをぶっ放し、俺は床に転がり込んだ。

「くそっ!」銃声が止んだとき、俺はそっと頭をもたげた。フェンリスは物陰に飛び込んでいて、クナリは全員床に転がって呻いているか、既に息がないように見えた。

イザベラが、マシンガンを隠していた大降りのスーツケースを蹴飛ばし、銃床を彼女の腰に当てながら近づいてきた。

「ありがと、トリップ。彼らにまっすぐ近づいていくなんてとんでもない話だけど、お陰で良い目眩ましになったわ」

「連中を殺したな」
俺はようやく立ち上がると言った。フェンリスが駆け寄る足音が聞こえた。

「喜んでやってるわけじゃないわ。ほら、これ持ってて。ロッカーを開けるから」と彼女は言うと、マシンガンを差し出した。

「駄目だ!」俺は両手を鋭く上げた。

「ああ、ごめんねトリップ。忘れてたわ」
彼女は微笑むとマシンガンを壁にそっと立てかけた。それから彼女はバールのような物は無視して自分の細長いピンを取り出すと、足下に広がる血の海にも関わらず、氷のように冷静にロッカーを開け始めた。

「クナリがカークウォールに留まっていたのはその処方箋のせいだ、違うか?」と俺は聞いた。

「もちろんそうよ、トリップ。見つけるのを手伝ってくれてありがとう」
そう言うと彼女はロッカーの扉を開け、中に入っていた紙の束を掴んだ。

「連中に返さなきゃ。そうすれば、これを許して貰えるかも知れん」と俺はクナリを見ながら言った。

「いいえ」イザベラは紙の束を、彼女の身体にぴったりフィットする上着の内側に差し込み、マシンガンを取り上げた。

「何をするつもりだ?」

「カスティロンに渡すのよ、これを」と彼女は言った。

「馬鹿な!君はたった今連中を撃ち殺したんだぞ。戦争になる」と言って、俺は一歩前に出た。

イザベラはマシンガンを持ち上げ、俺の胸に狙いを付けた。
「あたしにどうにかできる話じゃないのよ、トリップ。あなたにもね」というと、実に彼女らしくない悲しげな笑みを浮かべた。
「あたしと一緒に来て。二人とも。カークウォールはあなたたちに相応しい街じゃない。クナリもね。この街にいたって、良いことは何も無いのよ」

「イザベラ、他の方法が有るはずだ。カスティロンをどうにかすることだって出来るだろう」

「トリップ、あなた一人でリヴァイアン・マフィア全部を相手には出来ないわ。それにあなた一人で、クナリとの戦争に勝つことも出来ない。あなたは本当に何でもやるけど、奇跡を起こす人じゃない」

「さてね、どうやら俺の取れる選択肢はそう多くは無さそうだ」

「イザベラ、これは馬鹿げている」とフェンリスが言った。

「何もかも馬鹿げてるのよ、最初から」と彼女は首を振ると言った。まるで俺達にと言うより、自分に言い聞かせるように。
「だから他人と深く関わっては駄目だったのに。だからこんな事になるのよ」

彼女は後ずさりを始めた。

「イザベラ!」俺は一歩出ようとして、鋭く耳元をかすめる銃弾に立ち止まった。

「あなたと、あたしの命を選ばせないで、トリップ。お願いよ」

俺は以前にイザベラが泣き真似をしたのを見た事がある。本物は、ずっとドラマチックでは無かった。だが彼女の唇の震えと、目尻に浮かぶ水滴に、彼女が俺を騙そうとしているのではないと思うことが出来た。今度ばかりは。

「アリショクに、処方箋は無くなったと伝えて」と彼女が提案した。
「もしかしたら、役に立つかも知れない」

「何だって?そうしたら、彼が別の街を襲うからか?イザベラ、こんな事は止めるんだ」

「あなたは本当に良い人よ、トリップ。そして、あたしは悪い女。あなたは探偵よね。とっくの昔に、気付いているべきだったのよ」
彼女は後ずさっていたが、廊下の端まで来たとき銃口を降ろすと、身を翻して走り出した。

俺は彼女を追いかけ、フェンリスがすぐ後に続いたが、彼女は俺よりも遙かに追跡者をかわす術に長けていた。ゴミ箱に放り込まれ、銃床が上から突き出たマシンガンが目に止まった。出発する列車の汽笛が、駅舎に大きく響き渡った。

そして、俺達は二人とも逮捕された。

Notes:

  1. Basra:役に立たない物/者。
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