第18章 記憶

アンダースの欠片の二つ目は、ずっと判りやすかった。ウィスプ達は彼らを、どこか洞窟めいた、かつてのアンダースの診療所に似た大部屋へと連れて行ったが、床の真ん中に転がる、半分解けた包帯の一巻き以外は空っぽだった。フェンリエルがその側にしゃがんで指先で軽く触れると、包帯はその場から消え去った。彼は親指で指先を撫で、微かな笑みを顔に浮かべた。これらの欠片に触れることで、このメイジは何か感じられるのかも知れない、突然フェンリスはそう思った。欠片の示す思考や記憶から、フェンリエルがなにがしかの印象を得るというのはあり得そうだった。

そして部屋全体が消え去り、また彼らは別の場所にいた。砂浜のようだった。彼らは足下でさくさくと崩れる砂のような表面の上をしばらく捜し、やがて何か光る物がフェンリスの目に止まった。彼は身を屈めて、砂に半ば埋もれた美しい鎖を掘り出し、その先にはテヴィンター様式のアミュレットがぶら下がっていた。
「これには見覚えがある」と彼はそれをフェンリエルに手渡しながら言った。
「ホークが彼に贈ったものだ」

そういうと、彼は寂しい砂浜と海をしばし見渡した。
「なぜそれが、ここに来ることになったのか」

フェンリエルは肩を竦めた。
「誰かが、それを見て覚えていたんだろうね、何かの理由で。あるいはこのアミュレットと似たような物を。僕達が探しに行く夢の持ち主は、必ずしもアンダースを本当によく知っているとは限らない。すれ違った時にちらっと目を止めただけの人かも知れないし、あるいは彼と会ったことがある人かも。その人達が、この欠片を彼らの夢の中でそれらしいと思った場所に置くから、僕達がそれをどこで見つけるかはまるきりデタラメってことになる」

フェンリスは彼を不思議そうに見た。
「ならば、もし彼をよく知っている者の夢に入った時には、君にはそれが判るだろうか?」

フェンリエルはまた小さく肩を竦めた。
「多分ね。そこにはアンダースの欠片がいくつも有るかも知れないし、何か他の印も見つかるかも――元気だった頃の彼の姿が見られるかも知れない、といってもそれが本物の彼と何か繋がりがあるとは思えないけど。たんなる幻想で、僕の夢に現れる母の姿が、本物の彼女ではないようなもの。フェイドが夢の隙間を埋めるために作り出す、ただの幻影だよ」

彼はそれから言葉を切ると、眉を僅かにひそめて考え込む表情を見せた。
「君に警告しておいた方が良いかな……夢を見ている本人を、その夢の中で見るかも知れない。彼らの夢や記憶を乱すことの無いように、僕達の姿は見えないように隠しているけど、もし君が他の人のように見える何かを見たら、近寄らないように。夢見る本人かも知れないし、あるいは他のフェイドの生き物かも知れない。ディーモンか、スピリットか、他の何か……全部避けるに越したことはないから」

「他の何かとは?」とフェンリスは興味を引かれて聞いた。

「時々、フェイドの中で道を見失い、帰れなくなる人がいる。ディーモンの誘惑も、スピリットの怒りも避けてはいるけど、自分の身体に戻る道を見つけられない人達。現実世界で身体が生きている限り、彼らはここをさまよい続ける。殆どは身体が死ぬとどこかへ消えてしまう、けど残る者も居るんだ。何か怪我をした後で、身体は元気を取り戻したのに決して目覚めようとしない人について、君は聞いたことがないか?そういう人は、ここに居ることが多いね」

フェンリスは頷いて、彼がかつて見たことのある、港で働いていたある男を思い出していた。彼は船から樽を降ろしていたクレーンの木の端に頭を打たれて、意識不明でアンダースの診療所に担ぎ込まれてきた。アンダースは頭の怪我を治療したが、その男は二度と目覚めることはなかった。メイジは彼をほぼ二週間生かし続けたが、とうとうある夜息を引き取り、死因は分からなかった。あるいは、彼もフェンリエルの言うように、ここで迷子になったのかも知れない。その考えに、彼は僅かに身震いした。一夜の夢は楽しいかも知れないが、ここに命残る限り捕らわれる、そしてあるいは、その先もずっと?そのような目に会うことなど、考えたくも無かった。

