48.号外:シェイマス・デュマー殺害さる

「俺はすぐ後ろにいる」とフェンリスがささやいた。
「用心しろ」

俺にもよく分かっていた。

俺が前に進み出ると群衆は静まりかえり、数名のクナリを後に従えてアリショクが進み出た。彼らの銃は、今のところは未だ下を向いていた。

「ホーク」とアリショクが言った。
「お前と再び会わずしてこの街を去ることとなれば、我も残念に思ったであろうな。お前はこの汚濁と堕落に満ちた街で、唯一のバサリト・アン」 1

「そりゃあどうも、ご丁寧に。ところでどこへ行こうとしているのかな?」

「無論、お前達が市庁舎と呼ぶ建物へ。我々の一人、お前達のもっとも尊重されるべき人々の一人が殺害された。キュンは報復を求めている」

「キュンが?それとも、お前が?お前がやろうとしているのは、まさにシェイマスを殺した連中がクナリに望んでいることだ」

「そうだとして、何故お前が抗議する、ホーク?」

「お前には何の権利もないからだ!処方箋はもう無い。ここに留まる理由は、もはやお前には無い」

「ちょっと待った!」
俺の顎が大きく落ちた。振り返ると、側道からスタスタと現れるイザベラの姿が見えた。
「もし、あなたの大事な処方箋が戻ったら?カークウォールから出て行く?」

「イザベラ!」

アリショクは、俺の驚き顔を面白がっているようにさえ見えた。
「あるいは」と彼は言った。

俺は彼をちらりと見ると、他の友人達の所に駆け戻り、彼らと一緒にイザベラを取り囲んだ。それから俺は彼女の身体に両腕を回してちょっとだけ抱き上げた。

イザベラは驚いたように笑った。
「あたしも寂しかった」

「君に会えて本当に嬉しいよ」と俺は彼女に言った。

彼女はニヤリと口を曲げた。
「もし男の子がそう言うたびにお金が貰えるなら、今頃大金持ちでしょうにね」と言うと、彼女の顔から笑みが消え、悔いるような顔つきで俺の肩を叩いた。
「出来なかったわ、トリップ。汽車でリヴァインにもう半分がた行ってたのに、戻らなきゃいけないって判ったの。あなたの落ち込んだ顔が頭にずっと浮かんで、眠れなかった」と言って彼女は肩越しに振り返った。
「遅すぎたかしら?」

「まだ大丈夫だな」と俺は言った。
「処方箋を持ってるか?」

彼女は胸の隙間から紙の束を取り出して、俺に手渡した。

「カスティロンの方はどうする?」と俺は聞いてみた。

「ああ、首でも吊ってればいいわ」と彼女は黒髪を掻き上げた。
「あのイタチ野郎にあたしの行動を指図されるくらいなら、今すぐやつの所にあたし一人で飛んで行って、首を掻き切ってやる」

俺は女心の変わり易さについて何か言おうとしたが、メリルの眼を見て思い直した。

アリショクはまるで彫像のように微動だにせず、ただ待っていた。

メリルとヴァリックがイザベラにお帰りと熱狂的に言うのを聞きながら、俺はその紙束を広げて中を覗き込んだ。

「意味が分かって?」
俺が紙に書かれた数式のような物を眼を細めて眺めていると、アヴェリンが聞いた。

「まあ、これはリリウムの元素記号だが」と俺は言った。

「あたし達で助けようとした、あのクナリのメイジが書いたのよ、きっと」とイザベラが言った。
「少なくとも、彼らは一緒に盗まれたんだし」

「ホーク!」とアリショクが再び声を上げた。
「もしお前がその処方箋と、それを盗み出した盗人を引き渡すなら、お前の街は許してやろう」

「お前は本当に、俺が友人をお前に引き渡すことを、ホンの一瞬でも考えると思ったのか?」

「彼女は盗人だ。正義は為されねばならん。もしお前が彼女の死を気に掛けているのであれば、彼女は死ぬことはない」

「彼らは彼女を『再教育』しようとするだろう」とフェンリスが静かに言った。

「駄目だ」

「残念だ、ホーク。我らが引き下がれないことは知っておろう。そして、処方箋も手に入れなければならぬ」

「あなたに何か良い考えがあると良いのだけど」とアヴェリンが言った。

「ここに居る連中全部と闘うには、ちょいと弾が不足だな」とヴァリックが付け加えた。

俺には良い考えなど無かった。俺は処方箋を見て、その行から何か意味を読み取ろうとした。何か、俺の存在価値を跳ね上げるような理由を。俺は次第にその形を掴みかけていた。

