第8章 比喩

「俺はメイジではない!」とフェンリスは怒って切り返した。

「君がそうだ、なんて言ってないよ」とフェンリエルは忍耐強く言った。
「僕が言いたかったのは、メイジじゃ無い者がウィスプを召還出来るなんて今まで聞いたことが無いってこと」

「彼が召還したというのは確かなの?」とアヴェリンが尋ねた。
「あなたが召還したうちの一匹ではなくて?治療の間にあなたが大量に召還した、その残りかも知れない」

フェンリエルは首を振った。
「いいや……彼らは僕達の世界にそんな長くは留まれないんだ。精々数時間で、その後はフェイドに戻らなきゃいけない。彼らが生きるために必要な物が何か判らないけど、ここには無いんだろうね。フェイドに戻るか、さもないと燃え尽きて灰になってしまう。それに僕はあの後ウィスプを召還してないし」と彼は付け加えると、フェンリスの方に振り返った。
「僕が居なかった間に、君が何をしてたのか、あるいは何があったか教えてくれないか」

フェンリスは顔をしかめ、それから溜息を付くと両目を擦った。
「いいだろう。フェイドの中で俺は歌を聴いた、君が治療している間……」

「待った、治療の間起きていたっていうのか?」とフェンリエルが驚いた様子で遮った。
「君は夢のない眠りに着くはずだったのに」と彼は難しい顔をして言った。

「夢は見なかった」とフェンリスが答えた。
「だが、俺が眠っていたとは思えない」と言うと、フェンリスは彼の視点から治療の間がどうだったかを説明した。彼を包み護る巨人の手、時折『下』に降ろされた事、深いハミングと、消えて言ったパチパチという雑音、旋律の無い歌声が彼に寄り添い、ディーモンの暗い囁きを押しとどめていた事。

説明を聞き終えたフェンリエルはゆっくりと頷いた。
「僕の思っていたよりも、ずっと君は目覚めていたみたいだ。君に刻まれたリリウムのせいで、魔法が普通とは違った働き方をする事は知っていたけど。治療の間君が無意識で眠るようにと掛けた魔法は、そこまで効き目を示さなかったみたいだね、明らかに。それと君が言う通り、リリウムはフェイドの中で音を立てるよ。その音の調子は、量や純度によって色々だけど。深いハミングが、君のリリウムが立てる音だという推測は合ってる。とにかく、僕にもそんな風に聞こえるしね。だけど皆がリリウムの立てる音を聞き取れる訳じゃないし、ウィスプにしてもそうだ。ほとんどの場合は聞こえる音の範囲を外れているから、低すぎるとか、高すぎるとか」

彼は言葉を切ると、居心地悪げにもじもじとした後で説明を続けた。
「その……つまり、ウィスプの歌声をはっきり聞くことが出来るんだ、僕は。それが僕がソミアリであることと関係があるのかどうかは判らないけど。たまたまかも知れないし、あるいは、反対かも知れない。ウィスプの声を聞くことが出来るから、僕はソミアリなのかも。僕がフェイドで何かを変えようと思う時はいつも、ウィスプ達が大勢やって来て、僕を手助けしてくれる。ひょっとすると、彼らの助け無しでは、僕はフェイドに影響を与えられないのかも知れないね。とにかく、ウィスプ無しでやって見ようと思ったことはないから。彼らの歌声を聞けるから、僕は一時にあれほど沢山のウィスプを呼ぶことが出来る。普通のメイジは精々一回に4匹か5匹呼ぶのが精一杯だし、そもそも一匹以上呼び寄せようと思うメイジは希だ」

「だけどあなたは、数百は呼んでいた」とアヴェリンが静かに言った。

「数千かな、本当の所は――彼らはここに精々数時間しか居ることが出来ないって言ったよね。彼らがフェイドに戻る度に、僕は新しいウィスプ達を呼び寄せてた。最初の召還ほど目覚ましい数では無かったけど。最初の大群を呼び寄せた後は、少しずつ補充するだけで良かったから、だけどその話は、今は重要じゃないね」と彼は指摘すると、再びフェンリスに向き直った。

「下に降ろされたっていうのは、君の感じた通りだ。君のリリウムを整え直す間、君の心をどんな危険からも安全に護るため、僕はその一部を取って、フェイドの中に保っておいた。もちろん身体と繋がってはいるけれど、治療の間中、肉体的な痛みや不快感、それにそれらが引き起こす恐怖からは切り離されていたはずだよ。それと君も既に見たとおり、ディーモンは僕を怖がってるから、僕が治療のためにフェイドの中にいる間は連中は君から距離を置いていた。だけど僕は時々『眼を覚まして』、こちらの世界で食事を取ったり、君の身体を世話する必要があった。こちらの用事を片付けないといけない間は、ウィスプ達に君を護らせておいたんだ、ディーモンを近づけないようにね」

