第23章 変化

フェンリスは刺しゅう台に向かっているホークを見ながら、壁にもたれ掛かった。
「君は何故、まだそれを?」と彼は尋ねた。

彼女は彼の顔を見上げると微笑み、小さく肩を竦めて再び刺しゅう台に注意を戻した。
「こうしていれば手を動かしていられるでしょう。それに、今ではとても馴染んだ仕事だから。ほら、そこでぼーっと突っ立ってるのは止めて、座って。それか部屋から出て行くか。どっちでも良いわよ」

フェンリスは唇の隅を歪めて笑うと、部屋の隅にあった椅子を一脚窓際へと持って来た。彼はそれに腰を下ろすと、後ろに手をやってクッションの一つを拾い上げ、しげしげと刺しゅうを眺めた。
「しかしなかなか上手な刺しゅうだ」と彼は言った。

マリアンは鼻を鳴らした。
「そうよ。信じられないでしょ?もし母さんが、私が手に針を持っているところを見たら、驚いて気を失うのは間違い無いわね」

短い沈黙が降りた。彼女は再び顔を上げ、エルフが僅かに顔をしかめて、彼女をじっと見つめていることに気付いた。
「どうしたの?」と彼女は尋ねた。

フェンリスは溜息を付くと、より楽な姿勢に座り直した。
「アンダースが君を癒してから後、君が魔法を使うところを見たことが無い。君は本当に元に戻ったのか?」

彼女は唇を噛み、ふと視線をそらせた。
「ええ。また魔法を使うことが出来るのは判っているわ。ただ……使おうと思わないだけ」と彼女は言って、フェンリスに視線を戻した。
「フェンリエルやアンダースのように、人を助けたり癒したり出来る人達とは、違うから。私の魔法は人を傷つけ殺すのが得意なだけ。トランクィルにされる以外で、魔法を捨てる方法があるならやって欲しいと思うくらいね。もう使いたくはないわ。もちろん、何か緊急事態があってどうしてもと言う時は、また別だけど……。だけどこの先一生魔法を使わなくて済むのなら、それで少しも構わない。魔法のせいで、私と、私の家族がどうなったか」と彼女は悲しみの籠もった声で言った。

「フェラルデンに居た時、私達がどれほど用心して生きてきたか。ベサニーも、たった18で死んでしまった。魔法が無かったら、少なくともあんな死に方はしなかったでしょうね。それにたとえ生きていたとしても、カークウォールでひどく息の詰まる人生を送る事になったでしょう。母さんが死んだのも、魔法のせいだった。その他にも大勢、間違った魔法の使われ方で人が死んでいった。ああ、もちろんメイジが全て悪いなんて言うつもりは無いわ。チャントリーも半分以上の責任を負うべきでしょうね。だけど、この先はもう魔法を使わずに生きてみたい、それがどうなるのか見てみたい」

フェンリスは彼女を不思議そうに見つめた。
「トランクィルとして過ごした間に、君は随分変わったな、俺が思っていたよりも遙かに」

彼女は横目で彼を見て笑った。
「そうならない訳がないでしょ?もう何年も魔法無しで、それに全く感情に左右されることのない状態で生きて来て……それ以外にも、セバスチャンと私にとっては、私がメイジであることがあまり公にならない方が、事が簡単で済むの」

「それで彼のために諦めるのか?」とフェンリスは尋ねた。
「かつてはあれほど君にとって大切だったものを全て?」

「ええ。彼がそうしてくれと言ったからではないのよ、そんなことを聞かれたことはないわ、だけど私にとって大切なものが、全部変わってしまった。昔の私は人々の英雄で、チャンピオンで、誰もやろうとしない、きつくて汚い、嫌な仕事を片付けてくれる、そういう存在だった。皆が頼りにしてくれた。だけど私が大事にしていたものは……みんな、無くなってしまった。家族も、友人も、故郷も。これからは静かな人生を送りたいの、フェンリス。残りの人生を愛する人とここで共に過ごし、共に年を取り、彼が出来る限り善き統治者となる手伝いをする。人を殺すことで他人を助けるのではなくて、別の方法でここの物事を、皆により良いように変えていきたい。
セバスチャンはそのことについて、いくつか考えを持ってる。良い考えだと思うわ。それにどれも、短期間で簡単に出来るような話でもない。より正しい社会に変える軌道へこの国を乗せていく、その考えのどれか一つでも私達が生きている間に達成できれば、幸運といえるでしょうね。だけどやってみたい。一生を掛けた仕事よ。
私がカークウォールでしたような、あるいはアンダースがしたような人目を惹くことは何も無い、静かな我慢の要る仕事。ゆっくりと、人々が受け入れられるような結果を得るために長い時間を掛けていく。それに必要な魔法があるとしたら、それは私の手と心が努力して産み出すもので、フェイドから呼び出すものではないわ」