「流血の惨事を避ける方法が、一つある」とフェンリスがゆっくりと、微かに渋る様子で言った。

「何だ?さっさと言えよ、フェンリス」

「彼は君のことをバサリト・アンと呼んだ、尊敬に値する余所者という意味だ。ならば、君は彼に決闘を申し込む権利がある」

「何だって、あいつと、俺が?」
俺はフェンリスを凝視した。
「君は本気で正気か?」

彼は俺の片腕を掴み、他の友人達から少し離れた所に連れて行くと、俺の耳元で低く、せわしなくささやいた。
「君がずっと訓練してきたのは、このためだ。君の戦い方を俺は知っている、トリップ。君なら彼を倒せる、俺はそう信じる」
彼は心底真剣な表情に見えた。
「彼に触れさせるな、それだけだ」

「もし彼のパンチが当たれば、俺の負け」

フェンリスは俺の眼を見つめて頷いた。

「やつに挑戦するなら、賭け金は出来る限り釣り上げないとな」
俺は声を高めた。
「アリショク。お前の処方箋がどれだけ危険かは、俺はよく知っている。前にもエイリアネージに毒ガスを持ち込んだからな」

俺は片腕を伸ばして言った。
「ヴァリック、火を貸してくれ」

「あん?ああ、もちろん」というと、ヴァリックはマッチを一本差し出して、箱に擦りつける間持っていてくれた。俺はイザベラが俺に手渡した紙束を掲げると、下から火を付けた。

紙が燃え上がるに従って、群衆の中にざわめきが広がった。火は終いに俺の指の毛をちりちりと焦がし、俺は燃え滓を地面に落とした。あのクナリのメイジがリリウムを使って何をしようとしていたのかは、もはや誰にも判らなくなった。アリショクの背後のクナリ達は頭を振って、クナリ語でなにやら呟いていた。アリショクは、ただ俺を黙って見つめていた。

俺はアリショクの顔を見つめた。
「アリショク。俺はバサリト・アンとして、お前に挑戦する」

「何のために、ホーク?処方箋はもはや無い」

「カークウォールのために」と俺は言った。

俺は両手を広げた。
「シェイマスを殺したのは俺だ。ああそうだとも。あのサラバスを誘拐したのも俺だ。それから、カークウォール駅でお前の部下を殺した。それから処方箋も、この通りだ」

俺は友人達が俺の精神的な健康状態について疑問を抱く声を上げるのを聞いたが、アリショクはどうやら理解したように思えた。

「お前は、この街全ての罪を背負うつもりか、ホーク?」

「ああ」

彼はエイリアネージの市場を取り囲む、陰鬱な表情の建物を見渡した。
「そのために死のうとするのか?お前の名すら知らない者達のために?この街の英雄になるつもりか?」

「まあ、誰かがやらなきゃあいかんだろう」

「そうだ」とアリショクは言った。
「だがこの街に住むバス共は、それを決して理解しようとはしない。挑戦を受けよう、ホーク」


安堵したことに、俺達は路上で殴り合うことにはならなかった。群衆が後に続く中――もっとも、エルフの中にはもっと安全な場所を探して姿を消す者も居た――俺達は更にエイリアネージの奥へと進み、かなり大きな倉庫の中へ入った。倉庫の中は半分ほど毛織物のぼろ切れが積み上がっていた。俺達はその一角を選び、群衆はエルフもヒューマンも、みな物品の上によじ登って良い見物席を取ろうとしていた。

「気でも狂ったの、トリップ?」とイザベラが言った。
「あいつ、あんたを壁の染みにするつもりよ。止めてちょうだい」

「こんな事言いたかあ無いがな、ヒーロー、彼女の言うとおりだぜ」

「どうだって良いさ」と俺は言った。
「俺がこの街の罪を引き受けたと連中が認めた以上、もし俺が負けたとしても連中は立ち去る。そうだろう、フェンリス?」

「彼らはそれでもイザベラを追跡しようとするかも知れないが」とフェンリスが言った。
「だがその場合、上町へ行軍することはない」

彼の表情は、考え直した方が良いのではないかと思っているように見えた。俺もそうだった。だがもう、何もかも遅すぎた。

「あなたは本当に勇敢な人よ、トリップ」とアヴェリンが言った。

「馬鹿なだけさ」と俺は返して、外套とシャツを脱ぎ始めた。
「何か知って置いた方が良いことはあるか、フェンリス?」

「君が彼に挑戦したから、彼に武器の選択権が与えられる」

「武器?まさか、やつが殴り合いにショットガンを持ち込むっていうのか?どうしてそれを先に言ってくれなかった?」

「そうしないかも知れない、トリップ。それにもし彼がそうするなら、君は魔法を使えばいい」

「なるほど」
俺はウォームアップのために皆を側から追い払った。フェンリスは残っていた。

「死なないでくれ」と彼は静かに言った。

俺はフェンリスの顔を見た。
「キスしてくれるか?」と俺は聞いた。
「幸運のために」

「トリップ!」
彼はエメラルド色の眼を大きく見開き、その顔は即座に銀髪の根元まで真っ赤になった。彼はもじもじと足を動かして、辺りの群衆をちらりと眺めやった。
「人前だぞ」と彼は居心地悪げに呟いた。

