59.ファースト・エンチャンター、行方不明!

その夜、ラジオから聞こえてくる知らせは悪くなる一方だった。オシノ側の発表が無い以上、メレディスの見解が公式のものと扱われ、デュマー市長が彼女の側に並んで会見に臨み、逃亡メイジが捕縛されるまで、市当局は全力で騎士団を支援すると語った。ヴァリックはちょっとの間下町に戻り、俺の家が捜索された知らせを持って戻ってきた。
ギャムレンも少しだけ尋問を受けたが、テンプラーもこれと言って決め手は無かったらしく、さっさと釈放されていた。俺はきっちり口を閉じていたことに、叔父貴にキスしたい思いだった。

一番怪しまれる可能性の低いアヴェリンとヴァリックが、夕食を買いに街へ出かけた。彼らは食べ物を一杯抱えて戻ってきたが、やはり良い知らせはなかった。
オシノの逃亡の知らせが伝わると、アンダースの捜索はほとんどそれに取って代わられたようで、テンプラーが至るところで通りを巡回していた。俺の名前が度々噂されていたと言うが、どうして連中が俺と話をしたがっているのかは曖昧なままだった。

「カーヴァーに何事も無ければ良いがな」と俺はそれだけ言った。
俺には考えることが沢山あった。今となっては、メレディスの手がカークウォール駅と港と、恐らく主要道路にも廻っているだろう。カークウォールは元々孤立した街で、サンダーマウントの断崖と海に囲まれていた。簡単に逃げ出す機会は、どうやら失われたようだった。

それに俺は逃げたくは無かった。この街のメイジ達を皆――アポステイトもサークル・メイジも――メレディスの慈悲の手に任せておく訳には行かなかった。連中はまだ残りのイエローケーキをどこかに隠し持っている。彼女がそれをどうするのかと思うと、俺は身震いがした。もし別のサークルにばらまきでもしたら?

それから俺はアンダースとオシノに、アヴェリンが買ってきてくれた夕食――何かの魚のシチューと、七面鳥にチーズのサンドウィッチ――を持って行った。オシノは鍵の掛かった地下室に別のメイジと閉じ籠もっていることを、一種の贖罪として受け止めているかのようだった。少なくとも、俺はそんな風に思った。

俺は両手に抱えた盆の上の皿に注意しながら、静かに階段を下りていった。もし俺がつまずけば、全部吹っ飛んで大変なことになったろう。やがて二人が静かに話す声が聞こえてきた。

「するとあれは、最初から全て彼女の計画だったのか?」アンダースの声がした。
「じゃあ、あのメイジ達の一件はあなたの責任でも何でも――」

「いいや、アンダース」とオシノが静かに答えた。
「私の失敗だった」

「何だって?彼女が正しいとでも言うのか?」

「私が言いたいのは、我々は皆失敗したと言うことだ。メイジも、そうでないものも。だが少なくとも、君は誰も傷つけなかった。時には許しを請うのも良いだろう」

しばらく、声は聞こえなくなった。

俺はアンダースが震える声で溜息を付くのを聞いた。いつものように、彼が髪を掻き上げる所を俺は想像した。

「僕が脱走を助けたメイジ達はみんな、あなたに対して済まながっていた。あなたを愛していた。その理由が分かった気がするよ。あなたは本当に優しい人だ」

「いいや、そうではない。私はただ、君が耐えてきたものが何か知っているだけだ。他の多くのメイジも、全く同じ体験をしている。だから我々は仲間を必要とするのだ。ほら、こちらへ来なさい。私は噛みつきはしない」

沈黙と、それから微かな足音。
「僕は……その、あなたと話しているとカールの事を思い出すよ。その話をしても良いかな?」

俺は静かに廊下に盆を降ろし、彼らをそっとしておくことにして階段を登っていった。その後でコーヒーを持って行ったアヴェリンが戻ってきて、オシノが良ければ地下室で今夜を過ごしたいが、余分の毛布は無いだろうかと聞いていると言った。

「彼はここがホテルだとでも思っているのか?」とフェンリスがしかめっ面で言った。

「あら、違ったの?」とメリルがクスクスと笑いながら言った。

「まあまあ、良いじゃないか」と俺は言った。
「ベッドの数も足りないことだしな。アンダースも彼が一緒に居た方がいいだろう」

夜も更けてきて、アヴェリンとヴァリックはそれぞれの住まいに戻ったが、メリルはエイリアネージへ一人で歩いて戻るのが嫌で、イザベラは単に面白いからと言って、フェンリスの屋敷に泊まることになった。
俺達は手分けしてだだっ広い屋敷を探し、埃を被ってはいるが使えそうな毛布や枕を引っ張り出して、それから浴室を交代で使った。アンダースが彼の順番のために出てきた時、彼は堅苦しい調子で、フェンリスのもてなしに感謝の言葉を述べた。