「そのために俺は、あの歌を聞いた」とフェンリスは静かに言った。

「そう。だから君は彼らの歌を聞いた」とフェンリエルも同意した。

「しばらくして、あの歌が徐々に消えていく時に……俺も歌いたいと思った」とフェンリスは静かに言った。
「だが俺には出来なかった。そしてそれからずっと、あの歌声が俺の夢に現れる――ウィスプの歌う声が。目覚めた後も時折歌が聞こえるか、あるいは少なくとも、聞いた事を覚えている。それで、」と彼は言って言葉を切ると、何かを思い出すような表情になった。
「それで、俺も一緒にハミングしてみようと思ったのだ。あの……静かな歌を」

フェンリエルは頷いた。
「僕が戻ってきた時、君は眠っていたようだったよ。そしてウィスプが飛んでいた……僕にはまだ判らないな。メイジはフェイドと繋がりを持っているから、僕達が召還出来るのは判るけれど」

「だが君も、俺がフェイドと繋がっていると言ったな?俺の身体と、あそこのリリウムを通じて」とフェンリスが指摘した。

「うん、だけどそういう意識的な繋がりじゃないんだ、その……ううん、何と言ったらいいのかな、上手く言えないけど。フェイドの方から見ると、その――」
彼は言葉に詰まってイライラと手を振った。

「君は最初、メイジは導管のようなもので力をフェイドから通すが、俺は閉じた導管だと言っていたな。あるいは、詰まったか、つまんで閉じられた管のような……」

「そう。例えば……ドワーフが作る水道配管のようなものを考えればいいのかも。メイジは蛇口で……」
それを聴いてアヴェリンとドニックは声を上げて笑い、フェンリスも微笑んだ。フェンリエルはニヤッと笑うと先を続けた。
「自分で開け閉め出来る蛇口だね。それで水の代わりに力を、フェイドからこちらへ流し込む」

「すると俺は下水管か?」とフェンリスは愉快そうに言った。

フェンリエルの笑みは大きくなった。
「ううん、君は閉じてるから、栓をした配管かな、だけど誰も栓を抜くことは出来ない。だけど誰かが、君に何かの魔法を使うと、その力は君を通じてフェイドへと流れ込もうとする。それが、そもそも魔法が君にあれほどの苦痛を与えた原因だろうね。だけどその流れは常に一方通行だし、配管が開いている訳じゃない。君を通過していくけど、君が開いているというのとは違うね」

「ひょっとすると、砂でろ過するようなものかな」とドニックが口を挟んだ。
「すかすかの配管ではないが、きっちり栓をした管でもなく、水は漏れていく。砂と木炭と小石を積んだ樽に水を入れれば、下から綺麗な水が流れ出す、だろう?だけどその水を、下から上に戻すのは無理だ」

「反対側から圧力を掛ければ別よ」とアヴェリンが指摘した。
「もっとも水ではなくて魔法の力――?そう言った物にどうやったら圧力を掛けられるのか、私にはまるきり想像も出来ないけど」

フェンリエルとフェンリスは顔を見合わせた。彼らの比喩は驚くほど当てはまっていた。フェイドのディーモン達は反対側から、強い圧力でフェンリスを―彼の意識を―洗い流し、彼をフェイドと現世との導管として使おうとしていた。

「熱のような物かも知れないな」とドニックが言った。
「もし熱が力だとしたら、だけど。熱い煙が煙突を昇ると、壁は触れないほど熱くなる、メイジがフェイドと繋がって全力を出すと輝くように。だけどフェンリスは詰まった煙突だ。熱い煙は通過できない。だけど熱は次第に伝わって、壁を温める、例えば鉄の棒を火床に突っ込んでずっと握っている馬鹿者がいたら、その内手を火傷するように……そしてもしリリウムが氷のようなものだったら、温まるまでには随分と時間が掛かるし、もっと強い火が必要になる」

「うーん、あまり良い例えとは言えないんじゃない?」とアヴェリンが言った。

「かもね。だけどどんな例えでも、正確には表せないよ」とフェンリエルが言った。
「だけどひょっとするとあるいは……」と彼は言葉を切った。

「あるいは、何だ?」とフェンリスが尋ねた。

「あるいは、君のリリウムと何か関係があるのかも知れないと思うんだ。フェイドの生き物たちはリリウムの歌を聴くし、それに引きつけられる。ウィスプがリリウムの周りに集まっているのを僕はしょっちゅう見たことがあるし。彼らがあれほど大勢集まって君の治療を手伝ってくれたのは、一つには彼らがリリウムが好きだってこともあるね。それと僕を」とフェンリエルは言って微笑んだ。
「ウィスプ達は君のことも好きになったかも知れないな、少なくとも君のリリウムを。今では彼らはそこにリリウムが有ることを知っているし、おまけに君がその歌を真似たとしたら……判らないけどね。彼らはすごく好奇心が旺盛で、単純な生き物だけど、好きな物を見つけて喜ぶというのは、間違いなく彼らも感じる感情だから」