まあ、いいさ。

「君が本気でそうすることを考えてくれただけで、充分だ」
俺はニヤリと笑って彼に言うと、立ち上がった。
「さて、こんくらいで行ってくるかな」

「トリップ、待て」とフェンリスの声が聞こえたが、俺は既に歩き出していた。

部屋の真ん中で、俺はアリショクと顔を合わせた。
「銃を使うのか?」と俺は聞いた。

「お前は決して自らの武器を手放すことはない」とアリショクが言った。彼はショットガンを右手に緩く抱えていた。

くそっ。

俺達は互いに向き合い、攻撃を始めるゴングを待っていた。
いや、ゴングなんてあるのか?メイカー、やつは俺の3倍は体重がありそうだぞ。
それにあの忌々しい銃。俺には見物客がいた。魔法の花火を派手にぶちかます訳には行かず、拳の中だけで隠し通す必要があった。

「始め!」
クナリの一人が叫んだ。

俺は彼に飛びかかった。のんびり待っている余裕は無かった。彼は銃を構え、最後の瞬間に俺は横へ身を捻ると、両拳を淡く光らせた。俺の狙いは彼本人ではなく、その銃の撃針だった。
俺には彼の銃の持つ潜在的な力が、たとえ自分の手に持っていなくてもこの至近距離から感じ取れた。俺に向けて発射されようとする銃弾の、火薬の爆発力を俺は魔法で封じ込め、その暴れ馬のような猛烈な力を感じて俺は一瞬よろめいた。銃弾が本当に動き出してからでは、俺に望みはなかった。ショットガンはカチリと空しく音を立て、見物客は溜息を付いた。

不発。

アリショクは銃を操作して弾倉から新たに弾を詰めた。俺は姿勢を立て直すと再び飛びかかり、そして彼はショットガンを構え直して俺の頭に狙いを付けた。
横に跳ね飛び、彼の脇腹にジャブを叩き込む俺の頭から、髪一本分横を銃弾がかすめ去った。彼は呻いたが、微動だにしなかった。俺の拳が煉瓦の壁を殴ったように痛んだ。

フェンリスは、本当に俺にこれがやれると思ったのか?
フェンリスは、本当に俺がこれをやれると思ったんだ。

アリショクはまるで煩いハエを追い払うように俺を彼の銃で払いのけようとし、俺は再び右腕を振り上げた。だがこのハエには鋭い針が有った。俺は次のパンチに上手いこと魔法を乗せるのに成功し、彼は前屈みによろめいた。俺は拳の痛みを無視して、この好機を逃すまいと飛びかかったとき、薬莢が乾いた音を立てて床に転がった。鈍い銃声と共に銃弾が俺の頭上すれすれをかすめ、射線上のエルフ達は慌てて避けようとして、ぼろ切れの山の上を転がった。

アリショクはその巨体からは想像も出来ない程の素早さで、俺の胸めがけて蹴り上げた。俺は蹴りを完全には躱せず、彼の革製のブーツが肋骨に食い込み、胸に激痛が広がった。
俺は蹴られた勢いを利用してどうにか立ち上がり、姿勢を正した。息をするたびに痛みが脇腹に走った。彼の蹴りがかすめただけで肋骨が1本か2本砕けたに違いなかった。

彼は未だ弾倉に4発を残していた。これまでは幸運に恵まれていたが、彼が再充填する時までそれが続くとは思えなかった。

また彼が銃を操作し、熱せられた薬莢が床に転がった。アリショクがショットガンを再び構え、俺は身構えた。まさしくその瞬間を、捕らえる必要があった。俺は引き金を引く彼の指に全神経を集中させ、彼が引き絞る内に関節の皮膚がゆっくりと白くなるのを見つめた。ショットガンの撃鉄が動き、中の撃針が雷管を叩いて、火花が起きる瞬間を、俺は見つめていた。

捕まえた。その瞬間俺は魔法を呼び起こした。
俺の両手が光るのを誰か見とがめたとしても、構うもんか。もしこれにしくじったら、俺は胸の真ん中に風穴を開けて、二度とテンプラーのことなぞ心配する必要がなくなるんだからな。
俺は弾薬を燃えるに任せて、俺の力でその勢いをアリショクの方に跳ね返した。ショットガンが彼の両手の中で跳ね上がったが、弾の代わりに煙が上がっただけだった。

