55.市長、市庁舎での騒動収拾

かんしゃく玉を破裂させるには、実に最悪のタイミングを選んだものだ。アンダースを追いかけて慰め、元気づける時間は俺には無かったし、ドゥ・ロンセが危険に晒されているということを理解しようとしない彼に、俺は失望していた。

ドゥ・ロンセについてオシノがくれた情報はといえば、彼の両親が住まう上町の屋敷の住所だけだった。この街の住民なら誰でも知ってる上流階級が集まる地区で、封筒に書いてあれば自慢出来ただろう。メリルが上町まで俺達を車で運び、俺達はロンセ伯を寝床から叩き起こした。

彼らは玄関先に立った俺達を見て、実に不機嫌な様子だった。
「なんたることか」と父ロンセ伯が言った。彼の口髭は苛立ちに震えていた。
「よりによってこのような深夜に、私の家の扉を叩くからには、きっと然るべき理由があるのだろうな?エミールはサークルに居る、彼が当然居るべき所にだ」

「信じられませんな」と俺は静かに言った。
「彼はサークルには居ません。ロンセ伯爵、私達はテンプラーではありません。あなたの息子さんのためを思うなら、彼らより私が先に見つける方が良いのは、ご理解頂けるかと」

彼は少しばかり怒りを静めたようだった。
「本当にその必要があるとお考えかな?私達はサークルには多額の寄付をしている。騎士団もエミールには、特別な考慮を払って下さっているようだ」

「今夜、人が死にましてね」と俺は率直に言った。
「二人ともメイジでした。許可無しで外出していたんです。もしエミールが行方知れずなら、彼が三人目になるかも知れません」

彼は、俺達を応接間へ通した。

大理石の床に響く俺達の足音以外には、廊下に飾られた大きな作り付けの時計が静かに時を刻む音だけが聞こえてきた。応接間の壁にはオーレイの有名画家の絵がいくつも飾られ、黒檀の飾り棚にはクリスタル製の大きなグリフィンと、伝説の女騎士の彫像が飾られていた。灰皿さえフェンリスの瞳を思わせる深緑のメノウ製だった。この部屋の中で俺が買えそうな物は、何一つ無さそうだ。

「実は、昨日の午前中に息子は家に来た。逃げている訳ではなく、ただちょっと外出するようにと言われた、と言っておったな」

「どうやって外に出たんですか?」と俺は尋ねた。

「だから、テンプラーが出してくれたと。もっともどうしてかは聞かなかったそうだが。それから少しばかり、その、金が欲しいと言って、渡してやるとまた出て行った。誓っても良い、息子はここにはおらん」

「だが、彼はここに居た」と俺はゆっくり言った。
「彼の部屋は有りますか?」

「無論だ、以前使っていた部屋はまだ残してある。もちろん息子がそこで寝泊まりしたわけではない。つまり、妻が感傷から残しているだけなのだ」

「そうでしょうとも」と俺は言った。
「中を見せて頂いても?」

「もしどうしてもと言うのなら……」

「この話は私達が思っていたより、遙かに広範囲に危険が及びかねないのです」

「見ての通りだ、誰もおらん」
ロンセ伯は子供部屋の扉を押し開けながら言った。

「居るとは言いませんでしたよ」と俺は言いながら、部屋に足を踏み入れて辺りを見回した。何も変な所は無かった。整理され清掃が行き届いていて、ベッドもきちんと整えられていた。だが今は居ない息子の、うち捨てられた思い出の品々を見るのは、あまり良い気分では無かった。部屋の空気は冷たく、静まりかえっていた。

俺の勘違いだっただろうか?

「あなたの息子さんは実に運が良かったように思えますな」と俺は言った。
「彼に連絡を取って下さい。そして彼に、見つかったから出来る限り早くサークルに戻ってしばらく大人しくしているように、と言うことです」

