第11章 平穏

スタークヘイブンへの旅路は、たっぷり数週間掛かった。フェンリスとフェンリエルはまず最初の週にヴィンマーク山脈の山道を越え、ワイルダーヴェイルへと入った後は、高原を緩やかに流れ下る小川に沿って北上した。

カークウォールとの間には、古くから通商路として使われる道が通っていたが、そこは同時にテンプラーが関所を構える要所でもあって、通るのは避けたかった。
彼らは身の回り品を小さな袋に入れて片方の肩に背負い、それ以外の食料や寝具は、引き連れた一匹のロバの背に積んで、山道を乗り越えた。
それから彼らは北東へ向きを変え、最初はほとんど真東に向かい、行き止まりで北に進路を変えると、マイナンター河へ注ぎ込む支流沿いの村々や、大きな湖を避けて進んだ。二人のどちらも、より開けた旅の楽な地帯を進もうとは思わなかった。フェンリエルはアポステイトと見破られる恐れがあったし、旅人が多いことで知られる街道を二人だけで歩けば、常に獲物を探し求めるテヴィンターの奴隷商人と出くわすかも知れなかった。

カークウォールとスタークヘイブンとの国境地帯に明確な区切りは無く、一面岩のごつごつとした丘陵と草地、そして林に覆われ、その間を小川が縫うように走っていた。この地帯で林道や獣道に沿って旅することには様々な利点があった。この辺りの道を通る旅人は用心深く、互いの存在を避ける傾向があって、他人と出会うことは驚くほど少なかった。
フェンリスはこのような旅に慣れていたし、更に重要なことには、彼はこの道を幾度か通ったことが有った。時には彼らは食用となる野草やベリーを歩きながら集めることもあったが、フェンリスの大剣は野生動物を捕まえるには適当ではなく、フェンリエルの魔法もそういった用途には不向きだった。だがフェンリスは日々の野宿に適当な場所を知っているだけでなく、安全に食料を買える村々と、とりわけ避けた方が良い場所を良く知っていた。その結果、彼らはほとんど何の問題も無く、旅を続けることが出来た。

だがフェンリエルは、スタークヘイブンに近づくにつれて、ただでさえ寡黙なこのエルフが、さらに口少なく塞ぎ込んでいく様子なのに気付かずにはいられなかった。もう二度と会えないかも知れないと思ったであろう、恐らくは大切な友人に会いに行くために旅をする者の態度として、およそ相応しいものとはフェンリエルには思えなかった。
彼方にスタークヘイブンの街を取り囲む壁が見え始める頃には、フェンリスはもはやほとんど口を聞かず、ただ直接の問いかけに答えるだけで、それも一言二言だった。彼は頭を低く下げ、まるで決して来ることのない殴打に備えるように、肩を丸め背をすぼめて黙々と歩き続けた。

最後の宿泊地は、街からほんの数マイルの場所だった。彼らは夜を押して街に入ることも出来ただろうが、フェンリスは唐突にそれまで進んでいた小道から外れ、小川に沿って林へと入り込むと、街道からまるきり見えない場所で足を止めた。
「今夜はここで泊まる」と彼は告げた。
「街に入るのは明日の朝だ」

それから彼は背負い袋を、石で囲まれた煤と焦げ跡の残る地面の側に降ろすと、薪を取りに林の中へ消えていった。

彼はその夜一言も口を聞かず、フェンリエルが彼に大きな丸パンを半分と、串を刺して焚き火で炙ったチーズ、それにピリッと胡椒の利いた一連のドライソーセージを手渡した時にも、ありがとうというように頷いた他は無言で通した。彼は食事を手際よく済ませると、フェンリエルがまだ食べている間に寝袋を広げ、その中で丸くなった。

エルフの最近の態度がフェンリエルは気がかりでならなかったが、だがその理由を聞き出す簡単な方法は、彼には思いつかなかった。一瞬彼はエルフの今夜の夢を覗こうかと思ったが、すぐに思い直した。大いなるプライバシー侵害であったし、フェンリスの得難い信頼を失いたくは無かった。彼は夕食の準備に使った品物を片付けると、自身の寝袋を広げた。