また不発。

アリショクは新しい弾を込めようとしたが、彼の手の中でスライドが半インチも行かないうちに止まり、動かなくなった。

いいぞ。俺はちょっとの間、安堵の溜息を付いた。

彼は引き金から手を離すと銃を持ち替え、まるで棍棒のように振り上げると俺に突進してきた。それまで静かだった周囲の群衆が、それを見て歓声を上げた。ただの処刑など見ても少しも面白くはないだろうが、派手な殴り合いは彼らの大のお気に入りだった。

俺は身を翻してアリショクの突進を避け、急停止した彼の後ろに飛び込んで左腕で彼の首を抱えると、右フックを彼の後頭部に叩き込んだ。およそリングの中でも滅多に見られる攻撃では無く、ここの観客達は大喜びした。

無論、アリショクは嬉しくは思わなかったようだった。彼は片腕で俺の肩を掴み、いとも易々と俺を身体ごと持ち上げた。俺はその手から逃れようと手を振り回し、彼は俺を壁へ――幸いにもそこもぼろ切れの山だった――放り投げた。俺は口の中に入り込んだ綿埃を吐き出しながら即座に防御姿勢を取り、彼が水平に払った銃を屈んで避けた。

俺は隙を見つけて、彼の鼻っ柱に魔法付きの拳を叩き込んだ。俺の拳の下で鼻の軟骨が折れ、彼の頭ががくんと後ろに折れた。しかしショットガンの照準の端がまるでカミソリのように俺の頬から顎へと切り裂き、生温い血が首筋から胸元へと滴った。アリショクも鼻から血が吹き出していた。俺達は相手の背後を取ろうと、回り込むようにすり足で円を描き、滴り落ちる血が床を飾った。

俺は気が遠くなりかけていた。群衆の上げる歓声は鈍い雑音に変わり、部屋の明かりは俺の視界の隅を微かに彩るシミになった。アリショクの姿だけが、はっきりと見えていた。

彼の攻撃を当てさせるな。避けろ。

アリショクがショットガンで鋭く薙ぎ払い、俺は横に飛び退いた。その動きに俺の視界がぐらりと揺れた。
これを続けるのは、もう無理だった。俺は彼に飛びかった。今や弾倉まで血に染まったショットガンを、俺の頭上に振り下ろそうと緊張する彼の筋肉が俺の眼に映った。俺はホンの僅かな力を呼び起こして彼の指へ投げつけ、振り下ろす勢いを僅かに遅らせると、彼のガードを潜り抜け、残りの体力全てを込めて彼の喉仏を押さえつけた。

ショットガンが俺の背中に激突した。アリショクは空気を求め、俺は意識を保つために、血まみれになりながら俺達は揉み合った。それから俺は膝を彼の腹に当てて、どうにか俺の身体を引き離した。
彼の喉から空気を求める笛のような音が聞こえた。俺はショットガンを万力のような力で掴んでいる彼の手を掴むと、最後の力を込めてもぎ取ろうとした。彼の指は間違いなく折れていたが、それでも俺の全身の力が必要だった。

だが今や銃を持っているのは俺だった。運の良いことに俺の手に触れていたのは引き金と反対側で、しかもそれはジャムって使えなくなっていた。

俺はアリショクの喉元を銃で押さえつけた。彼の身体から力が抜け、そして動かなくなった。

俺は自分の鼓膜が破れちまったのかと思った。どうしてだか、何も聞こえなかった。それから、俺は見物人が皆押し黙っていることにようやく気付いた。

アリショクは未だ息があったが、しかしぴくりとも動かなかった。

「決闘は、終わりだ!」と言いながら、俺は銃を支えに身体を起こした。
「俺は人殺しはしない。だが、俺の勝ちだ」
メイカー、話すたびに、いや息をするたびに胸に激痛が走った。
「出て行け!」

クナリ達の間に微かなざわめきが走り、やがて彼らは動き出した。

「いつの日か、我らは戻ってくる」
誰がそう言ったのかは俺には判らない。クナリ二人がアリショクに歩み寄ると彼を両側から抱え上げた。
俺は彼らの進む方に銃を放り投げたが、即座にそうしなきゃ良かったと思った。支えを失った俺の膝は、とうとう体重を支えるのを諦めた。

Notes:

  1. Basalit-an:尊敬に足る余所者。
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48.号外:シェイマス・デュマー殺害さる への2件のフィードバック

  1. EMANON のコメント:

    >彼はもじもじと足を動かして、辺りの群衆をちらりと眺めやった。

    レディス&ジェントルメン、皆様方、15秒ほどお目をつぶって
    頂けますでしょうか?

    チクショウリア充め爆発しろ。

  2. Laffy のコメント:

    EMANONさま、コメントありがとうございます(^.^)
    うひょひょひょw
    しかし超絶リア充のイザベラからは呆れられておりますが。

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