ロンセ伯は何か言い返したそうだったが、賢明にも思い直したようだった。

「彼は、あー、薔薇の館にいる」と彼は気詰まりそうに言った。
「私は、あー、つまり……妻に見つかるとやっかいでね。私が直接行って、連れ戻すことにしよう」

「そうすることです」と俺は言った。
「運が良ければ、私が二度とお話を伺うことは無いでしょう」

俺達はロンセ伯がパジャマから着替えて、お抱え運転手を起こしに行くのを見て、彼の屋敷から立ち去った。

「彼の言うことを信じていいのか?」とフェンリスが言った。
「もしエミールに、ヒュオンやエヴリナに起きたようなことがあったらどうする?これは偶然ではあり得ないぞ」

「もちろん違う」と俺は言った。
「だが、俺はエミールは同じような危険には晒されていないと思う」

「なぜ判る?」とフェンリスが尋ねた。

「俺の親指がちくちくしなかったからね」

「あなたも感じた?」とメリルが言った。

「ああ。ヒュオンの手が触った時に。それと、エヴリナの家でも」

フェンリスは顔をしかめた。
「メイジのコソコソ話か」

「あの放射性リリウムのことなのよ」とメリルが言った。
「メレディスが掘り出したに違いないわ。だけど、テンプラーに使うつもりじゃなかった。メイジに使おうとしたのね。もしそれが何だか判っていなかったら、心構えをしていなかったら、暴走するトラックにいきなり乗せられたようなもの。彼らが道を踏み外したのも無理はないわ」

「そしてエミールはそれに興味を持たなかった――家に持ち出しもしなかったようだ。すると、まだギャロウズにあるはずだ。一体どれだけの量を、何人にばらまいたんだ?オシノに伝えなきゃあならん」と俺は言った。
「今すぐに。他のメイジ達に警告する必要がある」

「そしてメレディスを罰しなくては」とメリルが言った。
「どう考えても合法じゃないわ」

「あのリリウムと彼女を結びつけるのは難しいだろうな。痕跡はきっちり隠しているだろうから。それに俺はギャロウズの中で証拠を探し回るのはごめんだ、オシノの許可があろうと、無かろうと」

「敵は汚い手を使ってきたな」とフェンリスがむっつりと言った。


オシノに密かに連絡を取る方法など俺達にはなかった。俺達はギャロウズの前で立哨のテンプラーと小一時間言い争った挙げ句、エメリックの名前を出してようやく、内線でファースト・エンチャンターを呼び出して貰うことに成功した。彼は即座に俺を彼の私室へ連れてくるようにと告げ、メリルは車で待つことにして、俺とフェンリスで彼の部屋へと向かった。

オシノは朝3時にも関わらず、何かを予想していた様な隙のない身繕いで俺達を待っていた。話を聞き終えた彼は、俺達に家に戻るように伝えた。

「戻って休みなさい。そして明日、ああもう今日だな、朝10時に市庁舎に来るように。君に何をして欲しいかはまだ明確には判らないが、君にも証人となって貰いたい、この」と彼は言いかけて、言葉を切った。
「この事件に関しての。何が有ったのかまだ正確では無いにせよ、メレディスが一線を踏み越えたのは明らかだ。これは罠だ。これは、殺人だ」

「陪審員にそう見て貰うのは、なかなか大変かも知れませんよ」と俺は言った。

「今度ばかりは、デュマー市長に知らぬ顔をさせはせんよ」と彼は答えた。


翌朝フェンリスとイザベラ、ヴァリックにアンダースも早々に俺の事務所を訪れ、俺達は連れだって上町へと向かった。アヴェリンもそこに居たが、彼女は制服を着て他の警官達と一緒に並んでいた。俺は彼女の注意を引こうとはしなかった。

「これでようやく、本当の変化が見られるだろうよ、アンダース」と俺は言った。
「メレディスは今回しくじったからな」

「メレディスがその放射性リリウムを、テンプラーじゃなくてメイジに使ったなんて、全くどうかしている。正気の沙汰じゃない」と彼は言った。
「それにエヴリナも。彼女が負けたのは彼女のせいじゃない、テンプラーが仕掛けた罠に嵌まったんだ」

そこに集まっていたのは俺達だけではなかった。何か面白そうなことがあると嗅ぎつけた、新聞社やラジオ局のレポーターが大勢カメラを持って集まり、その人混みが更に興味を持った野次馬を引きつけると言った調子で、大聖堂の鐘が9時を打った時には、市庁舎の前は黒山の人だかりとなっていた。

「オシノはもう来てると思う?」とイザベラが尋ねた。

俺は頷いて言った。
「メレディスに先手を打たれる前に、こっちに来ているだろうな。ギャロウズに閉じ込められてはどうしようも無いから。今頃あっちは大騒ぎになってるだろうよ」

「メレディスが起きる前にこっそり忍び出たかな」とヴァリックが面白そうに言った。

9時半頃、動きがあった。騎士団の紋章を付けた車が二台、群衆の目と鼻の先で急停止して、慌てて飛び退く人々を押しのけるように扉が開き、メレディスが降り立った。彼女の制服はいつものように、シワ一つ無かった。
彼女は怒りに満ちた表情で唇を固く引き結んで市庁舎の階段を登り、数人のテンプラーが後に続いた。新聞社も野次馬も黙って道を空け、俺は帽子のつばを低く下げて顔を隠した。俺がここに居ると彼女に知られたくは無かった。彼女が、野次馬に注意を払った様子は無かったにせよ。