フェンリエルが夜明けの直前に目覚めた時、エルフは既に起き上がって二人のために紅茶を淹れていた。彼らは冷たい食事を紅茶で飲み込み、やがてフェンリスが水を注いで焚き火を消して、再び歩き始めた。

街の門は既に大きく開かれ大勢の人々が出入りしていたが、ほとんどは荷車を引いて街の市場に品物を届けに来た農夫達だった。二人は立ち止まることなく、門の衛兵達もただ彼らが近づく姿を目に停めただけで、すぐにまた別の方向に注意を向けた。明らかにこの街は、不逞アポステイトやあるいは野盗の群れの強襲、さらには他国からの襲撃に怯えてはいないようだった。

フェンリスは街の中を先に立って歩き、すぐに丘を登る大通りへと入った。街の様子は次第にごみごみとした下町から、それなりに裕福な商人や職人が家を構える一角へ、そして更に丘の上の、美しい大理石と砂岩で造られた豪勢な邸宅が建ち並ぶ上町へと変わっていった。

「僕達はどこにいくの?」とフェンリエルは、しばらくして不安げに辺りを見回しながら尋ねた。彼らは今や、単にそこに立っているだけでも見とがめられかねない区画まで来ていた。およそ彼らの埃にまみれた服とロバは、周りの――スタークヘイブンはフリーマーチズ中でも指折りの美しい街並みと公園を持つことで知られていた――街に相応しいとは言えなかった。

「すぐそこだ」とフェンリスは短く答えて、それから溜息を付くと、丘の上の方に頷いて見せた。
「あそこだ」

「城にか?!」とフェンリエルは驚いて叫んだ。
「城に行くっていうのか?」

微かな笑みがエルフの唇に浮かんだ。この数日で初めて彼の顔によぎった表情だった。
「ああ」

フェンリエルは呆然と彼をしばらく見つめていたが、やがて首を振ると唇を噛んで、その高い塔と城壁をじっと眺めた。
「それで、そこで会いに行くのは……?」

「最初は、セバスチャン・ヴェイル大公」とフェンリスは言うと足取りを速め、フェンリエルの数歩先を進んだ。メイジは驚きのあまり口をぽかんと開けて彼の背を見つめていたが、やがて慌てて彼の後を追った。

城門で尋問されることをメイジは予想していたが、そうはならなかった。フェンリスは衛兵の一人に親しげに頷き、衛兵は彼の名を呼んで、まるで彼が毎日城を訪れるかのように門を通した。フェンリエルは彼の後にぴったり付いて、胸の中で不安に心臓を勢いよく躍らせながら、彼らが歩いている美しい中庭を大きく目を見開いて眺めた。地面には大きな大理石のタイルが敷き詰められ、四隅にはベンチと、大きな壺に植わったバラや様々な花の咲き乱れる花壇が有った。
彼らの訪問は明らかに城の誰かに見られていたようで、厩の召使いらしい簡素な服を着た少年が、アーチ門の奥から駆けだしてくると中庭を突っ切って、城の正門へ向かう彼らに駆け寄り、また表玄関の扉の向こうからは、若い侍従が現れて、にこやかに笑みを浮かべながら階段を駆け下りてきた。

「ようこそ、サー・フェンリス」と侍従はエルフに驚くほど深々と頭を下げて言った。
「大公殿下には既に到着をお知らせしております。先に一休みされてからお会いになりますか、それとも今すぐにお連れした方が?」

「今すぐの方がありがたい」とフェンリスは言うと、厩の少年を振り返った。
「このロバは厩へ、荷物は俺の部屋へ運ばせてくれ」と彼は指示をした。少年は頷き、一つ礼をすると引き綱をフェンリエルの手から受け取り、疲れたロバと共に歩き去った。

侍従は彼らを城内に導き、彼らは頭上から紋章旗の垂れ下がる、豪華な装飾の施された玄関ホールを通って、大理石の大きな階段を上り、寄せ木細工の施された廊下を通って、再び階段を上った。すぐに彼らは、一組の衛兵が立つ扉の前へと出た。
「サー・フェンリス」と衛兵の年配の方が頷いて言った。
「お待ちしておりました」