フェンリスはしかめっ面をして彼を睨み付けた。
「結構。精々俺の好意を無駄にしないよう、世の役に立つことをして貰おうではないか?」

「例えばどんな?病を癒し怪我を治すとか?」

俺はニヤリと笑った。その調子だ、アンダース。
「お帰り」と俺は言った。

「見て、大きなベッドよ」とイザベラの声が上階から漂ってきた。
「みんなここで寝たらいいじゃない」

「まあ、私も見たい!」とメリルが階段を跳ねとんでいき、フェンリスが苦虫をまとめてかみつぶしたような顔で後を付いていった。

「ありがとう」と俺は、事の成り行きを微かに笑みを浮かべて見ていたオシノに向かって言った。

「彼は心底善い人物だ。だが過去の辛い経験に押しつぶされそうになっていた」とオシノは静かに言った。

「ジャスティスの事は何か話したか?」と俺は聞いた。
「君はどう思う?」

「トリップ、我々はメイジだ。ジャスティスは、アンダースがそれを必要とした間は真実だった。だが、彼が長い間その存在を隠さざるを得なかった事が、悔やまれてならない。彼を殻からもっと早く引き出してやれていれば、このようなことにはならずに済んだかも知れない」とオシノは悲しげに笑った。
「私が、少しでも役に立てたのなら良いが」

俺は首筋の後ろを撫でた。
「彼は、その、俺に助けを求めていた。だけど俺は彼が思うようには、助けてやれなかった。そのことは済まないと思ってる」

「いいや。それで良かったのだ」
俺達は顔を上げて、フェンリスが大股で、顔には雷雲を漂わせながら階段を下りてくるのを見上げた。

「どうした?フェンリス」と俺は尋ねた。

「君は床に寝ても構わないだろうか?」と彼はむっつりと言った。

俺は声を上げて笑った。
「人数オーバーか?」

「連中は枕投げを始めた」

「本当か?どうしてもっと早く教えてくれなかったんだ」と俺はニヤリと笑い両手を擦り合わせた。
「俺もぜひ見学したかったのに」

オシノも笑った。
「ありがとうフェンリス、私に普通の生活を味あわせてくれて」

「お前はこれが普通だと思うのか?」


フェンリスと俺は台所で、料理用ストーブの壁と丸めた毛布の間に挟まれて寝た。フェンリスの屋敷はその夜、カークウォール湾から吹き上げる冷たい海風と、山脈から駆け下る小雨のなかで、まるで生きた物の様に軋み、身震いしていた。窓に打ち付ける風の音と、燃える石炭がポンとはじける音、足音、呟き声、囁き声。メリルが明るく笑う声が一度聞こえた。

俺はフェンリスの手を取ってもてあそび、彼の耳をついばみ、彼は俺の肩に歯を立てて首筋を舐めた。それから俺達は毛布にくるまったままそっと服を脱ぎ、また服を着た。それから俺の鼻を彼の首筋に押しつけて、二人一緒に眠った。

ある時点でイザベラが「出てけ!」と叫ぶ声が聞こえ、ホースがとぼとぼと降りてきて、俺達の足下で丸くなった。

多分表通りにはテンプラーが居たかも知れないが、冷たい海風とみぞれ交じりの雨が、彼らを物陰かコーヒーショップへと追いやり、玄関に鍵は掛からず扉もろくに閉まらない俺達の家に、近寄るものは無かった。この夜、この家は半ダースの息づかいと、笑い声と、抑えた叫び声と、温かな身体で暖められていた。

日が昇り、冷たい風はいつもの明け方の霧に取って代わられ、そして雨雲も霧も消えて台所は暖かな日光にくるまれた。俺は毛布から顔だけ突き出して、もう春が来たのだろうかと思った。
俺がそっと毛布をめくって抜け出すと、フェンリスは何か小さく寝言を言いながら、俺の開けた空間に足を伸ばした。

まだ早朝だった。道の向こうにビルが長い影をさしかけ、日陰には昨日のみぞれが積もっていた。俺はストーブの火を掻き立てるとコーヒーを沸かし、昨日買ってきた丸パンを温めた。

俺はその内いくらかを地下室に持って降りた。階下の空気はずっとひんやりとしていて、俺は裸足で降りたことを後悔した。

オシノとアンダースは互いの毛布を合わせて暖まることに決めたようだった。俺はエルフの足を突つき、彼はしばらくの間周りの状況が掴めないと言った様子だったが、熱いコーヒーにはっきりと眼を覚ました。

「メレディスが、俺と話がしたいと思ってるって?何故だ?」
風が止んだ後で屋敷には奇妙な静寂が満ち、俺達は台所の暖炉の前に座り、なるべくそれを妨げないよう小声で話をしていた。

オシノは肩を竦めた。
「彼女は私の事は理解していると確信している、今更話す必要など無いとな。だが私の見る限りでは、彼女は君を恐れている。君が何を求めているのか、理解出来ないでいるのだ。それでずっと探り続けているのだな。恐らくカーヴァーも尋問を受けているだろう」

「彼女は俺がメイジだと思っているのか?」

「彼女は全ての者を、メイジだと考えている。違うな、そうではないと確証が得られた者以外の全員を。それに、君はホークだ。20数年前、君の父親がサークルから脱走した時まだ彼女はここには居なかったが、彼は脱走者の中でも最も有名な一人だ。だから、彼女は君もメイジだと信じていても不思議は無い」