それから1時間ほどが、何事も無く過ぎていった。野次馬の何人かは退屈してその場を離れたが、それでも人は徐々に増え、新聞社のカメラマンは良い場所を探して押し合いへし合いしていた。群衆を整理していたアヴェリンが、俺達を見つけて頷いて見せた。誰から市庁舎から出てくるたびに人々は一斉に首を曲げて見つめ、人集りに驚いて目を剥く人物が事務員か何かの用事で訪れた一般人だと気付くと、がっかりした様子でまた別の方を向いた。

大聖堂の鐘が10時を打った直後に、テンプラーが市庁舎の正面扉を押し開け、オシノとメレディスが並んで建物から出てきた。メレディスは無表情を保ち、オシノは何か決心した様子の顔をしていた。彼は市庁舎正面の階段の踊り場に立つと、そこで足を止めた。階段を半ばまで下りていたメレディスは、立ち止まって振り返った。

「カークウォール市民の皆さん、そして報道関係の方々、お集まり頂いたことに感謝します」とオシノが切り出した。

メレディスは文字通り階段を飛び上がった。
「そなたに公式会見を開く許可など与えた覚えはない!」と彼女はオシノに詰め寄った。
「この調査を行えと言うのであれば、極秘裏に実施せねばならぬ!」

「馬鹿げたことだ、メレディス」とオシノは声高に言った。
「これは公衆衛生に関わる問題なのだ。全ての男性と、女性と、子供、カークウォールに住まう全ての人々が、この危険な物質から保護されなくてはならない」

野次馬は興奮したささやきを交わしあい、記者達はメモを書き殴った。

「あるいは、そうは思われないかな、騎士団長?」とオシノが尋ねた。

メレディスはピシャリと口を閉じて、冷たい目で群衆を見渡した。俺達の姿を見つけて、彼女は僅かに目を細めた。注意を引かないよう、もっと後ろに隠れているべきだったことに、俺は気が付いた。もっとも今となっては手遅れだったが。

「結構」とメレディスが言った。
「公衆衛生に関わる警告とやらを述べるが良い」

オシノは簡潔かつ明解にイエローケーキがどのような物かを人々に説明し、もしそれらと接触した場合に起こりうる深刻な被害についても警告した。
「この物質はとりわけ、メイジに対して危険であり――」

「もちろん、彼らは」とメレディスが割って入った。
「メイジ達は、元々危険な存在であるのは承知の通り。この物質に触れたメイジは精神的に不安定となり、自らの力を制御できぬアボミネーションと化すであろう」

「社会の一員であるメイジに対する無責任な批判は――」

「メイジは社会の一員などではない!そうあってはならぬ存在のはず、彼ら自身のため、そして正常な人々のために!騎士団はまさに、このような事態に対処すべく存在するのだ。市民を、そしてメイジを保護するために」

「つまりメイジは市民ではないと仰るのですな」

「この状況は死を招きかねないと言ったのはそなた自身。そのような存在が、市民の一員であることは出来ぬ」

「その状況を引き起こしたのは、あなたではないか!」
オシノは苛立ちを隠しきれない様子だった。
「一体どこから、このイエローケーキは現れたのか?この街に存在するリリウムを、最も自由に扱えるのは一体誰か?」

「ファースト・エンチャンター、言論の自由の権利を行使するのは結構だが、根も葉もない非難を論じるのであれば、私はその行為を止めさせなくてはならぬ」

「それでどうするのかな?手足に鎖を付けて引きずっていきますかな?この街の市民に、あなたがメイジをどう扱っているか、ありのままの姿を見せて頂こうではないか」

隣でアンダースが、全身の筋肉を怒りと期待に緊張させて、討論を見守っているのを俺は感じることが出来た。

「戦え!」とアンダースが呟いた。
「彼女と戦うんだ!」

「私は、そなたが自らを貶めようとするのを止めているに過ぎぬ、ファースト・エンチャンター」

「いいや。あなた方が、騎士団がメイジにイエローケーキを与えた、その理由を我々は知る権利がある」

野次馬は更に二人に押し寄せ、アヴェリンと彼女の同僚が階段を登ろうとする人々を押しとどめていた。記者達はひたすらメモを取っていた。

「騎士団長、するとあなたは、イエローケーキについて何もご存じないと言うことですか?」と一人の記者が尋ねた。

メレディスはすぐには答えようとせず、群衆の中で俺の顔を探した。

「その通り」とやがて彼女はゆっくりと答えた。
「全く何も知らぬ」

「目撃者が居る――」オシノが声を上げたが、彼の声は質問の嵐にかき消された。彼がエミール・ドゥ・ロンセのことを言っていると俺は知っていたが、しかし俺は再びメレディスの視線が俺に止まるのを感じていた。