衛兵はそういうと扉を開けた。フェンリエルは、他にどうすることも出来ず、エルフに付いて入った。そこは天井の高い大きな部屋で、壁には作り付けの幅広の本棚が間隔を開けて並び、その間には壁のランプが明るく照らし出す小さなテーブルと、たっぷり詰め物の入った座り心地の良さそうな椅子が置かれていた。部屋の反対側には、床から天井まで立ち上がった細長い窓の間に立派な美しい机があった。
彼らが部屋に入るや否や、その机の向こうから鮮やかな青い眼をした、中年の男性がにこやかに微笑んで立ち上がった。きちんと整えられた赤髪は、額ぎわで僅かに霜が降りるように白くなっていた。

「フェンリス!」とその男は――ヴェイル大公だろうと、フェンリエルは推測した――大声で言うとエルフの伸ばした手を握り、前屈みになってフェンリスの肩を一瞬抱きしめたあと、姿勢を正してエルフの肩を数回ハタハタと軽く叩くと手を離した。
「最後に君の顔を拝んでから、もう随分になるじゃないか、おい」と彼は言って、フェンリエルを不思議そうに見た。
「それで、こちらはどなたかな?」

「友人だ」とフェンリスは言った。
「君も名前を覚えているかも知れないな。カークウォールの頃の話だ。ホークが一度か二度、彼の命を救っている。ごく最近、彼も俺の命を救ってくれた。フェンリエルという。フェンリエル、こちらがセバスチャン・ヴェイル大公だ」

男はしばらく思い出すように頭を傾げた後、背筋を伸ばすと鋭い目線でフェンリエルを見直した。
「確かに、その名には覚えがある」と彼は答えて、フェンリスに問いかけるように振り向いた。
「彼をここに連れてきたからには、間違いなく何か理由があるのだろう……?」

「ああ。その件は良かったら後で話をしよう。先に、ホークに挨拶がしたい」

「もちろん」
セバスチャンの顔にほんの一瞬緊張の影が走り、それから再び快活な表情に戻った。
「私が同行できないのを許してくれ。今朝からまだ仕事が残っていてね」と彼は言って、書類の山が積まれた机を示した。
「あるいは、昼食をご一緒出来るかな、君たちが旅の汚れを落としてから?君の友人も一緒に」

「そうさせて貰おう。ありがとう」とフェンリスは言って、彼の友に頭を下げて礼をすると、振り返って部屋を出て行き、フェンリエルは一言も言わず後に従った。フェンリスはこの城内をよく知っている様で人々にも信用されているようだった。彼らが廊下を下り、突き当たりの螺旋階段を上っていく間にすれ違った人々は皆、彼らに礼儀正しく会釈する以外は何も言わなかった。

「僕達はどこに行くの?」
この一連の出来事にひどく混乱するものを覚えたフェンリエルは、再び恐る恐る尋ねた。

「ここだ」とフェンリスは短く答えると、美しく磨き立てられたオーク材の扉で立ち止まった。彼は一瞬、まるで殴られることを予期するように全身を強ばらせて身構えた。それから大きく肩で息を付いて、ノックもせずに静かに扉を開け、数歩中に入って立ち止まった。フェンリエルもその後に続いた。

そこは簡素だが、上等の家具が設えられた居間だった。床と羽目板は黒く光沢のあるオーク材で、その上の壁と天井は薄いクリーム色の漆喰で滑らかに塗られていた。部屋のそこここに、がっしりとした、やはりオーク材の年代物の椅子が散らばり、暗い色調を色とりどりの手の込んだ刺繍がされたクッションが和らげていた。窓に掛かるカーテンと、部屋の大部分を覆う分厚いカーペットは深みのあるワインレッドで、窓枠に腰を下ろして、大きな木製の刺しゅう枠に向かって屈み込んでいる女性が身にまとったドレスと、ほぼ完璧に合致した色合いだった。
その女性は彼らの入室にも気付かぬように刺しゅうをする手を動かしていて、様々な美しい色合いの糸巻きが彼女の周囲や、あるいは暖かな日差しの差し込む窓枠にきちんと並べられ、更に彼女の足下の籠にも溢れそうになるほど積み上がっていた。

「ホーク」とフェンリスは、静かな声で言った。

彼女はその時初めて頭を上げると、彼らの方に振り向いた。その平穏な顔の、深い青色の目が何の感情も見せずに彼らを見つめた。彼女の皺一つ無い滑らかな額には、くっきりとトランクィルの焼き印があった。

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