第20章 感謝

最後の夜、フェンリエルは彼らが見つけた欠片をすぐには送り返さず、腕に抱え持って歩いた。彼の腕の中は様々な物の断片で埋め尽くされ、見上げるような大きさの物さえ、不思議なことにその腕の中にするすると容易く収まった。
虫食いのある革装の小さな本、暗赤色の液体が入った小さなバイアル、様々な羽根の取り合わせ、喉をごろごろ鳴らす、片目の無い茶トラ猫。その顔には大きな傷跡が残り、耳も二つに裂けていた。破れたズボン、素焼きの壺に入った萎れた花束、乾燥させたハーブの束、空っぽのガラス瓶、猫目石のように明るい筋の入った、流れが磨いた黒羽色の丸石。

そしてようやくフェンリエルは立ち止まり、ウィスプ達の声を聞くように頭を傾けて、やがて溜息を付いた。
「まだ残っている物は、どこかに隠れているとしても、小さすぎてウィスプ達にも見つけられないみたいだ」

彼らはその夜、アンダースとジャスティスが居る場所へと向かった。森林の端にある、小さな丘の夢だった。周囲にはなだらかな草原が広がり、雲の影がその上を走っていた。アンダースは草原を見つめながら草の上に腰をおろし、両腕で膝を抱えていた。ジャスティスはその背後に立って、その巨大な剣の先を地面に向け、両手を柄に休めていた。今では彼の足だけが揺らめく変化を見せ、足首から上は全て堅固な姿となっていた。

アンダースの変化は明らかだった。彼は二人が近づくにつれて振り向き、穏やかな、しかし明らかに彼の夢の中の、二人の存在に気付いた表情をした。彼はじっと、二人の顔を見つめた。

「フェンリス」と彼は言って立ち上がった。フェンリスは一瞬、ひどく驚いた。たとえ夢の中でさえ、彼が話すことが出来るとは思っても居なかった。

「アンダース」とフェンリスは答えた。

微かな笑みがアンダースの唇に浮かんだ。
「『メイジ』じゃないのかい?」

「いや。だが君がそう呼んで貰う方が良ければ別だ」

彼はニヤッと笑い、そしてフェンリエルに目を向けた。
「それは僕のものみたいだね」と若いメイジが腕に抱えた、雑多なものの方に頷いて見せた。
「返して貰って良いかな?」

その尋ねる声に含まれる切望の響きに、フェンリスは喉に塊がこみ上げるのを感じた。そして彼も、自らの遠く彼方に失われた記憶について考えていた。失われた過去を取り戻すためなら何でもしよう、そう思った頃もあった。知らない方が良いこともあるという事を学ぶ以前には。忘却は、時には慈悲となった。
今でも幼い頃を思い出せればと望む時もあったが、だが彼がヘイドリアナを殺し、ヴァラニアに会い、そしてダナリアスを殺した、その後に蘇った、僅かな記憶……それで十分だった。一瞬彼は、果たして彼の失われた記憶もこのフェイドのどこかに散らばっているのだろうかと思った。ヴァラニアの夢の中だろう、恐らく。彼女がカークウォールから立ち去った後、どこかで生きているなら。

フェンリスはもはやそれらを探しに行こうと、再び他人の夢を尋ね歩く旅をしたいとは思わなかった。過去は、忘れ去られたままで良い。もはやそれが彼を苦しめることはなかった。いずれにしても、それを覚えていて、まだ生きている人物はひどく少なかった。

「ほら」とフェンリエルが言って、腕に抱えた品々をアンダースに向けて放った。それらは彼に向けて飛び込むと同時に変化し、色とりどりの流れの中に消え去り、彼を取り巻いた後、メイジの中に吸い込まれた。

アンダースはその後で立ち上がると、大きく息を吸った。微かな笑みが彼の顔をよぎった。
「ありがとう」と彼は言って、ジャスティスに向き直った。

メイジとスピリットは、互いの顔を長い間見つめた。スピリットの足の甲に、まだ揺れ動く部分が残っていた。やがて彼は剣を片手に掲げると、下向きに一方に向け、それから二人の間の空間を鋭く断ち切るように剣を振った。甲の揺らめきが止まった。

「我は再び自由となった」とジャスティスが、まるでトランクィルのような感情のない、平静な声で言った。
「我は我なり」

アンダースは微笑んだ。
「君に出来る限りね」

ジャスティスも小さく頷くように頭を傾けた。
「そなたも。そなたに出来うる限り」

「君は、現実世界に居た時のことを後悔しているか?」とアンダースは頭を傾げて聞いた。

スピリットが答える前に、僅かに沈黙があった。
「否。そこで見たものは、我に出来うる限り、貴重な記憶として留め置こう。あれほどの美しきものに、そなたらの目が止まらぬのは……」

