第22章 選択

フェンリスとメイジ二人は、セバスチャンがマリアンに腕を取らせて居間へ入ってきたのを見て立ち上がった。彼女が癒されてから既に数日が経ち、ようやくある程度の感情の抑制を取り戻していたが、まだ以前と比べると遙かに激しい感情の発露が、彼女の表情にも姿勢にも現れていた。だがセバスチャンとフェンリスにとっては、何年もの間、何の表情も見せない空虚な顔を見てきた後で、彼女の顔によぎる感情の波を目にするのはひときわ嬉しかった。

彼女は部屋に入る間も、やや不安げな表情を浮かべ、果たして自分がこれほど多くの人々と――たとえそれが僅か5人で、皆彼女のよく知る人々であったにせよ――上手くやれるかと神経質になっているようだったが、彼らに恥ずかしそうに微笑みかけ、そして三人の男達が返した暖かな笑みを見て、今度は本物の喜びから来る笑みを浮かべた。
彼女が頬を赤らめ、幾度も瞬きをして涙をこらえる間にセバスチャンは彼の隣の席に彼女を案内し、二人は共に席に着いた。彼は彼女の手を固く握り、顔を見る度に彼女への愛情に目を輝かせ、彼女の目にもそれに匹敵する輝きがあった。

ホークはやがて、セバスチャンからフェンリスと二人のメイジの方へと顔を向けた。
「あなた達三人には、本当に何と言ってお礼をすればいいか」と彼女は言った。
「セバスチャンも同じ。私達二人、あなた達にはとても返せない恩があることになるわね。何か欲しいものがあれば言ってちょうだい、私達に出来ることなら、何でも」

「気にするな、報酬のためにやった事ではない」とフェンリスが重々しく言った。

アンダースも同意するように、温かく彼女に笑いかけながら頷いた。

ホークは顔を赤らめ、言葉に詰まるとセバスチャンの手を握りしめて涙をこらえた。
「あれをどうやったのか説明して。そもそも、どうしてアンダースにトランクィルの儀式が失敗したの?どうやって彼は私を治してくれたの?」

「全部ジャスティスのせいみたいだね、どうやら」とフェンリエルは言って笑顔を浮かべた。
「それと、純粋な幸運も多少ね。もしアンダースがどうやってか彼をフェイドに戻すことに成功していなかったら、あれが上手く行っていたとは思えないな」

アンダースはそれを聞いて鼻を鳴らすと、多少の不同意の意を込めて若いメイジを見つめ、二人は視線を交わし合った。

「何が上手く行かなかったと?」とフェンリエルがすぐに説明を続けなかった後でセバスチャンが尋ねた。

「ええと……つまり、トランクィルの儀式はメイジとフェイドとの繋がりを断ち切る事で効力を発揮する。最初にテンプラー達がアンダースにそれをやった時、彼が言うには、それがジャスティスを殺してしまうんじゃないかと怯えたそうだ、なんたって彼はフェイドの生き物なんだから。それでどうなったのか、とにかくアンダースの恐怖と儀式自体の間で、ジャスティスはフェイドに押し戻された。だけど彼はまだ、アンダースと繋がっていた、というか一部はまだ彼と一体だった。儀式はその繋がりまで切れなかったようだね、あるいは、切ったとしてもジャスティスがフェイドの方からまた繋ぎ直したのか。
とにかく、儀式は失敗した。テンプラーが幾度繰り返してもジャスティスが繋ぎ直すものだから、何度でも失敗した。だけどその失敗の繰り返しと、逆上した連中がアンダースを肉体的に痛めつけるのとが合わさって、次第に彼の正気が失われてしまった。あるいはジャスティスが言うように、彼の心が砕け散り、フェイドの中へバラバラに飛び去ってしまった」

フェンリスが口を挟んだ。
「それからフェンリエルと俺が、その欠片をフェイドの中で見つけて彼の元に戻し、その狂気を癒した。ジャスティスはその後で、最後まで残っていた二人の繋がりを断ち切り、彼は再び単なるフェイドの精霊、本来の彼の在るべき姿へと戻った」