彼らは再び進み始めた。彼らの行き先は、時に現実世界で彼らが見知った場所と良く似ていることもあったし、時には全く見覚えのない場所であった。それらの場所で、二人はもっと多くの、夢の中に様々な形をして散らばっているアンダースの欠片を見つけた。
いくつもの巻いた包帯、数多くの羽根――灰色だけでなく、黒色で先端を削ればペンになるような羽根、そしてカササギの翼のように虹色に輝く羽根、あるいは灰色と白に塗り分けられたカモメの羽毛――一方ただ一つだけ見つかった物もあった。長い廊下の窓枠に、忘れ去られたように置かれていた、汚らしい灰色のぼろぼろのスカーフ、乱れたベッドの下に転がっていた小さな錫製のベル。メイジのローブに付いていた小さな肩掛けは、果てしなく続くように見えるガラスの平面を横切る道の傍らに落ちていた。

フェンリエルはそのスカーフを見つけた時に、しばらく立ち止まって手の上で滑らせた後、もう一方の手で、まるで壊れやすい繊細なもののようにそっと布地に触れた。
「これを夢の中に置いた人は、昔本当にアンダースを愛していた人だろうね」と彼は静かに言うと、両手でそれを包み込み、メイジへと送り返した。


もうすぐ目覚めようかという頃に、二人はアンダースとジャスティスの元へ戻った。メイジは納屋の外に、まだ子供の姿で立っていて、何か小さな家畜に餌をやっているように見えた。もっともその家畜自体はごく曖昧な姿でしか描かれておらず、何の動物かを当てるのは難しかったが。子ブタか、ニワトリか。何かそのような大きさだった。

ジャスティスはフェンリエルが近づくと、両腕を前で組んで礼をした。
「彼を形作る欠片がいくつか戻ったことが、我にも感じられた」とスピリットは言った。
「そなた達は今夜は良く働いた。彼を癒すにはまだ数多くが必要であろうが。感謝しよう」

フェンリエルは頷き、アンダースを手短に観察した。フェンリスにはどこが変わったのかはっきりとは判らなかったが、フェンリエルは何やら満足げな、嬉しそうな顔をしていた。

明るい朝の日差しが差し込む寝室で、彼らは目覚めた。

「随分良く休んだ様な気がするのは驚きだ」とフェンリスはメイジに言った。
「かなり忙しい夜だったように思うが」

フェンリエルはニヤッと笑った。
「夢を見ている間は、身体はひどく寛いだ眠りに着くから。僕達があちこち走り回っている間は、外から見るとぐっすりと深く眠っていた事になるね」

フェンリスは頷いて、興味深い視線をメイジに向けた。
「アンダースの変化は、俺には判らなかった。まだ本当の違いは出てないのだろうか?」

「ううん、出てたよ。それも彼だけじゃなくてね」

「ほう?」

「気が付かなかった?あのスピリットだよ――彼の太股の上半分までが、変化しなくなっていて、あの鎧を着ていた。もう姿を変えているのは膝上から下だけになってたね」

「いや……気が付かなかった」とフェンリスは答えると、難しい顔つきになった。
「それにはどういう意味があるのだ?」

「多分、ジャスティスはまだ少なくとも部分的には、アンダースと繋がっているんだろうね。それで彼の心が砕け散った時に、ジャスティスの欠片も一緒に飛んでいった。僕達が見つけようとしている欠片には、あのスピリットの失われた欠片も含まれているんだと思うよ、きっと」

「すると俺達は、彼ら両方を癒しているということか?」とフェンリスが言った。

「そうだね……だけど良いことだと思う。あのスピリットは他と比べて、何というか普通じゃないけど、それはアンダースとまだ一部で繋がっているせいかも知れない。彼がより本当の自分を取り戻せば、彼が持っているアンダースの一部も彼に戻るだろう、そして終いには……うん、多分最後には、彼は他のフェイドのスピリットと同じ本来の姿に戻って、現実世界で彼に起きた歪みも、その全部か、大部分は元に戻るだろうね」

彼らはその日の午後、再び地下室のアンダースの元を訪れた。前の日に見た彼から、ほとんど何も変わって居ないように見えたが……しかし、やはり変化はあった。彼は動物らしさを僅かに失っていた。今日の彼は静かに座ったまま、二人が与えるリンゴをその場で飲み込むか、ただじっと手に持っている代わりに、一口かじり取っては静かに噛みしめ、また一口というように丁寧に食べた。それから彼は一時食べるのを止め、片手に持ったリンゴの切れ端に食い入るように見入った。それからまた寛いだ様子になって、ゆっくりと果物の欠片を最後まで食べていた。

カテゴリー: In Dreams パーマリンク