「このような不正義はもはや許されるべきではない!メイジも、そしてすぐに全ての市民も、騎士団が犯す不正行為の恐怖に怯えて生きることとなるであろう!一体どれだけの権力を彼女に与えるつもりか?」とオシノが再び声を張り上げた。

「私には法に基づき与えられた権力以外、何もありはしない」とメレディスが反論した。
「そしてその不正行為とやらの確たる証拠が無い限り、我々がそれを行使することは許されている。そなたにも受け入れて貰わねばならぬ」

野次馬も記者達も、押し合いへし合いしながら大声を張り上げ、俺達はその中でよろめきながらどうにか立っていた。どちらの側に味方すると声を上げる者は居ないようだったが、カークウォールの住民は揉め事が大好きだ。

「静粛に!」

アヴェリンの声がした。彼女の背後で、市庁舎の扉が再び開かれ、デュマー市長が登場した。人々は静まりかえり、カメラマン達がフラッシュを炊いた。

「騎士団長、そしてファースト・エンチャンター!」と市長が言った。
「このような騒動は、あなた方の立場に誠に相応しくない。カークウォールで起きる出来事に関しては、市長たる私が責任を取るべきだ。このイエローケーキの出所に関しては完全なる調査を実施し、結果は全て公表することをお約束しよう。その間、どうぞ善良なる市民の皆様は落ち着いて自宅にお戻り頂き、通常の生活を送って頂きたい。
ファースト・エンチャンター、私の執務室の眼の前で騒動をあおり立てるような行いは、控えて頂こう。もし公式に苦情を申し立てるのであれば、執務室の中で、全てお伺いしようではないか。あなた方双方に、礼節を保った振る舞いを私は期待する」

オシノは口を開き掛けたが、しかし思い直した様子で何も言わなかった。

「メレディス騎士団長」と市長は続けた。
「本日の午後0時より、市警察によるギャロウズの全捜索の許可を与えて頂こう」

メレディスは頷いた。
「許可します、市長」

「本日の記者会見は、これで終了する」


「何も見つからなかったようだな」とヴァリックが、ハングド・マンのいつものテーブルでカークウォール・ポストの夕刊を読みながら言った。

「もちろん、何も見つけないだろうさ!」とアンダースが手を振り回し、ほとんどグラスを落としそうになった。
「デュマーは警察には何も見つけられっこないと判っていたんだ。だから捜索させた。公開討論の始まる前に、メレディスがとっくに何もかも隠していたに決まっている。彼女を引きずり下ろすチャンスだったのに!」

「まだ捜索は終わってないぜ」と俺は指摘した。

「どうせ同じことだ」とアンダースは腹立たしげに言った。
「デュマーはメレディスに怯えている、彼女に逆らうようなものは何一つ見つけっこない。エミールの証言も無かったことにされるか、精々一人か二人、下っ端のテンプラーが罰を受けるだけで、今まで通り物事が進んでいく。オシノはせっかくの機会を台無しにしてしまった」

「俺が思うに、彼は良くやったさ」と俺は言った。
「他に何が出来た?」

「彼は諦めるべきじゃなかった。何もかもぶちまけてしまえば良かったんだ。だけどもちろん、彼はそんなことはしない。彼にはメレディスの不正義は見えるだろうが、サークル自体が不正義だということは判っていないんだ」

「サークルに護られる方が良い連中もいるぜ、アンダース」と俺は言った。
「彼はヒュオンとエヴリナのことを知ってた。あそこは水も漏らさぬ要塞じゃあ無いし、そうあるべきものでもない。メレディスがそうしようとしたせいで、拙いことになったんだからな」

「この調子じゃあ、何も変わりっこない。市長はただ人々に、何事も無かった、平穏無事だと言い続けるだけだ。人々の目を覚ますべきだ。何かをすべき時だ」

「例えばなんだ?ブロンディ」とヴァリックがのんびりと聞いた。

アンダースは目を光らせた。
「この不正義に、何時までも目を瞑らせてはおけない。何か、誰にも無視出来ないことを。皆の目を覚まさせ――」彼は言葉を切ると、目を閉じて俯いた。
「僕は……僕はちょっと飲み過ぎたみたいだ。家に帰るよ」
彼はそう呟くと、肩を落としてハングド・マンを出て行った。

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