「だが彼女に証明は出来ない。俺はただの市民だ」

「彼女が証拠を握っているとは私も思わないが」
あたりに沈黙が降りた。
「いずれにせよ、私はここには居られないな、ホーク。どこかの時点で戻らなくては」

「ああ。だが今戻れば、彼女があなたを処刑するだろう」

「別のサークルに逃げればいい」とフェンリスがまだ眠そうな声で言った。
「そしてまた作戦を始める。戦略的撤退に何ら恥じることはない」

「それも一つの案だな」と俺は認めた。
「俺にも良い考えは無いし。あるいは尻尾を巻いて逃げ出さなきゃあいかん時かも知れない」

その頃には家中が起きだし、アヴェリンは身の回り品を詰めた大きなトランクを二つと、カークウォール・ポストの早版を持ってやって来た。

「もう官舎には居られないの」と彼女は説明した。
「ただの市民ですもの、なんと言っても」

「上にはまだいくつも寝室があるわよ」とイザベラが、手鏡を覗き込んでリップクリームを塗りながら言った。

「トリップ、これはあなたに見せないといけないでしょうね」とアヴェリンが俺に新聞を手渡した。一面にカーヴァーの写真が出ていた。

俺は新聞を読み上げ、他の連中は肩越しに覗き込んだ。

メレディスは確かに、俺と話をしたがっていた。これは新聞記事というより、俺に向けてのダイレクトメールだった。俺が表に出てメイジで無いことを証明しない限り、カーヴァーはアポステイトを匿った罪で――死刑もあり得る重罪だった――裁判に掛けられる。

俺は新聞をテーブルに投げ出し、みんなと顔を見合わせた。

「俺は行かなきゃあならん」

「駄目よ、罠に決まってるわ」とイザベラが言った。

「カーヴァーを放ってはおけない。あいつは何一つ悪いことをしちゃいないんだ」

「法的には、メレディスの言い分が通るでしょうね」とアヴェリンが指摘した。

「これが罠だからと言って、」とフェンリスがゆっくりと言った。
「何も準備せず、のこのこと歩いて行って罠に掛かってやる義理は無い」

「まず彼女に連絡を取らなきゃ」とイザベラが言った。
「それから彼女の狙いを探るの。人目に付かない場所で会うのは、私ならやらないわね」

「彼女もそのつもりだろう」とオシノが付け足した。
「もし彼女に何か計算があるのなら、公の場で皆に見せたいと思っているはずだ」

「一人で行くなんて駄目よ」とメリルが主張した。
「もしまずいことになったら、あなたを助け出さなきゃ!」

「当然でしょ!」とイザベラが言った。
「いつでも逃げ道は確保しておくの、常識よ」

「とにかく」俺は立ち上がった。
「近くの公衆電話から彼女に電話して、交渉するつもりがあると知らせるとするか」

その日の正午が適当だろうと言うことになった。ヴァリックは簡単に新聞社とラジオ局を数社呼び寄せ、メレディスは市庁舎前の大広場での会見に、一言の異論もなく同意した。

「本当に、本当に気をつけてくれ、トリップ」とアンダースが両手を揉みながら言った。俺達は彼を地下室から出して、ここ数日の出来事を聞かせた。もし俺達が逃げる必要があることになったら、彼を後に置いていくことは出来なかったし、彼は危険なことはもう何もしないだろうというオシノの保証に、アヴェリンも納得した。

「ああ、判ってるよ」

「最高の車を手配したわ」とイザベラが言った。
「メリルも近くに車を止めておくって」

銃を持つ者は皆、服の上から叩いて有りかを確かめた。

「私は君と一緒に行こう」とオシノが言った。
「君がメレディスと対する時に。彼女以外のテンプラーは、まだ私の言うことに耳を貸してくれると願うしか無い」

「それでもし、逃げないと行けなくなったら?」とアンダースが聞いた。

オシノは優しく微笑んだ。
「その時は最高の目眩ましとなって見せよう。人目を引くトリックのいくつかは心得ている。私を信じなさい、アンダース」

「俺は出来る限り近くに居る、トリップ」とフェンリスが俺のよれよれのコートをまっすぐに直しながら言った。
「君に指一本触れさせはしない。俺の息がある限りは」

「そんなことにはならないと思いたいね」

彼はちらりと周囲を見渡した。友人達は皆それぞれの用件で話し込み、俺達の方は気に掛けていないように見えた。あるいは、気に掛けていないフリをしていた。フェンリスは眉をひそめると、やがて何か決心したような表情で俺を見上げた。

「君は俺の所に必ず戻ってくるんだ。判っているだろうな?」と彼は言った。

俺が何か気の利いた台詞をでっち上げる前に、彼は俺の首に両腕を回して唇にキスをした。俺は突然の重みに半歩後ろによろめき、それから彼を抱きしめた。

フェンリスは身体を引くと俺をじっと見つめた。
「幸運のために」と彼は両頬を真っ赤にしながら言った。

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