「それで、アンダースはホークを……ええと、つまりフェイドの精霊、この場合はジャスティスだね、彼にフェイドの方から彼女を見つけさせることで、癒す事が出来た。あちらから彼女に辿り着いて、断ち切られたフェイドとの繋がりを結びなおしたってこと」とフェンリエルが続きを締めくくった。

ホークはあっけにとられたように見えた。セバスチャンも穏やかに驚いた顔をした。
「それだけ?」と彼女は聞いた。
「トランクィルを元に戻すのって、そんなに簡単なの?」

アンダースはニヤリとして、嬉しそうな顔で頷いた。

セバスチャンは難しい顔をした。
「ううむ……この知識は潜在的に危険だと言えるだろうな」と彼は指摘した。アンダースは彼の方に向き直ると怒ったように眉をひそめたが、大公は急いで片手を上げると言葉を続けた。
「この知識を無かったものとしたり、隠すべきだと言うつもりは無い。だが、これを使う際には細心の注意と、充分な検討が必要だと考えざるを得ない」

セバスチャンはそういうと唇を引き結び、しばらく考えに沈んだ後、再び言葉を継いだ。
「全く過った状況下で、トランクィルになることを強いられたメイジ達がいる。充分その力を制御することが出来るにも関わらず、それとは全く関わりのないところで、その者に対する処罰として行われる場合だ」
彼はそういうと、ホークの方にちらりと目をやった。

「この儀式の本来の目的は、自らの力を制御出来ないメイジ達への救済措置だったはずだ。力に心底怯え、それを支配し使いこなす術を学ぶことも望まないメイジが、自ら望んでトランクィルとなっている時に、それでも彼とフェイドを再び繋げるのは、果たして理に叶った行いだろうか。そして我々がこの目で見てきたように、マリアンはトランクィルとなる前は滅多に感情を暴発させることなど無かったし、そうなっていた時期はほんの数年、彼女の人生の極僅かな一部に過ぎない。だがその彼女でさえ、再び感情を制御するのはひどく厄介な仕事となった。これがもし、人生の大部分を感情の大波を受けることなく過ごしてきた、他の誰かであったとしたら?彼の恐怖や、怒り、あるいは他の感情を制御する術を殆ど、あるいは全く知らない者だとすれば?
だから……そう、私は他のトランクィルにこの知識を適用してはならないと言うつもりはない。だが、君たちには充分熟慮の上で、そして最大限の注意を払って、その力を使って欲しい。もし本当に、これが一度きりの事ではなく何回でも出来るのであれば、の話だが」

セバスチャンが話し終えた時には、アンダースとフェンリエルは共にそれぞれの思いに沈む表情をしていた。フェンリエルは年長のメイジの方を見た。アンダースはやがて溜息を付き、その言葉に理があると認めた様子で、セバスチャンに頷いて見せた。

「聞けば良いのよ」とマリアンが突然言った。
「彼らは感じることは出来なくても、考えることは出来るから。私も感じることは出来なかったけれど、確かに考えることは出来た。それに……『楽しむ』というのは、なんだか正しい言い方じゃないわね。『好きな』というのもおかしいけれど……だけど、確かに良いと思う物事はあったし、特別な香りや、手触りや、肌に当たる日差しの暖かさを、あるいは刺しゅう糸の色使いやパターンをどうするかも、自分で選ぶ事が出来た。ただそれが、感情に動かされることが無かっただけ。冷静な論理にのみ基づいた選択だった。だから、もしあなた達があるトランクィルを癒すべきだと考えたなら、最初に彼にどんな危険が考えられるかを説明して、それで彼自身に選ばせて欲しい。彼らにも選択の自由はあるの、滅多に使われることは無いとしても……『はい』か『いいえ』か、彼らに選ばせるべきね」

アンダースは再び、考え深げな表情でごくゆっくりと頷いた。それから彼は身を乗り出してフェンリエルの腕を叩き、ホークに向かって頷いて見せた。

「ああそうだ……アンダースは僕に、もし君が良ければやって見たいことがあると、君に伝えて欲しいそうだよ」とフェンリエルがいった。

「何かなそれは?」とセバスチャンが不思議そうに尋ねた。

アンダースはにっこりと笑い、彼の額を隠している前髪を払いのけた。

「まあ!」とマリアンは驚いて叫んだ。彼の変化は明らかだった。焼き印の跡が薄れていた。完璧に消えては居なかったが、今や光の当たった時に陰として、あるいはやや周囲より明るい色で見えるだけで、以前より遙かに目立たなくなっていた。
「ええ、お願い!」と彼女は身を乗り出して言った。