アンダースは微笑んで片手を差し出し、掌を開いた。何かがそこに現れた。葉脈だけが残った薄く脆い枯れ葉、角の尖った花崗岩の小石、彼の小指ほどの長さもない小枝……
「これを」と彼は言った。
「これらがどれだけ美しく見えたか、僕も覚えているよ。初めて僕の目を、僕だけでない目で見た時のことを。その記憶を僕達が分け合えば、忘れる事はない」

スピリットはためらった後、手を伸ばした。枯れ葉が彼の手に向けて舞い上がり、一瞬鮮やかに輝いて消えた。小石に小枝も後に続いた。

「感謝しよう」とジャスティスは重々しく言った。彼とメイジは、それから長いこと互いを見つめて立っていたが、やがてフェンリスとフェンリエルに振り返った。
「我が感謝をそなた達にも。アンダースをホークのところへ連れて行け。彼が何を為すべきか知るであろう、そして彼女を癒す我が約束は果たされる」

そして彼は、その場から消え去った。アンダースは彼らの方に振り向き、再び暖かな、優しい笑顔を向けた。
「目が覚めたら君たちに会おう」と彼は言って、身体を翻すと丘を僅かばかり下り、そこで立ち止まって、ただなだらかにうねる草原を見つめていた。本物の風ではない風が彼の髪を揺らし、背後へ押しやっていた。


アンダースは二人を階段の下の暗がりで待っていた。もはや身を低く屈めることもなく、まっすぐに立ち、毛布を頭から被って全身を隠す代わりに、寒気を防ぐためにきっちりと身体に巻き付けていた。彼の目が二人を見て、それが誰か理解した。彼は頭を振って脂っぽい髪を後ろへ追いやると、静かに笑顔を見せた。彼の夢の中で見た暖かな表情が、微かにまだ残っていた。

「アンダース」とフェンリスは、挨拶と確認の意味を込めて言った。

アンダースは軽く頭を下げて頷き、それからフェンリエルの方を不思議そうに見た。

「フェンリエルだ」とフェンリスが説明した。
「ホークに一度ならず命を救われたメイジだ、カークウォールの頃に。君も覚えているだろう、ソミアリだ」

アンダースの目は輝き、同意の徴に頷いてみせると、明らかな興味を持ってしばらく若いメイジを眺めたあと、フェンリスに振り返った。彼は薄汚れ色褪せた彼の服をつまみ、しかめっ面をした。

「ふを」と彼は言い、話そうとする彼の口元から一瞬、切り落とされた舌の根本が覗いた。フェンリスは初めて見た時と同じくらいの衝撃を受け、彼の受けた被害の大きさを改めて思い知った。

「風呂?」とフェンリスは尋ねた。アンダースは勢いよく幾度も頷いた。

二人は彼を上階へと連れて行った。彼は一瞬、台所に入る扉の前で立ち止まり、そのざわめきと騒音に怯えるように目を見開いた。

「大丈夫だ」とフェンリスは彼に静かに言って、安心させる様に彼の腕に触れた。

アンダースは小さく鼻を鳴らし、フェンリスを横目でちらりと見たが、それから顎を引き姿勢を正して、フェンリスとフェンリエルに従ってその部屋へと入った。彼の姿を召使い達が見た途端、ざわめきは一瞬にして静まった。

「彼をどこに連れて行くんですか?」と、やせっぽちのそばかすのある、見習いの少年が疑わしそうな声音でフェンリスに聞いた。彼も、メイジのために定期的に食べ物を運んでいた一人だった。メイジが地下室に引きこもった当時、彼はまだ幼く、その後も彼を恐れること無く育っていた。

「彼は良くなった。俺達で上に連れて行く、そうすれば風呂に入って着替えが出来るからな」とフェンリスは説明した。

「彼が?良くなったの?」と母親めいた風貌の調理人が尋ねながら数歩歩み寄り、じっと食い入るようにアンダースを見つめた。アンダースは彼女の凝視を受けてはにかむように笑顔を見せ、頷いて見せた。
「ああ、本当に!」と彼女は声を上げると、両手を打ち合わせた。
「朝食はどうかしら?食べる?」と彼女は彼ら三人を忙しく見渡しながら、嬉しそうに尋ねた。

「頼もう」とフェンリスは重々しく同意した。
「彼はひとまず俺の部屋に連れて行く。後で三人分の朝食を、持って来てくれればありがたい。それに、彼のサイズの服も要るな……」

「女中頭に彼の服について知らせるよう、誰か送りましょう」と調理長が割って入った。
「ほら、仕事に戻れみんな!朝飯が勝手にテーブルに乗っかる訳じゃないぞ!」と彼は声を張り上げ、皆に手を振った。
「お前」と彼はさっきの見習いを呼んだ。
「朝食が出来たら、盆に載せて紳士方のところへお持ちするように」