「もし君とセバスチャンの間に子供が出来たら?君はどうする?」

「それはあり得ないわ」とマリアンは一瞬声を硬くして言った。
「子を身籠もらないための魔法は使うつもりよ。たった一人の子供でさえ、私が望んだ以上のものだった」

「後悔しているのか?」とフェンリスは尋ねた。
「妊娠を続けたことを」

彼女は微笑んで首を振った。
「いいえ。セバスチャンがどれだけ彼女を愛してくれているかを思えば、たとえ彼自身の子供で無かったとしても、父親になる機会を奪わなかったのは良かった。私は運が良かったのね、きっと。ひょっとすると、私は彼女を憎むかも知れないと、それが怖かったのよ、彼女がどうして生を受けたかを考えれば。だけど昨日の夜、初めてセバスチャンが彼女を夕食の席に連れて来させた時、彼女を初めて見て……何も感じなかった。もちろん、彼女を妊娠していた時のことは覚えているし、産まれた時の痛みも、その後少しの間面倒を見たことも覚えているわ。だけど彼女との間には……何も感情の繋がりは生まれなかった。母親らしい感情は感じなかったけれど、だけど憎しみも、後悔も無い。それが嬉しかった。
きっと私達良い友達になれると思うわ、二人ともセバスチャンを愛しているし、それが絆になるから。それに些細なところで、彼女はあの年頃のベサニーに本当によく似てる。だから、いずれ私は彼女を愛さずには居られないでしょうね。これまでのところ、彼女が魔法の力を持っていないように見えるのはありがたいこと。あの娘は、私のベサニーが夢に見るしか無かった人生を手に入れられるかも知れない。普通の人生を」

「確かに普通の人生だな、この国の王女様の次に当たる存在なのだから」とフェンリスは微笑みながら言った。

マリアンは声を立てて笑った。
「そういえばそうね。彼女は可愛い娘よ。彼女の将来がどうであれ、何より幸せであって欲しいと思うだけ」
彼女はそれから更に数針糸を通した後、今度は別のクッションの刺しゅうを丹念に眺めるフェンリスに再び視線を向けた。

「それでフェンリス、あなたの方はどうなの?あなたが、メイジ二人と共に旅を続けることを望むというのは、随分奇妙な話のように思えて仕方ないのだけど。とりわけ、その内の一人がアンダースと来れば」

フェンリスは唇の端でニヤリと笑った。
「そうかも知れないな。だが俺はカークウォールに居た時に、全てのメイジが邪悪で権力の亡者ではないと教えてくれるメイジと出会った」と彼は言うと、彼女に温かく笑いかけた。
「それに、かつて俺がアンダースに抱いていた憎しみは、セバスチャンと俺が君たち二人を救出した時に消え去った。やつらが彼に、そして君にやった事は……俺が今まで見たことのある、如何なるマジスターの残虐な行為と、何も変わらない。自らの手に握った力を邪悪な行為に使うか否かは、普通の人々であれメイジであれ、その人に掛かっているということだ」

彼は手に持ったクッションを後ろに降ろすと、自らの考えに沈む様子だった。
「俺はカークウォールを出てから様々な土地を旅して歩き、多くの人々が為す様々な事柄を見てきた、驚くような親切心や大いなる寛大さから、酷く歪んだ残酷さまで。俺が憎むべきなのは、残酷な、邪悪な行いをする者で、親切な行いをしようとする者、寛大な心を持つ者がメイジかそうでないかは、気に掛けるべきではないだろうな。それに誰もが様々な面を持っている、ただ一面のみを見せる者など居ない。だから俺が出会う人々をどう判断するかは、彼らの行いを見て決めようとしている。
フェンリエルは……彼は良い男だ。アンダースも、また君とは違った意味で大きく変わった。彼との間の、この友情に似た物が長続きするかどうかは判らんが、だがわざと壊すつもりもない」

マリアンは同意するように頷き、彼に温かく微笑み掛けた。
「カークウォールの頃から大きく変わったのは、私だけじゃ無いみたいね」

フェンリスはニヤリと笑い、一つ頭を下げて頷いた。

「それで、一体どうやってアンダースを癒したのかもっと話してちょうだい。フェンリエルは最初の日に、ほんの少しだけ話してくれたけど、もっと詳しい話を聞きたいわ。あなたの視点から見てどうだったのかも」

フェンリスは頷き、彼女にその話をすることに午後いっぱいを費やした。

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