「それで、一匹がどうかしてやって来たと?」

「そう。どうにかして、一匹が君を通じて飛んできた。もし君がメイジだったとしたら、もっと信じやすいんだけどね。それなら、元々道が空いているわけだから」

「本当に、あなたがメイジで無いというのは絶対間違いないの?」とアヴェリンが口を挟んだ。
「あなたの妹はそうだったでしょう」

フェンリスは顔を赤らめそっぽを向いた。
「俺はメイジではない」と彼は再び、低く苛立った声で言った。

「何だって……君の妹がメイジだった?」とフェンリエルは驚いて言った。
「ならひょっとすると……」

「いや」とフェンリスはきっぱりというと、溜息を付いた。
「可能性は、皆無ではないだろうな。だがもし俺がメイジだったとしたら、俺はボディーガードではなく、血の奴隷とされていたはずだ。それにただ一匹のウィスプを召還した以外、俺がメイジのような力を出せた試しはない」

「血の奴隷?なんだそれは?」とドニックが聞いた。

「生け贄よ」とアヴェリンが厳しい顔で言った。

「マジスターは全てヒューマンだ。メイジとして産まれたエルフや、力の劣ったヒューマンメイジを、連中は生け贄として重宝する。ただの平民よりも彼らを捧げた方が、ずっと大きな力がマジスターに与えるから」とフェンリエルも陰鬱な表情で言った。
「僕はそうならなくて、本当に運が良かった。一つには、競り市に直送される奴隷船の船倉からテヴィンターに降り立ったのではなくて、僕は一応自由民として入れたからね。僕はもう本当に用心して、僕を鎖に繋ぐ口実を連中に与えないように、どんな些細な法も破らず、出来る限り注意を引かないように暮らした。力も極力見せないようにした。奴隷市でもっと強いメイジが買えるのに、わざわざ弱いメイジの小僧を追いかける必要はないからね。それで一旦サークルの図書館に仕事を見つけた後は、いつでもあそこのメイジ達が見たい本や巻物を、すぐに見つけて持ってくる、役に立つ係員になるように努力した。生け贄として使うよりも役に立つと思われている限りは、比較的安全だったから」

「別の言い方をすれば、これっぽっちも安全では無かったということね」とアヴェリンが鼻を鳴らして言った。

「そう、その通り。安全だという幻想だと僕にも判ってた。だから逃げ出すことにしたんだ。それが、フェンリスを一種の護衛として雇いたいという理由でもある、もちろん彼が回復してからだけど。逃げ出す前にも、誰かが僕の力に気付いたんじゃないかという気がしてたんだ。僕が見せかけよりもずっと強いメイジじゃないかと」

「だが連中が、君を生け贄にするためだけに、わざわざここまで追いかけて来るかね?」とドニックが尋ねた。

「もし僕がドリーマーだと連中が気付いているとしたら――間違いない、来るだろうね」とフェンリエルはきっぱりと言った。
「ブラッド・メイジが他人の精神に干渉するには、もの凄い労力と大量の血が必要になる。だけど僕は、他の人が粘土やロウをヘラで形作るように容易く、他人の夢に触れて形を変えることが出来る。マジスターにとっては、僕は比べようのない強力な道具、あるいは武器になるんだ。相当な手間と金を使っても、手に入れる価値がある」

短い沈黙が降りた。やがてフェンリスが咳払いをした。
「それはさておき……俺が良くなるまでには、後どのくらい掛かる?もし誰かが君の姿に気付いて、追いかけているという説が正しいとすれば、俺達が一つ場所に長く留まっているほど、連中が君の居場所を見つけ、捕らえようとするだろう」

フェンリエルは頷くと、姿勢を正した。
「僕はまず君の治療を終えないといけないね、リリウムが漏れていた間の被害を治すために。それから、君が体力を回復するまでの時間も必要だし。数日の内には君が立って歩けるようになるのは間違いないけど、旅に出て、必要な場合は戦うとなると……二週間か、三週間かな、多分。それよりは短いかも」

フェンリスは唇の端を上げた。
「さらに短縮を目指そうではないか」と彼は言った。

フェンリエルも笑い返した。
「やってみよう。食事と休憩の後で、治療を始められるかも」

「つまりそろそろ夕食の準備を始めた方が良いって事ね」とアヴェリンが腰を上げた。
「ドニック、今日は私が料理するから市場に買い物に行って来てくれる?もう食べ物が底を付きかけてるわ、カーヴァーが馬鹿みたいに食べて行ったし、フェンリエルも」と彼女は言うと愉快そうに若いメイジの顔を見た。

「ああ、もちろん」とドニックはにこやかに同意し、彼女の後をついて部屋を出て行った。

フェンリエルも腰を下ろしていたベッドの端から立ち上がると、彼の寝床に向かった。
「君がまたウィスプを呼べるか、ちょっと興味があるね、もし君にその気があればだけど」と彼は言った。
「君がメイジで無いというのは、まず間違いないと思うよ。フェイドで出会った時に、もし君がメイジならきっと僕は気が付いただろうから。だから余計に、一体君がどうやってウィスプを呼んだのか、とても興味がある」

フェンリスは肩を竦めると、再び大きな枕に頭を埋めシーツをたくし上げた。
「やって見ることに異議はない。だが、今すぐではないな」

「うん、もちろん今じゃなくて」とフェンリエルも同意した。

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