アンダースは再び微笑み、髪から手を離すと立ち上がって、彼女の側に行くと片膝を付いた。彼女は前屈みになり、それから彼が手を彼女の額に当てた。微かな輝きが彼の手を包み、しばらくそのまま彼は動かなかった。他の三人は皆黙ってそれを見つめ、やがて彼が再び立ち上がると、彼女の焼き印も同様に薄れていた。完璧に消えることは無いにせよ、彼女が薄く化粧をすれば容易く隠せる程度に。

ホークは立ち上がって、暖炉に駆け寄るとその上に掲げられた小さな鏡を覗き込んだ。彼女が振り返った時、その目には再び涙が溢れていた。
「ありがとう、アンダース……本当に、本当にありがとう」

彼は嬉しそうに頷いた。

「それで、君たち三人はこれからどうするのかな?」マリアンが彼の隣の席に座った後で、セバスチャンが尋ねた。
「フェンリエル、アンダース……君たちもフェンリス同様、いつまでもここに留まってくれて構わない。私が生きている限り、君たちにとってスタークヘイブンは常に安全な隠れ家、自分の家だと思って貰いたい。君たちが私に、そしてマリアンにしてくれた事へのお返しとして」

アンダースは微笑んで頷き、フェンリスの方を見た。

「三人でそのことを話していた」とフェンリスが言った。
「俺はフェンリエルの護衛になると約束したし、君も知っての通り、俺は一カ所に留まるよりも旅をしている方が好きだ。アンダースは俺達に、フェラルデンに戻りたいと言っている――そこにいるグレイ・ウォーデン達の元へ。もっとも彼らと共に留まりたいと思うか、あるいは果たして彼らが彼を受け入れるかどうかは定かでは無いが。だがともかく、少なくとも彼の友人達の居るところへ、一度は戻って見たいと」

「それにフェラルデンは僕達が行ける限りで一番テヴィンターから遠い、まあ遙か東か遙か北へ船出するなら別だけど。どっちの方向にもクナリが居るし、そもそもその前にテヴィンターの領海を通過しなきゃいけない――どっちも勘弁して欲しいね」とフェンリエルが口を挟んだ。

「フェラルデン人はブライトの後、彼らの英雄のお陰でずっとメイジに寛容になったということだし。だから僕もアンダースに付き合ってそこへ行って、どこか僕が落ち着ける場所が無いか探すことにするよ」

セバスチャンはそれを聞いて頷いた。
「だけど少なくとも結婚式までは居てくれるんでしょう?」とマリアンが尋ねた。

フェンリスは微笑んで頷いた。
「それほど先のことでなければ。フェンリエルも俺も、これほどテヴィンターの近くに長く留まるのは、あまり好かない」

「ごく小規模な、形式張らない式となるだろう」とセバスチャンが言って、マリアンの顔を見つめ、笑顔で彼女の手を再び握りしめた。
「彼女を大事に思わないとか、誇りに思わないという訳では無い。だが私がメイジと結婚するという事実が引き起こしかねないごたごたは、必要最小限にしておきたい。これは私だけでなくマリアンの望みでもある。領民達はこの数年の間に、私に彼女以外の誰とも結婚する意志のないということを、既に理解してくれている。
それに君たちがやってくる前から、私は水面下で生き残った遠縁の従兄弟達と連絡を取り、彼らの子供達で適当な者を二人、養子とするための手はずを整えていた。もちろん、私の跡継ぎとして育てることを約束した上での事だ。いずれどちらかを大公位の第一継承者として発表し、その者に子供が出来るまでは、もう片方を第二位とするつもりだ。
彼女も元の姿に戻ったからには、私はマリアンを我が妻とする、彼女以外他の誰にも、否とは言わせない」