皆は急いで仕事に戻ったが、それでも彼らが大きな調理場を通り抜ける間、幾人もの人々が彼らのそばで立ち止まり、ほほえみながら一言二言、アンダースの回復に喜びの言葉を掛けた。下働きの少女などはわざわざ駆け寄って来て、顔全面に笑顔を浮かべながらアンダースに甘パンを手渡した後、慌てて彼女の仕事に戻っていった。部屋を出る頃には、人々の示す愛情と関心に心を動かされたアンダースの目に、こぼれる寸前の涙が浮かんでいた。

フェンリスは城内のより公的な区域を通って彼を見せびらかすのは避けて、召使い達が使う階段を上がり、すぐに彼の自室へ到着した。それから風呂に湯を張り、アンダースが浴室へと消えたその数分後に、顔いっぱいの笑みを浮かべたさっきの見習いが、盆いっぱいに朝食の皿と紅茶のポットを持って現れた。
「彼は本当に良くなったんですか?」と彼は尋ねた。
「じゃあもう、地下室で暮らすこともない?」

「ああ。彼は本当に良くなった」とフェンリスは答えた。
「君に礼を言おう、それに俺がここに居なかった間、彼の面倒を見てくれた者全てにも。どれほど君たちが彼の面倒をよく見ていたのか、彼にも必ず知らせよう」

少年は顔を赤らめ嬉しそうに笑うと、幾度も頭を下げて、それから急いで台所へ戻っていった。まだ朝早く、彼が覚えるべき仕事はいくらでもあった。それから少し後に女中頭の年配の女性が、彼女の城の『隠者』が回復したという噂を自らの目で確かめるために到着した。彼女はアンダースの様子をフェンリスに尋ね、彼の背丈と肩幅について聞き取った後、再び急ぎ足で出て行った。しばらくして女中が何枚かの服を持ってやって来た――ごく簡素な服で、ここの召使い達が着ているような――そしてフェンリスに、もっと上等の服も準備しているが、まだ時間が掛かり、身体にきちんと合わせる必要もあるだろうと伝えた。

「とりあえずはこれで充分だ」とフェンリスは彼女に伝えた。

彼女と入れ違いに二人目の召使いが、彼らの誰も予想もしなかった器具―櫛、ハサミ、ひげそり道具一式―を持って訪れた。彼は城付きの理容師であると自己紹介した後、彼の手を借りて身だしなみを整えるか、あるいは道具を借りるだけとするかと尋ねた。

アンダースは理容師が来たことを告げられると、タオルを巻いただけの姿で浴室から出てきて、椅子に座り、綺麗になった髪の毛を梳いて余分な長さを整える彼の腕に、喜んで頭を任せた。アンダースに髭を残したいかどうかと彼は尋ね、首振りと頷きでの問答が交わされた後で、理容師はハサミで長く伸びた髭を出来る限り切り落とし、それから鋭く尖ったカミソリでメイジの頬と顎、それに上唇も滑らかになるまで剃った。
アンダースはその後で滑らかな顎を片手で撫で、嬉しそうな顔で理容師を見上げ、感謝の印に頷いた。フェンリスは部屋を出て行く彼を見送りながら気前よくチップをはずんだ。

その後で新しい服を着たメイジは、まるきり人が変わったように見えた、もっともまだ肌は不健康に青白くやせ細っていたが。二人と共に朝食のテーブルに着いた時、彼はフォークとナイフを使おうとはしなかった。彼の欠け、歪みねじ曲がった手でそれらを操るのはほとんど不可能だった。代わりに彼は、小さなパンやパイ、ゆでたソーセージ、固ゆで卵など残った指を使って簡単に食べられるものだけを選んだ。彼の食べっぷりは相当なもので、他の二人を合わせた量にほぼ匹敵した。そしてようやく満足するまで食べ終えてから、彼は汚れた指を拭いて、二人と更に会話を交わそうと試みることにした。

彼は二人を見比べ、それからフェンリエルを示して不思議そうな顔を作った。
「なんえ、をこ?」

その仕草と声を組み合わせれば、フェンリスには彼の問いかけは十分明確だった。
「なぜフェンリエルがここに居るのか?」とフェンリスは確かめるために聞いた。アンダースは頷いた。

「長い話だぞ」と彼は言うと話し始め、時折フェンリエルが彼の側の出来事を差し挟んだ。フェンリスが体調を取り戻し、ヴィンマーク山脈を越える旅に出かけるところまで話した時に、また扉をノックする音が聞こえた。

今度はセバスチャンだった。
「本当に……彼が良くなったのか?」と彼は扉を開け急ぎ足で近付きながら、不安げに尋ねた。

アンダースは部屋に入ってきた男を見るやいなや立ち上がり、全身を緊張させ、まるで何か魔法を使おうとするように両手を少し上げた。

フェンリスは突然思いだした。アンダースに、彼が今どこに居て、あの出来事から後、彼の面倒を見てきたのが誰だったのかを、何も話していなかったということを。

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