マリアンは微笑み、身を乗り出すと彼の頬にキスをした。
「私はもう、はいって言ったでしょ」

セバスチャンは実に嬉しそうな笑みを閃かせた後、三人の男達の方に振り返った。
「式は二週間の内になるだろう、もし万事上手く行けば。たとえ私とマリアンの望むようなごく簡単な結婚式とはいえ、準備しなければならない事がいくつかあるからね。各地の荘園にいる貴族達に招待状を出すとか、そういう諸々が。そしてもし君たちがそれだけの間留まっても良いと思うなら、ぜひ君たち皆にも参列して欲しい。もし君たちが居なければ、そもそもこの式はあり得なかったのだから」

三人は視線を交わし、やがてフェンリエルが頷いた。
「そのくらいなら居ても大丈夫だと思うし」と彼は同意した。
「何にしても、今すぐは出発出来ないしね。アンダースも、旅をするにはもう少し体力を取り戻さないといけないし。それとまた太陽の日差しに当たることにも慣れておかないと、旅の間に脱皮してしまうよ」

アンダースは笑って頷き、彼の目をハタハタと叩いた。

「長い間暗がりに居たため、日の光がまぶしすぎて目が眩むそうだ」とフェンリスが言った。
「それに彼のための適当な服も要るな。着替えと、それを入れる袋や、そういったものが」

セバスチャンは頷いた。
「君たち三人とも、必要な物は何でも買えばいい、それで請求書を私の方へ廻してくれ。君たちにここに留まるつもりが無いのなら、せめて充分な旅支度を調える手助けをさせて貰おう」

フェンリスは了解の印に頷いた。彼らはそれから共に昼食を摂り、彼らの会話は主に三人の男達が必要とする物品や、どういった道程でフェラルデンに行くかといった話題で占められた。

「カークウォールは経由しない」とフェンリスが言った。
「アンダースを連れてあそこを通るのは賢明とは言えないからな。アヴェリンに迷惑を掛けたくはない。俺はまず東へ、マイナンター河を船で下り、それからアンズバーグの手前で船を乗り換え、南へ向かう支流を遡ろうと考えている。海岸沿いのハルシニアへ向けて。無論、船は途中までしか昇らないが、それでもかなりの距離が稼げるはずだ。それからなら、海岸沿いの丘陵地帯を歩く距離はかなり短くなるだろう。それから、ハルシニアから船にのって、アマランシンかデネリムへ向かう」

Freemarches「オストウィックの方がハルシニアよりも近くはないか?」とセバスチャンが尋ねた。

「ああ、だがそうすると地上の旅がずっと長くなる。マークハムから山を越える峠道を、オストウィックへ歩いて行くことになるからな。先に東に行っておけば、山岳地帯を避けられると同時に、マークハムとハルシニアの中間辺りに出られるから、船旅の距離も稼げることになる」

「じゃあ何故、もっとマイナンター河を東に下って、ワイコムかバスティオンに行かないの?」とマリアンが不思議そうに聞いた。

今度はフェンリエルが首を振りながら答えた。
「僕がカークウォールに来る途中で、両方の街にちょっとだけ立ち寄ってる。もし誰かがテヴィンターから追っ手が掛かっているとしたら、きっとそこで待っているか、それか誰か僕を見たら判る人を残しているに違いない。ところが僕はハルシニアで泊まったことはないから、そこには見張りはいないだろうと期待してるんだけど」

「出発する前に、彼の姿を少し変えるつもりだ」とフェンリスが付け加えた。
「例えば、髪を染める。それとその長いのも、少し切った方が良いな」

フェンリエルは嫌そうな顔をした。
「それはあんまり嬉しくないなあ。旅の間変装を続けるとなると、髪の染料も持って行くのかい?オリージャンみたいに先っちょにちょっと粉を振って、根本に別の色粉を付けるって訳には行かないよ。それに、今の髪の長さが僕は気に入ってるんだ。こう見えても、僕はおしゃれなんだからね」と言って、若いメイジはニヤリと笑った。

セバスチャンとマリアンはそれを聞いて、共に声を上げて笑った。マリアンはそれからカークウォールの話を聞きたがり、食事の続く間フェンリスは、彼女にかつての仲間達がどうしているか、彼の知る限りのことを話して聞かせた。

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